保志叶多 2 赤い髪の子供の記憶
『善人がしいたげられない世の中を』
『そのために王になる』
『我が「世界」を変える』
物心ついたときにはすでに奴隷だった。
最低の生活環境。わずかなエサでかろうじて生かされている。数日おきに戦場に連れて行かれる。そこで向かってくるモノを喰う。
おれはヒトを喰う『兵器』だった。
獣同然に生き、使い捨てられるはずだった。
それが変わったのは、この『世界』に『落ちた』から。
気がついたら知らない場所だった。
あちこちさまよった。どこに行けばいいのか、そもそも行くべきところがあるのか、なにもわからず、たださまよった。
何日経ったのかわからない。
腹が減って腹が減って倒れたとき、喰い物が目に入った。
必死で喰っていたら声をかけられた。
「人喰い鬼……か……?」
その声に『おれ』の意識が浮上した。
どういうわけか、俯瞰でそのときの様子が『視えた』。
ボサボサのライオンみたいな赤い髪の子供が人間の死体を喰っていた。
野党の襲撃を受けて滅びた村だと、何故かわかった。殺されて放置されたままだった死体を喰っているとわかった。
ああ。『おれ』は今、この子供になっているのか。
何故か理解した。
赤い髪で口元を真っ赤に染めた子供が動きを止め声の方を向いた。
その拍子にまた意識が切り替わった。
子供の『意識』に『入った』とわかった。
視線の先には坊主がいた。
小汚い、痩せた坊主。
三十代にも四十代にも見えるが、もしかしたらもっと若いのかもしれない。
手にした錫杖をこちらに突き出し警戒し恐怖に震えていたが、何故か突然警戒を解いた。
「――おいで」
差し出された手の意味がわからなくて。その目も表情もこれまでに見たことのないもので意味がわからなくて。
それでも『こわいものではない』と何故かわかって。
よくわからないけれど、近寄ってみた。
じっと様子をうかがっていると、その坊主はにっこりと微笑んだ。
手を上げてきたから殴られるのかと警戒したら、その手をそのままおれの頭にのせ、よしよしと撫でた。
そんなことされたことがなくて、やっぱり意味がわからなくて、でもイヤではなくて、むしろ気持ちよくてうれしくて。
よくわからないが、その坊主についていくことにした。
坊主は自分のことを『お師さん』と呼ばせた。
川で身を清めてくれた。髪を、身なりを整えてくれた。少ないけれど食事をくれた。言葉を教えてくれた。生きていく上で必要な知識と技術を教えてくれた。いつでもやさしい目で見つめてくれた。やさしく撫でてくれた。
ああ。『おれ』はこの手を知っている。
父さんの、おじちゃんの、じいちゃんの大きな手。
いつも『おれ』を愛してくれた。
こうやって撫でてくれた。
大好きな、『おれ』の家族。
懐かしい記憶とお師さんのぬくもりが重なる。うれしい。もっとお師さんの役に立ちたい。もっとお師さんを喜ばせたい。
お師さんは貧しい村や戦場を回り、亡くなった人の冥福を祈った。困っているひとのために知識を授けたり祈ったりした。
いつも『誰かのため』に働いていた。
何年も何年もおれ達はふたりであちこちを回っていた。
『世界』はおれとお師さんが中心で、おれはお師さんさえいればそれだけで満足だった。
お師さんがおれの『家族』。
お師さんがおれの『父親』。
言葉にしたことはなかったけれど、そう思っていた。
そんなお師さんが、ある日、起き上がれなくなった。
それまでも具合が悪そうにしていたけれど、おれはどうしたらいいのかわからなかった。お師さんが「大丈夫だよ」「大したことないよ」と言うのを不安を覚えながらも信じるしかできなかった。
偶然お師さんの知り合いの坊主と行き合って面倒を見てもらえることになった。
その坊主の指示で薬草を採りに行ったり川に水を汲みに行ったりした。
でも看病の甲斐もなくお師さんはどんどん弱っていった。
「茉嘉羅」
「私の息子」
細くなった腕を持ち上げ、お師さんがいつものように頭を撫でてくれる。
「君のおかげで私は救われた」
「ありがとう」
そんなお別れみたいなこと言わないで。
礼を言うのはおれのほうだ。
いっぱい教えてくれた。
いっぱい撫でてくれた。
いっぱい愛してくれた。
お師さんがおれの『世界』のすべて。
お師さんがいないなら、おれは生きていけない。
「私のお師匠さまのところに行きなさい」
「これからは、君が私の代わりに人々を救っておくれ」
お師さんがそう『願う』なら。
おれはお師さんの『願い』を叶えなければならない。
だっておれはお師さんの弟子だから。
お師さんの息子だから。
たくさんのものをお師さんからもらったから。
そうして面倒を見てくれていた坊主と一緒にお師さんを送った。
坊主はそのままおれをお師さんのお師匠さまのところに連れて行ってくれた。
お師さんのお師匠さまは病床に伏していた。
それでも穏やかに微笑むひとで、枯木みたいな手でおれの頭を撫でてくれた。
お師さんみたいだと思った。
お師匠さまの世話係としておれと同い年くらいの男がふたりついていた。
そのふたりも得体の知れないおれをあっさりと受け入れてくれた。
この『世界』には『善い人間』しかいないのかなと思った。
でも、違った。
穏やかな坊の外では理不尽な迫害を受けた。
謂われのない暴力をたくさん受けた。
反撃しようとしたら仲間に止められた。「お師匠さまに迷惑になる」「お師匠さまのためにこらえろ」
なんで我慢しないといけない。
なんで善い人間が非道い目に遭って、しかもそれを我慢しないといけない。
『間違ってる』
そう、思った。
それでも我慢していた。お師匠さまのため。仲間のため。
ふたりがおれよりも非道い目に遭っていると知ったときにはそいつらを殺そうと思った。
飛びかかる寸前でその当人に止められた。
「そんなことしちゃいけない」「おれは平気だから」
そんなわけないじゃないか。そんなに痛そうにして。そんなに苦しそうにして。なのになんで笑うんだよ。
「あいつらも可哀想なんだよ」そんなの関係ない。お前達を傷つけるやつは悪人だ。
あいつらはお師さんも馬鹿にする。
『一人でも救いたい』と行脚していたお師さんを「落伍者」と笑う。自分達は何ひとつ『誰かのため』に行動せず、贅沢をして他人をしいたげているだけのくせに。
その日口にするものすらなく死んでいく者がいることなど知らないのだろう。一部の権力者のせいで苦しんでいる者がいることなど知らないのだろう。
たくさんの犠牲のもとに自分達の生活が在ることも知らず、考えることすらなく、贅沢に飲み食いし、肥え、労働を知らぬ手で下の者を虐げる。
こんな世の中、間違ってる。
善人が苦しんで悪人がいい思いをするなんて、間違ってる。
そんなふうに不満をためこんでいたある夜。
普段は誰も使わない房のひとつにひとの気配があることに気がついた。
なんとなく気になってそっとのぞいてみた。
薄暗い中、数人がボソボソと話をしていた。
その中の一番偉そうな男が嗤った。
「――歴史を紐解けば、現代の王とは簒奪者の子孫にすぎぬ。
争って勝ち残った者が王となるならば、私が王となってもおかしくはあるまい」
その声に、昏い笑みに惹きつけられる。
チカラがあれば王になれる?
王とはなんだ?
寺に来てから教えられたあれこれが浮かぶ。
王とは最高権力者。
王になれば、この世の中を変えられる?
善人が苦しむことのない世の中に、できる?
その夜、おれのナカにひとつの種が宿った。
春がきて夏がきて秋が来て冬が来た。
お師匠さまは春を迎えられなかった。
お師匠さまを看取り、悲しむ間もなくおれ達は行動を開始した。
「おれ達は捨て子なんだ」
「お師匠さまに育てられた恩があったからここにいただけ」
「最後までお世話させていただけた」
「もうここにいる必要はない」
元々「いつかはここを出て行こう」と話していたという。おれを連れてきてくれた坊主を頼って行こうと決めていたと。
「我も連れて行って」と頼んだら「当たり前だろ」と受け入れてくれた。
房を片付けてふたりは本坊へ報告に行き、おれは世話になった近隣の数軒に挨拶に行った。
お師匠さまが亡くなったこと。自分達は旅立つこと。これまで世話になった礼を述べ、帰路についた。
房につながる道に、ふたりは倒れていた。
血の海の中、虚ろな目をして。
意味がわからなかった。
呼びかけてもピクリともしない。
―――なんで?
なんで?
なにがあった?
どうして、こんなことに。
ゾワリ。
ナニカが身体から滲み出る。
ひとりの手を取ると、最後の様子が流れてきた。
房を出ると挨拶しているのを聞いたといういつもちょっかいをかけてくる連中が待ち伏せていた。
いつものことだろうと無視して通り過ぎようとしたら囲まれて、これまでにないくらいに殴られた。
殴られて殴られて、囲まれているから逃げられなくて。
ポロリと水滴が落ちた。
痛かったな。こわかったな。
なんでおれが一緒じゃなかったんだろう。
おれが一緒だったらあんなやつら返り討ちにしてやったのに。
ふ、と気配を感じて顔を上げた。
霊魂になったふたりが困ったように笑っていた。
《気にすんなよ》《先に逝くな》
いつものように、気持ちのいい笑顔で、手を振ってふたりは消えた。
―――なんで。
なんでこんなことか許されている。
なんで善人がこんな目に遭わないといけない。
誰がこんな世にした
何故こんな理不尽がまかりとおっている
正すにはどうすればいい
善人が幸せに生きられるにはどうすればいい
ボロボロと涙が落ちた。
ふたりの亡骸をそのままにしておけない。
ここは山に近いから、このままにしておいたら獣に喰われる。
獣に喰われるくらいなら。
泣きながらふたりの亡骸を喰った。
久しぶりにヒトを喰った。
骨の一片も残さなかった。
ふたりのぜんぶをおれの血肉に変えた。
喰いながら、思い出した。
あの夜。あの男が言っていた。
『チカラがあれば王になれる』
王に。
何も悪いことをしていないのに理不尽に殺されたふたり。
ジメジメした暗い洞穴の中で息をひきとったお師さん。
村々で見た、積み上げられていく亡骸。
そんな世界を知らず、贅沢に生を楽しむ貴族や僧侶達。
善人が幸せに生きられる世を。
善人が認められる世を。
そのために、チカラがほしい。
そのために、王になりたい。
チカラを得て、王になる。
今の王を排除して、我こそが王に。
あの夜宿った種が芽吹いた。
チカラを得る方法は知っている。
強いチカラを持つモノを喰らえばいい。
昔『兵器』だったときにやっていたように。
すぐにふたりを殺した連中を殺した。
そいつらをエサに強いヤツを呼び寄せた。
獣。妖魔。そんなやつらを倒し、喰らう。
お師匠さまをないがしろにした人間も、お師さんを馬鹿にした人間も殺した。そいつらもエサにして強いヤツを呼び寄せた。
喰らえば喰らうほどこの身にチカラが貯まっていく。
もっと、もっと強く。
我が王になるために。
次から次へと人を、獣を、妖を、チカラあるモノを襲い喰らう。
己も『ヒトならざるモノ』へとなっていく。
それでもかまわない。
お師さんを、善人を虐げる世を正すため。
我が王になるため。
もっと、もっと。
もっともっともっと。
そのうち、強い人間か出向いてくるようになった。
何やら言いながら向ってくるので喰らう。
また強くなる。
「――おのれ、『禍』め……ッ!」
ひとりがそんなことを言った。
『禍』。
ああ、そうか。
我はにごって『禍』になったのか。
それでもかまわない。
我がにごることで善人がしあわせになるのならば。
王になり、この理不尽な世を正せるならば。
炎をまとい、炎を操り、人を、獣を、妖を、チカラあるモノを襲い喰らう。
喰らう価値のない『ヒトならざるモノ』がおこぼれを狙ってか付き従うようになった。
そうしてまた強いモノがやって来る。向かって来るモノを倒し喰らう。また強くなる。
そんな日々を何年も、何年も重ねていった。
やがて機は満ちた。
数多の『ヒトならざるモノ』を従え、王を倒すべく都へ行く。
あれからどのくらい時間が経ったのか、都は場所を変え新しくなっていた。
それでも王を目指し進んでいたが、数人の人間に止められた。
何故我を止める?!
世を正さねばならぬのが何故わからぬ?!
戦いになり、殺された。
首を落とされ、落ちていく視界に昔のことを思いだした。
『兵器』だった日々。
お師さんとの日々。
寺に行ってからの日々。
お師さんのおかげで我は救われた。『しあわせ』を知った。『愛される』ことを知った。
『兵器』だった。ただの『道具』だった。使い捨てられるしかないはずの汚い子供だった。
そんな我を大切だと言ってくれるお師さん。
そのお師さんを、あいつらは馬鹿にする。
そんな世の中は間違っている。
お師匠さまは穏やかないいひとだった。
あのふたりは我を受け入れてくれた気持ちのいい人間だった。
そのお師匠さまを、あいつらは馬鹿にする。
そんなふたりを、あいつらは虐げる。
何故善人が虐げられなければならない?
何故正そうとした我が殺される?
憎い。憎い。
この世の中が憎い。
うらめしい。うらめしい。
善人を虐げる僧侶が。贅沢をむさぼる貴族が。
憎い。うらめしい。憎い。憎い。
ゴウッと炎が巻き上がる。
黒い炎に包まれる。
黒い炎は自分を中心に渦を巻き、ゴウゴウと鳴りながら集束していく。
この炎を使えば都を滅ぼせる。
王も殺せる。
都を滅ぼし、王を殺せば、我が王になれる。
善人がしあわせに生きられる世を
善人が認められる世を
そのために、チカラがほしい
そのために、王になりたい
チカラを得て、王になる
今の王を排除して、我こそが王に
いざ炎を展開しようとしたその時。
リン
鈴のような音がして、身体中から魔力が失われた。
晃が叶多に視せることで、叶多が『彼』になって追体験した『記憶』でした。
次回は8/29投稿予定です。




