第百七十二話 目覚め
ようやくトモ視点に戻ります
ふ、と意識が浮上した。
俺、寝てたのか? いつの間に。
瞼を閉じたまま薄く風を展開。周囲の状況確認。
結界は生きている。変わらず桜吹雪が舞っている。
西の姫を中心になにやら話し合いの最中のようだ。ナツと佑輝が警戒に当たっている。
俺達は大きな布をかけられて姿が見えないようにされていた。
どうやら事態は動いていないらしい。そのことにホッとして緊張をゆるめる。
そのままいつもの癖で身体に霊力を循環させ、すぐに気付いた。
愛しいひとの霊力を感じる。
俺のナカに彼女の霊力が一緒に循環している。
あたたかで清らかな霊力。
俺のココロを震わせる、唯一。
そっと腕を動かすと、やわらかなぬくもりがあった。
目を開けなくてもわかる。
彼女だ。
竹さんだ。
俺の妻。俺の唯一。俺の『半身』。
寝息が触れる。鼓動を感じる。
生きてる。生きてる。そばにいてくれてる。
うれしくてしあわせでありがたくて愛おしくて、そっと抱き締めた。
やわらかい。あたたかい。愛おしい。
ようやくこの手に抱いた。俺の『半身』。愛しい妻。
もう離さない。ずっと一緒だ。
うれしくてしあわせで、ただ抱き締めた。
感じる。鼓動を。息づかいを。ぬくもりを。
五感で感じるすべてが『彼女が生きている』と教えてくれる。
そっと目を開けると、愛しいひとの寝顔があった。
穏やかに、気持ちよさそうに眠っている。
呼吸は安定している。霊力も安定しているのがわかる。
「―――生きてる―――」
それだけで充分。
生きてくれてる。それだけで『しあわせ』だ。
こわかった。
握った彼女の手から力が抜け、彼女の生命が『なくなった』と思っただけで身体の半分をゴッソリと削がれたと思った。
怖くて恐ろしくて、目の前が暗くなっていった。
あんな恐怖、もう二度と味わいたくない。
貴女を喪うなんて耐えられない。
そうだ。もう喪いたくない。喪ってたまるか!
じゃあ、どうする?
ずっとそばにいてもらうためにはどうすればいい?
ぎゅうぎゅうと彼女を抱き締めながら考えを巡らせる。
俺がずっとくっついて健康管理をする。
一緒に寝てしっかりと睡眠をとらせる。
彼女の負担になることは遠ざける。
そこまで考えて、ようやく思い出した。
そうだ!『災禍』をどうにかしなければ!
『災禍』が存在する限り彼女の責務は終わらない。
『災禍』を滅する、その責務のために危険なことを繰り返す。
そうだ。『災禍』をどうにかしなければ。
あわよくば『呪い』を解かせなければ。
『呪い』がある限り彼女は二十歳まで生きられない。あと数年しか一緒にいられない。そんなの耐えられない!
『災禍』に『呪い』を解かせる。
『災禍』を滅する。
何千年と果たせなかったこと。
だが、だからどうした! そんなこと関係ない!
俺は彼女を手放したくない。ずっと一緒にいたい。
そのためならばどんな無茶でも無謀なことでもやってみせる!
決意を新たに彼女をぎゅっと抱き締め、外から見えないことを確認してからちゅっと唇を重ねた。
そっと離れると、彼女は瞼を閉じたまましあわせそうに微笑んだ。
ズキュゥゥゥン!
ナニそのかわいい顔!
そんなに俺のこと好きなの!? 俺も大好きだ!!
ああもう! まだ好きになるとか、あるのか!?
妻の愛らしさに悶える。
たまらず強く抱き締めると「んん」とちいさな声が聞こえた。
痛かったか!? ごめん!!
慌てて抱く腕をゆるめると、愛しい妻がちいさく身じろぎした。
甘えるように俺に抱きつき、頭を擦り寄せる! ああもう! かわいい!!
俺の妻。俺の『半身』。
助かってよかった。がんばってよかった。もう離さない。ずっと一緒だ。
力を入れすぎないよう気を付けて抱き締める。そっと頭を撫でる。キスを落とす。
そうやってかわいがっていると、愛しい妻の瞼がゆっくりと開いていった。
その目が俺に向けられる。俺が愛おしいのを隠しもしない眼差しに、またも胸を貫かれた。
「―――と、も、さん―――」
ちいさなちいさな呼びかけに「うん」と応える。
「おはよう」
ささやいて唇をついばむと、彼女はしあわせそうに目を細めた。
赤く染まる頬が。弧を描き上がる口角が。『しあわせ』だと言っている。『俺が好き』だと語っている!!
愛おしい! 愛してる! ああもう! 好きだ!!
そっと頬を撫でるとすぐに俺の手に擦り寄る彼女。甘えてくれるのかわいい。愛おしい。
たまらず唇を重ねる。そのやわらかさを。ぬくもりを堪能する。
『しあわせ』で満たされる。ひとつに溶ける。
頬に添えていた手を彼女の後頭部に回し、俺に押し付ける。彼女は嫌がることも怒ることもなく俺の背に腕を回し、抱き締めてくれた。
しばらく互いのぬくもりを味わった。ようやく満たされ、どうにか落ち着いた。
どちらからともなくそっと離れる。と、とろけたような、しあわせいっぱいの笑顔があった。
―――くっっっそかわいいぃぃぃ!!
そんなに俺のこと好きなの!? そんなに俺とのキスを喜んでくれるの!? ああもう!! しあわせ!! 好きだ!!
ギュン! と上向く興奮のままに彼女をむさぼろうとしたが、それより早く彼女が声をかけてきた。
「トモさん」
「ん?」
「――ありがとう」
やさしい微笑みにまたしても胸を鷲掴みにされる。
俺の妻、天使か。いや女神か。
彼女の穏やかな声に興奮が鎮まった。代わりのように胸にあふれるのは深い愛情。
ただ彼女が愛おしい。ただそばにいたい。
愛おしくてしあわせで満たされて、そっとバードキスを落とした。
「――俺こそ、ありがとう。
諦めないでがんばってくれて。俺のところに帰ってきてくれて」
ぎゅうっと彼女を抱き締めると、彼女は甘えるように俺に頭を擦り付けた。かわいい。かわいいしかない。
そのかわいい妻は「うん」とちいさく答え、さらに俺に顔を埋めた。
なんだそのかわいい行動! 愛おしすぎて爆発しそう!
抱き寄せる腕に力が入ってしまう。ああもう! 愛おしい! 大好き!!
「――私ががんばれたのは、トモさんのおかげなの」
ポソポソと耳元で聞こえる声に、ぬくもりに、胸がキュンキュンする。かわいすぎる。愛おしすぎる。俺、キュン死するかも。
「トモさんと作ったこの指輪が―――」
言いながらどうにか左手を上げた彼女が「―――あれ?」とつぶやく。
キョトンと自分の左手を見ていた彼女だったが、サーッと青くなった!
俺から離れ、ガバリと起き上がる彼女。
途端に景色が変わった。
白一色だった光景が桜吹雪に変わった。
かけられていた布が完全にはがれてしまった。
周囲を桜吹雪が舞っているのにも気付いていない様子の妻は「あれ?」「あれ?」「ない」と自分の服や地面をペタペタと触っている。
なにかを探す様子に、ようやく察した。
「指輪?」
起き上がり胡座で座る俺に彼女はべしょりと泣きそうな顔を向けた。
かわいすぎか。
「あ、あ、あうぅぅぅ」と情けなく口を震わせるのもかわいい。ぷるぷると震えるのもかわいい。俺にすがるような目を向けるのもかわいい。かわいいしかない。
「竹」
「トモ。起きたか」
起き上がった俺達に梅様と蒼真様がすぐに寄ってきた。
竹さんは梅様が、俺は蒼真様が診察してくれる。脈を取ったり、目を見たり。
「う、梅様。あの、私、」
「ちょっとじっとしなさい! ――うん。問題なさそうね。だるいとか気持ち悪いとか、ない?」
「そういうのは、ない、です。でも、あの、その」
オロオロする妻に、そういえば説明していなかったと気が付いた。
「ゴメン竹さん。指輪、使ったんだ」
「つかった?」
キョトンと復唱する妻。かわいい。
「説明するから。聞いてくれる?」
そうして蒼真様と黒陽と一緒に彼女になにがあったか説明をした。
絶命寸前で西の姫が竹さんに時間停止をかけたこと。
竹さんを助ける手段をたずねる対価として『ふたりの想いのまじったもの』を要求され、指輪と童地蔵を献上したこと。
蒼真様と黒陽と三人で高間原に行き、紫黒で『要』と成っていた降魔の剣『紫吹』を取ってきたこと。
『紫吹』を使って『賢者の薬』を作ったこと。
その薬のおかげで竹さんは蘇生したこと。
話を進めるに従い、気の弱い妻はどんどんと顔色を悪くしていった。
話が終わったときにはべったりと土下座をし、ぷるぷると震えていた。
「ごめんなさい。トモさんにも蒼真にも黒陽にも迷惑をかけて……」
ぷるぷる震える愛しいひとの肩をつかみどうにか顔を上げさせようとするが、頑固な妻は頑として土下座を崩さない。困ったひとだ。
「迷惑じゃないよ。俺が貴女といたくてやったことだ。貴女はなにも気にしなくていい」
「だけど。そんな、危険な」
「無事戻ってきたでしょ?」
「でも」「でも」と首を振るかわいいひと。ぎゅっと握った拳も震えている。
その手を目にし――ハッとした。
『彼女のために』と対価として指輪を差し出したが、それは俺が勝手に決めたことだ。彼女の了承は得ていない。
彼女はあの指輪をすごく喜んでくれていた。
目に入れてはしあわせそうにニコニコしていた。
そんな大事な指輪を俺は――何の了承もなく、勝手に、奪った。
シュンとする彼女。
どれだけあの指輪を大切に想ってくれていたのか見せつけられるよう。
そんな彼女の大切なものを、俺は無断で――奪った。
改めて己の行いを突きつけられ、サーッと血の気が引く。
どうしよう。俺はなんて非道いことを。なんと謝罪すれば。
そうだ。謝罪だ! まずは謝罪をしなければ!!
キチンと正座をし、彼女に向かって両手をついた。
「――貴女に相談もせず、勝手に決めて、ゴメン」
俺の言葉に彼女はようやく顔を上げた。
「貴女があの指輪を喜んでくれてたのを知ってた。大切にしてくれていたのを知ってた。
それなのに、俺が勝手に『対価』として差し出した。
――突然無くなってて、悲しかったよね……。 ――ゴメン」
申し訳なくてうなだれ、ボソボソと謝罪し、そのまま頭を下げた。
と、彼女はあわあわと俺の肩に手を伸ばし、俺の頭を上げようとした。
「トモさんは悪くない! 悪くないの!
指輪が無くなったのは確かに悲しいけど、それよりも、貴方に無茶をさせたのが申し訳なくて!
――貴方に危険なこと、させたくないの」
ショボンとした声色に顔を上げると、彼女の情けない顔が目の前にあった。
その目にあるのは、俺への心配だけ。俺への愛だけ。
その眼差しに、またも胸がキュンと鳴った。
きちんと座り直しそっと彼女の左手を取り、両手でぎゅっと握った。
まっすぐにその目を見つめ、謝罪する。
「――勝手に指輪を差し出して、ゴメン」
「ううん。いいの」
ふるふると首を振り、彼女は生真面目に訴えた。
「貴方が『必要だ』と思ったなら、貴方の思うようにしてくれたらいいの。
貴方が『私のため』に決めてくれたことなら、なおさら。
でも、たとえ『私のため』でも、危険なことは、してほしくないの」
「貴方が大切だから」
すがるように俺を見つめる、その目が潤んでいた。
「――無茶、しないで」
その必死さに、どれだけ俺を愛してくれているのかが伝わった。
どれだけ俺が大切か、どれだけ俺が心配か、改めて見せつけられてまたも胸を貫かれた。
ああ! 俺、愛されてる!!
彼女の望むことはなんでも叶えたい。
彼女には負担も、心配もさせたくない。
だが。
「それは聞けないよ」
答える俺に彼女は息を飲んだ。
そのままポカンと固まった隙にたたみかける。
「俺は貴女が大切なんだ」
文句でも言おうとしたのか、彼女が口を開けた。が、俺が真剣な表情をしているからか、話を聞こうと口を閉じた。
「貴女のためならば、どんな危険なことも、どんな無茶なこともやってやる。
それで貴女が助かるならば」
俺の正直な決意に彼女はわかりやすく動揺した。
「そ」声を上げそうになったかわいい唇に人差し指を当てて黙らせる。
ムッとしたようににらんでくる彼女に顔が勝手にへらりとゆるんだ。
「妻を心配するのも、妻のために無茶をするのも『夫の勤め』だから」
「諦めて?」
指を離しニヤリと笑う俺に、彼女はキョトンとした。
が、じわじわと頬を染め、照れくさそうに微笑んだ。
「―――もう」
花がほころぶように、笑った。
「あきらめるの?」
「そうだよ。諦めて」
「―――もう」
クスクスと笑う彼女。かわいくて愛おしくて、抱き締めたかったがグッとこらえて再びその左手を両手で握った。
そんな俺の手に彼女は右手も添えてくれる。
ふたりでぎゅうっと手を握り合った。
「――指輪、ゴメン」
「ううん。いいの」
「それでも、俺は後悔してない。
貴女が生きてくれることに替えられるものなどなにもない」
俺の言葉に彼女は困ったように眉を寄せた。
が、再びしゅんとして目を伏せた。
「―――私こそ、ごめんなさい」
目を伏せたまま彼女は続ける。
「貴方に無茶をさせた。貴方を危険な目に遭わせた」
「大したことないよ」
あっさりと言い切る俺に、彼女はそろりと顔を上げた。
ようやく合った視線に笑みを向けたが、彼女は情けない、痛そうな顔でまた目を伏せた。
「貴方の大切なものを、手放させた」
申し訳なさそうに「ごめんなさい」と言う彼女。握った手にグッと力が入った。
また勝手に背負い込んで。仕方のないひとだなあ。そんなところも愛おしいんだから、俺も仕方ないよなぁ。
「―――いいんだ」
俺の言葉に彼女はおそるおそるというように顔を上げた。
情けない顔ににっこりと微笑みかけ、言った。
「童地蔵も指輪も大切だったけど――大切だったからこそ『対価』になった。そうでしょう?」
そっと握った手を離し、右手で彼女の頬をそっと撫でた。
「貴女が生きて、俺のそばにいてくれることに勝るものはない」
そう。
生きてくれているだけで十分。
そばにいてくれたら、それだけしあわせ。
童地蔵も指輪も大切だったけれど、彼女の生命には、彼女がそばにいてくれるしあわせには替えられない。
だから俺は後悔していない。
『もったいない』とも『惜しかった』とも思わない。
胸にあるのは、感謝だけ。
彼女を救うためにその身を捧げてくれた指輪と童地蔵への感謝だけ。
助かった、がんばってくれた彼女への感謝だけ。
「――生きてくれて、ありがとう。
がんばってくれて、ありがとう」
頬を撫でる俺に、彼女はくしゃりと顔をゆがめた。
せりあがってくる涙をこらえようとしたのか「ふぐう」とおかしな声をもらし、歯を食いしばった。
そんな彼女がかわいくて愛おしくて、両手で頬を包んだ。
ボロリと落ちた涙を親指でぬぐう俺の手に、彼女が両手を重ねてきた。
「―――それ、は、私が、言うこと、」
涙で切れ切れになりながら言葉をつむぎ、彼女はにっこりと微笑んだ。
「がんばってくれて、ありがとう。
助けてくれて、ありがとう」
しあわせそうに微笑む彼女に、魂を鷲掴みにされる。
その笑顔だけで俺もしあわせになるよ!! ああもう! 俺の妻、天使!! むしろ女神!!
かろうじて「うん」と答える俺に、彼女は「えへへ」と照れくさそうに笑った。
愛おしさにキスしようとしたそのとき、ヒロがニヤニヤといやらしい視線を向けていることに気が付いた。
あぶない! 彼女がかわいすぎて人前だということが抜けてた!
ジロリとヒロをにらむ俺に彼女は気付くことなく、頬に添えた俺の手にスリスリと甘えて目を閉じた。
「こうしてまた貴方のそばにいられるなんて、夢みたい」
うっとりとしあわせそうにつぶやく彼女。
そうして瞼を開き、やさしい眼差しで俺を見つめた。
「ありがとう」
「ありがとうトモさん」
「ありがとう」
愛おしすぎて爆発するかと思った。