第三十四話 日曜日ータカさんの話 2
『まるで二十三年前のジェイの時のようで――落ち着かないんだ』
吐き出すような代表の声に、タカさんは黙ったままだった。
が、やがて口を開いた。
「そいつらの情報、送れ。まだ京都にいるなら探してみる」
『――スマン。お前に手間をかけることになる……』
「気にするな。動けるヤツが動けばいいんだよ。
オレは今京都にいるんだから、遠慮なく使え。テンにも手伝わせる」
『スマン』
代表はそう言って、ポツリとこぼした。
『気にしすぎなのかもしれない。
ただ寝てるだけなのかも、メッセージに気づいていないだけなのかもしれない。
それでも――』
タカさんの「うん」という相槌に励まされるように、代表は続けた。
『あの時のことがチラついて、「もっと早く探しておけば」って、後悔が湧き上がって』
「うん」
『でも今俺動けなくて』
「今どこだよ」
『言えない。けど、関西ではない』
実力のあるエンジニアでもある代表はけっこういろんなところから狙われているらしい。
社を回すのは信頼できる部下に任せて、世界中あちこちフラフラしていると聞いたことがある。
『テイクが電話してきたのも、なにかの「縁」だ。
スマンが、調べてくれないか?』
「――まかせとけ」
そうして情報を送る先を指定して、タカさんは通話を切った。
息を吐いたタカさんは深刻な面持ちでどこをにらみつけていたが、再び電話をかけた。
「――オミ? ちょっと調べてほしいことがある」
何を依頼するのかと見守っていると、思いもかけないことを言い出した。
「ここ二十五年――いや、ここ三十年の、京都市内の不審死及び行方不明についてリストアップしてほしい。
――そう。警察も、安倍家も」
「『神隠し』と判断されて捜査終了してる件も含めて。そう。迷宮入りも。全部」
「いなくなった人間のデータ。一人暮らしか家族と暮らしていたか。仕事は何してたか。交友関係は。
いなくなったときの状況。家はどんな状況だったか。どこでいなくなったか。ケータイや財布は残っていたか。
そう。うん。
届けが出ていないケースもあるかもしれない。
ああ。そうだな。それで頼む。
――ああ。ハルには今からオレが連絡する。頼むな」
そうしてそのまま再びスマホを操作する。
「ハル? オレ。
オミに緊急依頼出した。
主座様命令出しといて。
ついでに安倍家も協力させて」
「ここ三十年の、京都市内の不審死及び行方不明についてのリストアップ。
――ああ。どうも、イヤな感じがするんだ」
「――ああ。頼むな」
それだけで話が通ったらしい。
スマホを切り、にらみつけた。
そうしてようやくスマホを机に置いた。
腕を組んだタカさんは目を閉じて天をあおいだ。
じっとなにかを考えている。
が、目を開けて「ふう」とひとつ息をついた。
マグカップに手を伸ばし、グイッと一気に飲み干した。
「――ということで。オレ、仕事増えたから。
さっさと次の用件をすませよう」
なんの話かと思ったら「トモの話。聞くぞ」と言ってきた。
「――イヤイヤイヤ! なんか大変なこと頼まれたんじゃないの? そっち優先しなよ!」
そう言ったのに、タカさんはいつもの調子でニヒヒッと笑った。
「大丈夫大丈夫。情報揃うまでは動けないから。
せっかくここまで来たんだし、トモのモヤモヤもキュンキュンも聞くぞ!」
『モヤモヤ』していることも『キュンキュン』していることもバレているらしいと知って、途端に頭に血が上る。
「――ここに来た『用事』はもういいの?」
ごまかすようにそう聞いたら「そっちも情報待ちだな」とあっさりと言った。
「思った以上の情報が入ったから。今度は別口からまた情報手に入れて。精査して。
まあまたなんかあったら連絡するよ」
「……わかった……」
なんか腑に落ちないけど。
明らかになんか隠してるけど。
チラリと黒陽の様子をうかがうと、こちらも心配そうにタカさんを見つめていた。
情報管理能力ポンコツのこの亀からならいくらでも情報引き出せそうだけど、この様子だと黒陽もタカさんが何隠してるかわかってないな。
仕方ない。
この件はこれで終わりだ。
『デジタルプラネット』や『バーチャルキョート』の話だけだったはずなのに、なんか大きな問題が浮上した気がするけど。
とりあえず俺にできることは今のところないと、そういうことだろう。
タカさんなら使えるものはなんでも使う。
また俺が必要になったら声がかかるだろう。
そこは信頼できると思うので、諦めて切り替えた。
ハルに言われた。『タカと話をしろ』。
『お前の不安や姫宮に対する想いやらは、実際「半身」を得ているタカが一番理解できるだろうから』と。
『タカに話をして、それでさっさと納得して、霊玉を渡せ。京都の結界を強くしろ』
そう言われた。
そう。
俺が今すべきことは、彼女に霊玉を渡すこと。
そのために、納得すること。
アタマではわかっている。理解している。
でも、どうしても、ココロが納得しない。
昨日から、竹さんと出かけたり一緒にメシ食ったり家事したり、なんだか家族みたいなしあわせな時間を過ごした。
黒陽からいろんな話を聞いて、情報も考えることも増えた。
『バーチャルキョート』のことも気になる。
そんななにもかもを取っ払う『やるべきこと』。
『彼女に霊玉を渡す』
それだけ。
今の俺にできることは、それだけ。
でも。
霊玉を彼女に渡したら、彼女はひとりで苦しむ。
誰も巻き込むまいとして、黒陽とふたりでフラリとどこかへ行ってしまう。
そして食事も取らず眠れず疲弊して、死ぬ。
そんな未来が、容易に想像できる。
どうしよう。どうしたらいいんだろう。
どうしたらいいのか、どう言えばいいのかわからず、うつむくことしかできない。
「まず確認したいんだが」
そんな俺にタカさんは気軽な感じで聞いてきた。
「トモは竹ちゃんのこと、どう思ってんの?」
「―――」
そんなの、決まってる。
でも、口に出すのは――恥ずかしい!
きゅ、と口を引き結び、ぐっと拳を握った。
うつむいたままどこかをにらみつける俺に、タカさんは呆れたようにため息をついた。
「口に出せない程度の想いなのか?」
安い挑発だ。普段の俺なら軽くあしらっている。
それなのに――流せなかった。
彼女への想いを馬鹿にされたようで。
彼女との関係を否定されたようで。
挑発とわかっていても、捨て置けなかった。
のろりと頭を上げ、タカさんをにらみつける。
へらりと笑顔を作った男がじっと俺を見つめていた。
「――好きだ」
俺の返答にタカさんはただニヤニヤしていた。
といっても、からかうものではない。
若造が足掻いているのを楽しんでるオッサンの顔だ。くそう。
「『半身』だから?」
「――違う」
何度も考えた。何度も感じた。
だから即答した。
「『半身』だからじゃない。
ただ、彼女が――好き、なんだ」
言葉にするとより想いが強くなるようだった。
彼女が、好き。
そんな想いが、強く、固くなる。
「どんなふうに?」
そう問いかけられて、意味がわからなかった。
そんな俺にタカさんは肘をついて楽しそうに言った。
「そばにいたい?」
「いたい」
「デートしたい?」
「したい」
「付き合いたい?」
「付き合いたい」
「エッチなことしたい?」
「―――!」
ナニ言い出すんだこのオッサン!
ボン! とアタマが火を噴いた!
「オイ」
黒陽がドスの効いた声でタカさんを威嚇する。
「初心な小僧に余計な知恵をつけるな」
「スミマセン」
謝りながらもタカさんの声は笑いを含んでいる。
「――ハルと黒陽様から、事情は少し聞いてるよ」
タカさんはチラリと竹さんの方を向いて、俺に向き直った。
「ハルが言ってたよ。『竹ちゃんには責務がある』って」
その話は俺も黒陽からもハルからも聞いている。
だから知っていることを示すのにうなずいた。
そんな俺にタカさんは笑顔を消し、真面目な顔でつぶやいた。
「竹ちゃんは真面目な子だ。
責務がある以上、責務を優先する」
それも理解できるのでうなずく。
「お前の方は向けない」
「―――」
わかってる。理解している。
俺も思った。彼女に『恋』は『無理だ』と。
だけど。
改めて他人から突きつけられると――。
ぐっと歯を食いしばる。
目をそらさないようにタカさんをにらみつける。
意識してそうしないと、うなだれてしまいそう。
竹さんは、俺のことを好きになれない。
親しい人間程度には思ってもらえるかもしれない。
でも、俺のこの熱量を受け入れてくれることも、同じだけのものを返してくれることもない。
ニブいから。ぼんやりだから。生真面目だから。責務があるから。
「――それでもいい」
この間フジにも言われた。『やめとけば?』
そのときに初めて『やめる』という選択肢があることに気が付いた。
気が付いたけれど、そんなこと、選択できなかった。
彼女を諦めることは、できない。
報われなくてもいい。ただそばにいられるだけでいい。
そばにいられなくても、彼女が『しあわせ』なら、それだけでいい。
決意を示すように口を開いた。
「彼女が『しあわせ』なら、それでいい。
たとえ俺のほうを向いていなくても、彼女の助けになるのならばどんなことでもしたい」
俺が真剣に、心の底からそう思っていることは伝わったのだろう。
黒陽はちいさくため息をついた。
タカさんはただ黙ってじっと俺を見つめてきた。
俺の意思が変わらないとわかったのだろう。
タカさんは困ったように微笑んで、目を伏せた。
「――彼女に責務がなければな」
ポツリ。
タカさんは、ちいさくつぶやいた。
「ただの高校生同士だったなら、こんなこと考えなくてよかった。
ゆっくりと『恋』を味わって、楽しんで、時間をかけて愛を育めばよかった」
祈るような、かなしむような響きに、どういうことか聞こうとしたけれど、それよりも早くタカさんが俺に目を向けた。
「――『それでなくても二十歳まで生きられない。
どうやっても、男が遺されることになる』」
「―――!」
ポツリと落とされた言葉は、きっとハルが言ったものなのだろう。
ハルが言っていた。『長くて五年』。
黒陽が言っていた。『智明も青羽も姫のいない世界を生きた』
「――お前は『遺される覚悟』があるのか?」
「……………」
覚悟。
遺される覚悟。
黒陽が言っていた。
『智明』も『青羽』も遺されたと。
竹さんに用事を言いつけられて後を追うことができなかったと。
俺も、間違いなく置いていかれる。
ひとり遺される。
その覚悟ができないと、彼女と共にいられない。
彼女のそばにいられない。
タカさんはそう言っている。
どうしたらいいのか、どう答えればいいのかわからない。
そもそもそんな覚悟があるのかどうかもわからない。
迷いから視線が彷徨う。
ふと、視線の先に彼女を見つけ、離れられなくなった。
かわいい寝顔。気持ちよさそうに寝ている。
それだけでほっこりとしあわせな気持ちになる。
それじゃあ駄目なのか?
ただそばにいたいだけじゃ駄目なのか?
わかってる。
それでは駄目だ。
彼女の負っている責務は重すぎて誰も助けられない。
彼女にかけられた『呪い』は誰も解呪できない。
彼女はずっと罪と責務を背負い、『呪い』に翻弄されて生きてきた。
そんな彼女のそばにいるなら、俺もそれ相応の覚悟が必要だ。
彼女を守る覚悟が。
彼女のために強くなる覚悟が。
そして。
彼女を喪う覚悟が。
「――『ひとりで遺される』っていうのは、口で言うよりもしんどいよ」
ポツリと、タカさんは言った。
その痛みを知っているようだった。
「オレは、できれば、お前には、そんな苦しみを味わってほしくない」
タカさんはただ静かにそう言った。
押しつけも、憐れみもない。
ただ俺が同じ痛みを負わないように祈ってくれているのがわかって、反発心も起きなかった。
「でも『半身』を求める気持ちも、オレはわかるんだ」
そうしてタカさんはそっと目を伏せた。
「出会わなければ、ここまで求めることはなかった。
でも、出会ったから。
『半身だ』と魂が叫ぶから。
だから、もう、離せない。離れられない」
ぎゅ、と胸をつかんでそう言う。
それはまるで厳かな祈りのようであり、宣誓のようだった。
タカさんは一度目を閉じ、そっと開いた。
困ったように笑った。
「お前も『そう』なんだろ?」
疑問形でなく、断定で聞かれたことに、このひとが俺の気持ちを理解してくれているとわかった。
だから、うなずいた。
タカさんは苦笑を浮かべた。
「わかるよ」
ちいさく、それだけ言った。
その一言に、なんだかこわばりが溶けるようだった。
「わかるから、お前には辛いことを言わないといけない」
真面目な顔に、ぐっと拳を握った。
「お前は、『半身』を喪う覚悟があるか?」