第三十話 日曜日ー家事をしよう
タカさんが料理を請け負ってくれたので俺は掃除をする。そのタカさんの指示で竹さんと黒陽もついてきた。
「何をするんだ?」
「ハタキかけて、掃除機かけて、拭き掃除」
「ほう」
掃除道具を置いている物置から道具を取り出して「奥の部屋からいきます」と案内しようとした。
すると、それまでずっと黙っていた竹さんが「トモさん」と呼び掛けてきた。
おずおずと、恥ずかしそうな、申し訳なさそうな態度に『またなんか余計な事考えてる』とわかった。
が、あえて知らん顔して「なんですか?」と問いかけると、彼女は視線をあっちに向け、こっちに向け、迷うような仕草をする。
そしてうなだれたまま、意を決したようにそろえた両手をぎゅっと握った。
「あの……、連日押しかけてしまって、すみません……。
お忙しいのに、ご迷惑をおかけしてしまって……ごめんなさい……」
「……………」
……え? それだけ?
それ、気にすることか?
考えてすらいなかった謝罪に、ぽかんと固まってしまった。
そんな俺を竹さんはおそるおそるというように見上げた。
上目づかい! かわいい!
狙ってやってんのか!? あざといのか!? 天然か!? このひとなら天然だ!
俺の反応をうかがう様子にハッと気づいた。返事!
「――大丈夫ですよ。ちっとも迷惑じゃないです」
にっこり笑顔で言ったのに、彼女は信じていないのか俺が気を遣ってそう言っていると判断したのか、さらにしゅんとした。
ああ。そんなにかなしそうにしないでくれ!
彼女がかなしそうにするだけで胸がぎゅうっと苦しくなる。
どう言ったらわかってくれるんだ? どう説明したら笑ってくれるんだ!?
俺は竹さんに会えてうれしいのに。来てくれて、会えて、ただうれしいだけなのに!
「ホントに迷惑じゃないです!
昨日も楽しかった!
今日も会えてうれしい!
貴女に会えるだけで、俺は――」
―――。
ぽかんとする彼女の視線に、ハッと我に返った。
―――今、俺、ナニ言った?
パコン。慌てて口を手でふさいだけれど、出ていった言葉は戻らない。
黒陽が呆れた果てた目をむけてくる。
そして竹さんは――。
ふわりと、笑った。
「―――!!」
―――っっっかっ―――
かわいい!!!!
なんだソレ! そんな『うれしくてたまらない』みたいな顔されたら、俺、ますます好きになるじゃないか!
「ありがとうございます」
そう言って今度はくすぐったそうにはにかむように笑う。かわいい!
「私も昨日、すごく楽しかったです」
目を細めて心底うれしそうに笑う。
ああもう! そんな笑顔の連射しないでくれ!
しかも全部が心臓撃ち抜いてくる!
死ぬ! 死ぬから!!
「……その……。ホントに、ご迷惑でないですか?」
今度はおずおずと、俺の真意を探るように見つめてくる。
ぐはぁっ! このタイミングでそれは反則!
内心の葛藤は顔に出さない。
少しの弱気が生命に関わる退魔師稼業をする上で表情を読ませないことは必須スキルだ。
そのあたりはじーさんばーさんに厳しく仕込まれた。
そのスキルが仕事をして、なんてことないような顔に少しだけ微笑みを乗せた。
「ホントに迷惑じゃないです」
「よかった」
心底ほっとしたように微笑む。かわいい。
笑顔にこんなにバリエーションがあるとは知らなかった。どの笑顔もかわいい。
ていうか、このひと表情豊かだよな。こんなんでよく王族の姫やら貴族の姫やらやってこれたな?
そういえばちいさいうちに家を出て黒陽と二人でウロウロしてたんだったか。だから教育を受けていないのか?
でも今生は十五歳まで京都で育ったわけで、そのへんの腹芸は一般常識として身につくと思うんだが……。
上賀茂の農家の子だから必要ないのか?
このひとボンヤリだから必須技能を必須と知らないまま成長したのか?
そこでふと気が付いた。
さっきの俺の言葉には彼女への好意がダダ漏れだった。はずだ。
なのにこのひとそんなものに一切気付いていない。
ただただ言葉を額面通りに受け取り『迷惑でない』ことと『昨日楽しかった』ことしか響いていない。
……………ニブい?
チラリと彼女の肩の黒陽をうかがう。
俺は責めるような目をしていたのだろう。黒陽はそっと目をそらした。
『ボンヤリとしてニブい人間』なんて、俺の嫌いな部類だ。
戦略があってそう振る舞っている人間はともかく、なにも考えることなく、ただ無為に過ごすヤツは正直虫酸が走る。
なのにそれが彼女となると話が違う。
ボンヤリなのかわいい。俺が世話焼きまくれる!
ニブいの上等! 他の男の視線にも気付かないということだ!
構いまくって、世話焼きまくって、囲い込んで、俺に依存させて、俺がいないと生きていけなくしたい。それでずっと俺のそばにいてもらいたい。俺しか見られなくしたい。
あ。俺、ヤバいヤツかも。
ちょっとそう思ったが、でも『依存させて囲い込む』のはいい考えに思えた。
そのためにも彼女はボンヤリしていてもらわないとな。
しっかりしたひとだと俺の企みに気付いて逃げ出すかもしれないから。
「……オイ」
ビクゥッ!
黒陽の声に飛び跳ねた!
黒陽は呆れ果てているのを隠しもしない顔で俺のことをじっと見つめていた。
「さっさと掃除するぞ」
「お、おう」
そうだった。掃除。掃除しなきゃ。
黒陽は竹さんの肩から俺の肩へとぴょんと飛び移った。
「……あまり重いと姫に引かれるぞ」
ボソリと落とされた言葉は先程の俺の考えが筒抜けだったことを示している。
ガチン、と固まった俺に竹さんは気付くことはなかった。
いつもどおり一番奥の茶室から掃除する。
「こうやって」とハタキをかけていると黒陽が「風の術は使わないのか?」と聞いてきた。
詳しく聞くと、ハルの部下である離れの式神達は家事に様々な術を使っているという。
教えてもらい、やってみた。
最初は制御が大変だったが、黒陽が俺の肩から手本や指示を出してくれてなんとかできるようになった。
そよ風よりも弱い弱い風をつむじ風のように展開させ、部屋全体を循環させる。
最後に俺が手に持ったゴミ箱にゴミを集めるという術だった。
おかげでハタキかけと掃除機かけが一度で済んだ。
「もっと早く知りたかった!」と悔しがる俺に竹さんも黒陽も笑った。
拭き掃除は黒陽がしてくれた。
薄い薄い水の術を棚や床に展開させ、圧力をかけると拭き掃除したように艷やかになった。
髪の毛一本分でも制御を誤ればびしょ濡れになるに違いない。
すごい精度の術の制御に心の底から感心した。
「黒陽、すごいんだな」
「それほどでもある。もっと褒めろ」
「もう。黒陽ったら」
わざと言っているのがわかる黒陽に竹さんも一緒になって笑った。
庭掃除も風の術であっという間に終わった。
洗濯物はまだ乾いていなかったが、これも黒陽が全部乾かしてくれた。
万能家電か。一家にひとり欲しいレベルか。
なんにしても早く終わるのはありがたい。
竹さんも一緒になって洗濯物を取り込んでくれた。
「手伝わせてすみません」
「とんでもないです。私でもできることがあってうれしいです」
本心から言っているとわかる笑顔に癒やされる。素直だなあ。かわいいなあ。
「あとは洗濯物たたんでアイロンかけるだけだから。またあとやるよ」
そう言ったのに「ついでに片付けてしまえ」と黒陽がゆずらない。
おまけに竹さんまで「お手伝いします!」と張り切ってしまった。
くそう。かわいい。
「おうちによってたたみ方が違うんですよね。どうやったらいいですか?」
「タオルはこうして、こうして……そうそう。で、シャツは……」
もたもたと、それでも丁寧に俺の服をたたむ竹さん。
新婚家庭か!!
なんだこのしあわせな時間! 俺、死ぬのか!? しあわせが過ぎて死ぬのか!!
でれっとしていたら黒陽に「お前はアイロンかけをしろ」と怒られた。
「こっちは私と姫で片付けるから」
「わ、わかった」
洗濯物をたたむ彼女の横でアイロンをかける。
「トモさんはなんでもできるんですね」
心底感心したように彼女が褒めてくれるのがうれしくて誇らしい。ばーさんありがとう!
「死んだばーさんに仕込まれたんですよ。『なんでもできるようになれ』って」
「いいおばあさまだったんですね」
「ええ」
家事をしながらおしゃべりなんて! 新婚か!! ああもう、しあわせだ!
「これはどうたたみましょうか?」
彼女の呼びかけに「はい?」と答え、手元の洗濯物を見て――固まった。
彼女が手にしているもの。それは――俺の、トランクス。
――――――!!
――ぎゃあぁぁぁ!
「―――! ―――!!」
ガッと立ち上がってしまい、アイロンを倒してしまう! 危な!!
「? どうかされました?」
「い、いや、その、あの」
それ俺の下着です! とは声が出なかった。
黒陽が察してくれたらしく「姫はこっちのシャツをたたんでください。こっちは私が」とトランクスを受け持ってくれた。
「で? どうたたむ?」と聞かれたので説明しながら一枚たたむ。
彼女は何の疑問も持つことなく別の洗濯物に取り掛かっていた。
――もうちょっと恥じらいを持ってくれよ! 危機感も持ってくれよ!!
俺、男だぞ!? 貴女のことが好きな男だぞ!!
それとも俺のことなんかこれっぽっちも意識してないのだろうか?
そうかも。
記憶を封じられているから『半身』と気付いていないし。ニブいし。ボンヤリだし。
ああ。俺ばっかり彼女のこと好きなんだな。
改めて現実を突きつけられ、なんかヘコんだ。