第百六十三話 救出
トモ視点に戻ります
バチッ!
突然意識が覚醒した!
ガバッと飛び起きる。
「――竹さん?」
いない。竹さんが。一緒に寝ていたはずなのに。
置いて行かれた。また。残された。
違う。それはまえの話だ。まえ? まえってなんだ?
記憶が混乱している。落ち着け。今はいつだ? 俺は誰だ?
俺は――西村 智。
退魔師で、『金』の霊玉守護者で、安倍家の主座様直属の能力者で、システムエンジニアで、ホワイトハッカーで――
ひとつひとつ思い出していくうちに『自分』の輪郭がしっかりとしていく。意識もはっきりとしていく。
そうだ。『異界』に連れてこられて、戦って、竹さんが来て、『好き』って言われて――。
――竹さん。
竹さんはどこだ?
なんでこんなに不安になる!?
風を展開。情報収集。ヒロ達がいる。ひとが増えている。竹さんがいない。どこだ!?
考えるよりも早く身体が動いた。
風を展開しながらヒロのところへ。
「トモ」
「竹さんは」
驚くヒロに詰め寄った。
そのとき。
『姫!!』
風が黒陽の叫びをとらえた!! どこだ!? ――伏見! デジタルプラネットの前!!
「黒陽!!」
すぐに駆け出す! 階段を駆け下りビルを出てすぐに縮地で駆ける!
街灯しかない夜の闇の中、月明かりがやけに明るく感じた。
伏見のデジタルプラネットにはすぐに到着した!
「! トモ!」
振り返る黒陽はいつもより大きくなっていた。甲羅の高さが俺の背丈ほどになっている。月明かりの下、その大きな身体を傷だらけの血みどろにしていた。
「なにがあった!?」
「『災禍』だ!」
「!?」
短い問いかけに黒陽も短く答える。
すぐにヒロ達が駆け付けてきたのがわかったが構っていられない。
「本拠地で突然声をかけてきた男にスマホを向けられた。
そこに転移陣が描かれていて、気が付いたらデジタルプラネットの社長と『災禍』の前にいた。
『バーチャルキョート』の転移陣で逃げようとしたのだが妨害され、私だけがビルの外に飛ばされた。
姫はまだあの中だ!」
黒陽の視線の先にデジタルプラネットのビルがあった。最上階――六階を示している。
「結界を破壊できん! トモ、頼む!」
「まかせろ!」
黒陽がちいさくなって俺の肩に飛び乗った。すぐに縮地で六階を目指す!
が、境界を抜けたと思ってもすぐに『道』がふさがれる!
おそらくは『災禍』が邪魔をしている! くそう! 竹さんを助けに行きたいのに!!
何度も何度も突入を試みては邪魔される。妨害は黒陽が防いで守ってくれる。妨害に構わず何度も突入を試みる!
右へ、左へと『道』を探して突入していたそのとき。
「トモ! どけ!!」
祐輝の叫びにバッと右に避けた!
「絶・対・切・断!」
ズアッ! 祐輝の刀の一撃がビルの上部を縦に斬り裂く!
特殊能力にはどんな結界も効かない。『災禍』の展開する結界にもそれは有効だったようだ。
ズガガガガン! すさまじい音とともにビルの一部が破壊される!
六階から四階部分にまで入った亀裂の五階部分からドッと水が吐き出された。
なんでビルに水が!? そう考えるより先に身体が動いた!
竹さん! 竹さんがここにいる!!
縮地で駆け、直接竹さんの気配がある五階部分へ! 晃とヒロが四階部分に侵入したのがわかったが構っていられない!
「竹さん!」
水浸しの五階の床は白骨で埋め尽くされていた。
ゾワリと血の気が引く。竹さん。竹さんは!? 暗くてよく見えない!
「! 竹さん!!」
見つけた!! 白骨の山にうつ伏せになって倒れていた!
急いで駆け寄り抱き上げる!
「竹さん! 竹さん!!」
抱き上げた彼女は全身びしょぬれだった。
冷たい身体。ずっとあの大量の水に入っていたのか!?
とにかく乾かさなくては!
びしょぬれのビルを飛び出し地面へ戻る!
「黒陽!」
声をかけただけで優秀な守り役は察してくれ、あっという間に彼女の身体は乾いた。
月明かりで抱いた彼女の顔がようやく見えた。
血の気の失せた、白い顔。
明らかに意識のない、ぐったりとした様子に恐怖が襲い掛かってきた。
――なんで。こんな。
せっかくまた逢えたのに。
やっと『好き』と言ってもらえたのに!!
「竹さん! しっかり! 竹さん!!」
抱いた彼女をゆすっていたら「トモ!!」と声をかけられた。
「霊力循環させろ!」
目の端に見慣れた青が映る。蒼真様。そうだ。霊力を循環。彼女に俺の霊力を流せ!
黒陽から聞いた話がよぎる。
『智明』は霊力を込めまくって彼女を蘇生させた。
ならば俺にもできるはずだ!
あらん限りの霊力を彼女に注ぐ。俺はからっぽになってもいい。彼女を。彼女を助ける!
「竹さん」
「竹さん」
呼びかけながら抱きしめた身体に霊力を流す。
周囲がなんかバタバタしているが放置だ。
「竹さん」
「起きて竹さん」
大丈夫だ。まだ生きてる。寝ているだけだ。
蒼真様がいる。きっと回復する。
――そうだ! 回復!
「蒼真様! 回復薬は!?」
「胃に流し込んだ」
黒陽が答える。その間も蒼真様とポニーテールの女がなにかしている。
「竹さん」
「竹さん」
なにか。なにかできないのか!?
必死に霊力を注ぐ。
注いでも注いでも霊力がうまく循環しない。ただひたすらに注ぐ。
霊力をためる『器』に問題があるのか!? 彼女の霊力が無くなっているのか!? わからない。わからないが、とにかく霊力を注ぐ!
大丈夫。俺達は『半身』だ。
俺の霊力は彼女に馴染む。
これまでもそうだった。俺の霊力は彼女に、彼女の霊力は俺に循環する。それが互いを癒す。今回だってきっと俺の霊力が彼女を癒す!
「起きて。竹さん」
ぎゅっと抱き締める。彼女の頭に頬をすり寄せる。
起きて。目覚めて。いつものようにほにゃりと笑って。
「おはよう」って言って。安心させて。
俺の『半身』。俺の妻。
俺の、ただひとりのひと。
「トモ。姫を横たえろ」
いつの間にか目の前に布が敷かれていた。
「だが」と渋っていたら蒼真様が「寝させろ!」ときつく命令してきた。
「手は握っとけ!」と言われたので大人しく彼女を横たえ、その右手をぎゅっと握った。
なんで。どうしてこんなことに。
彼女がこんなことになってるのになんで俺は寝ていた!?
どうして彼女をひとりにした!!
情けなくて悔しくて、ただただ彼女の手を握り霊力を注ぐ。
「竹さん」「竹さん。起きて」
必死で祈り、必死で願った。
霊力を注ぐ。俺の霊力で彼女を染めるつもりで、ただひたすらに霊力を注いだ。
「竹さん」「竹さん」
握りしめたその手は氷のように冷たい。
どうにかならないかと両手で握りしめて必死に霊力を流す。
と。
ぴくりとその瞼が動いた!
「! 竹さん!」
俺の呼びかけに彼女はゆっくりと瞼を開いた。
「竹さん」
俺の声に少し頭を動かす。その目に俺を映した彼女は、弱々しく、だがしあわせそうに微笑んだ。
「――トモ、さ、」
「うん。うん。トモだよ」
ぎゅっと両手で握ったその手をさらに強く握る。
彼女はホッとしたように笑った。
「――よかった――」
「また、会えた」
ぎゅう。心臓を鷲掴みにされた。
「私、がんばっ、た、の」
「うん」
「ぜったい、に、トモさんに、会うんだ、って、がんばったの」
「――うん」
彼女はやさしく笑ってくれる。なのに涙が落ちた。
両手の中の彼女の手はぬくもりが戻らない。
どうにか笑みを作り、言った。
「えらかったね。ありがとう」
彼女は得意そうに、へらりと笑った。
「貴方と、約束、した、か、ら」
「最後の、最後、まで、あきらめ、ない、って」
「やく、そく、まもった、よ」
「―――!」
ボロボロと涙が落ちる。
それでもどうにか笑みの形の顔を作って、彼女の手をぎゅっと握った。
「――えらかったね」
「――うん」
「えへへ」と笑うその顔は弱々しく、それでもしあわせそう。
ただ涙を落とす俺を彼女はじっとみつめてくれた。
俺の好きなやさしいまなざしで。
「――トモさ、ん」
「なに?」
「――あり、がとう」
「―――!」
「わた、し、『しあわせ』に、なれた」
やめてくれ。いやだ。
そんな、お別れのような言葉、聞きたくない。
「―――まだだよ」
彼女の言葉を制し、すがる。
「まだ諦めないで。まだがんばって!
まだだ。まだ、これから『しあわせ』になるんだ!
俺のそばで、俺と一緒に!
まだ、まだ!」
すがる俺に彼女はやさしい微笑みを浮かべた。
「もう、おしまい」
「―――!」
そんなことない。きっと、まだ、もう少し。
何も言えず首を振る俺に、彼女はにこりと微笑んだ。
「――生まれ変わったら、また、妻に、してくれる?」
「当たり前だろ!?」
「また、好きに、なってくれる?」
「ずっと好きだよ!」
俺の叫びに彼女はほにゃりと笑った。
やさしい微笑み。甘えたような。俺の好きな。
「好きだ! ずっと好きだ!
だから、逝かないで! 俺のそばにいて!
諦めないで! まだ、がんばって!」
涙を落としつばを飛ばす俺に、彼女は困ったように微笑んだ。
「もう、ご褒美の時間は、終わり」
――息が、止まった。
ああ。彼女は理解している。自分の状況を。
諦めているのではない。冷静に判断し、己の身体の状態を把握している。
その上で、受け入れようとしている。
己の『死』を。
そんな。嫌だ。死なせない。まだこれから一緒にいるんだ。やっと『好き』って素直になってくれたのに。やっと愛し合えるのに!
彼女を論破したいのに言葉が出ない。出てくるのは涙だけ。情けない嗚咽だけ。
こんな情けない男では彼女を守れない。
そうだ。俺が情けないから彼女を守れなかった。
嫌だ。嫌だ! 逝かないで。置いていかないで!
なんでもするから。どんなことでもやってみせるから。
俺のそばにいて! 先に逝かないで!!
「――トモさん」
穏やかな声。俺の好きな。
「私の、トモ、さん」
――『私の』。
初めてそんなふうに言ってくれた。
どれだけ俺のことが好きか示してくれているようで、胸がいっぱいで、また涙が落ちた。
「ありがとう。
好きになってくれて。
妻にしてくれて。
しあわせにしてくれて。
ありがとう」
愛しいひとが、別れの言葉を口にする。
しあわせそうに微笑んで。
たまらずその手をぎゅううっと握る。
何か言わなくては。
何か、何か。
でも、本当はわかっている。
もう、無理だと。
もう、お別れなのだと。
別れる。彼女と。
そんなの――耐えられない。
嫌だ。
ゾワリ。ザワリ。
身体のナカを風が吹く。
「―――嫌だ」
漏れ出た言葉にぐちゃぐちゃだった感情がまとまる。
わかっているからどうした。無理だからなんだ!
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ!!
彼女と別れるなど! 彼女を手放すなど!
できない!!
「嫌だ!」
ゴッ!
俺のナカを激しい風が立ち上がる!
身体中を吹き荒れ、魂を鼓舞する!!
「諦めない! 絶対に諦めない!
『終わり』なんて認めない!!
あがいてくれ! 頼むから!
諦めないで! がんばって!」
激しい風を彼女にも注ぐ! その勢いのまま彼女の魂を鼓舞するように!
諦めないで! がんばって!! まだ大丈夫だ!! まだ! まだ!!
「竹さん!!」
必死で迫る俺に彼女はきょとんとしていたが、困ったように眉を下げ、目を細めた。
「―――もう」
俺が愛おしいのを隠しもしないその笑顔に、こんな時なのにまたも胸をつらぬかれた。
「甘えんぼさん、ですね……」
やさしく微笑んで、彼女はゆっくりと瞼を閉じた。
かすかに、唇が、動いた。
『だいすき』
そうして、微笑みを浮かべた俺の最愛は―――力を、うしなった。