第三十三話 日曜日ータカさんの話 1
コーヒーを淹れて戻ると、タカさんは機材を黒陽のアイテムボックスに収めてもらっているところだった。
「お。サンキュー」
タカさんと黒陽それぞれの前にコーヒーを置く。
俺もローテーブルに自分のマグを置き、入口近くの場所に座る。
さっきの攻防について聞きたい。けれど、聞いていいことなのかわからない。
だから曖昧に別のことを聞いた。
「『俺の時間がいる』って言ってた件は、今ので終わり? それともまだなにかある?」
「あるある」
軽ーくそう言い、タカさんはコーヒーをすすった。
コトンとマグを机に置くと、真面目な顔で言った。
「『バーチャルキョート』のバイトのこと教えてくれ。
どんなデータを集めてて、どんな処理をしてるのか」
「……守秘義務に引っかかるんだけど……」
「知ってるよ。だから、ちょーっとだけ! な?」
ためらう俺に、いつものおちゃらけた表情でへらっと言ってくる。
チラリと黒陽を伺うと、こちらは真剣な表情。
じっと俺を見つめて『頼む』と訴えてくる。
……………ぐぬぅ。
悩みに悩む。
本当なら犯罪だ。契約違反だ。情報漏洩だ。やってはいけないことだ。
でも。
俺がたとえば情報を得るために『デジタルプラネット』に潜入して捜査したら?
そこで得た情報を俺はどうする?
ハルや黒陽に報告する。
それは情報漏洩にならないのか? 契約違反にならないのか?
……………うーん。うぅーん。
悩んで悩んで、チラリと視線をさまよわせる。
ベッドに横たわる愛しいひとの姿が目に入った。
彼女を助けたい。
彼女の助けになりたい。
彼女のためになることならば、どんなことでもしたい。
なら。
立ち上がり、モニタを並べている机の引き出しから茶封筒を出す。
黙ってローテーブルの上に書類を広げていく。
「『デジタルプラネット』から最初に来た概要」
タカさんは黙ってそれを見つめていた。
どんなデータが必要か。機材の説明。アップロードの手順。その他細かいところまで指示か書かれている。
「これがデータ集める機材」
この機材は『デジタルプラネット』から送られてきたもの。
仕事が終わるまで貸与されている。
「走り回ってデータ集めて、処理してアップして、終わり」
パソコンで処理するシステムを開いてログを表示させると、タカさんは興味深そうにパソコン前の椅子に座ってチェックを始めた。
タカタカとキーを叩く音だけが響く。
時折質問を交えながらタカさんは情報を確認していった。
「これ、走るルートは先方指定?」
「そう」
「ふーん……」
何か考えながらルートを確認していく。
「トモの走った分はこれで? 他の人間が集めたデータはデータベースかな?」
「おそらくは」
「今の仕事が反映されるのは、七月のバージョンアップ?」
「そう聞いてる」
「まだ走る?」
「いや。俺の請け負った仕事は昨日アップした分で一応終わった」
「ふーん……」
タカさんはキーボードから手を離し、ギッと椅子の背もたれに身体を預けた。
腕を組んで目を閉じ、顔を天井に向けて何か考えているように見えた。
やがて頭を戻したタカさんは、俺のこれまでの全ての走行ルートをマップに表示させた。
そこから、マップを消して走行ルートだけの画像にする。
「―――!」
それに、黒陽が反応した。
「……いや、まさか……偶然か……?」
ブツブツ言いながら画面に釘付けになっている。
「……他の人間もデータ集めてるって言ってたな」
タカさんの言葉に「うん」と答える。
「俺みたいに、データ集めて処理してアップする人間と、データ集めるだけでデータは本社に持っていく人間がいる」
「それ、全員同じ機材で集めるよな?」
「だと思う。
同じ機材の同じシステムでないと処理が面倒だろうから」
「………そっか………」
タカさんは腕を組み、片手で口元を覆いモニタを見つめたまま、再び考えこんでいた。
「タカ」
黒陽が声をかける。
「その『他の人間の集めたルート』を出すことは、できるか?」
「……やってみます。――が、帰ってからですね。持ってきたルーターが死んだので。
トモのパソコン使って壊したらトモが困りますから」
タカさんの説明に「フム」と黒陽も納得した。
「……どういうこと?」
二人に向けて問いかけると、タカさんはごまかすように笑った。
だが情報管理能力ポンコツの阿呆亀はペロッとしゃべった。
「この走ったルートが何かの陣の一部なのではないかと思っている」
「―――」
そんな。まさか。
そう言いかけて、口を閉じた。
笑顔を貼り付けたようなタカさんの表情に、タカさんも同じ可能性に至っているとわかった。
「――二度目に滅びた国が、そうだった。
灌漑のために巡らせた水路が陣になっていて、発動した途端、陣の中にいた人間すべて『贄』にされた。
――それで、国が滅びた」
その頃は航空写真もドローンもなかった。
部分部分に分けられた図面を元に水路を作っていった。
十数年がかりで水路を巡らせ、農産物の収量も上がっていった。
順調に収穫を得るために、国が豊かになるために。
そう信じて作った水路だった。
誰一人、そんな術のための陣だと、気付かなかった。
黒陽も、竹さんも、他の姫や守り役も。
「この機械には特におかしな気配は感じない。
昨日お前が走ったのについていった時もなにも感じなかった。
だが、どうもイヤな感じがする。
この京都の街全体を使って、ナニカをたくらんでいる気がしてならない」
真剣な表情の黒陽。
タカさんもめずらしく真面目な顔でつぶやいた。
「呪術的なことはオレにはわからないけど。
なんかおかしいカンジはするよ」
「――たとえば?」
「なんか無駄なことさせてるところ」
そう指摘されても意味がわからない。
視線でどういうことかたずねると、タカさんはへの字口で答えた。
「こんな街並みデータなんて、何のために必要とするのか?
『リアリティを追求する』という考えはわかるよ。それがこの『バーチャルキョート』のウリのひとつでもあるわけだし。
でも、それだけこだわるなら、定期的に――それこそ毎年でも、今回のようなアップデートをしないといけないわけだろ?」
それって、労力的にもコスト的にも無駄だと思うんだよ。
金をかけて手間をかけてこんな郊外の住宅街まで作り込む意味がわからない。必要性を感じない」
確かにそれは俺も思った。
この街並みデータを集めるだけでもかなりのバイトが動員されていると聞いている。
そのバイト料だってかなりのものだろう。
俺はデータ処理までするからそれなりの金額もらっている。
でもデータ集めるだけのバイトも良い値段だと聞いた気がする。
採算取れる自信があるからそこまでこだわっている? それともナニカ別の目的がある?
「それにこの走行ルート」
タカさんが俺の走ったルートを表示させる。
「これ、こっちをこー行ったほうが効率いいよな?
なんかわざとめんどくさいルート走らせてる気がする」
「……それは俺も思った……」
それに俺が気がついたのは偶然。
四、五回目のバイトの前に念の為走行ルート確認するのに航空写真を見ていて気がついた。
「これ、一回目のルートのついでにやれば早かったんじゃないか?」と。
指定ルートを指定どおりに走っていたらおそらく気が付かなかった。
そのくらい複雑にルート指定がしてあった。
タカさんはじっとモニタを見つめて黙ってしまった。
が、ようやく、クルリと椅子を動かして俺に向いた。
「トモに話持ってきたのって、誰だっけ?」
「サナさん」
タカさんの昔の仲間の名を出すと「そっか」とちいさくうなずいた。
「『ホワイトナイツ』から他にも誰か行ってるかどうか、聞いてるか?」
『ホワイトナイツ』は俺が所属するホワイトハッカーの会社の名前。
その創設者であり代表のサナさんがタカさんの昔の仲間。
なんでもカナダ留学時代に知り合ったらしい。
サナさんがホワイトハッカーの会社を立ち上げるときにタカさんも協力したと聞いている。
「俺と同じ、走り回ってデータ処理までする外部SEが数人。社内に入ってるのが数人いるって聞いてる」
そこでふと、思い出した。
「そういえば社内に入った人について問い合わせてたんだった」
タカさんに断りを入れてメールソフトを起動する。
会社からの返信は来ていなかった。
「ナニ問い合わせてたんだ?」
問われたので正直に答えた。
この依頼が始まったのは昨年末。
それから約四か月が経ったが、社内に入った人間が『出てきた』という話を聞いていないこと。
俺達外部SEにもまだ依頼が来ているわけだから、単に仕事が終わっていない――契約が続行されているだけなのか、ブラックな環境に染め上げられて出てこられないのか、はたまた職場が気に入って出てこないのか。
ツヅキから聞いた話もした。
約十五年前に京都在住のエンジニアやプログラマーが失踪することが重なったこと。
この業種の危険性。自殺者が増えすぎてニュースにならなくなった話。
タカさんは黙って俺の話を聞いていた。
普段は見せない真剣な表情で、腕を組んでなにかを考えこんでいた。
やがてタカさんはスマホを取り出し、どこかに電話をかけた。
スピーカーにして俺と黒陽にも聞こえるようにするタカさん。
数回のコールのあと『もしもし』と低い男の声がした。
「あ。サナー? 久しぶりー。『テイク』だよ。覚えてるー?」
『覚えてるに決まってるだろ。どうした?』
それまでの真剣な表情がウソのように明るい声でタカさんが話しかける。
相手はホワイトハッカーの会社の代表。
「今『テン』のとこに来てんのー」
『テン』は俺の仕事上の名前。
『トモ』を『十 MO』にした、『10M0』が俺のコードネーム。
社内の人が呼ぶときは短く『テン』とだけ呼んでいる。
フジとツヅキは別。
三人でつるんでダベっているときにお互いのコードネームの話になり、勢いで由来になった名前の一部を明かした。
フジもコードネームは『24X8』だし、ツヅキは『22KK』だ。
それぞれ『エイト』『ニック』と呼ばれている。
三人だけの回線のときは『フジ』『ツヅキ』と呼ぶし『トモ』と呼ばれるけれど、仕事のときや他の人もいる回線のときはちゃんとコードネームのほうでお互いに呼び合う。
そのくらいの切り替えはお互いにできる。
タカさんも俺のことを会社の人に話すときは必ず『テン』と呼ぶ。
俺もタカさんのことを『テイクさん』と呼んでいる。
「聞いたよー。『バーチャルキョート』の仕事、サナが紹介したんだって?」
タカさんの軽い言葉に、サナさんは電話の向こうで苦笑している。
『テンならできると思ったからな』
「お。テン、信頼されてるのな」
そう言って「ニヒヒッ」と笑う。
「ウチの会社も今『バーチャルキョート』に参入しようかと思って、色々調べてんだよー。
ちょっと話聞きたいんだけど、時間ある?」
了承を受けてタカさんは次々に質問していった。
「システムの信頼性は?」「ハッカー対策どう思う?」「『ホワイトナイツ』は契約してんの?」「『デジタルプラネット』の人間と会ったことある?」「社長に会ったことある?」
電話の向こうの代表は簡潔に答えていった。『あのシステムはすごいよな』『ハッカー対策も半端ないぞ』『「ホワイトナイツ」は契約してない。ウチが出る幕なんかないくらいすごい防御力だぞ』『ウチに話を持ってきた人間が元々ウチでバイトしてたヤツ。だからそいつは知ってるけど、社長は会ったことない』
『なんだテイク。えらく細かく聞いてくるな?』
代表のからかいまじりの言葉にタカさんは「当然だろ?」と答える。
「大事な女神の仕事に関することだからな。慎重に慎重を重ねて、ありとあらゆる情報を多方向から入手して精査して検討してから決めないと!」
『……お前の「女神至上主義」も相変わらずだな……』
代表は苦笑しながらも納得したようだった。
「でも、そっか。お前がそこまで言うなら『バーチャルキョート』に参入しても大丈夫そうだな」
『おいおい。俺の意見だけで決めるなよ』と言いながらも代表もうれしそうだ。
「テン以外にも『ホワイトナイツ』から出向させてんだって? そんなに人数割いて、そっち、大丈夫か?」
その質問に代表は『うーん』とうなった。
「どした? 忙しいのか?」
『……忙しいのはまあいつものことだけどな……』
「? なに?」
代表はしばらく無言だったが『……これも「縁」か……』とボソリと言葉を落とした。
『実はな』
「うん」
『「デジタルプラネット」社内に出向した四人のうち三人と連絡がとれない』
――どういうことだ?
ジワリと嫌なカンジが忍びよる。
タカさんは眉を寄せた。
チラリと黒陽を見たら、黒陽も驚愕を浮かべて俺を見つめてきた。
「――なんだー? カンヅメになってんの?」
ハハハッと軽い感じに答えたタカさんだったが、顔がこわばっている。
『それなんだけどな』
電話の向こうで代表がため息を落とした。
『「ホワイトナイツ」がモットーにしてるのが「技術者の健康を守る」なのは知ってるだろ?』
「うん」
デジタル業界にめずらしく、『ホワイトナイツ』という会社は社員に対する扱いがとてもいい。
基本的に正社員は八時間勤務。残業なし。
二十四時間見張り続けなければならないホワイトハッカー業の勤務内容を検討し、無理や無茶のないようなシステムを構築した。
勉強会の開催。バイトの導入。短時間勤務の導入。充実の福利厚生。
金はかかっても数で対応することにし、ひとりの負担が少なくなるようにした。
「ちゃんと飯を食ってちゃんと横になって寝るように!」代表はいつも誰にでも口を酸っぱくして言っている。
だから『ホワイトナイツ』からスタッフを出向させるときも労働時間についてを特に注意したし、スタッフにもよくよく言い聞かせた。
勤務報告もさせたし、ちゃんと寝るように連絡を取り合っていた。
『十二月から三か月の契約で出向したんだ』
つまり、先月の十五日で契約は満了した。
先方からの申し出があり、四人のうち一人は契約続行を申請し、もう三か月契約した。
だから今でも『デジタルプラネット』本社にいる。
が。
残りの三人は契約満了とし、『デジタルプラネット』を出たという。
『「別口で仕事依頼された」と話していて、たから「デジタルプラネット」の契約更新はしないし、「ホワイトナイツ」もしばらく休むと連絡があったんだ』
代表も『そうか』と受理した。
フリーのエンジニアの多い『ホワイトナイツ』だから、たまにそんなこともある。
仕事には波があるものだから、忙しい時とヒマな時がある。
忙しいところに人手を送って、少しでもエンジニアが楽になれば。
そんな気持ちで代表はいつも人を送り出している。
『で、今回テンから「出向した人間はどうした」って連絡もらったって報告受けて、そういえば元気にしてるかなーって連絡してみたんだが――』
「――連絡がとれない?」
『そう』
タカさんは渋い顔をしている。
眉間にシワをよせて、なにか考えている。
不安がジワジワと広がるような不穏な雰囲気に、俺も知らず拳を握っていた。
『三月の末かな?
ひとりには連絡したらしいんだよ。
こっちの税務処理に不備があって、事務方が連絡をした。
そのときは「三人一緒にいる」って言ってたし「メシもちゃんと食ってる」って話してたらしい。
だが昨日から何度連絡しても、どの手段でも、返事がない』
俺が問い合わせのメールを送ったのが金曜日の夜――もう日付替わってたかな? だったから、朝気が付いてすぐに代表は動いたようだ。
「……京都にいるのか?」
『それもはっきりしない』
代表はしばらくだまりこみ、ボソリと言った。
『まるで二十三年前のジェイの時のようで――落ち着かないんだ』