保志叶多 5 タカの話
たくさんのひとが『おれ』に手を差し伸べてくれた。たくさんのひとが支えてくれた。走馬燈のようにひとが、言葉が浮かんでくる。
その眼差しに、やさしさに、厳しさに、言葉に励まされる。
サト先生。玄さん。里村のおっちゃん。カナダの父さん。カナダの母さん。サナ。オミ。ほかにも、たくさん。
たくさんのやさしさと厳しさと愛情が注がれる。
たくさんの言葉が勇気をくれる。
生きる勇気を。前に進む勇気を。
たくさんのひとが過ぎていく。たくさんのものを贈ってくれる。それらを一つ一つ受け取る。
喪ったものの替わりにはならない。
でも、傷を癒やすバンソウコウのように、びしょ濡れのあとに包み込んでくれるバスタオルのように、それらは『おれ』を包み、あたためていった。ココロを癒やし染み込んでいった。
たくさんのひとが過ぎていくのを見送っていたら、ひとりの男がじっと見つめてきた。
《カナタ》
茶髪のオッサン。やさしい眼差しでじっと『おれ』を見つめる。
《カナタ》
まるでじいちゃんや父さんのようにやさしく呼びかけてくれる。やさしいまなざしで見つめてくれる。
《カナタ》
やさしい声音。まるで兄のような。まるで親友のような。
ああ。そうか。
お前か。目黒。
ようやく認識したと同時に、あやふやだった輪郭がはっきりとした。
目黒がいた。
まっすぐにおれの目を見つめていた。
膝をつき、両手でおれの手を握っていた。
初めてお前を見たとき、世の中のいいところしか知らないようだと思った。世間のおいしいところだけをわたってきたようだと思った。
明るく爽やかで人気者の気配にムカついた。
おれとは正反対だったから。
正直、うらやましかったから。
でも、違ったんだな。
『なんの苦労もしてないだろう』と思ったお前は、あんな苦しみを経験していた。
おれと同じ、いや、それ以上の苦しみとかなしみを経験していた。
おれと同じように『世界』を壊そうとしていた。
たくさんのひとがお前を助けてくれたんだな。
そうしてお前は今のお前になったんだな。
お前が『記憶』を『視』せてくれた今なら理解できるよ。
正直に言うよ。
お前がうらやましい。
壊そうとしたときに止めてもらえて。
たくさんのひとに助けてもらえて。
おれには、誰もいなかった。
止めてくれるひとも。叱ってくれるひとも。守ってくれるひとも。支えてくれるひとも。
おれの『願い』を叶える『アレ』だけがおれのそばにいた。
ふたりで必死にここまでやってきた。
脇目も振らず、がむしゃらに。
おれには、誰もいなかった。
《そんなことないだろ》
ならおれの『記憶』も『視』ろよ。
おれに『記憶』を『視』せられるなら、逆だってできるんだろう?
誰もいなかった。
助けてくれるひとも。叱ってくれるひとも。守ってくれるひとも。支えてくれるひとも。
《うん。『視た』よ》
《『視た』から断言できる》
《お前にもいたよ》
《お前を助けてくれたひと。お前を支えてくれたひと。
いたじゃないか》
……………は?
思いもかけないことを言われポカンとしたら、目黒は楽しそうに笑った。
《三上さん。野村さん。芦原さん。佐藤さん》
次々と名を挙げる目黒。確かにおれの『記憶』を『視た』とわかる。
《みんなが助けてくれたから『バーチャルキョート』はここまで大きくなった。
みんなが支えてくれたからデジタルプラネットはここまで大きくなった。
そうだろ?》
――そう、だけど、それは、――仕事で。ビジネスで。
《仕事でも。ビジネスでも。
お前を支えてきてくれたことには違いはない》
《これまで三十年、お前をずっと支えてくれてた。助けてくれてた。ずっと一緒にがんばってきた》
まっすぐな目黒の瞳に、何故か三上の顔がみえた。
それに誘発されるように次々に映像が浮かんできた。
ひとりだったおれは『アレ』とゲームを作った。
初めておれの部屋に来た三上。「すごい」と手放しで褒めてくれた。「協力したい」と手を差し出してきた野村。三人になった部屋は次第にひとが増え、広くなり、ついには自社ビルにまでなった。
ずっとひとりでがんばってきたと思ってた。
『アレ』がいればあとは都合のいいように人材が集まると。そうやって集まってきた人間達だと思ってた。
だが。
目黒の『瞳』を通して『視た』過去のおれの周囲ではたくさんのひとがおれを支えてくれていた。
「メシを食え」「ちゃんと寝ろ」とガミガミ言う三上。他の人間との間に入って潤滑剤になってくれた野村。不正をすることなく実直に経理を守ってくれた芦原。やっかいな交渉事にも真摯に立ち向かってくれた佐藤。
おれがこれまでみえていなかったことを目黒の『瞳』が映す。
目黒の『瞳』に映るおれはまるで、みんなから愛され尊敬されているように見えた。
《そうだよ》
《お前は愛されてるんだよ》
目黒がやさしい声で言う。
なのにおれの口は勝手に「ちがう」と言っていた。
「おれに利用価値があったからだ」
「仕事だったからだ」
「おれの才能に寄ってきただけ。実力を見ているだけ」
「おれがあいつらを利用していたように、あいつらだっておれを利用していただけだ」
これまで目も向けなかったあいつらのことを改めて考える。そしたら、そうとしか思えなかった。
おれを愛してくれてるわけじゃない。おれを心配してくれてるわけじゃない。ただただおれが社長だから。おれが開発者だから。それがあいつらの仕事だから。収入源だから。それだけ。ただ、それだけ。
《それもあるかもしれないけどな》
なのに目黒はちいさく首を横に振った。
《『仕事だ』というならば、他の仕事に就くことだってできた。転職だっていつでもできた。それでもカナタと一緒に働くことを選んだのは、三上さん達自身だよ》
《それって、なんで?》
《『カナタと働きたい』『カナタの作ろうとしているモノを一緒に作りたい』って思ってくれたからじゃないのか?》
そうなのか?
本当に?
そう思ってくれてたのか?
《これまでずっと一緒にやってきたんだろ?
三十年、ずっと一緒にがんばってきたんだろ?》
それは………そうだ。
うなずくおれに目黒は笑った。
《そんなのもう、家族同然じゃないか》
「……………家族……………」
呆然と復唱するおれに《そうだろ?》と目黒は笑う。
《カナタの望むカタチじゃないかもしれない。
カナタの願うカタチじゃないかもしれない。
それでも、お前達は『家族』だよ》
《同じじゃなくても。
求めていたカタチじゃなくても。
世間一般と違っても。
お前と、お前を支えてくれてるひと達は『家族同然』だよ》
『全く同じである必要があるのか?』
目黒の『記憶』でかけられた言葉が胸を打つ。
『ちがう形になっても、また作ればいい』
ちがうカタチ。
ちがうカタチで、おれは、手に入れていた?
喪ったモノを、また手に入れていた?
『家族』を?
《だからデジタルプラネットのビルにあれだけの結界を張ったんだろ?
京都の人間すべてを『抹消する』と言いながら、デジタルプラネットの人間は除外するように無意識にしてたんじゃないのか?》
―――そう、なのか―――?
―――いや。ちがう。結界を展開させたのはあくまでも防犯のためだ。『バーチャルキョート』が世界的な存在になって、ネット上からだけでなくリアルでも産業スパイが心配されていた。『アレ』からいろんな話を聞いていたから、新しくビルを建てるときにちょうどいいと思って張らせただけだ。
丸め込もうとする目黒に「ちがう」と言った。それでも目黒は信じていないようでガキ臭い笑みを浮かべた。
「ちがう」
ムッとしてもう一度言ったら、目黒は《じゃあさ》と表情を変えた。
《カナタは三上さんも『抹消』するつもりだったのか?》
その指摘に、ガツンと殴られた気がした。
《野村さんも、芦原さんも『抹消』するつもりだったのか?》
指摘されて、初めて気付いた。
『京都のすべての人間を抹消する』ということは『デジタルプラネットの人間も抹消する』ということだ。
それは。
それは。
「―――!」
途端に嫌悪感が込み上げた!
そうだ。おれがやろうとしていることはそういうことだ。
三上を。野村を。他の社員達を。三上の家族を。野村の家族を。社員達の家族を。
抹消する―――死なせる―――殺す―――!
「―――!!」
改めておれのしようとしていることを突きつけられた!
でも、だって。そんな。ちがう。だけど。
だって誰も助けてくれなかった。京都は悪い人間しかいない。善人を助けるために。おれのような想いをする人間がひとりでもいなくなるために。
でも。
三上は『悪人』か?
野村は『悪人』か?
そいつらを抹消して、おれはどうなる?
じいちゃんをおとしいれたあのクズどもと同じモノになる?
それとも『記憶』で『視た』あの男のようになる?
黒い炎に灼かれる赤い髪の男。
あの男のようにヒトでないモノに成るのか?
ずっとずっと憎しみを抱えて灼かれ続けるのか?
それでもいいと思っていたのに、急にそのことがおそろしくなった。
それに。
そんな状態は家族が生命をかけ『贄』になってまで願ってくれた『しあわせ』な状態だと言えるのか? それは家族を裏切る行為じゃないか?
おれは
お れ は
様々なことが頭に浮かぶ。感情を揺さぶる。思い出せ、ちゃんとみろ、考えろと命じてくる。
おれはこれまでなにをしてきた?
『贄』を集めた。―――ヒトを、殺した――。
おれはこれからなにをしようとしていた?
京都の人間を抹消しようとしていた。―――ヒトを、殺そうと、していた――。
―――おれは。
お れ は
《カナタ》
ぎゅ、と手を強く握られ、思考が止まった。
大きな手がおれの手を包んでいる。
その腕をたどって目を上げ、まっすぐな視線にぶつかった。
《まだ間に合う》
《まだ間に合うよ》
間に合う? 本当に?
だってもう『贄』にしてしまった。たくさんのヒトを殺してしまった。鬼だってたくさん殺した。そんなおれはもう家族に嫌われても仕方ない。それだけのことをした。そうだ。おれは。
おれは――『罪』を―――。
―――『罪』を――犯した。
自覚したおれの手を、目黒は固く強く握った。
強いまなざしでおれを射すくめた。
《『京都中の人間の抹消』なんて計画、破棄すればいい》
《まだ間に合う》
《今破棄すればなにも起こらない》
だって、それじゃあ善人が困るじゃないか。
悪人をのさばらせ放置することになるじゃないか。
《それはお前が背負うことじゃない》
《それは行政がやることだ。警察が、司法が負うことだ》
《お前はお前の手の届く範囲だけを守ればいい》
そんなこと言っても、誰も守ってくれなかった。誰も声を聞いてくれなかった。行政も警察も司法も頼りにならないなら、おれがやるしかないじゃないか。
《お前がやる必要はない》
《忘れたのか?》
《お前の家族は『お前が』『しあわせになる』ことを『願って』いたんだ》
《『世界中の善人をしあわせにしろ』なんて『願って』ない。そうだろ?》
それは、そう、かも、しれない………。
………だが!
おれが嫌なんだ! おれの家族のような目に遭うひとがいるこの『世界』が許せないんだ!
《だからって『京都中の人間の抹消』なんて、大雑把が過ぎるだろう》
大 雑 把
考えてもみなかった表現にまたもガツンと殴られる。
《世の中『善人』ばかりじゃない。それは確かだよ。
でも『悪人』ばかりでもない。
同時に、人間には善性も悪性も同時に存在する。
あるひとにとっては善人でも、別のひとにとっては悪人、なんて、よくある話だ》
《そうだろ?》と問いかけられ、またもガツンと殴られる。
「―――じゃあ――じゃあ、どうすればいいんだよ――」
泣きそうになりながらどうにかそう絞り出すと、目黒は困った弟でも見るような顔で笑った。
《だから、『願い』を『破棄』しろって》
握ったおれの手を目黒はやさしく撫でてくれた。
そっと撫でられるだけでこわばりがほどけるような気がした。
《お前がこれまでがんばってきたことは知ってるよ》
《文字通り寝食を削って、時間停止まで使って、がんばってがんばってがんばってきたことは知ってる》
《なんのためにそこまでがんばってきたのかも知ってる》
《お前の『記憶』『視た』から》
やさしく撫でられる感触。おだやかな目黒のまなざし。認めてくれている喜び。励まされる。ほどけていく。なんでか目が熱くなった。
勝手に震える口元をぎゅっと引き結ぶおれに目黒はちょっと笑った。
そのことが何故かうれしくて照れくさくて、歯をグッと噛みしめた。
《それでも言うよ》
やさしい声で、目黒はきっぱりと言った。
《『願い』を『破棄』しろ》
《これ以上『罪』を重ねるな》
『罪』
おれは。
「―――おれは―――」
こぼれた声は震えていた。
わななく口で、それでも、言葉が勝手に出ていった。
「おれは―――『罪』を、犯したのか―――?」
『正しいこと』をしていると思っていた。京都には悪人しかいない。悪人を始末するのは『正しいこと』で『善いこと』だと思っていた。でも。
自分がこれまでやってきたことを思い返す。目黒に言われたことを考える。さっきの男が言っていたことがおれを斬りつける。
「おれは」
間違ってた?
間違ってた。
たくさんの生命を奪った。
たくさんの家族から家族を奪った。
あいつらと同じモノになった。
憎くて憎くて赦すことなどできないあいつらと同じモノに。
ガタガタと身体が震える。
どうしよう。どうしたらいい。おれは、なにをしたら。
「―――目黒―――」
《『タカ』だって》
ニヒヒッと笑う目黒。おれを責めることも軽蔑することもない態度に、ついにこらえていた涙が落ちた。
「―――タ、カ?」
《おう》
おそるおそるの呼びかけに、目の前の男はごく普通に返事を返してきた。
たったそれだけなのに、なんでか胸の中がじんわりと温かく感じた。
胸が、喉の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
罪悪感。感動。歓喜。相反する感情がいっぺんに湧き上がり、年甲斐もなく涙を落とした。
おれの右手を握ってくれている手に震える左手を添えた。
両手でぎゅっと目黒の手を握った。
目黒も同じように強く握ってくれた。
「タカ」
《うん》
いい大人がこんなふうに泣くなんておかしい。そう思うのに涙は止まらない。握ったタカの両手を額に押し付け、吐き出した。
「おれ、」
「おれ、」
吐き出そうとしたのにうまく言葉になってくれない。出てくるのは嗚咽だけ。額に押し当てタカの手をぎゅっと握るしかできない。
と、タカがおれの手を振りほどいた。
あっと思ったときには頭を抱きかかえられていた。
タカの肩に顔を押し当てられ、頭と肩を抱かれていた。
《大丈夫》
《大丈夫だ》
《オレ達がいる。三上さん達もいる》
《お前はひとりじゃない》
その言葉に。しっかりと支えてくれる力強さに。ぬくもりに。「ぐうぅ」と声がもれた。
《これまで、つらかったな》
《これまでよくがんばったな》
《カナタはがんばったよ》
《よくがんばったな。カナタ》
おれは『罪』を犯したのに。おれは『間違ったこと』をしでかしたのに。
それでも『これまでのおれ』を認めてくれるタカに、胸の奥にあったドス黒いモノが徐々に消えていく。
タカの背に腕を伸ばし、シャツをつかんですがった。
「おれ」
「おれ」
言いたいことも聞いて欲しいこともあるはずなのになにひとつ言葉になってくれない。ただただ子供みたいにタカにすがって泣いた。
タカは一度もおれを責めなかった。
《大丈夫》《よくがんばった》それだけを繰り返し、ずっとおれを受け止めてくれた。
次回は来週9/19投稿予定です