第二百三話 『現実世界』への帰還
「トモ!? なっちゃん!?」
声に顔を上げる。タカさんがいた。
バッと周囲を確認するとあの祭壇の部屋だった。オミさんがいる。千明さん、アキさん。ひなさん。ハル。双子はぐーすかと寝ている。双子の守り役達がそばについている。
戻って来た。『現実世界』に。自分の確認。どこも問題ない。ナツも問題なさそう。
「今何月何日何時何分だ!?」
「七月十七日、午前零時二十三分」
問いかけるとハルが冷静に答えた。
「お前達だけか!? 姫宮達は!?」
「説明する! 時間停止を!」
叫ぶ俺にハルが即座に対応する。
「時間停止の結界をこの部屋にかけた。これでいいか?」
これでゆっくり説明できる。ホッとしてうなずく俺にアキさんが紙コップを差し出してくれる。ありがたく受け取るとすぐさま隣のナツにも出してくれた。
ふたりでグビグビと中身を飲み干す。よく冷えたお茶は妻の水で沸かしたもの。おかげで回復した。
「はぁ」と息をつく俺達にアキさんがおかわりを注いでくれる。ありがたくいただきようやく落ち着いた。
床に胡座で座り込んだ俺とナツをハルが、保護者達が、ひなさんが膝をつき取り囲む。一対一だったら膝を突き合わせていただろう。
心配そうな面々。じっと俺の言葉を待っている。
だから一番大事なことから伝えた。
「全員無事だ」
ホッとした保護者達とは逆にひなさんの目は厳しくなった。
『もっと詳しく説明しろ』『晃は!?』
そう責め立てられているよう。
冷静に全体を指示しているように見えていたがやはりこのひとも『半身』のことしか考えてないのかと思え、自分も妻に対してこうなのだと改めて突きつけられるようで苦笑が浮かんだ。
「晃も。ヒロも佑輝も。姫達も守り役達も。安倍家の人間も、他の連れて行かれた人間も。誰一人死んでない。重傷者は治癒術で完治した。全員生きてる。怪我もない」
この説明で全員からこわばりが完全に解けた。一番重要で一番聞きたかったことだろうからな。
ひなさんは『半身』である晃の無事に余程安心したらしい。目に見えて脱力し両手を床についた。
「……………よかった……………」
ちいさなちいさなつぶやきと一緒に水滴が床に落ちた。
それを見て見ぬふりで話を続けた。
「竹さん達は入ってきたところから出てくるはずだ。
俺とナツはここから転移したからここに帰ってきた」
そうして聞く姿勢になった全員にナツとふたりでひとつひとつ話をした。
「あのバージョンアップオープンの瞬間、俺とナツのスマホに転移陣が現れた。
『京都在住』『一人暮らし』事前の個人情報入力ページにそう記入した十五歳から三十五歳の人間が転移させられた。その数二百人。
その二百人の中には安倍家の人間もいた。誰がいたかは後方支援の坂本さんがまとめてるだろうからあとで確認してくれ」
「あと転移させられていたのが、東の姫と南の姫。
――そう。おふたりも一緒に転移させられていた。
最初はわけわかんなかったけど、社長が持ってた水晶玉を見た途端『「災禍」だ!』ってわかって覚醒したって」
「転移させられた先は保志が作った『異界』。
『バーチャルキョート』がそのまま再現された『世界』。
その新風館に二百人全員転移させられたところに保志が現れた。
その手に水晶玉を持っていた。
それが『災禍』だった」
「『これはゲームだ』『ゲームクリアを目指せ』
そう言われ、簡単な説明のあと鬼が現れた。
俺が襲撃してきた鬼を倒している間にナツが本拠地を開設し、できる限りの人間を避難させた」
「東の姫と南の姫はおれ達とは逆側にいたからこのとき合流できなかった。おふたりは独自に本拠地を作って怪我人の手当をしていたって」
「それから何度も『ミッション』と称して鬼が現れた。ナツや安倍家の前衛部隊だけでなく避難させた一般人からも有志を募って倒していった。
本拠地のパソコンにも攻撃をしかけられたがそっちも毎回撃退した」
「そんな攻撃に対処してたからなかなか伏見のデジタルプラネットに行けなかったんだ。そうして四日が過ぎた」
「四日目に竹さん達が来た」
「蒼真様緋炎様とヒロ達が東の姫と南の姫を迎えに行ってくれて。それでようやく四人の姫が集まれた」
「そのときにヒロ達が他のプレイヤーにも声をかけに行ってくれて烏丸の本拠地に連れて来た。
おかげでほとんどの召喚されたプレイヤーを本拠地に集めることができたんだ」
「ところがこの新しく連れて来たプレイヤーにだけ『ミッション』が送られて。
そのプレイヤーが示した転移陣で竹さんがデジタルプラネットビルの社長のところに連れて行かれた」
「………非道い目に、遭った、らしい」
「どうにかトモが助けたんだけど、霊力を奪う水にずっと沈められてた竹さんは死ぬ寸前だった。
それを、ちょっと細かい話ははぶくけど、色々がんばって、西の姫が竹さんに時間停止をかけた」
「竹さんを助けるためには梅様の作る薬が必要だとわかって、その材料に必要な『降魔の剣』を取りに高間原に行った。
『降魔の剣』を手に入れて戻り、梅様に薬を作ってもらって竹さんは蘇生した」
「トモが竹さんを助けるのにデジタルプラネットのビルに突入したんだけど、そのときに晃が『災禍』を見つけて浸入した。それで『災禍』の『真名』と過去がわかったんだ」
「『災禍』は異世界で作られた機械だった。この『世界』で言うスーパーコンピュータの進化系みたいなもの。
『強い願いを持ったモノの願いを叶える』ためにたくさんの『世界』を渡ってきたって」
「それがわかってから作戦立てて全員でデジタルプラネットに突入した。
詳細ははぶくが、『災禍』を西の姫の管理下に置くことに成功した」
「西の姫は『災禍』に命じた。
ひとつ。保志叶多の『願い』の破棄及びそのために作ったものの破棄。
ひとつ。あの『異界』にいる人間を『現実世界』に戻す。最終的には『異界』を破棄。
ひとつ。姫と守り役にかけられた『呪い』の破棄。
ひとつ。すべて終わらせたのち己を滅する」
「――姫と守り役にかけられた『呪い』は」
「――解呪された」
「ただ、発動条件に『界渡りすること』が組み込まれてる。だから術式は解呪されたが、本当に『呪い』が解けるのは『現実世界』に戻ってきてからになる」
「姫達の『二十歳まで生きられない』『記憶を持ったまま転生する』という『呪い』は二十歳すぎないと解呪の証明とはならないが、守り役達の『獣の姿となる』に関しては、人間の姿に戻ることができれば解呪されたと断言できるだろう」
「守り役達が人間の姿に戻れたら、それは、姫達にかけられた『呪い』も、守り役にかけられた『死ねない』『呪い』も解呪されたと判断していいと思う」
「――保志の『願い』は破棄された。保志本人も破棄に同意した。
『京都の人間の抹消』は、なくなった」
「あの『異界』にいたのは、今回のバージョンアップで召喚されたプレイヤー二百人だけでなかったんだ。
保志に雇われたバージョンアップ前から『異界』でエンジニアとして働いている人間が七名。これまでに実験で連れて来た人間及びエンジニアとして連れて来た人間の生き残りが八名いた」
「『異界』を運用する実験として、これまでにかなりの人数を『異界』に連れて行ってる。
連れて行っては鬼に食わせたり霊力を奪う水に沈めたりしていたと言っていた。
詳細は晃とヒロが把握している」
「そのエンジニア七名と生き残り八名も、ゲームクリアと同時に『現実世界』に転移させるよう西の姫が命じた。
転移するときに『強制睡眠』が発動するよう全員に術式を付与している。竹さんか黒陽が術を解除するまで眠ったままだ」
「この離れの二階の四人部屋にエンジニア七名、武道場に生き残り八名が転移しているはずだ。
あとで確認してくれ」
「あと、亡くなったひとの遺骨や遺品もまとめてヒロが指定した場所に転移してるはず。
どのくらいの量があるかわかんないからだろうね。おれ達がよく修業する山の中を指定してた」
「あの『異界』やら『現実世界』にある陣やらを破棄するのは長刀鉾の注連縄切りのときになる」
「『災禍』の立てていた元々の計画はこうだ。
召喚した二百人のプレイヤーをすべて『贄』として術を展開するためのエネルギーとし、『異界』で『現実世界』と同じように山鉾巡行をする。ふたつの『世界』で同時に巡行をし注連縄切りをすることで『世界』を同調させ『現実世界』の人間を一定数『異界』に連れていき鬼に喰わせる。喰わせた人間を新たな『贄』としエネルギーを集め、再び『現実世界』の人間を一定数『異界』に連れていき鬼に喰わせる。
それを繰り返すことで最終的に京都の人間すべてを抹消する計画だった」
「『世界』を同調させるための『鍵』としてすでに『注連縄切り』を設定してるそうだ。だから『異界』や陣やらの『災禍』が作ったモノを破棄するのは注連縄切りのときがいいだろうとのことだった」
「もろもろ破棄したときに、集めていた霊力や術式に使用していた霊力やらが放出される。それらは現在この京都に不足しているエネルギーに充てられることになるだろうと西の姫が言っていた」
「あと神々や主達にもエネルギーがいきわたるだろうと」
「現在『災禍』と保志は『異界』のなかのさらに『異界』にいる。
西の姫が待機を命じた。おそらく移動することはない」
「『災禍』の消滅だが――あれこれ片付けてからになるだろうな。最低でも注連縄切りが終わるまでは生かしとかないといけない」
「最優先で確認すべきは、二百人のプレイヤーの現在位置。
ほとんどのプレイヤーはPTSDに陥る可能性がある。西の姫が記憶を操作して夢だと思わせると言っていた。それぞれの位置情報を知らせる『印』を感知できるアイテムを西の姫が『災禍』から受け取った」
「二百人のなかには安倍家のひとも警察や消防のひともいた。
だから、記憶を残すひとと『夢だった』と思わせるひととを判別しないといけない」
「それは西の姫と晃とヒロがやる」
「警察や消防、官公庁や『守護者』など、事前に通達をしていたところへの連絡も必要だろうな」
「この離れと武道場に転移してきたひと達に関しては、竹さんか黒陽が解呪するまで寝てるから放置しといていいだろう」
「『現実世界』でやるべきことを済ませたら、俺達はまた『異界』に行く。
『異界』のもろもろを始末させて注連縄切りのときに陣を破棄させねばならない。最終的には『災禍』の消滅を見届けたい」
「『異界』に戻るのは全員揃ってから『現実世界』のデジタルプラネットの社長室にある『扉』から行く。『災禍』から社長室に立ち入る承認を全員受けた」
「急ぐ報告はこんなところだ」
そう話を締めると誰もが息をつきつつもうなずいた。
「ご苦労だった」ハルのねぎらいに頭を下げる。
ハルはぐるりと保護者達に目を遣り、ひなさんのところで止めた。
話の間ずっとメモを取っていたひなさんがハルの視線を受けうなずき、ペンを置いた。
ひなさんは改めて姿勢を正し、俺とナツに向けてきちんと頭を下げた。
「無事のご帰還、お喜び申し上げます」
保護者達がひなさんに倣い頭を下げる。俺とナツも返礼する。
「気になることもツッコミたいところももっと詳しく聞きたいことも山程ありますが」
言いつつ自分のメモをチラリと見て眉をよせるひなさん。まあな。わかるよ。俺だって逆の立場だったら「はぶくな!」「ちゃんと説明しろ!」って言うよ。でもゴメン。気が急いてるんだ。時間停止かかってると頭では理解していても気持ちが落ち着かないんだ。
それに詳細は西の姫が戻ってからのほうがいいと思う。それこそ晃が戻ったら『記憶再生』と西の姫のあの鏡で情報共有できるだろう。
ひなさんもそれはわかっているのだろう。「それはまた追々」と流してくれた。
「トモさんとナツさん以外のひとはどういう状況にあると思われますか?
竹さん達は『入ってきたところから出てくる』と言っていましたね?」
ひなさんの質問にうなずく。
「竹さん達――姫と守り役、それに晃とヒロと佑輝は蒼真様に乗って『現実世界』に戻るはずだ。
俺達は元いた場所に転移で戻ったから瞬時に戻れたが、向こうはそうはいかないだろう」
「今移動中だろう」という俺に「なるほど」とひなさんも納得する。
「東の姫と南の姫も転移で元いた場所に戻ってるはずだよ」
ナツが補足してくれる。
「東の姫様と南の姫様はこの場所をご存知なのですか?」
俺達とハルに問いかけたひなさん。ハルは無言で俺達に返答をうながした。
「おふたりともハルを感知できるそうだ。連絡を取って位置情報を入手してハルの居場所に転移すると言っていた」
ハルも「いつもそうしているから大丈夫」と言う。 ひなさんもそれで納得した。
「ではまずは全員合流を果たしましょう。報告や情報精査は全員揃ってから改めて時間停止をかけて行いましょう」
ひなさんの指示に全員がうなずく。
ハルが時間停止の結界を解除した。
その途端。
ヒラリと小鳥が飛んできた。
ハルが両手の人差し指を差し出すと別の方向から一羽ずつ飛んできた二羽の小鳥がそれぞれ指に止まった。
「晴明! そこに行くわ!」
「そこだな!」
梅様と南の姫、それぞれの声で小鳥が叫んだ。と思った次の瞬間にはふたりが現れた。
竹さんのまとっているのと同じ巫女装束。
金の天冠がシャラリと音を立てる。
厳冬に咲く梅のような赤い袴と同色の千早。領巾を優雅にまとい胸には血のように赤い勾玉を下げている。吊り目がちの大きな瞳には強い意志の光が輝く。ポニーテールを揺らし立ち上がったのは『東の姫』梅様。
同じ巫女装束の袴は本紫。同色の千早と領巾。襟足を刈り上げたショートヘアに天冠をつけ、一振りの刀を手にスッと隙無く立つのは『南の姫』蘭様。
おふたりとも無事に『現実世界』に戻ってきたようだ。よかった。
『バーチャルキョート』ではずっと回復役と剣士の格好だったから巫女装束だと見慣れないな。
しかし竹さんと同じ巫女装束をまとっているのを見ると、改めておふたりが『高間原の姫』だと見せつけられる。
その姫達はハルに迫った。
「蒼真は!?」
「みんなここに戻るんだろ!? どこだ!?」
「落ち着いてください。皆様まだお戻りではありません」
「お戻りになるならば空からでしょうね」
ひなさんがポツリとつぶやいた。
そのつぶやきが聞こえたらしい。
「空!」「外か!」おふたりそれぞれに叫び周囲を確認。梅様は中庭に面した廊下を目指したが南の姫は梅様と反対側の窓を乗り越え外に出た。
勇ましいな。ホントに『姫』かよ。
そう思いながら俺も窓から外に出た。ナツとハルも続く。保護者達とひなさんは部屋の中から窓枠に張り付いた。
「緋炎!」
南の姫が空に向かって叫び、手にした刀を突き上げた。
ゴウッ!
炎が天に向かって伸びた!
と思ったら、炎の塊が空から落ちてきた!
すごいスピードで落ちてきた炎の塊は南の姫の目の高さで止まった。
バサリと羽ばたきをし、差し出された南の姫の腕に止まったのは真っ赤な鳥。朱雀とも鳳凰とも見える、長い羽根を持つ紅く美しい鳥。
まるで炎から生まれたかのような、燃えているような姿。
「お待たせしました。姫」
鳥なのに妖艶という言葉がぴったりな微笑みを浮かべる、南の守り役。緋炎様。
ドドン!
南の姫が口を開くより早く雷が落ちた!
凄まじい勢いに腕で顔を防ぐ。
「もー。緋炎さん。先行かないでよ」
のんきな声が土煙の向こうから聞こえる。
と。
「トモさん!」
愛しい妻が目の前に現れた!
なにも考えることなくその身体を抱き締める!
「トモさん! トモさん! トモさん!!」
俺の頭を抱くように抱きついて涙を落とす愛しいひと。
ずっとしていたように俺の腕に座らせるようにして抱き締めた。
「おかえり。竹さん」
「―――トモさん。トモさん」
ぎゅう、と抱きつき俺の頭に頬を擦り寄せる愛しいひと。甘えてくれる。ああ。愛おしい。かわいい。大好き。
どうも蒼真様の背中から転移してきたらしい。そんなに俺に抱きつきたかったの。俺を求めてくれてるの。俺、愛されてる!
その蒼真様は梅様に抱きつかれていた。
ヒロと佑輝がそばに立っている。西の姫は白露様の背に乗りハルのそばに向かっていた。ん? 晃はどこだ?
首を動かすと窓際でひなさんを抱きあげている晃が見えた。ひなさん部屋の中にいたはずだよな? 晃が引っ張り出したのか?
ひなさんもウチの妻と同じように晃の首根っこにしがみつき「晃」「晃」と泣いている。
珍しいひなさんに驚くが『半身』ならば無理もないと納得もする。
と、ふと気がついた。黒陽はどこだ?
蒼真様のそばかと目をやり、驚いた。
青い龍が見る見るちいさくなる。
いつもならば大きさだけが変わってちいさな龍となるのに、その形が変わっていった。
その変化に抱きついていた梅様が離れ様子をうかがっている。
短い龍の腕が手甲をつけた人間の腕に変わる。身体の長さが短くなり、その青い鱗そのままの色と艶の鎧をまとった人間の胴に、足に変わる。青に金の混じったたてがみはそのままショートヘアになる。
現れたのは青い鎧をまとった青い髪の少年だった。
手をついて座り込んでいた少年はキョトンとして周囲をうかがった。
蒼真様の変化と同時に、他の守り役にも変化が現れた。
ハルの前で西の姫を乗せていた白虎の大きな身体がぐんぐんと縮む。あわてて西の姫がその背から降り、ハルのそばで変化を見守る。
その毛並みをそのまま残したような豊かな癖のある銀髪がふぁさりとなびいた。白銀の鎧をまとったスラリとした美女が座り込んでいた。
南の姫の腕に止まっていた赤い鳥は白虎とは逆にどんどんと大きくなった。自分の変化に気付いた緋炎様はバッと南の姫から飛び退いた。
その赤い羽がそのまま長い髪になり彼女の見事なスタイルを縁取る。赤い鎧の美女が立っていた。
ちいさな黒い亀もどんどんと大きくなった。その黒曜石のような甲羅はそのまま鎧になりその男の身体を包んだ。両手両足をついていた男が顔を上げた。額に日輪の描かれた額当てをつけていた。
驚く俺に気付いた妻がようやく俺から顔を上げ、俺の視線を追ってその男を見つけた。
「―――黒、陽―――?」
妻の声に男は妻を見、パチパチとまばたきをした。その仕草は見慣れた黒い亀のもの。
男は固まってしまった妻を見、自分の両方の手のひらを見た。それからペタペタと自分の身体を触る。
赤髪の美女も銀髪の美女も青髪の少年も同じように自分の手を見たり身体を触ったりしていたが、互いの姿を目に入れた途端、驚愕を張り付けた。
青い龍が、大きな白虎が、赤い鳥が、ちいさな黒い亀が見る見る姿を変えるのを俺達は見た。
間違いない。目の前にいる四人は、先程まで獣の姿だった守り役達。
ヒトの姿に、戻った。
『呪い』が解けた―――!
「蒼真!!」
叫ぶと同時に梅様が青い髪の少年に飛びかかった。
ドカン! と音が響きそうなくらい激しい体当たりにも少年はぐらつくことも倒れることもなくポニーテールの姫を抱き止めた。
「蒼真! 蒼真! 蒼真!!」
ボロボロと涙を落としながら名を呼ぶ梅様に少年も泣きながら叫んだ。
「姫ぇぇぇ! 姫ぇぇぇ!!」
「うわあぁぁぁ!!」とふたりが抱き合い泣くその横では赤い髪の美女と南の姫も抱き合っていた。
「―――やっと………。やっと、貴女の髪を撫でられました」
やさしい手付きで南の姫の短い髪を梳く美女の目も濡れていた。
南の姫はただ黙って美女に抱きつき、頭を撫でられうなずいていた。
西の姫はえらそうにそこに立っていた。その足元に銀髪の美女が片膝をついていた。
「――『呪い』は破棄されたと、証明ができましたね」
銀髪美女の穏やかな声に西の姫はうなずいた。その大きな目には涙が浮かんでいた。せわしなくまばたきをするものだから長い睫毛が濡れていた。
そして俺の妻は。
「黒陽……?」
震える声で妻が呼びかける。黒い鎧をまとった見慣れない男は、見慣れた優しい瞳を濡らしてうなずいた。
抱き上げていた妻をそっと下ろすとそのまま地面にへたり込んでしまった。
座り込んだまま動けない妻の正面に黒い鎧の男が膝をついた。
そっと手を伸ばし、地面についたままだった妻の手を取った。
持ち上げた妻の手をぎゅっと握り、その黒い瞳を妻に向け、男は笑った。
「――『呪い』は、解けました」
笑みをたたえたその口元が震えていた。
男は何か言おうと口を開いた。が、声にならない。
二度、三度と口を開けては閉じ、顔を伏せた。肩が震えていた。
ようやく顔を上げた男は、赤くなった吊り目をやさしく細め、言った。
「――これまで、よく、がんばりましたね。姫」
その言葉に、妻の涙腺が崩壊した。
ぶわっと涙をあふれさせた妻は自分の手を握る男の手を反対の手でも包んだ。
「黒陽」
「黒陽」
ポロポロと涙を落とす妻に男は目をうるませ微笑んだ。
「もういいのです。もう『呪い』は解けたのです」
「姫の『呪い』も、きっと解けています」
「よくがんばりましたね。姫」
「黒陽」
両手で包んだ男の手を自分の額に押し当て、妻は泣いた。
「ごめんなさい。ごめんなさい黒陽」
「姫が謝ることはありません。姫はよくがんばりました」
「でも」
「私が『災禍』の封印を解いたから」
「私のせいで黒陽は」
「私が」
えぐえぐと泣きながら一生懸命になにかを訴える妻に、黒い鎧の男は困ったような笑みを浮かべた。
見慣れた、黒い亀の笑顔。
「姫は、よくがんばりました」
「立派に責務を果たしました」
「貴女は私達の自慢の姫です」
「黒陽………!」
ブワリと涙をあふれさせた妻は、男の手を離しそのまま抱きついた。
「黒陽!」
「黒陽!」
「うわあぁぁん!!」と泣く妻を、まるで幼い子供のように男は抱き、やさしく撫でた。
「ご立派でした」
「がんばりました」
「もういいんですよ」
「きっと姫の『呪い』も解けました」
そんなことを言い聞かせながら、黒い鎧の男は俺の妻を抱き締め涙を落とし続けた。
次回は来週10/24投稿予定です




