第百六十六話 紫黒へ
目が覚めた。
身体に霊力を循環させる。仮眠を取る前よりも回復しているのがわかる。
ムクリと起き上がった俺に蒼真様も目を覚ました。
「おはようございます」
「……おはよ」
「うーん」と伸びた龍はぷるぷるっと頭を振った。俺も軽く身体を動かす。
そんなことをしていたら黒陽も目を覚ました。
「ふわぁ」と大きなあくびをした亀と挨拶を交わす。
と、黒陽が俺の顔を見て口をへの字にした。
「お前、ちょっと身だしなみを整えろ」
「え?」
「顔を洗え。ヒゲを剃れ」
「……どうせ今からドロドロになるのに?」
そういえばここ四日は浄化だけでヒゲまでは気にしていなかった。それどころじゃなかった。
顎に手をあてるとゾリと独特の手触りがあった。
「『降魔の剣』は特別な剣だ。しかも『要』にまで成っているとしたら『黒』の一族に伝わる名刀『紫吹』だろう。
だとしたら、使い手を選ぶ。
これから汚れるにしても、最低限の身だしなみを整えて行ったほうがいい」
こんこんと黒陽が説明するのを『でもなぁ』と聞いていた。
そんな俺を黒陽はジロリとにらみつけてきた。
「お前、その形で姫と口付けするのか?」
「すぐ剃ります」
アイテムボックスから電気シェーバーと鏡を取り出して大急ぎで身だしなみを整える。
うう。彼女は嫌がらなかっただろうか。
俺の顔についてはなにも言わなかったが、キスしたときにヒゲが痛かったかもしれない。
この四日、仮眠前には一応浄化をかけていたからそこまで臭くはないとは思うが、どうだろうか。
彼女は気にしないかもしれないが、俺が汚い格好で彼女の前に出たくない!
彼女にはいつでも『カッコいい』と思われたい。馬鹿な男の馬鹿な見栄だと自分でも思う。が、こればかりは譲れない!
洗面器を取り出して水をためて顔を洗った。浄化だけよりもさっぱりとした。
念の為にもう一度浄化もかけた。
それからまた飯を食い、空いたスペースに蒼真様の指定するものを入れた。
ほとんどの植物や機材を収めることができた。
「ふたりとも、ありがとう!」蒼真様がえらく喜んでくれた。
「よーし! これで心残りはない! チャッと行ってチャッと帰ろう!」
そう言うなり大きくなる蒼真様。
竹さんの布をせっせとその身体に巻き付けた。
俺も彼女の布を頭からかぶる。黒陽は俺の肩。布の隙間から視界は確保できている。
「乗った!?」
「はい! お願いします!!」
「結界はまかせろ!」
「よし! じゃあ――」
ふわり。龍が浮き上がる。
その首に乗り、ツノをつかんだ。
「行くよ!」
バン!
勢いよく温室の扉が開いた!
すぐさま飛び出す蒼真様。黒陽が全員を包むような結界を展開した!
目の前は真っ暗闇。見たことのない、感じたことのない暗闇に本能的に恐怖が沸き起こる。
それを必死に前をにらみつけることでどうにかこらえる。
上も下も、右も左も、どこもかしこもどろりとした闇しかない。
そんな中を蒼真様は進む。
黒陽が結界だけでなく障壁も張ってくれているからどのくらいの速さで飛んでいるのかわからない。目印になるようなものもなにも見えない。一体今はどこなのか。ちゃんと目的地に向けて進んでいるのか。そもそも進んでいるのか。
事前の説明のとおり、蒼真様がいるルートにはうっすらと『道』ができているのがわかる。
これが『要』と『要』をつないでいるという、昔緋炎様と白露様の式神が通った『道』だろう。
それにしても。
ただ蒼真様に乗っているだけでもガリガリと削られていくのがわかる。これ蒼真様大丈夫か?
「蒼真様! 大丈夫ですか!?」
心配になって叫ぶと「大丈夫!」と返ってきた。
思ったよりもしっかりした声にホッと胸をなでおろす。
「黒陽さんこそ大丈夫なの!? 昔挑戦したときよりも動けるよぼく!」
どうやら昔一度だけ黒陽を乗せて温室から出たときと比べているらしい。
昔は『ムリ!』と速攻で温室に戻ったが今回は負担が少ないと、そういうことらしい。
蒼真様に負担がかかっていないのは黒陽が無理をしているのではないかと心配してくれている。
言われてみれば確かに。
俺も聞いていたほどの負担はない。
黒陽の結界のおかげに違いない。
「大丈夫か黒陽」
たずねるとこちらも「問題ない」と返ってきた。
「最近しっかりと寝ていただろう。そのおかげで全盛期以上にチカラが満ちている。
昔挑戦したときは展開できなかった結界が維持できている」
声の様子からは無理をしているようには感じない。
竹さんが目覚めると一緒に目覚めるように己に術をかけていた黒陽。
おそらくこれまでぐっすりと眠ることはなかったに違いない。
ところが俺が彼女と一緒に寝るようになって彼女は一晩ぐっすりと眠るようになった。そのおかげで黒陽もぐっすりと眠るようになった。
それが黒陽の霊力を万全なものとし、術の冴えにつながっているようだ。
「あとは姫の作った布がこの瘴気を防いでいる。
――とはいえ、いつまでも保つものではない。できるだけ早く紫黒にたどり着かなくては」
黒陽のつぶやきに「わかってるけど!」と蒼真様が叫ぶ。
「前も『道』もはっきりみえないんだから! これが精一杯だよ!!」
それもそうだと俺も納得できた。
闇雲に突撃してなにかにぶつかったり不測の事態に陥ることは十分考えられる。
黒陽にもその意見は納得できるものだったらしい。
俺の肩で「ううむ」とちいさく唸った。
「――そうだ」
ハッとした黒陽がつぶやいた。
「もしも『要』に使われている刀が『紫吹』だとすれば――」
ブツブツ言っていた黒陽が突然刀を取り出した!
その刀は見覚えがあった。黒陽が時々型をさらったり俺達との修行で出していた刀。
紫がかった刀身を俺の肩に乗ったままスラリと上に向けたその時。
ナニカが呼応したのを感じた。
「ウム。やはり」
ひとり納得している黒陽。
「蒼真。今ナニカ応えたのがわかったか?」
「わかった! ナニ今の!?」
蒼真様にもわかったらしい。
黒陽はちいさな手で刀を持ったまま告げた。
「この刀は『紫暮』。『紫吹』と同じ刀匠が造った、いわば兄弟だ。
うまくいけば返事があるかと霊力を放出してみた。
うまくいったようだ」
俺達霊玉守護者の持っていた霊玉のようなものか?
とにかく黒陽の刀と『要』に使われている刀は呼応するようだ。
「蒼真! 反応のある場所がわかるか!?」
「わかる! そこを目指せばいいんだね!?」
「そうだ! 頼む!」
「りょーかいっ! 黒陽さん、刀しっかり持っといてよ!」
「承知!」
グン! 蒼真様がスピードを上げたのがわかった。少しだけ抵抗が増した。
黒陽が一瞬ぐらついたのを慌ててつかんで支える。
「黒陽! 俺が刀持つか!?」
「そうだな! 頼む!」
左手で蒼真様のツノを持ち、右手で黒陽の刀を持った。
その手に黒陽がちょこんと乗っかり、ちいさな両手で刀をつかんでいる。
「『降魔の剣』は使い手を選ぶ。
『紫暮』は私を『主』と定めているから、私が霊力を注がねば『紫吹』と呼応すまい」
なんか面倒な制約があるようだ。
なんでもいい。一秒でも早く目的地に着くならば!
「あそこだ!」
蒼真様が叫ぶ。
俺にも黒陽にもわかった。
『そこ』に『いる』と。
だがどれだけ目を凝らしてもなにも見えない。眼前にはただ真っ暗な闇が広がっている。
手の中の『紫暮』が喜んでいるのがわかる。『あそこだ』と示しているのがわかる。
一体どういうことかと思いじっと正面を見据えた。
と。
奇妙な隙間が『視えた』。
「なんだアレ」
ついポロリともれた声に「どうした?」と黒陽が問いかけてきた。
「ホラ。アレ。あの隙間――」
左手は蒼真様のツノを持っているから、右手に持った『紫暮』の剣先で隙間を示した。
剣先を向けた途端。
ギュワッ!!
突然強く引っ張られた!!
「えっ!?」「わっ!!」「ムッ」
声をあげたその瞬間!
突然、ポコンと『抜けた』!
それまでの暗闇が嘘のように真っ白な空間が広がっていた。
草ひとつない。空ひとつ見えない。
ただ、真っ白。
あのどろりとした闇はどこに行ったのか。
まるで凪のように周囲にはなにもなかった。
その中心に、一振りの刀が刺してあった。
「やはり」
黒陽がつぶやいた。
「『紫吹』」
その刀身はほのかな反りがあった。紫がかった刀身には水面にそっと息を吹きかけたかのような見事な波紋。頭には紫色の透明な霊玉が嵌めてあった。