第百七十一話 蘇生
横たわる妻の右隣に俺と蒼真様、左隣に梅様と西の姫が座り、支度が整った。
「行くわよ」
すう。梅様が目を閉じ、息を吸い込んだ。
カッと目を見開くなり、梅様は一瞬で陣を展開する!
竹さんの頭、胸、腹、太もも、足元、合計五つの陣を出し、そこに霊力を込めていく。
「――我が名は梅。高間原の東、青藍の上級薬師」
名乗りを上げると五つの陣からさらに複雑な文様が伸びた。
蔓のように伸び、からまり、竹さんの身体を包んでいく。
その間も梅様の祝詞は続く。
「今まさにその生命を失わんとする者を癒やし給え」
竹さんを包んだ陣が光る。梅様の霊力が満たされていく。
竹さんの身体の表面にびっしりと霊力の文様が描かれた。
まるで入れ墨のよう。
古代には全身に入れ墨を入れることで霊的な存在から身を護ることがあったと聞いたことがある。
まさにそんな文様が妻の全身に施されている。
印を切り、祝詞を紡ぎ、梅様が霊力を込めていく。
時折ナニカの粉末や液体をかけている。
そうするたびに竹さんに広がった陣がポッ、ポッと光る。
「――我が『願い』を、聞き届け給え!」
バシャッ!!
梅様が瓶の中身を竹さんにかけた!
その瞬間!
「菊様!」
「『時間停止』解除!」
『賢者の薬』は梅様が展開し竹さんに巡らされた陣に吸い込まれ、駆け巡る!
全身に『賢者の薬』が行き届き、彼女の身体がパアッと青く光った!
どうなんだ!? 成功したのか!? それとも。
徐々に光が収まっていく。その様子を梅様と蒼真様がじっと見つめている。
完全に光が消える直前。
梅様が次の瓶を手に取り、中身をぶちまけた!
再び青い光に包まれる妻。どうだ!? どうなんだ!?
頼む。生き返ってくれ。
諦めないで。俺のところに帰ってきて。
置いていかないで。ひとりにしないで。
お願いだから。お願いだから!
必死で祈るしかできない。ただ必死で『がんばれ』『頼む』と念じた。
そのとき。
梅様がちいさくちいさくつぶやきを落とした。
「――なんで――」
――『なんで』って、なんだよ?
どういうことだよ。
なんでそんな、悲観的な表情をしているんだよ!!
叫び出したいのもつかみかかりたいのもグッとこらえ、ただ梅様の様子をうかがった。
梅様は固い表情で淡く光る妻の手首に指を添えた。
「『器』は修復されてるよ」
蒼真様の声も固い。
「脈もある。――心臓も、呼吸器も問題ない」
手首に続いて胸のあたりに手をかざした梅様がつぶやく。
「身体も『器』も修復されてる。
蘇生状態にあると言える。
なのに、なんで霊力が戻らないの――?」
―――『戻らない』
『霊力が』『戻らない』
それは。
それは。つまり。
「もう一本――でも、これが最後――。
竹の霊力が多いことが原因――?」
梅様のつぶやきに「可能性は高いね」と蒼真様が答える。
「普通のひとなら十分蘇生できても、竹様レベルの『器』の完全修復となると、さすがの『賢者の薬』でも足りなかったのかも――?」
それは。
それは、つまり。
足りなかった。ナニが? 薬が?
彼女の霊力が多いから。
足りなかった。つまり。
―――蘇生、できない―――?
ゾワワワワーッ!!
全身が恐怖で震える!!
嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ!!
まだだ! あと少し! まだ一緒に!!
ガッと彼女を抱き上げる。
陣とか、治療中とか、全部吹っ飛んだ。
淡く青く光る彼女の顔も首筋も文様が浮かび上がっている。まるで静脈のよう。
そうだよ。静脈だけじゃ循環するわけないじゃないか。動脈も作れよ。
そんなことが浮かび、彼女の頬に手を添えた。
左手で彼女を支え肩を抱き、右手で霊力を注いだ。いつもしているように。
「竹さん。起きて」
ねだる俺に彼女はなにも言わない。
「お願い。起きて」
循環させる。俺の霊力を。
重ねる。霊力を。魂を。
俺達はひとつだった。半分に分かたれたけれど再び出会えた。
愛してる。愛してる。俺の『半身』。俺の妻。
身体のナカの『紫吹』が協力してくれているのが『わかる』。首から下げた彼女のお守りが仕事してくれているのが『わかる』。
俺の持つ全部で彼女を救う!
動脈がないなら俺が動脈になる!
彼女の身体を巡る血潮になる!!
必死で祈り、必死で願った。
生き返って。またあの笑顔を見せて。俺のそばで笑ってて。
かわいい声を聞かせて。やさしい声で呼んで。俺のこと『好き』って言って。
穏やかな微笑みも。ふてくされたようにそっぽを向く様子も。びっくりする顔も。情けなく眉を下げる様子も。
みんなみんな、俺のそばで見せて。
これからもずっとずっと、俺のそばにいて!
愛してる。愛してる!! 俺の妻。俺の『半身』。
これで『おしまい』なんて、認めない!
これで『お別れ』なんて、許さない!!
もっともっと、ずっと!
オッサンになってジジイになって生命尽きるその瞬間まで、ずっと一緒にいたい!
諦めないで。がんばって。
約束してくれたじゃないか。『諦めない』って。
まだ大丈夫だ。まだ一緒にいられる!
だから、諦めないで!! がんばって!!
注いでも注いでも彼女の霊力を感じない。いつもなら少し注いだだけで循環して彼女の霊力を感じるのに。
『霊力が戻らない』梅様はそう言った。
ならば俺の霊力で満たしてやる! 俺のありったけを注いでやる!!
彼女の身体に俺の霊力を巡らせる。彼女の動脈になったつもりで。彼女の血潮になったつもりで。
巡れ。巡れ! 血よ、霊力よ!
彼女のナカを巡って、彼女を連れ戻せ!!
彼女の身体の表面に巡らせられた入れ墨が淡く光る。俺の霊力に反応しているのか?
満たせ! 満たせ!! いくらでも俺の霊力をやる!
だから、彼女の『器』を満たせ!!
入れ墨の線を走る光が強くなる。速くなる。
俺の霊力を寄越せと急かす。
いいだろう。いくらでもくれてやる!
彼女を巡れ! 彼女を満たせ!!
必死で霊力を注いだ。
俺の身体から風が吹き出す。無茶な霊力放出に霊力が暴走している。好都合だ。全部彼女に注いでやる!
風をひとまとめにし、彼女に叩き込んだ。
帰ってきて。帰ってきて!
諦めないで。生き返って!!
俺のそばにいて。隣で笑ってて。
名を呼んで。手を繋いで。ずっと一緒にいて!!
入れ墨の線を走る光がさらに強くなる。速くなる。
俺の霊力を寄越せと叫ぶ。
いくらでも持っていけ! 彼女を満たせ!!
彼女を、俺の妻を返せ!!
「――モ! トモ!!」
声に目を向けると、梅様が瓶を目の前に差し出していた。
「口移しで飲ませなさい!」
「!」
封を切られた『賢者の薬』の瓶を受け取り、グビリと一口あおる。
すぐさま彼女と唇を重ねる。
「アンタの霊力も一緒に注ぎなさい!」
指示に内心でうなずき、親指で彼女の顎を引かせて口を開けさせる。
口に含んだ『賢者の薬』を彼女の口腔内に注ぎ、一緒に俺の霊力も注ぐ。
喉を潰さないように気をつけて指で動かし、飲み込ませる。どうにかコクリと飲み込んだ。
それを確認して再び『賢者の薬』をあおり、彼女と唇を重ねて飲ませる。
コクリ。
俺の霊力と一緒に『賢者の薬』が彼女の体内に入っていく。
少しずつ、少しずつ彼女のナカを染めていく。
『賢者の薬』が彼女の『器』にたくわえられていく。少しずつ、少しずつ『水』がたまっていく。
コクリ。
少しずつ、少しずつ『水』が増える。
コクリ。
一滴、二滴。山深い水源のひとしずくのように『賢者の薬』が彼女にたまる。
頼む。頼む! 彼女を返してくれ!
俺のもとに返してくれ!!
満たせ! 彼女を! 俺の妻を!
俺の霊力を『賢者の薬』と一緒に彼女に注ぎ込む。
満たせ! 巡れ! 彼女を連れ戻せ!!
やがて『賢者の薬』が無くなった。
それならと口付けをして、人工呼吸のように俺の霊力を吹き込む。
「竹さん」
「起きて」
抱き締め、霊力を吹き込む。
「竹さん」
「帰ってきて」
何度目かの口付けをした。
―――ポチャリ。
彼女の『器』にまたひとしずく注がれた。
波紋が、広がり―――
ドッ!!
たまった『水』が呼び水になったのか、間欠泉のように『水』が吹き出した!!
その『水』が彼女の『器』を満たしていく!
驚き彼女を見つめる。
カッ!!
身体の表面に巡らせられた入れ墨が強く光る!
スウッ。
入れ墨が彼女の身体に消えた。
なにが。一体、どうなったんだ!?
じっと見つめていると、彼女の頬が少しずつ色づいていった。
血の気の失せていた唇も赤くふっくらとして俺を誘う。
抱いた身体も徐々にぬくもりが戻り、やわらかさを取り戻していく。
そして―――!
彼女の頭がちいさく動いた。
すり、と、俺に甘えるように額を俺の胸に擦り付ける!
ちいさく震えた瞼がゆっくりと、ゆっくりと開いていく。
そうして、彼女の瞳が、俺を映した。
「―――トモ、さん―――?」
「―――!!」
―――生きてる! 話してる!俺を呼んでくれた!!
ボロリと涙が落ちた。
なにか言わなくてはと思うのに言葉が出ない。
ただただボロボロと涙を落とした。
俺の腕の中の彼女は弱々しく微笑み、手を伸ばし、俺の頬をなでてくれた。
「――どう、したの――?」
俺の頬をなでる彼女の手をぎゅっと握る。
彼女の微笑みから目が離せない。
「……なんで、泣いてるの……?」
「――貴女が、」
情けない声が出た。
「貴女が、起きないから」
俺の言葉に、彼女は眉を寄せた。
ちがう。悲しそうな顔をさせたかったんじゃない。
「……ごめんなさい…」
「あやまらないで」
彼女の目がうるんでいる。
ちがう。泣かせるつもりなんかない。
「俺が、勝手に心配してただけだから」
帰ってきてくれたから。だから、もういい。
貴女が生きて、そばにいてくれるなら、もうそれだけで充分だ。
「心配するのは、夫の勤めだから。
あやまらないで。諦めて」
そう言うと彼女はキョトンとした。
が、すぐに優しく笑ってくれる。
その愛らしさに、またも胸を貫かれた。
「―――諦めるの?」
「うん。諦めて」
「貴方が『諦めるな』って言ったのに?」
「そうだよ。諦めないでね」
「でも、諦めるの?」
「そうだよ」
「―――もう」
目を細め、頬を染め、ほころぶように彼女は笑った。
「おかしなトモさん」
「おかしな男は、嫌い?」
わざと甘えてそう言ったら、彼女は困ったように微笑んだ。
「――嫌いじゃ、ない」
「――よかった」
ぎゅうぅぅ。抱き締める。
ああ。竹さん! 竹さん!!
生きてる。生きてる! 生きてる!!
「―――生きてる」
ボロリとこぼれた言葉に、彼女は俺の背に腕を回し、抱き締めてくれた。
溶ける。ひとつに戻る。俺の『半身』。俺の唯一。
「生きてる」
「――うん」
俺の腕のなかで彼女はちいさくうなずいた。
甘えるように俺に額を擦り寄せた。
「――ありがとう。助けてくれて」
「うん」
「諦めなくて、よかった」
「貴方に、また、逢えた」
「うん」
「逢いたかった」
「俺も」
「だいすき」
「俺も」
ボロボロと涙が落ちる。
「好き」
「好きだ」
「もう離さない。ずっと一緒だ」
「私も。好き」
「また逢えるなんて、思ってもみなかった」
「ありがとう」
ボロボロ落ちる涙を彼女が手を伸ばしてぬぐってくれる。
その手をつかんで指先にキスをした。
「好きだよ」
「大好き」
「俺の竹さん」
「俺の『半身』。俺の妻」
「がんばってくれて、ありがとう」
「帰ってきてくれて、ありがとう」
「もう離れないでね。ずっと俺のそばにいてね」
抱き締めてキスを降らせながらそんなことを口走る。
彼女はクスクスとくすぐったそうに笑った。
「甘えんぼさんですね」とちいさくささやき、俺の唇にキスしてくれた。
「私も。だいすき」
「もう逢えないって思った」
「また逢えて、うれしい」
「ありがとう」
「ありがとうトモさん」
ぎゅうぎゅうと抱き合う。ひとつに溶ける。
こうして俺はついに愛する妻を取り戻した。
年明けからプライベートで様々な出来事が重なり、いっぱいいっぱいでお話づくりがままならない状況になってしまいました。
ここまで毎日投稿していましたが、しばらくおやすみさせていただきます。
次回は3月15日頃を目標としています。
よろしければまたのぞきにきてくださいませ。