第百七十三話 話し合い 1
妻の愛らしさに悶絶する。
愛おしい。抱き締めたい。キスしたい。
が、ヒロや梅様からのニヤニヤとしたいやらしい視線を感じる。くそう。面白がりやがって。
どうにか精神を落ち着け、親指でそっとやわらかな頬を撫でた。
「――俺こそ。ありがとう」
彼女はしあわせそうに微笑んだ。
それだけで彼女からの愛情を感じる。
彼女がどれほど『しあわせ』を感じているかわかる。
その笑顔で俺も『しあわせ』で満たされていく。
胸の中をあたたかな風が吹く。
あの船岡山の桜吹雪が舞い踊る。
しあわせ。しあわせ。大好き。
もう感謝しかない。
彼女が生きていることは、それほどに可能性の低いことだった。
神様方のチカラがなければ。西の姫の時間停止が間に合わなければ。『賢者の薬』が作れなければ。高間原に行けなければ。
ひとつでも足りなければ彼女は今生きていない。
改めて感謝が湧き出す。
神様方。ありがとうございます。
手助けしてくださって。彼女を救う方法を教えてくださって。
『紫吹』。ありがとう。チカラをかしてくれて。
胸のお守りも。ありがとう。『運』を引き寄せてくれて。守ってくれて。
『紫吹』と守護石が『どういたしまして』とでも言うようにほんのりとあたたかくなった。
そうだ。薬を作ってくれた蒼真様と梅様にも感謝を伝えなければ。
時間停止を間に合わせてくれた西の姫にも。
「竹さん。ちょっとゴメンね?」と一言断り彼女を開放する。
そうして梅様と蒼真様に向き直った。
「改めまして」
キチンと正座をし、姿勢を正す俺に隣の妻もあわてたようにピッと正座で背筋を伸ばした。
冷やかすような、呆れたような顔を向けていた梅様と蒼真様もピッと表情を引き締めた。
そんなおふたりをまっすぐに見つめ、両手をついた。
「梅様。蒼真様。
この度は妻をお救いいただき、ありがとうございました」
深々と平伏すると、隣の妻も同じように頭を下げた。
「蒼真様がいらっしゃらなければ、高間原に行くことも、薬を作っていただくこともできませんでした。
どれほど感謝してもしきれません。
本当に、本当にありがとうございました」
平伏したまま正直に感謝を伝えると「気にすんなよ」と蒼真様の声が届いた。
顔を上げると、ニヤリと笑う梅様と照れくさそうにそっぽを向いた蒼真様が目に入った。
「竹様を助けることはぼくらの責務でもある。お前がそこまで背負うことじゃない。気にすんな」
ツンと顔を上げて言う青い龍。ありがたくてまた頭を下げた。
顔を上げ、周囲を見回す。
西の姫を見つけたのでそちらに身体を向け、手をついた。
「西の姫におかれましても、妻を救うためにご助力いただき、ありがとうございました。
姫の時間停止が間に合わなければ、妻は今生きていません。
感謝の申し上げようもございません」
深々と平伏する俺の隣で妻も同じように平伏する。
そんな俺達に西の姫は「いいわよ」とあっさりと言った。
「竹は『鍵』だから。
竹を助けることは私達に必要なことよ。
アンタが気にすることじゃないわ」
「ですが」「それに」
俺の言葉を制した西の姫はニヤリと口の端を上げた。
「礼ならば、私ではなく晃に。
晃が機転を利かせて場を清め『吉野の桜』を使ってこの場を『神域』にしたからこそ、時間停止もかけられたし、神々への『声』が届いた。
大金星を上げたのは、晃よ」
西の姫の言葉を受け晃に目を向けると、当人はびっくり顔で首を振っていた。
「そんなことないです! 竹さんを助けたのは、菊様や蒼真様です!」
さらに俺の視線に気付き、晃は俺に言った。
「竹さんが助かったのは、トモががんばったからだよ!」
真剣に、真摯に訴える晃。
その言葉に、眼差しに――胸が熱くなった。
ジワリと涙がせりあがってくるのをうつむいてまばたきをすることでどうにかごまかす。
「―――また晃に助けられたな―――」
中学二年になる前の春休み。
『禍』と戦って生き残れたのは、晃のおかげだった。
晃がその特殊能力で『禍』の『真名』を知り、動きを止めた。
俺達に迫ってきた黒い炎から晃の炎で守ってくれた。
強い意思で『禍』を浄化に導いた。
晃のおかげで、俺は、俺達は生き残れた。
晃がいなかったら俺達はあのとき死んでいた。
京都も『死の都』になっていた。
俺達の家族も、友人も、みんな死んでいた。
俺達は晃に『恩』がある。
どうにか『恩返し』をしたいと晃の『願い』である『父親に会わせる』ために奮闘したのは中学三年のこと。
晃は喜んでくれたが、あの程度で『恩』を返したとはとても思えなかった。
なのに、今また、返しきれないほどの『恩』を受けた。
晃だけじゃない。
蒼真様にも返しきれないほどの『恩』がある。
薬を作り展開してくれた梅様。
ギリギリのところで時間停止をかけ、神々をその身に降ろし彼女を救う方法を教えてくれた西の姫。
おふたりにも返しきれないほどの『恩』がある。
ありがたくて涙がこぼれそう。
グッと歯を食いしばり、どうにか体裁を整える。
呼吸を整え、深々と平伏した。
「―――皆様は、俺の『恩人』です」
「今後皆様が求められることがあれば、俺にできることであれば、どのようなことでも致します。
西村 智の名にかけて、誓約します」
俺の『宣誓』に晃が息を飲んだ。
晃が口を開くより早く「私も!」と隣から声があがった。
「高間原の北、紫黒の『黒の一族』がひとり、竹。
我が名にかけて、誓約します!
皆様のために、なんでもします!」
ああもう。あれほど『なんでもする』なんて軽々しく言っちゃ駄目だと教えたのに。まったくこのひとは。
だが、仕方ない。それほどの『恩』を受けた。
彼女を救ってくれたことは、それだけの価値がある。
「――言ったわね」
ふたり並んで平伏する俺達にそう声をかけてきたのは、西の姫だった。
顔を上げると、西の姫が獲物を見つけた肉食獣のような表情で俺達を見ていた。
まっすぐに背筋を伸ばし、堂々とその視線を受け、答えた。
「はい」
俺の視線を受けた西の姫はその柳眉を少し上げた。
が、すぐにニヤリと口角を上げた。
「――その言葉、忘れんじゃないわよ」
わざとだろう。挑戦的に言ってくるから「もちろんです」と返す。
隣の妻はコクコクと生真面目な顔でうなずいている。生真面目だなあ。お人好しだなあ。
そんな俺達に西の姫はにっこりと微笑んだ。
どこか満足そうな、楽しげな笑みだった。
「じゃあ早速、ふたりには働いてもらうわよ」
西の姫がそんなふうに言うから「はい」とふたりで応える。
「『災禍』をぶっ潰すわよ」
それは俺も望むところだ。大きくうなずいた。
「全員、集まりなさい」
西の姫の声に蘭様と緋炎様、佑輝とナツも集まってきた。
「まずは現状を確認するわよ」
ギロリと全員を見回す西の姫。俺の隣の愛しい妻がピッと背筋を伸ばした。
「まずはこちらの戦力。私も白露も回復してる。梅と蒼真はどう?」
「問題ないわ」
「大丈夫でーす」
あっさりと答える梅様と蒼真様。
「黒陽は?」
「問題ございません」
「智白」
問われ、己の状態を確認する。
少し眠ったおかげか、霊力は回復している。身体も動く。どこも痛くもない。
「大丈夫です」
答える俺に西の姫がうなずく。
「竹」
声をかけられた愛しい妻は、常にない引き締まった表情でうなずいた。
「元気です」
チラリと梅様に目を向ける西の姫。
「トモも竹も問題ないわ。身体も霊力も回復してる」
その答えにようやく西の姫は納得したようにうなずいた。
「次に『災禍』についてだけど」
全員がうなずくのを見回し、西の姫が続ける。
「『災禍』はあのビルにいる」
断言する西の姫。どうやら俺達が寝ている間、特に動きはなかったようだ。
だが。
「六階の『扉』から『現実世界』に戻った可能性は?」
外からはわからなかっただけで以前確認した六階の『扉』から『現実世界』に戻った可能性は十分にあるだろう。
姫達には『災禍』の気配がわかる。
それで『ビルにいる』と断言できるのか?
俺の質問に答えたのは緋炎様だった。
「佑輝のあの一撃で六階部分はかなり損傷している。
トモが確認した『扉』のあった壁も破壊されていたから、すぐには移動できないと思うわ」
俺が竹さんの気配を頼りに五階を捜索していたとき、緋炎様は六階に侵入して『災禍』を探していたという。
結論として、六階に『災禍』はいなかった。
六階の状況を確認して緋炎様は西の姫に報告に戻った。
「社長が四階にいた」とヒロが言う。
「他にもエンジニアらしきひとが何人もいた」と。
「『災禍』もそこにいたって。晃が確認した」
精神系能力者の晃は以前竹さんが暴走したときに彼女の記憶に『当てられた』。
それで『災禍』の気配が「わかる」という。
その晃が『いた』というならば間違いないだろう。
「ビルの中とこの結界の中が同じ速さで時間が流れてると仮定しての話になるけど。
ぼくらが『災禍』を確認してから一時間半ってとこ。
今のところ、デジタルプラネット本社ビルにも、他の場所にも、大きな動きはないみたい」
この桜吹雪が舞う空間は竹さんが作った結界石とヒロの展開した『バーチャルキョート』の結界の二重の結界で成立している。
結界のなかからでも通話もメッセージのやりとりもできた。
それでヒロが『異界』に来ている安倍家の人間と連絡を取り、状況を確認したという。
現在は鬼の出現もなく落ち着いていること。
本拠地に集まったひと達も統制が取れていること。
むこうはむこうに任せて大丈夫そうだ。よかった。
ならば俺達が考えるべきは『災禍』のことだけでいい。
その『災禍』がどこにいるか、どういう状態かは、やはり「対面しないとわからない」と西の姫も守り役達も晃も言う。
愛しい妻も情けない顔でうなずく。
「だからまずは竹にビル全体を囲う結界を展開してもらいたいの。『災禍』をあのビルから逃さないように」
西の姫の説明に「わかりました」と素直に了承する妻。かわいい。
以前『災禍』を封印したときも広範囲に結界を展開してから徐々に徐々にせばめて位置を特定していったと話していた。
今回も同じようにするようだ。
納得にうなずいていたとき。
「そういえば」とヒロが口を開いた。
明日も話し合いが続きます