第百八十四話 『オズ』
「――『管理者』とその『言語』を『認証』しました。
ここからは『日本語』で対応します」
男のその言葉に、ヒロがドッと膝から崩れ落ちた!
「ヒロ!」
両手両膝をつき肩で息をするヒロにナツが駆け寄る。
ホッとしたように「はあぁぁぁ…」と息を吐き、ヒロはちいさくつぶやいた。
「………やった………」
汗だくで心底ホッとした顔つきでヒロがほにゃりと笑う。どれほどのプレッシャーと戦っていたのか示すようにヒロはぐったりとした。
ナツからペットボトルを受け取ったヒロはそれを一気に飲み干した。おかわりを渡され口をつける。
「竹。もう結界いいわよ」
西の姫がそう言ってきたが、俺の愛しい妻は目を閉じて必死に笛を吹いているから気付かない。
『紫吹』を納め、空いた手でトントンと軽く彼女の背を叩いて目を開けてもらう。
『なに?』と言いたげな目を向けてきた妻に「もう結界いいって」と伝えると驚いたように目を丸くした。
かわいい様子に勝手に笑みがこぼれる。
指で西の姫を示すと愛しい妻はそちらに目を向けた。
「もういい。ありがと」
再度西の姫が言うと、ようやく納得したらしい妻。
チラリと俺の肩の守り役に目を向けた。
言いたいことを察した黒陽がひとつうなずく。
「先程と同じく、保存状態でとどめておきましょう」
その指示に妻はちいさくうなずき、メロディを変えた。
ヒイィィィ……。
音が静かに消えていった。
男を取り囲む結界陣はそのままの位置で動きを止めた。
そっと笛をおろした妻は「はあぁぁぁ…」と大きく息をついた。
そのまま俺の首元に顔を埋める。かわいい。愛おしい。甘えてくれるのも頼りにしてくれるのもわかって誇らしい。
「おつかれさま。よくがんばったね」
そっとささやき、背中をトントンと叩いてやる。
と笛を収めた彼女が俺の首に両腕を回してきた!
ぎゅう、と俺の首にしがみつく彼女。ベッタベタに甘えてくれてる! うれしい!!
それだけ大変だったのだろう。負担がかかっていたのだろう。
それもわかって俺も彼女を抱き締めた。
「………もっと……」
「!!」
ちいさなちいさな甘えた声にテンションが一気に上がる!
「もっと、ぎゅう、して……?」
―――くっそぉぉぉぉ!! かわいいぃぃぃぃ!!
なんだこのひと! 俺の忍耐力試してんのかよ!?
これまでそんなに甘えてくれたことなかっただろう!? 望むところだ! いくらでも抱き締めてやる!! 『やめろ』と言われても聞いてやらない!!
あまりの愛らしさに暴走しそうになるがかろうじて自分を抑え、彼女をぎゅうっと抱き締めた。
「よくがんばったね」
「無事でよかった」
ささやく俺の首に顔を埋めたまま「うん」と返事をする愛しい妻。
もう、かわいすぎるんだが。このまま連れ去ってしまいたいんだが。
「霊力流せ阿呆」
おっと。
優秀な守り役の指示はもっともだ。
抱き締めたまま彼女に俺の霊力を流す。
互いを癒やす『半身』の効果で、注がれる俺の霊力は彼女を癒やす。
ホッとした彼女からこわばりがが抜けたのがわかった。
とりあえず想定していた最悪は回避された。
彼女は『災禍』を封じることを己の責務と定めていた。
その責務を果たすためならば魂を削ってでも生命を落としてでも『災禍』を封じようとする。
これまで何度もそうやって生命を落としてきた。
今回もそうなる可能性が高かった。
だから俺は『逃げだしたい』と思った。でもそれができないこともわかっていて、そのために苦しんだ。
だからせめて彼女の助けになるようにと、彼女が結界を展開する間は抱き上げて霊力を流し続けていた。
晃が『災禍』の『真名』を調べ、西の姫がそれを告げたこと。
ヒロが延々と続けていた詠唱。
それらが『災禍』から抵抗を奪い、妻への負担が減った。
そのおかげで俺の愛しい妻は生命を落とすことなく責務を果たすことができたらしい。
「よかった」
「無事で」
落ち着いて考えるにつれジワジワと喜びが込み上げてきた。
彼女は無事。よかった。生きてる。あたたかい。息をしている。生きてる。生きてる!
ぎゅうぎゅうに抱き締める。
彼女も感極まったように強く強く抱きついてくれる。
ああもう。キスしたい。抱き合いたい。この喜びを分け合いたい。喜び合いたい!
「よかった」
「うん」
抱き合い、霊力を循環させる。
ふたりがひとつになる感覚。俺達はひとつだった。今またひとつになってる。生きてる。愛してる。よかった。もう離さない。
思考が支離滅裂に乱れる。それでも喜びがあとからあとから湧いて出る。彼女の『水』が俺に流れ込む。身体の内側から清めてくれる。満たしてくれる。愛してる。愛してる! 愛してる!!
「オイ」
低い声に反射的に背筋が伸びる。ついでに思考も冷水を浴びせられたかのように落ち着いた。
「まだ『終わり』じゃない。油断するな」
そのとおりだ。改めて気を引き締める。
抱き締めていた愛しい妻も守り役の言葉にようやく顔を上げた。
互いに腕をゆるめ、見つめ合う。
見つめる彼女の目も頬も涙に濡れていた。俺にしがみついて泣いていたらしい。かわいい。かわいすぎる。キスしたい。いや駄目だ人前だ。決戦中だ。
邪念をどうにか抑えつけ、そっと彼女をおろす。
「ちょっと待っててね」と一言告げ、アイテムボックスから濡れタオルを取り出す。
彼女の顔にあて、汗を、涙を拭いてやる。
彼女は大人しく俺にされるがままになっている。かわいい。
タオルをはずすと「ぷはっ」と息を付くかわいいひと。
「ありがとう」輝く笑顔で言われ、またしても胸を貫かれた。
俺の妻、天使。女神。
欲望のままに抱き締めようとしたら「ヒロさんにも」とタオルに手を置き彼女が言う。
「そうだね」とうなずくとうれしそうに微笑む彼女。クソかわいい。
彼女に使ったタオルをアイテムボックスに戻し、代わりに新しい濡れタオルを出す。
「ナツ」ヒロに水を飲ませていたナツを呼ぶとすぐに受け取りに来てくれた。
そのままヒロに濡れタオルを手渡すナツ。
ヒロはペットボトルの水を頭からかぶり、タオルでゴシゴシと顔をこすった。
その様子に、ようやく彼女に水を飲ませることを思い出した。
「竹さん」とペットボトルを取り出し、キャップを開けて手渡す。
「ありがとう」ほにゃりと笑う妻。かわいい。かわいすぎる。
コクコク飲むのも愛おしい。俺の妻、マジ女神。
ニマニマと愛しい妻を見守っていると「もういい?」と声がかかった。
目を向けると西の姫がうんざりというのを隠しもしない顔でこちらを見ていた。
西の姫は俺に呼びかけたのだろうが、生真面目な妻は自分が声をかけられたと思ったらしい。
「はい」「もう大丈夫です」と生真面目に答えた。かわいい。
愛しい妻を愛でていたら西の姫がため息をついた。
「……いいわ」と諦めたように吐き捨て、若い男――『災禍』に向き直った。
「『管理者』として色々聞きたいことがある。
私の質問に答えなさい」
「了解しました」
驚くほど素直に『災禍』は承諾した。
隣で立つ妻の手がちいさく震えていることに気付いた。
そっとその右手を取り、ぎゅっと握る。
驚き俺を見上げる妻に「大丈夫だよ」とそっとささやくと、愛しい妻は一瞬泣きそうに口を引き結んだ。
が、すぐにほにゃりと表情をゆるめ、うなずいた。
「……ありがと」
ちいさくちいさくささやき、そっと俺に身体を寄せる!
頼られてる! 甘えられてる! ああもう! 嬉しい!!
「オイ」
ドスの効いた声に背筋が伸びる。イカンイカン。妻が愛おしすぎて暴走するところだった。
「油断するなと言っただろうが」
スミマセン。気を付けます。
「そんな調子ではイザというときに姫を守れないぞ?」
! 確かに!
そうだ。まだ決着はついていない。まだ何が起こるかわからない。
油断せず、全体に注意を払い、何が起こっても妻を守れるようしっかりとしなければ!
ぎゅ、とつないだ妻の手を握り、改めて周囲を警戒する。『紫吹』を出しておいたほうがいいかな?
「まだいいだろう」
「いつでも出せるよう心づもりはしておけ」
了解です。
『頼むな』と『紫吹』に思念を送ると『まかせろ』張り切っているのが伝わってきた。
ふと保志に目をやると、南の姫の横で簀巻きにされていた。ご丁寧に猿ぐつわもかまされている。
「ムー! ムー!」とジタバタするジジイ。どうやら俺が妻の面倒をみている間に南の姫が縛り上げたらしい。それで静かだったのか。
「『災禍』の話を聞くのに邪魔されては面倒だからな」
俺の思念を読んだらしい優秀な守り役がそっと教えてくれる。
「『宿主』は後回し。先に『災禍』の話を聞く。
話を聞いて、どうするかはまたそのときだ」
黒陽の俺への説明を自分への説明だと思ったらしい妻が生真面目にうなずいた。