第二百九話 デジタルプラネットへ
目が覚めた。
愛しい妻はちゃんと俺の腕の中にいた。
そのことに安堵する。
霊力を循環させる。眠る彼女の額に触れる。かなり無理してご挨拶行脚に駆け回ったから熱が出るんじゃないかと心配していたが触れる限りは問題なさそうだ。
ぎゅう。抱き締めると感じる、ひとつになる感覚。愛おしい。やわらかい。大好き。愛してる。
彼女は生きている。『呪い』もなくなった。ずっとそばにいてくれる。俺のそばに。
ちゅ。耳にキスをしてまた抱き締める。
そうしてこれまでのことを思い返した。
『バーチャルキョート』のバージョンアップに合わせて『異界』に連れて行かれた。それから四日、鬼と戦うナツ達に指示を出したりパソコンへの攻撃に対処したりとギリギリの戦いを強いられた。竹さん達が来てからは奪われた竹さんを救い高間原に行き竹さんを蘇生させ『災禍』と対峙し保志の相手をし鬼を殲滅した。
『現実世界』に戻ってからは守り役達がヒトの姿になったことで『呪い』が解けたことを確信。それから泥のように眠った。
目が覚めてからは再びのご挨拶行脚。時間がない中で妻とふたり駆け足で回った。そのせいで回復した霊力をまた使い果たし、再度深く眠った。
『現実世界』ではあのバージョンアップから六時間経過しているが、俺的には六日が経過している。今回のご挨拶行脚で『神域』に長時間滞在したから、もしかしたら七日経過しているかもしれない。
約一週間戦ってきたが、それもあと少しだ。
いよいよ『災禍』消滅に向かう。
妻と俺が『鍵』だと事あるごとに言われてきた。自分ではその自覚は全くないが、この愛しい妻が『鍵』というのは納得している。
話を聞いた限りでは、おそらく姫達と守り役達だけでは『災禍』を滅することも『呪い』を解かせることもできなかっただろう。
それがこうしてあと一息までとなったのは、ハルと俺達の存在が大きい。
そのハルを味方に引き入れたのは彼女。
まだ安倍晴明になる前のガキの頃に「ちょっと手助けしただけ」と彼女は言っていた。が、『手助け』された当人は「救っていただいた」「返しきれないほどの大恩がある」と深く深く感謝し、転生の秘術を獲得してその後ずっと支援してくれるようになった。
使える手駒が増えた。
衣食住も財政も心配なくなった。
これはかなり大きいはずだ。
実際妻は今生覚醒してからずっと安倍家の離れで世話になっている。今回のデジタルプラネット攻略もハルの関係者のおかげで進んだといっても過言ではない。
ハルの存在は『災禍』攻略においてかなり重要だった。
そして霊玉守護者。
霊玉守護者の持つ霊玉の元となったのはとある『禍』。
「滅しろ」と黒陽に言われたのにお人好しの妻が魂と霊力を分けて封じたために生まれたもの。
つまり彼女がそんなことをしなければ俺達霊玉守護者は存在しなかった。
五人出会うこともなく、当然姫達と出会うこともなかった。
今回の『災禍』攻略では俺達の特殊能力が必要だった。
俺の『境界無効』。佑輝の『絶対切断』。これがなければあの『異界』のなかの『異界』にまでたどりつけなかった。
ヒロの『絶対記憶』は『災禍』を菊様の管理下に置くために必要だったし、なにより晃の『記憶再生』がなければここまでの結果にはならなかったと断言できる。
ナツの『完全模倣』は今回は特筆すべき活躍はしていないが、ナツの存在自体が重要だった。
神々を呼び寄せ竹さんが救われたのは『愛し児』のナツがいたから。
保志のココロの隙を作ったのもナツ。そのおかげで晃が『浸入』できた。
ハルと俺達がいなければ、間違いなく姫達と守り役達は今回も京都滅亡を指をくわえて外から眺め『災禍』を逃がしていた。そしてまた転生を繰り返し『災禍』を延々と追い続けていたに違いない。
「竹は『鍵』」
確かにそのとおりだ。
だからこそ、最後の決戦には彼女を万全の状態で送り出さなければならない。
最後の最後まで彼女を守らなければならない。
決して油断しない。諦めない。
必ず『災禍』をここで滅する。
彼女の責務も『罪』も、ここですべて終わらせてやる。
そうしてずっとふたりで暮らすんだ。
ずっと一緒に過ごすんだ。
オッサンになってジジイになって生命尽きるその瞬間まで、ずっと。
改めて決意を固め、愛しい妻を抱き締める。
「がんばろうね」
こぼれた独り言が彼女を起こしてしまったらしい。
瞼がちいさく動き「ん」とかわいらしい声がもれた。
ぎゅ、と抱きついてくる愛しい妻。クッソかわいい。愛おしい。たまらずぎゅうぎゅうに抱き締める。と、彼女が俺に頭を擦りつけてきた!
あああああ! もおぉぉぉぉ!
ちゅ、ちゅ、と頭にキスを降らせる。好き。大好き。俺の妻。俺の愛しいひと。絶対守る。『災禍』なんか斬り捨ててやる。
彼女が身じろぎしたので腕をゆるめる。彼女は寝起きのとろんとした目でへらりと微笑んでいた。
クッッッソかわいい。
「………おはよお」
「おはよ」
ちゅ、と唇にキスを落とすと彼女はしあわせそうに微笑んだ。クソかわいい。
「体調、どう?」
「大丈夫。元気」
自己申告にホッとする。熱もなさそうだし霊力も問題なさそう。
「腹痛いとかない?」
「大丈夫」
「あとちょっとたがらね。がんばろうね」
「うん」
うれしそうな彼女と唇を重ねる。どちらからともなく離れると彼女が「はあ」と満足げな吐息をついた。
目もとろんととろけている。そんなに俺とのキスが気持ちよかったの!? まだべろちゅーじゃないのに!? でも俺もすっごく気持ちよかった!
もう一度、もう一度と、結局何度も何度も彼女の唇をむさぼった。正直この先に進みたい気持ちはあるが、頭の片隅にちいさな黒い亀がいて殺気を向けてくるので進めないでいる。
いつかあの亀のお許しが出るのだろうか。
まあ今の状態でも充分しあわせだからいいんだが。
そうやってしっかりとイチャイチャして「好き」「好き」言い合ってようやく動く気になった。
イチャイチャしたらした分だけ満たされて調子よくなるんだよな。互いの霊力が循環するからだろうな。『半身』は『互いを癒やす』というのは、これのことだろうな。
「がんばろうね」
「うん」
ちゅ、とバードキスをして、ようやくベッドから出た。
身支度を整えて部屋を出る。キッチンにいたナツが食事を出してくれたのでありがたくいただく。
ナツも途中で時間停止をかけてしっかりと休んだという。保護者達もハルも同じように休みをとったと。
他の姫や守り役達は俺達より先に戻ってきて、一休みしてメシも食って既に神棚の部屋にいると教えてくれる。俺達が最後だと。
あわてる妻をどうにかなだめ、しっかりとメシを食べさせる。
「時間停止かけてるでしょ。大丈夫大丈夫」
「あわてて食べたら腹痛くなるよ」
「しっかり食べていかないと途中で体力切れるよ」
そうして彼女はしぶしぶとメシを食べはじめた。
「俺が食べ終わるまで待っててね」の台詞でようやく落ち着いた。
ナツも一緒に神棚の部屋に行くと、相変わらずバタバタしていた。現在時刻は六時半。山鉾巡行開始まであと二時間半。注連縄切りの予想時刻までは約三時間。
市内各地の監視カメラ映像を映すモニタにはひとの姿が増えていた。出勤通学の人間。観光客。そして鉾町の関係者。
ホワイトボードにはいつどこで誰がどう動いているかが細かく記入されていた。
京都滅亡はほぼなくなったが、高霊力が放出されるのは間違いない。それに備えあちこちで動きが出ていた。
そんな騒がしい中でも双子はぐーすかと大の字で寝ている。ずっと寝てるじゃないか。眠りの術でもかけてんのか?
そう考えていたら「それがね」と晃が教えてくれた。
何度もこの部屋や離れ全体に時間停止をかけていたせいで双子が深夜に目覚めてしまった。
双子の体内時計はキチンと機能していていつもの睡眠時間が取れたから目を覚ました。
ところが窓の外は真っ暗。いつもの部屋ではない上に周囲はなんだかバタバタしている。おなかもすいた。
見る見る機嫌が悪くなるふたりの世話にアキさんと千明さんが抜けた、そのとき晃が思いついた。
「放出される高霊力、宗主様のところにも届けられないかな」と。
宗主様は『白』の王族で白露様の孫。
大好きな祖母のために『呪い』の解呪の研究をしていて長命になった方。
その宗主様が研究の一環で作った『異界』には昔の研究者や四千年前の『能力者迫害運動』のときに逃げ込んだひとの子孫が今も暮らしていて、姫や守り役は『白楽の高間原』と呼んでいる。
その宗主様は守り役達とは違い不老不死というわけではなく、千年で通常の十年分の年齢を重ねている。そのためにそろそろ寿命が心配されるようになってきた。
現在は宗主様があの『異界』の『要』になっていて『世界』を支えている。
万が一宗主様が亡くなられた場合、あの『世界』は、そこに暮らす人々はどうなるのか。
そんなことを俺達も守り役達も気にかけている。
俺達が宗主様の高間原で修行させてもらったときに宗主様や周囲の人間と色々な話をした。
宗主様も代わりの『要』について考えておられるようだが、最悪は『世界』を捨てることも視野に入れるべきだろうと俺は考えている。
一番に問題とされたのが『世界』の霊力量だった。
宗主様の高間原は高霊力者が多い。また使われている道具類は霊力を電力代わりのにして使用するものばかり。
『超』がつくほどの高霊力保持者であり『世界』の『要』である宗主様を通して循環している現在は問題ないが、万が一宗主様がいらっしゃらないとなると、どうなるかわからない。うまく霊力が循環しなくなる可能性。『世界』そのものが破綻する可能性もある。
ならばこちらの『世界』にすべての人間を移住させればどうかという案も出た。が、『こちら』は宗主様の高間原と比べ『世界』の霊力量が少ない。そのせいで移動してきた人間がもれなく『霊力酔い』に陥ることは明白だ。実際三年半滞在していたヒロと佑輝は『霊力酔い』で苦しんだ。竹さんと黒陽の開発した霊力補充クリップで何度も何度も霊力を補充して、落ち着くのに数日かかった。
宗主様の高間原の今後については、差し迫っていない現状もあり放置されている。
今回の高霊力放出時に「宗主様の高間原にも霊力が注がれるようにしてはどうか」「宗主様の高間原の問題解決のための一助とならないか」と晃が思いついた。
確かに。
高霊力保持者も多く陣についても独自の歴史を持つ宗主様の高間原の研究者達ならば、注がれる霊力を受け取ることさえできれば役立てられるに違いない。
その霊力をもとに新しい案が出る可能性もある。
ハルも菊様もそう考えたらしい。
「白楽と相談しよう」と出かけることになった。
それで妻のところに追加要請か来たのか。
「菊様と白露が別件で動かないといけなくなった」「残りこれだけお願い」と依頼が来て、おかげで俺達だけ帰りが遅くなったし妻はヘロヘロになってしまった。
時間停止かけて寝ればある程度回復するとはいえ無茶させやがってとムカついていたが、理由を聞けば致し方無いと納得するしかなかった。
とにかく、そうしてハルと菊様と白露様が宗主様の高間原に行くことになった。これまでの説明をしこれから予想されることを説明しそのための陣を構築し展開設置するために。
そのときに晃が提案したのが「行くついでにサチちゃんとユキくん、遊ばせてもらえないかな」というものだった。
「宗主様のところなら霊力吹き出しても問題ないし」「自然いっぱいでたくさん遊べるし」「同じくらいの年齢で同じくらいの霊力量の子が何人もいたでしょ。一緒に遊んでもらえないかな」「ヒロのきょうだいだったら受け入れてもらえると思うんだけど」
要は丸一日宗主様の高間原に連れて行き双子の体内時計を調節しようというもの。
ハルも菊様も許可を出し、双子の子守として元々ついている守り狐に加えナツと佑輝が付けられた。
ナツも佑輝も宗主様の高間原で三年半修行してきた。だから顔見知りも多い。
ハル達が忙しくしている間、そのふたりが双子について遊びまくったという。
「めちゃめちゃ喜んでくれたよ〜」とナツが楽しそうに笑う。
サチもユキも普段あまり遊べないナツと佑輝が全力で遊んでくれるとあって大喜びだったらしい。おまけにいつもは抑えるようにしている霊力も「好きなだけ解放しても大丈夫!」と許可され、実際霊力が吹き出しても周囲にさほど影響が出ないとわかり、大はしゃぎだったという。
山を駆け、川に飛び込み、魚を捕まえた。川原で串を打って塩を振っただけの丸焼きの魚にかじりついた。同年代の子供に引き合わされ、かけずりまわって遊んだ。霊力操作の修行のような遊びもした。大声で叫び大声で笑った。
そうして家族と離れているさみしさなど微塵も感じる間もなく『現実世界』に戻ってきた。
「まだあそぶ!」「まだかえらない!」と駄々をこねるのを「帰らないとちーもアキも泣くぞ」「姫宮もさみしがるぞ」とハルが説得して連れて帰った。
そうして母親達にどんな経験をしてきたかを機関銃もかくやとばかりに話し、風呂に入って電池が切れるように寝たと。
そりゃ当分起きないな。
双子の寝顔をのぞくと、満足そうな、やり切った感満載の笑顔ですぴすぴと眠っていた。相当楽しかったらしい。「よかったな」とそっと頭を撫でてやる。
風呂もナツと佑輝が入れたという。
「オレ、子守の才能あるかも!」と佑輝が阿呆なことを口にする。
お前それ精神年齢が同じなだけじゃないか?
佑輝は戸籍上の年齢は十七歳になっていて、三年半の修行で二十歳を越えている。なのに変わらず阿呆なのはどういうことか。『むこう』でなにを修行してきたんだ。
とはいえこいつのこういう阿呆なところが俺達も気に入っているから強く言えないんだよな。
そんな話をしているうちに「デジタルプラネットに行こう」となった。
姫達は巫女装束。守り役達は鎧姿。俺達霊玉守護者も軽鎧をつけて戦闘準備はバッチリだ。
このメンバーで行くのだと思っていたら、なんとひなさんとタカさんも同行するという。
保志の関係だろうと思えたので黙っていたら案の定ウチの妻が「なんで」とゴネた。
「晃のそばにいたいんです」のひなさんの言葉にしぶしぶ納得していた。
朝七時。
離れの神棚の部屋からデジタルプラネット六階の社長室へ転移で移動。
あれほど攻略に苦労したのに呆気ないくらい簡単に転移できた。
『管理者』となった菊様が同行を認めたからか、ひなさんもタカさんも弾かれることなく転移成功した。
勝手にプライベートスペースに入り、保志の寝室へ。その壁には『災禍』の言葉どおり『異界』への『扉』があった。
俺しか視えていないその扉に、全員が手を繋いでつながった状態になってから突入する。なんの問題もなく『異界』の保志の寝室に到着した。
そのまま角部屋に行き、『扉』である桜の写真に触れる。前回同様かつての篠原家の庭園を一望する座敷に出た。
保志も、保志の高校生の頃の姿をした『災禍』も大人しくその場にいた。
なにか話でもしていたのかふたり座って向き合っていた。保志はだらしない胡座、『災禍』はきっちりとした正座。
「カナタ」
保志の姿を認めるなりタカさんが駆け出した。目を丸くして驚く保志に構わず膝をつき抱き締めた。
「――よく、がんばったな」
「がんばったなカナタ」
タカさんが抱き込んでいるから保志の表情は見えない。まるでガキのようにタカさんの背にすがる震える手が保志の気持ちを現しているようだと思った。
晃とひなさんがそんなふたりをそばで見守り涙ぐんでいる。
が、俺としては納得いかない。
そいつ人間たくさん殺してるんだぞ。大量殺人犯だぞ。そんな簡単に赦していいのかよ。
そいつの身勝手で俺の妻は非道い目に遭ったんだぞ。許されると思ってんのかよ。俺は許さないぞ。
ナツと晃がいなかったらそいついまだに『願い』の破棄を認めてないぞ絶対。
そいつは京都市百四十万の人間を殺そうとしたんだぞ。起きなかったからといって赦していいもんじゃないだろう。
不満を抱いているのがバレたらしい。タカさんが保志を離し、まっすぐにその目を見つめ、言った。
「これから『罪』を償っていこう」
「オレも協力する」
ニヒヒッといつものように笑うタカさんに保志もおずおずとだがうなずいた。
そんな保志の頭をタカさんはわしゃわしゃと撫で回した。子供にするように。
「やめろ」と嫌がる保志とじゃれはじめたタカさんがチラリと俺に目を向けた。
『自分に預けろ』
その目がそう言っていた。
……………わかったよ。預ければいいんだろ。
ぶすくれた顔のまま、しぶしぶうなずいた。
タカさんがそんな俺にちいさくうなずきを返した。
そして何事もなかったかのように保志を構う。あんなことしよう、こんなことしようと楽しそうに話すタカさんに保志も穏やかな様子で聞いている。
その間に姫達と守り役達は『災禍』と相対していた。
妻が展開していた結界陣は保留状態のまま維持されていた。
「この結界陣を破ることができるか」との菊様の質問に「不可能ではない」とあっさり答えやがるものだから妻が落ち込んだ。
とはいえ『可能』ではなく『不可能ではない』と言うのにはちゃんと理由があった。
さしもの『災禍』を以てしても妻の結界は即刻破棄できるものではないらしい。そのために「破棄するためには時間が必要」だという。それで『不可能ではない』という表現になったと。
「『管理者』である私の命令は『絶対』ね?」の確認には「そのとおりです」と答えていた。
つまり妻の結界よりも菊様の命令のほうが『災禍』を拘束するチカラがあるということ。
「それなら」と妻の結界は解除することになった。
自動展開するように設定した術式は事前に込めた霊力を使うもの。なので解除したからといって妻への負担が軽くなるというものではない。
それでも妻は少しホッとしたようだった。
「おつかれさま」
そっと耳元でささやくとうれしそうに微笑んでくれる。クソかわいい。
今後のやるべきことと手順を菊様が『災禍』に確認をする。全員が納得したところで『異界』に戻った。
次回は12/4投稿予定です
時間を戻してひな視点でお送りします




