第二十八話 日曜日
日曜日。
ようやく日曜日。
月曜日に竹さんに出会ってから、怒涛の一週間だった。
詰め込みすぎだろう。身がもたない。いや、心臓がもたない。むしろ精神がもたない。
ドキドキして、キュンキュンして、自分が自分でなくなって、ぐわあぁぁぁぁってなって、彼女のことしか考えられない。
そのせいで色々やらかすし、色々バレるし、ポンコツになっていく。
だからといって彼女に会わないほうがよかったかと問われると、それはないと断言できる。
彼女に会えてよかった。
ずっと会いたかった。
会えてしあわせ。
かわいくて、愛おしくて、そばにいられるだけで満ちていく。
しあわせでしあわせで、とろけてしまいそう。
ああ、それで脳味噌とろけてポンコツになるのか。納得。
そばにいたい。笑ってほしい。いろんな顔を見せてほしい。
構いたい。世話を焼いてやりたい。でろでろに甘やかしたい。
彼女のためならどんなことでもしたい。
彼女が喜ぶならどんなちいさなことでもしたい。
だけど、彼女が苦しむことはしたくない。
危ないこともしてほしくない。
ひとりで無茶することはしてほしくない。
彼女が苦しむなら霊玉は渡せない。
たとえ彼女に嫌われても。
――嫌われて、も………。
うう。『嫌われるかも』と考えただけで落ち込んでしまう。
嫌われたくない。
好かれたいなんて贅沢は言わない。せめて、嫌われたくない。
そばにいたい。話をしたい。笑ってもらいたい。
だが。
彼女の『しあわせ』のためならば、そばにいられなくても我慢する。
俺がどんなにつらくても。俺がどれだけ苦しくても。
彼女が『しあわせ』であることのほうが大切だ。
ちょっと考えてみる。
俺が彼女のそばにいない状況。
……………彼女がひとりで無茶するとしか考えられない!
駄目だ! やはり却下だ!
そばにいて見張ってないと、あのひとはなにをやらかすかわからない!
『半身』と知られなくてもいい!
そばにいて、見張って、ハルのところから出ていかないように縛りつけておかなければ!
『飯も食わず』『黒陽とふたりでフラフラ』なんて、させられない!
ブンブンと頭を振り、洗濯物を干していく。
今日は一日いい天気だという。
溜めていた洗濯物を一気に片付けていた。
彼女の使った客用布団のシーツも洗った。
ちょっともったいないと思ったのは誰にも言えない。
だが、彼女がまた来てくれたときに気持ちよく使ってもらいたいから、えいやっと洗濯機に投げ込んだ。
俺のベッドの枕カバーもシーツも洗った。
昨夜寝るときはしあわせだった。
彼女のニオイがかすかに残っている気がして、彼女がもぐっていた布団に同じようにもぐっていると思っただけでなんか血が上ってじったんばったんしてしまった。
くそう。あの阿呆亀。ナメてんのか?
恋する思春期になんてエサ与えるんだよごちそうさまです!
俺の中に彼女のデータが蓄積されていく。
やさしい笑顔。あわてる様子。気持ちよさそうな寝顔。
どこを切り取っても愛おしくてたまらない。
胸がきゅうんとなる。
まさか俺がこんなことになるなんて。
ああ。また彼女でいっぱいになっている。
これじゃ駄目だ。
でも、今日は予定ないから。家事するだけだから。
ちょっとだけ。ちょっとだけ。
干したシーツを爽やかな風がゆらす。
颯々とした風はあの日を思い出す。
彼女と初めて会った、あの船岡山。
満開の枝垂れ桜の中に立っていた彼女。
あの日、あの瞬間に、俺はとらわれた。
教授、ありがとう。
俺を呼び出してくれて。
「お茶でも飲んでいけ」なんて引き止めてくれて。
おかげであの日あの時間に船岡山の下を通れたよ。
めんどくさいなんて思ってゴメン。
『境界無効』の能力があってよかった。
初めて心の底から感謝する。
これがあったから彼女の笛の音に気付けた。
これがあったから彼女の『異界』に入れた。
彼女に会えた。
彼女に、会えた。
ザアッと音を立てて風が渡る。
見上げた空に浮かぶ雲が流れていく。
――『長くて五年』だ。
再生されたハルの声に眉が寄る。
長くて五年。
もしかしたら明日にでも彼女がいなくなる可能性もある。
彼女のために俺はなにができる?
彼女のために俺はなにをすべきだ?
空を見上げても答えはない。
颯々と吹く風に昨日の広沢池の彼女を思い出した。
いつでも、どこでも、どんなときでも、彼女を思い出す。
吹く風に。揺れる桜に。街並みに。
いつでも、どこでも、どんなときでも彼女を愛おしく想う。
パンをかじって喜んでいた。俺達が話すのをニコニコして聞いていた。自転車の後ろで固まっていた。
かわいい。
愛おしい。
もっとそばにいたい。ずっとそばにいたい。
彼女に笑っていてほしい。彼女を喜ばせたい。彼女を『しあわせ』にしたい。
どうすればいいんだろう。
どうすれば彼女は『しあわせ』になるんだろう。
何をすべきか。どうするのが最善なのか。どう在るべきなのか。
こんなとき、じーさんがいてくれたら。
じーさんはすごい男だった。
どっしりと落ち着いて穏やかで頼もしい男だった。
ばーさんにとらわれて、ばーさんを一番に考える男だった。
きっと今の俺の気持ちも、このぐちゃぐちゃなココロも理解してくれる。
きっとじーさんならいいアドバイスをくれる。
こんなとき、ばーさんがいてくれたら。
ばーさんは『視る』ことに長けた能力者だった。
きっと今の俺を『視て』なにをすべきか教えてくれたに違いない。
流れる雲をぼぉっと眺めていると、そんな考えが浮かんだ。
そういえばばーさんも『呪い持ち』だったんだよな。
じーさんが『呪い』をかけた妖魔をぶった斬って助けたって。
竹さんの『呪い』も、そんなふうにぶった斬って解けるならいいのにな。
どうやったら『呪い』が解けるのかな。
『責務を果たす』のは、『罪から赦される』のは「『災禍』を滅したときだ」と黒陽は言った。
実際そうだろう。
だが、『災禍』を滅して、彼女の『呪い』は解けるのか?
彼女に、彼女達に『呪い』を刻んだのは昔いた世界の王族だと言っていた。
それはつまり、術を行使した術者がいないということ。
基本的に術を解けるのは刻んだ術者。
解呪できるひとや解呪のアイテムやらもあるが、刻んだ術者本人が解呪するのが一番安全で確実。
その術者がいないわけで。
ということは、なにか解呪の方法を探さないといけない。
でないと、仮に、百万分の一、千万分の一の可能性として、あと数年で『災禍』を滅することができたとしても、彼女はまた死んでは生まれ変わりを繰り返すことになる。
うまく俺が一緒のタイミングで転生してそばにいられたらいいが、そうでなければ彼女はまた『半身』を探すことになる。
ハルが言っていた。「夢遊病のようなものだ」と。
休まないといけないときに出歩いて、体力も精神力も削がれ、やがて衰弱していくと。
それをこの先も繰り返させるのか?
そんなことさせたくない。
第一は『災禍』を滅する。
その次に『呪い』を解く方法を探す。
これが、彼女が『しあわせ』になるための最低条件。
――ハードル高いな……。
でも、やらなくては。
彼女の『しあわせ』のために。
そのために、なにができる? 俺はなにをすればいい?
ああ。また考えが元に戻ってる。
どうすればいいんだ? どうすべきなんだ?
「はあぁぁぁ……」
情けなくてため息しか出ない。
じーさんにいつも言われていた。
視野を広く。全体を見て。客観的に判断する。
ばーさんにいつも言われていた。
多角的に検証する。柔軟に考える。ひとつにとらわれない。
どれもできていない。
彼女にとらわれて、彼女しか考えられなくて、彼女以外目に入らない。
じーさんとばーさんがいてくれたら。
なにかいいアドバイスをくれたかな。
それとも怒られたかな。
ぐるぐるぐるぐる考えていたら、呼び鈴が鳴った。
注文したネットスーパーの商品が来たらしい。
冷蔵品も注文してるから行かないと!
あわてて玄関に行き扉を開けると。
「――竹さん!?」
「……その……、……おはよう、ございます……」
かわいいひとが立っていた。