第百六十五話 高間原
ふ、と揺らいだと思ったら次の瞬間には池の真上にいた。
「行くよ!」
蒼真様が叫びとともに水面に飛び込んだ!
黒陽が結界かなんか展開してくれているのか、水中だというのに苦しくもなんともない。ものすごいスピードで蒼真様は進む。その抵抗もさほど感じない。
ぐんぐんと龍は水中を進み、やがて上昇した。
ザバン! 大きな水音を立てて飛び出した! 満月がやけに大きく見えた。
そう思った瞬間。
知らない場所にいた。
居るだけで圧迫されるような高霊力。わかる。『世界』が違う。
「とうちゃーく」
のんきな調子で龍は言い「ちょっと降りて!」と言う。
いや急ぐんじゃないのか?
そうは思ったが言われたとおり蒼真様の首から降りる。
「ここは――?」
ぐるりとあたりを見回す。ガラス張りの温室のようだ。所狭しと様々な植物がそれでも整然と並べられている。
スプリンクラーが水を撒いている場所もあれば水耕栽培のような場所もある。
そんな室内を蒼真様は忙しそうに飛び回り始めた。
「なにをしている蒼真」
黒陽の指摘に「回収だよ!」と叫ぶ蒼真様。
「今までは温室の結界でかろうじて守られてたけど、『要』が無くなったらもう『世界』は保たないでしょ!?
そしたらこの温室もこわれちゃう。
その前に、回収できるものはひとつでも回収しなきゃ!!」
「それよりも早く刀を回収しよう!」という黒陽に「ちゃんと『界渡り』して数秒後に戻るよ!」と反論する蒼真様。
どうやら俺が宗主様のところで三年過ごしても『現実世界』では数週間しか経っていなかったように、時間を調整して戻ることができるらしい。それなら安心だ。黒陽もそれで納得したらしい。
「アイテムボックス、保つかなあ」とぶつぶつ言いながらせっせと植物や器具をアイテムボックスに放り込む蒼真様。
いつか聞いたことがある。
蒼真様にとって、東の姫にとって、この温室は特別な場所なのだと。
研究の集大成であり、宝物の詰まった場所なのだと。
それを失うと理解していて、それを捨てる覚悟で彼女を助ける薬を作る選択をしてくれたのだとわかった。
もちろん『災禍』を滅するという責務もあるだろう。
竹さんがいなければ『災禍』を封じることができないという理由もあるだろう。
それでも大切な宝物を捨てることを選択してくれたことがありがたく、感謝で胸がいっぱいになった。
アイテムボックスから竹さんの水とおにぎりを取り出す。他にも蓄えていた食べ物飲み物を出した。
「時間が大丈夫なら、今のうちに食事を取って回復しておこう」
俺の提案に黒陽も「そうだな」と納得した。
「じゃあこれ」とおにぎりを手に取った。
「蒼真様も食いましょう」
「ぼくはいい! 早く回収しなきゃ!」
気がせいているらしい青い龍に、わざとのんびりと告げた。
「食ってもらったらアイテムボックスに空きができます。
空いた分、蒼真様の入れたい荷物を入れます」
俺の言葉に蒼真様がピタリと止まった。
そろりと振り返り「………いいの?」と聞くから「もちろんです」と答える。
「俺にはそのくらいしか蒼真様への礼はできません」
この龍が竹さんを救う薬が作れるとならば、どんなことでも全面協力するのは当然のことだ。
俺の言葉に蒼真様はようやく落ち着いた。
「それなら」と俺と黒陽のところに戻り、おにぎりを手に取った。
それから三人で飯を食いまくった。
アイテムボックスを空けるためもあるが、とにかくこれまでのあれこれで体力も精神力もガリガリに削られていた。
ひたすら飯を食い、水やお茶を飲み、回復を図った。
「この温室の外は真っ暗闇のドロッドロだから。しっかり食べて抵抗力つけとこう」
蒼真様の言葉に咀嚼しながらうなずく。黒陽も頬袋をふくらませてうなずいた。
ゴクンと口の中のものを飲み込み、お茶を流し込む黒陽。
「トモは私の鎧を着ていけ」
「ああ。あれか」
そういえばいつの間にか『バーチャルキョート』の装備から安倍家の戦闘服に戻っている。
忘れないうちにと黒陽から借りたままの昔の黒陽の正装に着替える。
術でちょうどいい寸法に一瞬で衣装チェンジできる便利な衣装。
「へー。カッコイイじゃん」と蒼真様が褒めてくれる。
「黒枝が守護やらなんやらかけてくれているから。多少はあの瘴気からも守ってくれるだろう」
なるほど。『半身』のために妻である黒枝さんがいろいろ仕込んでくれているようだ。
その話に思いついた。
「竹さんの布も巻いたらどうかな」
「いいんじゃないか?」
とりあえずマントのようにつけてみた。
「それよりは頭からかぶったほうがいいよ」と蒼真様にアドバイスされ、以前デジタルプラネットに突入したように頭からかぶって身体に巻き付けた。
「それならある程度は耐えられるだろう」とふたりとも太鼓判を押してくれた。
「蒼真も姫の布をかぶっていたほうがいいぞ」と黒陽に言われ、蒼真様にも頭から身体まで巻きつけた。一枚では足りなくて結局三枚使った。
その分アイテムボックスに空きができた。
腹いっぱいに飲み食いをし、腹ごなしに蒼真様の回収に協力した。
黒陽も「今回の対価だ」と言って協力してくれたので蒼真様の持ち出したいものはほとんどが三人のアイテムボックスに収納できた。
「あとはもう仕方ない。ふたりとも、ありがとう」
残念そうにしながらも満足そうな蒼真様に「どういたしまして」と答えておいた。
「時間が許すなら、ちょっと寝て、それから行ったほうがいいだろう」と黒陽が提案し、三人で仮眠を取ることにした。
この温室は結界で守られているので魔物の心配はないという。
アイテムボックスからダンボールを取り出して床に敷き、竹さんの布を敷いてから横になった。
「――そうだ。このダンボール、置いていっていいですか? そしたらその分もう少し入れられますけど……」
そう提案したら「もちろんいいよ! ありがとう!」と喜ばれた。
俺の右側に蒼真様がいつものサイズで横たわり、黒陽は俺の頭上で落ち着いた。
ごろりと寝ころぶ視線の先には夜の闇よりも暗い闇。
目にしているだけで言い知れない不安な気持ちになる。
「――ここから紫黒まではどのくらいかかりますか?」
「そうだなぁ……。普通だったら全速力で一時間てとこだったと思うけど……あの瘴気? がねぇ……」
なんでもこの温室の外側は『ねばっこい』『息苦しい』空気に満ちているらしい。
昔むかし一度だけ黒陽と蒼真様で一歩出たが『もう無理!』とすぐに撤退したという。
「だから、実際出てみないと状況がわからない」
「なるほど」
「道順はわかりますか?」
念のためにたずねると「それは大丈夫」と言う。
「前に白露さんと緋炎さんが式神作って飛ばしたときに『要』と『要』をつなぐ線の上だけは『なんとか動ける』って言ってた。
だから通れそうなところを北に向かって飛べは大丈夫。なはず」
そういえば前に『ぐるっと一周した』って言ってたな。
『要』と『要』をつなぐ線上だけはなんとか動けたが、一歩も外れることはできなかったと。
「まあ、こればかりは行ってみないとわからんな」
「だね」
ふたりの言葉に「それもそうか」と同意する。
「竹さんの水で浄化になるかな?」
万が一にも動けなくなるわけにはいかない。対策を講じておいたほうがいいだろう。
俺の案に黒陽も蒼真様も「なるだろう」と賛成した。
「あと、トモは『境界無効』の能力者だろ?
より通りやすい進行方向がわかるんじゃないかって期待してるんだけど」
蒼真様の意見に「どうですかね?」と答える。
「『異界』とか『結界』とかの『境界があるモノ』に対しては有効ですけど、こういう、瘴気まみれの場所というのは試したことがないので……」
「まあとりあえずやってみます」と答える俺に黒陽も蒼真様も「そうだな」と返してきた。
「まずは紫黒に行くこと。
それから『要』になってる『降魔の剣』を手に入れること。
それから無事に帰ること。
なかなか難易度の高いミッションだけど、がんばろ!」
蒼真様がパッと右手を差し出した。
「なんで蒼真様こんなこと知ってるんです?」とたずねると「映画でやってた!」と得意げに笑う。
黒陽が「なんのことだ?」とたずねてきたので「こうやって手を重ねて気合を入れるんだよ」と教える。
「それは、いいな」
ニヤリと笑った黒陽がその短い前足を出した。
蒼真様かわざわざ黒陽に近寄って前足に右手を重ねた。
なんだか楽しくなって俺もうつ伏せになってふたりの手に右手を重ねた。
「よーし! がんばろー」
「「おー!」」
気楽な守り役ふたりの様子に、恐怖も不安も気負いも消えた。
改めて三人で寝転がり仮眠を取った。