保志叶多 3 目黒
突然意識が覚醒した。
ハッとすると同時にドッと汗が吹き出した。
座り込んだまま両手をつき、肩で息をする。
なんだ。
今のは、なんだ?
おれは『誰か』になっていた。
あれは――奈良時代? 昔の、どこか。
そこで生きた男の人生を体験した。
ここではない『世界』で『兵器』として使役されていた。たまたま『落ちた』先でお師さんと出会った。ふたりであちこちを旅した。お師さんを喪ってからは寺に世話になった。お師匠さまとふたりの仲間に出会った。そこでは理不尽がまかり通っていた。お師匠さまも喪い、ふたりの仲間を殺された。
『チカラがあれば王になれる』
『王になって世の中を変える』
『善人のしいたげられることのない世の中に』
手当たり次第に強いヤツを喰らった。
たくさんの人間を殺した。
そうしてにごって『禍』に成った。
黒い炎に身を焦がし、瘴気に包まれ、それでも願ったのは『大切なひと』の『しあわせ』。
『善人がしいたげられることのない世の中』をつくること。
ああ。そうか。
このまま突き進めば、おれもこうなっていたのか。
誰に説明されなくても、何故かわかった。
ヒトでなくなり、黒く濁り『禍』と成り、果ては悪しき『場』に成る。
そんな知識などなかったはずなのに、何故かそれがわかった。
―――それでもいい。
おれはどうなってもいい。
たとえこの身が滅びても。
たとえヒトでなくなっても。
家族の無念が晴らせるなら、おれはどうなってもいい。
だって、あんまりじゃないか。
じいちゃんもばあちゃんも、父さんも母さんもおじちゃんも、なにも悪いことはしていない。
善良で、よく働いて、やさしくて、誰からも好かれて。
そんなひとがなんであんなふうに死なないといけない。
なんであんなにつらい目に遭わないといけない。
なんであんなに苦労しなければいけない。
――わかってる。今ならわかる。
おれのせいだ。
おれが病気になったから。
おれを治そうとして、じいちゃんはあの水晶玉を受け取った。
おれのためにじいちゃんは、ばあちゃんは、父さん母さんは、おじちゃんは、あの水晶玉に『願い』をかけた。自分を『贄』にすることに同意した。
おれのためにその身を、魂を、捧げてくれた。
それなら。
おれだってこの身を捧げる。この魂を捧げる。
もう二度とじいちゃん達のような善人がしいたげられないように。
善人が『しあわせ』に暮らせるように。
おれはどうなったっていい。ただ、もう二度と、おれのような想いをする人間が生まれないように。おれのような子供が悲しまないように。そのためにおれは。おれは!
『あなたが殺したひとは、誰かの家族だよ』
その言葉に、思考が――止まった。
――おれは、これまで、なにをしてきた?
悪人を『贄』にした。京都には悪人しかいない。じいちゃんを陥れた。おれ達を助けてくれなかった。そんな悪人は『贄』にしてもいい。少しでもおれの役に立てばいい。世の中が『搾取する側』と『される側』に分けられるならば、おれは『する側』で、悪人は『される側』であるべきた。
『あなたはあなたが殺したひとの家族に、あなたと同じ想いをさせたんだよ』
―――もしかして、おれは―――
おれは、おれと同じ想いを、誰かにさせていた、のか――?
これまで考えたこともなかった考えが次々に浮かぶ。
おれが悪かった? おれのせいでじいちゃんの会社はつぶれた? おれのせいでおれの家族は死んだ?
『贄』にしたひとにも家族がいた? おれと同じように苦しんだ? おれのせいで? おれのせいで。おれのせいで!
「――違う! おれは間違ってない!」
耳を押さえ叫ぶ。
それでもどこかで誰かが言う。
『あなたは、あなたが憎いと思ってるヤツと同じことをしたんだ』
「――違う。違う違う違う!」
だって、もう『贄』にしてしまった。もう取り返しがつかない。おれはおれの信じる『正義』のために動いた。おれの信じる『未来』のために動いた。
それが間違ってた? 善人のために動いていたのに善人を苦しめていた? わからない。苦しい。わからない。どうしたらいい? なにをどうしたら。わからない。助けて。苦しい。かなしい。どうすれば。なにをすれば。
《 》
―――?
《カナタ》
――誰かが呼んでいる? 知らない声。知らない? どこかで聞いた?
《カナタ》
どうにか声のする方に顔を向ける。
そこに、男がいた。
穏やかな目をおれに向けていた。明るい茶髪。四十歳後半か五十歳前。爽やかな印象。人気者の雰囲気。おれとはまったく違う。
《カナタ》
馴れ馴れしい。なんでそんなふうにおれを呼ぶ? なんでそんな目でおれを見る?
《オレも同じだよ》
《お前は昔のオレだ》
《すべてを理不尽に奪われて、ただひとり生き残った、昔のオレだ》
『すべてを理不尽に奪われた』
『ただひとり生き残った』
―――そうだ。
おれは、理不尽に奪われた。
家族を。しあわせを。未来を。
そうだ。
おれはただひとり生き残った。
家族をすべて喪った。
あのときのおれの状況を言語化する目の前の男に、知らないうちに抱いていた警戒心が薄れる。
認めてくれた喜びと理解してくれた安堵が浮かぶ。
そのまなざしに、同じ『痛み』を持っていると、何故かわかった。
こいつは敵じゃない。
おれを傷つけるものじゃない。
おれから奪っていくものじゃない。
そうわかったらチカラが抜けた。
ただ黙って見つめるおれに、茶髪の男はにっこりと微笑んだ。
《カナタ》
親愛の情の込められた声。
こんなふうに呼ばれるのはいつぶりだろう。
こんなまなざしに見つめられるのはいつぶりだろう。
そう感じたら、涙が落ちた。
悲しくも悔しくもないのに。
呆然とするおれに、茶髪の男はニッと笑った。
ガキ臭い笑顔だった。
《改めて。オレは目黒 隆弘》
めぐろ。目黒。
名乗られて、ようやく繋がった。
一度だけ社長室で会った。『北の姫』とつながっている可能性のある男。先日からしつこく来てた男。でも、やたら馴れ馴れしくて、なんの苦労もしていない誰からも好かれる人気者みたいなヤツがイヤで、あれから会わなかった。
その男が、なんで、ここに?
意味がわからなくて黙っていたら、目黒は親しげに《『タカ』って呼んで》と笑った。
《カナタ》
目黒は笑顔のまま、右手を差し出してきた。
《オレと友達になろう》
友達!? いきなりなにを言い出した!?
《オレ達、気が合うと思うんだ》
驚くおれに構わず目黒はそんなことを言う。
《同年代だし。同じシステムエンジニアだし》
好き勝手言う男にげんなりする。なんだこいつ。馴れ馴れしい。ウザい。やっぱり近寄らないほうがよさそうだ。
おれがそう考えていることに気付かないのか、目黒は楽しそうに続けた。
《同じように家族を喪ってるし》
軽く告げられた言葉に、理解が遅れた。
ようやく理解して黙って見つめるおれに目黒は目を細めた。
さっきまでのおちゃらけた表情ではなかった。
ただ穏やかに微笑んでいた。
おれが全然動かないからか、目黒は差し出していた右手をおろした。おれが手を取らなかったことに怒るでも不快を示すでもなく、やさしい表情のまま、目黒は口を開いた。
《オレも『世界』を滅ぼそうと思ってた》
《お前と同じ》
《こんな理不尽な世の中、なくなったらいいって、本気で思ってた》
意味がわからない。ならなんで今お前はそんなふうに笑っている? なんでそんなふうに穏やかな目をしている?
《信じられない?》
のろりとうなずく。
《だよなぁ》
目黒は困ったように、でもどこか楽しそうに笑った。
そして、また右手を差し出してきた。
《視て》
は?
みる? なにを?
《オレの記憶。視て》
ニッと笑う目黒は当然のことのように言い、さらに右手を突き出してきた。
《オレがどんなガキだったのか。
オレの家族がどんな家族だったのか。
なにがあったのか。どうしてきたのか。
ぜんぶカナタに視てほしい》
つまり、さっきの赤い髪の男のように、この目黒の記憶を追体験しろと、そういうことか?
さっきは日村の手を取った。
目黒の手を取ったら、さっきと同じように追体験できると、そういうことか?
考えを巡らせていることも目黒にはお見通しなんだろう。ただ黙ってうなずいた目黒は、真剣なまなざしで、言った。
《オレがどうやって救われたのか。
『オレ』になって追体験して。
オレの恩人達がきっとカナタを救ってくれる》
救ってくれる。
おれを。
その言葉に、目からウロコが落ちた気がした。
誰かが、おれを、救ってくれる? 本当に?
そう言われて、はじめて気が付いた。
おれは誰かに助けてもらいたかった。あの状況から救ってもらいたかった。
だから必死で『願いを叶える霊玉』に『願い』をかけた。
でも、家族をみんな喪った。
じいちゃんもばあちゃんも色んなひとに「助けて」ってお願いしてた。父さんも母さんもおじちゃんも色んなひとに相談してたのを知っている。でも結局は誰も助けてくれなくて、家族はみんないなくなった。
さみしいお葬式。誰一人助けてくれない。惜しんでもくれない。悔しくてかなしくて、ただ、辛かった。
たったひとりになったおれを、誰一人助けてくれなかった。家族以外におれを救ってくれるひとはいないんだと思い知らされた。
辛くて苦しくて悔しくてかなしくて、必死で勉強した。『バーチャルキョート』を作った。ほかになにをしたらいいのかわからなかったから。
そんなおれを、救ってくれる?
そんなひとがいるのか?
そういえば。
ふと、思い出した。
さっき日村が言っていた。
『自分は「魂守り」だ』と。『おれを救いにきた』と。
そうなのか?
日村が、そして目黒がおれを救ってくれるのか?
この苦しみから、このかなしみから、逃れられるのか?
そこまで考えて、ハッとした。
おれは、救ってもらっていいのか?
だってじいちゃんは死んだのに。ばあちゃんも、父さんも、おじちゃんも死んだのに。母さんだって死んだのに。おれのせいで死んだのに。おれのせいで『贄』になったのに。
このまま悪人をのさばらせておいたら善人が苦しむ。だからおれがやらなきゃ。おれが『世界』を変えなきゃ。
そう思ってた。
そのためにこれまで必死でがんばってきた。
そんなおれが『救われる』なんて――。
考えてみる。
―――ダメだ。
やっぱりおれが『救われる』なんて、赦されない。
それだけの苦しみを受けた。それだけの犠牲をはらった。そんな簡単に『救われる』なんて、できない。
そう結論付け、目黒に言おうと、いつの間にかうつむいていた顔を上げた。
目黒はやさしく微笑んでいた。
困った弟でも見ているようだと思った。
《カナタががんばってきたことは知ってるよ》
やさしい言葉に、まなざしに、胸がぎゅうっと鷲掴みにされた。
《カナタはすごい男だ》
《『バーチャルキョート』を作り上げた。
新しい概念を。新しい『楽しみ』を。新しいシステムを作り上げた》
《短期間で資産を生み出した。自社ビルを建て、社員もいっぱい従えた》
これまでの『おれ』を認めて褒めてくれる目黒に、それまで抱いていた苦手意識や反発心が薄れていく。
もっと褒めろ。もっと讃えろ。そんなふうに思ってしまう。
《カナタはすごい男だ》
断言され、胸がいっぱいになった。
家族に自慢したくなった。
《そんなすごい男が『罪』を犯しているのを、オレは放っとけない》
『罪』
その言葉に、どこかがザクリと切り裂かれた。
《思い出して》
《これまでナニをしてきたか》
ゲームを作った。
『贄』を集めた。
『異界』を作った。
実験をした。
ひとつひとつ思い出していく。
と、これまでまったく気にしたことのなかった『贄』にした人間に意識がいくようになった。
『あなたが殺したひとは、誰かの家族だよ』
殺した
おれが?
おれが、殺した?
人間を?
そんな。そんなの。
『あなたはあなたが殺したひとの家族に、あなたと同じ想いをさせたんだよ』
同じ想い
同じ?
おれが、誰かにあんな想いをさせた?
おれが?
『あなたは、あなたが憎いと思ってるヤツと同じことをしたんだ』
同じ? おれが?
おれがあのクズどもと、同じ?
おれが?
おれが?
ザアァァァッ!
一気に血の気が引いた!
おれは、あいつらと同じモノに成った?
あんな、獣のようなクズに?
そんな、違う。違う。違う!
あいつらは自分のことしか考えてなかった!
おれは違う! おれは善人のために、世の中を良くするためにやったんだ! 悪人を排除したんだ!!
「違う」
「違う」
「おれは」
震える両手が視界に入った。
と、その手が血まみれになっていることに気が付いた。
なんで。どうして。
違う。これは先程みた赤い髪の男の記憶の断片だ。
あの男はヒトを喰っていた。ヒトだけじゃない。強くなるために獣も妖魔も喰っていた。
善人がしいたげられない世の中をつくるために。そのために自分が王になるために。
手を血に染め、ヒトで無くなっていった。
―――おれも、同じ?
おれももう、ヒトならざるモノに成ってしまったのか?
ヒトでなくなり、黒く濁り『禍』に成り、果ては悪しき『場』に成るのか?
あんなふうに、憎しみの炎にずっと灼かれるのか?
さっきは『それでも構わない』と思ったはずなのに、血に濡れた両手を見ていたら途端に怖くなった。
おれは、『罪』を、犯した?
おれが、殺した?
あのクズどもがやったように。あの赤い髪の男のように。
おれが?
様々な場面がフラッシュバックする。
善人が理不尽な仕打ちを受けない世界を作りたかった。
おれのような想いをする人間を出さないためにがんばってきた。
でも、そのためにおれはなにをしてきた?
もしかしたら、おれこそが、善人を苦しめ、おれのような人間を生み出していた――?
「――ちがう」
口から勝手に言葉がこぼれる。
でも頭の中はぐちゃぐちゃ。心臓の音がやけに大きく聞こえる。ドクドクと鳴るその音すらおれを責めているように聞こえる。
「おれは」
おれは間違っていない。正しいことをしてきた。
そのはずなのに、そう思うのに、カラダの芯がグラグラしている。めまいがする。不安定で、心細くて、汗がジワリとにじむ。
「おれは」
血に濡れた両手は震えていた。こわくて、ただこわくて両手を組んだ。ガクガクと震える自分の手を見つめていた。何に対してかわからない漠然とした恐怖を感じながら、頭の片隅ではまるで懺悔しているようだと冷静に客観視していた。
「ちがう」
懺悔することなどなにもない。おれは正しいことをしてきた。世界を変えるために。善人のために。
だが。
「おれは」
おれは間違っていた?『贄』にした人間にも家族がいた? おれはあいつらと同じことをした?
なにが正しい? なにが間違っている? おれはどうすればいい? おれは。おれは。
《カナタ》
穏やかな声が千々に乱れる思考を止める。
どうにか顔を動かすと、目黒が立っていた。
ニッと笑い、おれの目の前まで近寄り、膝をついた。
同じ高さになった目を合わせ、目黒ははっきりと言った。
《まだ間に合う》
間に合う?
なにに?
意味がわからず呆然とするしかできないおれに、目黒はやさしいまなざしで言った。
《カナタはまだ生きている》
《生きてさえいれば、けっこうどうにかなるもんだよ》
ニヒヒッと笑って気楽に言う目黒。
《『罪』を認めて。償っていこう》
《オレも一緒にやるから》
―――なんで。
なんでお前がそんなことを言う?
お前は無関係じゃないか。
そう思うのに声にならない。
ただ目黒を見つめるおれに、目黒はやっぱりやさしいまなざしで言った。
《言っただろ?
『お前は昔のオレだ』って》
―――意味がわからない。
《お前はオレが進まなかった『道』を進んだ》
《あのときサト先生に会わなかったら、オレもお前と同じようにたくさんのひとを殺していた》
《お前は『選ばなかった道を進んだオレ』だ》
《だから、お前の『罪』を一緒に償うのは、オレ自身のためなんだよ》
説明されてもやっぱり意味がわからない。
『道』とはなんだ。『サト先生』とは誰だ。
お前はそんなに明るくて人気者みたいなのに、なんでそんなことを言うんだ。
わけがわからない。わけのわからない話に、いつの間にか強張っていた力がゆるんだ。固く固く組んでいた両手もいつの間にか離れていた。
そんなおれに、目黒はまた手を差し出してきた。
《視て》
《オレの記憶。視て》
《そしたらぜんぶわかるから》
《きっとオレの恩人達がお前を救ってくれるから》
自信満々で、明るくて、人気者の気配をひけらかして、ウザいくらい人懐っこくて。
そんな男が、おれと正反対に思える男が、おれのことを『昔の自分だ』と言う。
そんなわけないだろうと怒鳴ってやりたいのに、バカにするなと言いたいのに、不思議とココロは落ち着いていった。
《視て》
差し出された右手。自信に満ちた目でおれを待っている。
無理矢理手を取ることもできるだろうに、おれの気持ちが整うのを待ってくれている。
それがわかって。なんでか涙が込み上げてきて。
気が付いたら、手を伸ばしていた。
目黒はうれしそうに笑った。
記憶のなかの父さんの笑顔に似ていると、ぼんやり思った。
震える指先が目黒の指先に触れた。
おそるおそる、その手を握った。
目黒はおれの手をグッと握った。
両手でしっかりと包み込んでくれた。
《目を閉じて》
その手の力強さに支えられるように、言われたとおり瞼を閉じた。
次回も一週間後
9/5投稿予定です