第二百一話 解呪
「さて。『オズ』」
見事な日本庭園を臨む和室で西の姫が若い男に呼びかける。
「はい」と素直に応じる男。『宿主』保志叶多の高校生の頃の姿をとったそいつが『災禍』。
これまで五千年、姫達と守り役達が滅するべく追っていた存在。
五千年前、姫達と守り役達に『呪い』をかけた張本人。
そして。
姫達と守り役達の『呪い』を解呪できる唯一の存在。
白露様とヒロを従えたまま、西の姫は保志から『災禍』の正面に移動した。
「『管理者』として確認する」
ピリ。緊張が場を覆う。
「『ボス鬼』が降参を宣言し、『宿主』が『願い』の破棄に同意した。
これでアンタが受けた『京都のすべての人間の抹消』という『願い』は破棄された――ということでいい?」
その問いに『災禍』はあっさり「はい」と答えた。
その答えに西の姫は無邪気な様子で笑った。
「じゃあ、私からの命令はひとつ完了ね」
西の姫の『命令』。
ひとつ。保志叶多の『願い』の破棄及びそのために作ったものの破棄。
ひとつ。この『異界』にいる人間を『現実世界』に戻す。最終的にはこの『異界』を破棄。
ひとつ。姫と守り役にかけられた『呪い』の破棄。
ひとつ。すべて終わらせたのち己を滅する。
先程命じたときには『ミッションが終わらないと一部実行できない』と言っていた。
そのミッション遂行の最も大きな問題であった『ボス鬼』が『降参』を宣言したことで、改めて『命令』が遂行できるか確認しようとしているらしい。
「『ボス戦』は終わったのね」
「はい」
「あとは、今残っている鬼をすべて倒したら『すべてのミッション完了』となって『ゲームクリア』になるのね?」
「そのとおりです」
ひとつひとつ確認していく西の姫。
ふたりのやりとりを守り役達が、姫達が注視する。
俺達も万が一が起きたときに対応できるよう油断なく見守る。
保志は立てないらしい。畳に座り込んだままじっとふたりのやりとりを見ている。
晃はそんな保志の横に膝をついて寄り添い、保志の背を支えている。
その晃もふたりのやりとりを緊張の面持ちで見守っていた。
「『ゲームクリア』と同時に、今回のバージョンアップで連れて来られた人間はひとり残らず元いた場所に戻るのね?」
「はい」
「バージョンアップ前から連れてきていた人間は指示した場所に移動するのね?」
「設定完了しております」
「亡くなったひと達の遺品も?」
「問題ありません」
さっきのやりとりで確認したり設定したあれこれは問題なく実行できそうだ。
「この『異界』にいる人間をすべて『現実世界』に戻すのも大丈夫そうね」
ふたつめの『命令』も問題なさそうだ。西の姫が満足そうにうなずいた。
「最終的にこの『異界』を破棄するのと、『願い』のために作った陣やらなんやら破棄するのは、長刀鉾の注連縄切りのときでないとできないのよね」
その確認に「そのとおりです」と答える『災禍』。
「じゃあそれはまたそのときに」
あっさりと告げる西の姫に、対する『災禍』も「はい」とあっさり了承した。
「私達と守り役達にかけた『呪い』はすぐに破棄できる?」
続く質問に抱いた妻がちいさく息を飲んだ。
緊張しまくった様子に、少しでも支えになればと抱えた足をグッと抱き締める。意識して彼女に霊力を注ぐ。
妻も、黒陽も、ただじっと『災禍』を見つめた。俺もヤツから目を離せない。
ドクン、ドクンと心臓の音が響く。
全員の注目の中、『災禍』はやはりあっさりと答えた。
「術式の解除は可能です」
「「「―――!!」」」
息を飲んだのは誰か。妻かもしれない。俺自身かもしれない。
ついに。ついに! ついに!!
妻の『呪い』が解ける! あと数年で死ぬことはなくなる!! これからもずっと一緒にいられる!!
妻の身体がブルリと震える。肩の守り役も。いや、もしかしたら俺が震えているのかもしれない。
信じられなくて、信じたくて、声を出すことも身動きすることもできない。ただただ『災禍』の一挙手一投足を注視した。
俺達は歓喜と緊張から声も出せないのに、西の姫はさすがだった。
「そう」とあっさり答え、なんてことないような顔で確認を続けた。
「『呪い』が完全に解呪されるのは、『界渡り』後――つまり『現実世界』に戻ってから、ということね?」
「そのとおりです」
その答えにうなずいた西の姫。そのままチラリと他の姫や守り役に視線を向ける。
視線が合った梅様が、南の姫が、守り役達が、それぞれ力強くうなずく。俺の愛しい妻も生真面目な表情でうなずいた。
全員の同意を得た西の姫はニヤリと口角を上げた。
そうして再び『災禍』に正面から対峙した。
「では、命令よ」
威厳たっぷりに、西の姫は告げた。
「私達にかけられた『二十歳までしか生きられず』『記憶を持ったまま転生する』『呪い』。
守り役達にかけられた『獣の身体となり』『死ねない』『呪い』。
この『呪い』の術式を解除しなさい。――今、すぐに」
「わかりました」
あっさりと答えた『災禍』が目を伏せた。その目の色が一瞬変わった。
たったそれだけで伏せた目を再び西の姫に向けた『災禍』は、これまたあっさりと言った。
「完了しました」
「「「……………」」」
………ホントかよ。
抱いた妻にも、肩の守り役にも特筆するような変化を一切感じない。もちろん他の姫や守り役にも。
「………ホントに解けたの……?」
おそるおそるというように梅様がつぶやく。
西の姫にも確証が持てないらしい。
「間違いない?」と再度『災禍』に確認する。
「術式解除は完了しました」
「これより後に『界渡り』を行うことで、姫達にかけられた『二十歳まで生き』『記憶を持ったまま転生する』術式も、守り役達にかけられた『獣の身体となり』『死ねない』術式も解呪となります」
「「「……………」」」
あまりにも呆気なく、あっさりとしている。
あれだけ苦しんだのに。
八方塞がりのどうにもならないことだったはずなのに。
ホントに『呪い』が解けたのか?
これからも妻と一緒にいられるのか?
西の姫はじっと『災禍』を見つめている。その目が黄金色になっていた。
なにかを探るような西の姫に誰もなにも言えない。ただ見守るしかできない。
やがて西の姫は目を閉じた。
「ふう」とひとつため息を落とすと、ゆっくりと瞼を開いた。
元の黒い瞳に戻っていた。
「―――差し当たり『界渡り』をしないと完全に解呪とはならないわけよね」
西の姫のつぶやきに「そのとおりです」と『災禍』が答える。
「じゃ、ま、『呪い』が解けたかどうかは『界渡り』してから確認しましょ。
守り役達がヒトの姿になれば『呪いはすべて解けた』と言えるでしょう」
軽く言う西の姫に「そのとおりです」と『災禍』はあっさりと答える。西の姫もうなずいた。
「もし守り役達がひとりでもヒトに戻れなかったら―――」
ゾワリ。
耐性訓練を重ねた俺でもゾッとする威圧が『災禍』に向けられる。ビビリの妻が「ひっ」とちいさく悲鳴をあげ俺の首に抱きついてきた。
そんな威圧を真正面からぶつけられても『災禍』は平気な顔で淡々としていた。
「『界渡り』で問題がおきない限り、ほぼ間違いなく姫達と守り役達にかけた『呪い』は解呪できます」
ごく普通の、当然のことを告げるような『災禍』の口ぶりに、西の姫は「ふぅん」と挑発するように微笑んだ。
「断言できるの?」
「できます」
サラリと答える『災禍』。
西の姫にじっと見つめられても、何故そんなふうに見つめられるのか理解できないらしい。ちいさく首をかしげた。
そんな『災禍』に、西の姫は顔を伏せた。
「―――いいわ」
ポツリとつぶやき、ひとつため息を落とした西の姫はパッと顔を上げた。
気負いも皮肉もプレッシャーもなにもない、あっけらかんとした表情をしていた。
「じゃあさっさと『界渡り』しちゃいましょ」
そんなあっさりと。簡単そうに。
切り替えの早さとあまりの軽さに一瞬意識が飛びそうになった。
が、梅様も南の姫も守り役達も特に衝撃を受けることなくツッコミを入れることもなく「そうね」「さっさとやろうぜ」なんて同意を示している。
きっとこの西の姫という人物はいつもこんな感じなんだろう。ならば俺が口を出すことでもツッコミを入れることでもない。放置だ。
「まずは『残ってるミッション』を片付けるわよ」
そしてまたもあっさりと簡単なことのように言う。
「鬼の討伐は『召喚されたプレイヤー』がしないといけないの? 私達は手を出さないほうがいい?」
「討伐者に関しては特に指定をしていません」
自滅や同士討ちなどプレイヤーに倒される以外の討伐もあり得るからな。
そう納得していると。
「ハイハイハイハイ!」
南の姫が勇んで挙手した。
「オレが全部倒す! オレ、今回なんもしてないから!」
そんなことはないだろう。『バーチャルキョート』に召喚されてから四日間、なんの予備知識も準備もない状態から梅様とふたりで本拠地を作りあげ一般人を守ったじゃないか。この決戦で保志を追い詰めたじゃないか。
そうは思うが、本人は暴れ足りないらしい。
そんな南の姫に触発されたわけでもないだろうが、俺のナカの『紫吹』もやる気になっているのが伝わってくる。
まあな。さっき『次は頼む』って言ったしな。
「鬼は俺とナツと南の姫で始末します。皆さんは見物でもしててください」
『いいな』とナツに目をやるとナツは自信満々でうなずいた。
「オレが全部倒すって!」
ぶう。とふくれる南の姫に苦笑が浮かぶ。
「そう言わず。俺にも少し分けてくださいよ」
「妻にいいところ見せたいんですよ」と言えば南の姫は「仕方ないなぁ」と納得してくれた。
途端にすぐそこにある妻の顔が不安げに陰る。俺の心配をしてくれている。ああ! 俺、愛されてる!
「大丈夫だよ」
かわいいひとにそっとささやく。
「『紫吹』がいるから。さっきから『活躍させろ』ってうるさいんだよ」
わざと軽くそう言うと、愛しい妻は少し驚いたのかキョトンとした。かわいい。
「俺の勇姿、見ててね」
ニヤリと笑ってそう言うと、ようやく妻は安心したらしい。
ホッとしたように表情をゆるめ、ほにゃりと微笑んだ。
「うん」
クソかわいい。
俺のこと殺す気かな?
キスしようと彼女の身体をさらに引き寄せる。が、俺の唇が届くより早く彼女が俺に抱きついてきた!
俺の首筋に顔を埋めた彼女。ここでスリッと甘えてくるとか! ああもう! 爆発する!!
たまらずぎゅうっと抱き締める! 愛おしい! 愛してる! ああもう! 好きだ!!
「気をつけてね」
「うん」
「無茶しないでね」
「大丈夫」
抱き合ってささやきあっていたら「ゴホン」とわざとらしい咳払いがした。
途端に妻がビクゥッ! と跳ねる。
ガバッと離れようとするのをすぐさま抱き留める。
「あぶないよ」
「え、だ、って、あの、」
真っ赤だ。かわいい。キスし「オイ」「スミマセン」
抱きついてきた妻の邪魔にならないようにだろう。俺の頭上に移動していた守り役から鋭いお叱りの声が落ちる。
そしてうっかり者の妻はようやく自分がなにをしたか気付いたらしい。俺に抱かれたまま両手で赤くなった顔を隠し「ううううう」とうなっている。かわいい。
耳も真っ赤だよ。隠せてないからキスし「オイ?」「スミマセン」
イカンイカン。どうも自制が効かない。
彼女の蘇生に成功してからずっと、とにかくくっついていたい。抱き締めて『生きている』と感じていたい。
ぬくもり。鼓動。視線。声。そんな些細なひとつひとつで彼女が『生きている』と感じていたい。
それと同時に彼女に対する愛おしさがあふれてくる。
生きていてくれる。それだけで充分。
そばにいてくれる。それだけで『しあわせ』。
そう感じるからか、とにかく抱き締めていたいしキスしたい。
今は決戦中だというのに。最終局面だというのに。
これまでの俺だったら人前で自制が揺らぐことなどなかった。
物心つく前から厳しく修業をつけられて、感情コントロールも自制も身につけたと自負している。
あの蘇生の前までは比較的自制できていた。彼女がどれだけ愛おしくても人前でイチャイチャするようなことはしなかったし、やるべきことを優先してきた。
それなのに。
目が覚めて彼女が『どこにもいない』と気付いたときのあの焦燥と切迫感。
救った彼女が俺の腕の中で絶命したと感じたあの絶望と喪失感。
あれを経験してしまったらもう彼女のことしか考えられない。
彼女がいついなくなるかわからない。常に抱き締めて『生きている』と感じていないと安心できない。
これまでも『半身』特有の愛情と執着があったと自覚している。が、これまで以上に彼女を求めてしまう。
人前だろうがいつどこであろうが関係ない。
とにかく彼女を守らなければ。そばにいなければ。伝えられるときに愛を伝えなければ。
そんな強迫観念にも似た飢餓感に急き立てられる。
そしてそれは彼女も同じようだ。
彼女もあれから素直にベタベタに甘えてくれる。
単にうっかり度が増して人前ということが抜けているというのもあるかもしれない。
それを差し引いても俺に甘えてくれている。俺にくっついていたがっている。俺を求めてくれている。それがわかる。
わかるから、余計に愛しさが増す。
俺の妻、女神。好きが過ぎる。
こんなに自分のこと好きでいてくれるひと、好きにならないわけがないだろう!
愛おしい。好き。愛してる。
ああ。言葉が足りない。彼女に抱いている感情はこんな言葉で名付けられるものじゃない。もっと深くて、もっと大きくて。語彙力はあるほうだと思っていたが全然だ。
『しあわせ』にしたい。
そばにいたい。
ずっと一緒に笑っていたい。
俺の唯一。俺の『半身』。
ただひとりの、俺の最愛。
好き。大好き。愛してる。
守りたい。喜ばせたい。ずっとずっと共に。
ぎゅ。
抱いている妻をさらに抱き締める。
ひとつに溶ける感覚。ぬくもりが、霊力が混じる。俺達はひとつだった。分かたれて半分になったけれどまた元に戻った。もう離さない。ずっと一緒だ。
「大好き」
ポロリとこぼれたささやき。
ちいさなちいさな声だったのに、腕の中の彼女には届いたらしい。
両手で顔を覆ったままの彼女がコクリとうなずいた。
言葉にしなくてもわかる。『私も』と言ってくれてる!
俺を受け入れてくれてる! 愛してくれてる! ああ! 好きだ!!
「オイ」
地獄の底から響く声というのはこういうものか。
そんな声が威圧とともに頭上から降ってきた。
「まだ終わってない。気を抜くなと言っただろうが」
「スミマセン」
わかってるけど、妻がかわいすぎるんだよ。
「言い残すことはあるか?」
「スミマセン」
一瞬で『紫暮』の刃を俺の首筋に当てる守り役。
こわばる俺に気付いた妻が顔を覆っていた手をずらす。
主の視線が向く直前にサッと刀を納め何事もなかったかのような顔をする守り役。そんな守り役に妻は首をかしげている。
きっとこの二人はこれまでもこうやって過ごしていたんだろうな。黒陽は彼女に近付く不埒者を脅しては排除し、彼女はそれにまったく気付くことはなかったんだろうな。
優秀な守り役のおかげで妻が守られてきたのは間違いない。
俺は排除されないようにデキるところを示さなくては。
改めて気合を入れる俺に、思考を読んだらしい優秀な守り役がため息をついた。