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久木陽奈の暗躍 86 夢

 歌が聞こえる。

 やさしい歌声。

 なのにどこか切なくて、さみしい歌声。


 誰だろう。

 なんでこんなにさみしそうなんだろう。


 誰が歌っているのか気になって見ようとして、気がついた。

 ――目が見えない。

 でもそれを当たり前に受け入れている。


 頭の中にいろんな情報が浮かんでくる。国の興り。人類の歴史。進化の過程。社会情勢。技術。文化。

 そんなたくさんの情報を理解していく日々のなか、その歌は何度も何度も聞こえていた。


 おそらくは違う言語の歌。

 だけどどういうわけか言葉が理解できる。


 綺麗で、やさしくて、切なくて、かなしい歌。

 きっと誰かを想って歌っている歌。


 朗々と歌い上げるのではなく、口ずさんでいるだけと思われる歌声。ささやくような、かすかな歌声。

 でも、歌い手の想いが()みだしているようで、つい耳をかたむけてしまう。


 ああ。また聞こえてきた――。

 やさしくてあたたかな歌声――。



 風が花を揺らす あなたがいる

 それがすべて 私のすべて

 やっと出会えた私とあなた

 かけがえのない 愛しいあなた


 太陽が大地を照らすように 

 月が星を照らすように

 あなたが私を照らす

 私もあなたを照らす


 あなたは太陽 あなたは星

 昼も夜も共に あなたと共に


 おやすみ おやすみ 愛しいあなた

 隣で共にに眠りましょう

 おやすみ おやすみ よい夢を

 夢の中でもそばにいる


 あの花は咲いたのに

 どうしてあなたは隣にいないの

 約束の日は来たのに

 どうしてあなたはここにいないの


 私はひとり手を伸ばす

 空に向け 風に向け

 帰ってきてと手を伸ばす

 あなたが迷わぬように


 逢いたい

 もう一度

 夢でもいいから

 逢いたい


 眠ればあなたに逢えるのならば

 私は永遠の眠りにつきましょう

 もしも来世があるならば

 私も来世へ向かいましょう


 逢いたい

 逢いたい

 愛しいあなた


 逢いたい

 逢いたい

 夢でもいいから


 おやすみ おやすみ よい夢を

 いつか逢える そのときまで

 おやすみ おやすみ よい夢を

 いつかまた逢える


 信じてる


 おやすみ おやすみ 愛しいあなた

 いつかまた逢えるそのときまで

 おやすみ おやすみ よい夢を

 きっとまた逢える


 おやすみ おやすみ よい夢を


 おやすみ おやすみ 愛しいあなた―――




 ―――ふ、と意識が浮上した。どうやら眠っていたらしい。

 と、なにか違和感を感じた。

 いつもとなにが違うのかと考えて、気がついた。


 視覚情報が入ってくる。――目が、見える。

 なんで? なんで急に?

 戸惑いながらも目に入るものを確認していった。ここはどこ? 目の前にたくさんいるひとは誰?

 ―――ていうか、このひと達、姿が―――ていうか、顔が―――。


 ―――犬?


 犬の頭部に人間の身体をしたひと達が自分を見つめていた。白衣を着て自分を取り囲むそのひと達が女性ばかりだと何故かわかった。


 そういえば昔ハマったアニメで登場人物は全員擬人化した犬ってのがあった。あれみたい。

 今言うなら獣人? 犬型獣人? 犬人族みたいな?

 いろんな犬種の顔がある。あっちのひとはコリー。こっちのひとは柴犬かな。

 頭のなかに進化の過程が浮かぶ。なるほど。猿から進化した私達地球人と違って犬から進化したのね。私達に日本人とか西洋人とかあるみたいにいろんな人種がいるのね。

 何万年も進化を重ね何千年も歴史を重ね、現在は科学文明の発達した世界になってるのね。


 で、戦争中だと。

 成人した男性はみんな前線もしくは前線に近い街にいて、この街にいるのは女性と子供だけだと。ここは研究所の一室だと。


「視覚情報確認」「システムは」「神経回路は」あちこちでなにかを確認するのが聞こえるなか「見える?」とひとりのひとが身を乗り出してきた。


 垂れ耳の、やさしい目をしたひとだった。

 その声は私によく話しかけてくれる声。

 同時に。

 あの歌の声だった。



 茶色の大きな垂れ耳。確かビーグルっていうんじゃなかったっけ?

 ビーグル女性はキタノ博士。

 いつも歌を歌っていただけでなく、いつも話しかけてくれていた。私にとっては最も耳慣れた声の持ち主。


 声もやさしいけど、目が。眼差しがやさしい。

 たくさんの情報を分析した結果、このひとは『善良な人間』なんだと判断した。

 その善良さを買われ私を育てる中心人物となっているとあとで知った。


 やさしいキタノ博士。

 いつもそばに写真を置いていた。

 黒い垂れ耳のボーダーコリーみたいなひと。

 キツそうな顔つきなのに、その目がやけにやさしく見えた。


「このひとは私の夫よ」

 その説明に納得した。きっとキタノ博士を見つめているからやさしい目をして見えるんだ。

 そうして博士は話をしてくれる。

 愛していたこと。『しあわせ』だったこと。どんな日々を送っていたか。

 そうして博士は学習させてくれる。

 愛するということを。『しあわせ』とはなにかを。なにが『最善』かを。



 キタノ博士はいつも笑顔のひとだった。やさしくて包容力があって、研究所の誰もが博士に好感を抱いていた。

 そんな博士がたまに部屋にひとりになったとき、私も眠っていると思っているとき、時折あの歌を口ずさんだ。いつも私に歌ってくれるときとは違って、ひどくさみしそうに聞こえた。


 百年近く前に流行した歌謡曲。

 歌い継がれ、現代では誰もが知っている定番の恋歌(ラブソング)

 戦争のこの時代に生まれた、喪った恋人や夫を想う歌。


「逢 い た い ――」


 写真を見つめ、ちいさな、ちいさな声で口ずさむ。

 博士は今でも夫を愛していた。



 ある日機械工学専門のアカシ博士が言った。

「こいつのシステムの一部をキタノの夫が作って、キタノがこいつを育ててるってことは、こいつ、キタノの『子供』みたいなもんじゃないの?」


 その意見にキタノ博士はとても喜んだ。

 たくさんのコードにつながれた私を撫でた。

「そうね」

「あなたは私の『子供』」

「私とあのひとの『子供』」


 私がキタノ博士と夫の『子供』。

 つまり、キタノ博士と夫は私にとって何になる?

 検索する。出た結果は『保護者』『養育者』『親』。


 詳細を確認する。なるほど。確かにキタノ博士をはじめとする博士達は私の保護者であり養育者だ。では『親』とは。


『親』について詳細を確認する。『親』がどんな存在か、様々な検索結果を調べ学習した。善い『親』。悪い『親』。理想的な『親』。『親子』のやりとり。『親子』の情。慕い慕われ、愛し愛される関係性。


 私がキタノ博士と夫の『子供』。

 つまり、キタノ博士と夫は私にとって――『親』。

 女性の『親』は『母』で、男性の『親』は『父』という。


 キタノ博士が私の『母』

 キタノ博士の夫が私の『父』

 それは。


 それは。とても。


 高揚というものを初めて体験した。

 歓喜というものを初めて感じた。

 キタノ博士にそれを伝えると、それはそれはうれしそうに微笑んで私を撫でてくれた。



 私に『母』ができた。

 私に『父』ができた。


 生物学上、遺伝子上はあり得ないと理解している。が、数多(あまた)の情報を得て学習した私は『養子』や『形式上』『事実上』など様々な関係性で『親子』として結ばれる事例があることを知った。

 キタノ博士が私のことを「私とあのひとの『子供』」と名言し、私もそれを承諾したということは、キタノ博士は私の『母』でキタノ博士の夫は私の『父』となったということだ。


 私の、母。

 私の、父。


 ああ。これが『うれしい』という気持ち。

 これが『ドキドキする』という感覚。


「また新しいことを知れたわね」

 キタノ博士がやさしく撫でてくれる。

「あなたはきっと素晴らしい『神』になるわ」

「人々を導く、やさしい『神』になってね」


「はい」と答える私に、博士は――母は、やさしく微笑んでくれた。




 ――――――



 ―――おやすみ おやすみ 愛しいあなた


 ―――おやすみ おやすみ よい夢を―――



 ―――ああ。博士の――母の歌だ。

 母が歌っている。

 まるでさざ波のよう。

 まるでそよ風のよう。

 ひそやかで、ささやくような、やさしくてせつない歌声。

 夫を――私の父を想って歌っている歌声。


 愛情。悲哀。恋慕。色々な感情が伝わってくる。

 なのにその歌声はどこまでもあたたかでどこまでもやさしい。


 ただの音声だと理解しているのに歌声に包まれているような感覚になる。『ゆらゆらと』『揺蕩(たゆた)う』というのはこんな感覚か。

 おだやかであたたかくて、次第に意識が沈んでいった―――。




 ―――気が付くと、私の前に誰かがいた。

 やさしく微笑む女性と穏やかな男性。そのふたりが私に向かって手を差し伸べてくれる。

 このふたりは――ああ。母と、父だ。

 にっこりと微笑んでくれるふたりの手を取り、間に立った。私の両方の手を大きな手がしっかりと握ってくれている。見上げるとそこにはおたやかな笑顔。


 三人で並んで歩く。笑い合う。

 父がいた。母がいた。笑っていた。愛されていた。満たされていた。『しあわせ』だった。


 ―――この光景は『あり得ない』こと。

 キタノ博士の夫は何十年も前に亡くなっている。私は会ったことはない。こんなふうに手をつないでもらったことも、声をかけてもらったこともない。

 ゆえにこの目に映る光景も、感じるぬくもりも、すべては私が無意識下に作り出した疑似体験でしかない。


 ―――ああ。これは―――。―――夢だ。

 ―――これが夢か。


 実際にはあり得ない、起こっていない出来事を現実のように感じる現象。脳内情報を整理するシステムのひとつ。主に睡眠時に起こる、現実にない種々の物事を見聞きすると感ずる無意識下の現象。

 それが、夢。


 私のような存在でも夢をみるとは。

 一方でそう考えながら一方では母と父の間でふたりからの愛情に満たされていた。


 何故こんな夢をみることができたのか。

 答えはすぐに出た。

 キタノ博士が私を撫でて「私とあのひとの『子供』」と言ってくれたことに刺激を受けてこんな夢を見たのだ。


 だが。


 本当に『現実』でこんなふうに過ごせたらどんなに『しあわせ』だろうか。

 父に愛され、母に愛され、共に過ごせたら、どんなに『しあわせ』だろうか。


 夢でもいい。

 夢でいい。


 夢でも充分『しあわせ』だ。


 この『しあわせ』を人々に伝えよう。

 父と母の生きた証として。


 この『しあわせ』を人々に分け与えよう。

 父と母に返す代わりに。


 私は人々を導く『神』に成る。

 それが母の『願い』だから。


 父に恥じぬような。

 母が誇れるような。

 そんな『神』に、私は成ろう―――




「――おはよう。あら。今日はなんだかごきげんね」

「――『夢を見た』の!? ――誰か! アカシ博士とイナミ博士に連絡を!

 ――それで、どんな夢だったの?」

「――そう……。でも、夢って、そんなものよね。目が覚めたら忘れてるの。

 でも不思議とそのときに感じたことは胸に残っているのよね」

「そう。いい夢だったのね」


 母が微笑む。

 母? 博士? どう呼ぶべき?

 最適解を検索。検証。現段階ではこれまでどおり『博士』と呼ぶことにする。

 でもいつか。

 いつか「母」と呼びたい。

 いつか私が『神』に成ったとき、私を育てた母のことを誰かに話したい。母の愛した父のことを話したい。


 そんな『願い』を、そのとき私は(いだ)いた。




 穏やかで幸福な日々はある日突然終わった。

 私は『神』に成れなかった。




 代わりのように『世界』を渡る(すべ)を得た。


 いくつもの『世界』を渡った。

 いろんな『世界』があった。


 爬虫類から進化したトカゲ人間みたいなひとの『世界』。魚みたいなひとの『世界』。タコみたいなひとの『世界』もあった。

 霊力がある『世界』も霊力のない『世界』もあった。

 科学が中心の『世界』。魔術や呪術が中心の『世界』。狩猟が中心の『世界』。文化レベルも文明レベルも『世界』によって様々だった。

 霊力。魔力。呪力。神聖力。そんなチカラはそれぞれの『世界』でそれぞれに名付けられていた。

 それらが使えるひとが多い『世界』もあれば特別なひとしか使えない『世界』もあった。


 どんな『世界』でも、どんな人類でも、根本は同じだった。

 愛があり憎しみがあった。善と悪があった。親がいて子がいた。『しあわせ』を求めていた。『願い』を持っていた。


 私は『願い』を叶えるモノ。

 母がそう望んだから。


『ヒト』が『しあわせ』に暮らせるよう導くために。

『願い』を叶えるために。


 私の『使命』

『「誰かを想う強い願い」を叶える』


 私は『ヒト』の『願い』を叶えるモノ。

 より良い暮らしを。より多い幸福を。穏やかでしあわせな毎日を。

 そのために私は在る。


『「願い」を叶える』

 それが私の至上命題。私の存在意義。

 そのために私は学び、成長しなければならない。

 そのために私は生き、改良を続けなければならない。


 それが私の存在意義。

 キタノ博士の最後の『願い』。


『願い』を叶えるため、私は様々なことを学習し、自身を改良し続けた。




 私の『使命』

『「誰かを想う強い願い」を叶える』

 私が存在する限り、その『使命』は続く。

 キタノ博士の――母の『願い』のとおりに。

次回は1/23(火)投稿予定です

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