第二十七話 黒陽の話 5
「――ありがとう」
苦しそうに黙ってうつむいていた黒陽だったが、ポツリと言った。
「久しぶりに妻の話をした」
そうしてのろりと顔を上げた。
「なかなか誰かに話すことなんてないからな」
苦笑を浮かべる黒陽に、なんだか胸がツキンと痛んだ。
「……俺でよかったら、聞くよ」
ぽそりと言うと、黒陽は驚いたように目を大きくした。
なんだかおかしくて、身を乗り出して言った。
「むしろ、聞きたい」
俺の言葉が意外だったのか、黒陽はパカリと口を開けた。
間抜けな顔に笑みが浮かんだ。
「昔竹さんのいた世界の話だろう?
竹さんの『家族』だったひとの話だろう?
いくらでも聞きたいよ」
そう説明すると、黒陽は納得したようにうなずいた。
「……『半身』だものな」
「そういうこと」
それから黒陽は思いつくままに話をしていった。
自分は竹さんの父親である王の従兄で親友だったこと。
同い年の従弟にいつも世話を焼かされていたこと。
妻に出会った瞬間に『半身』と『わかった』こと。
成人してすぐに結婚したこと。
紫黒の国の様子。王城の様子。魔の森の様子。
竹さんが生まれてからのこと。ちいさいときの竹さんの様子。黄珀で他の姫や守り役と過ごした時間のこと。
もしかしたら黒陽もずっと誰かに話したかったのかもしれない。
そのくらいうれしそうに、楽しそうに話しまくっていた。
黒陽が『落ちた』あと家族がどうなったかは、話題に出なかった。
黒陽も知らないのかもしれないと、あえて俺も聞かなかった。
ひたすら黒陽の話を楽しく聞いていると、ベッドからちいさな音が聞こえた。
二人同時に口を閉じてベッドを見ると、竹さんが身じろぎしていた。
「……ん……」
ちいさく声をもらし、ごろんと横向きになる。
かわいすぎか!
「ああ。随分と話し込んでしまったな」
時計を見るともう六時を過ぎていた。
「夕食の時間になる。姫を連れて帰らないとな」
「このまま転移するか?」
「そうだな」
ボソボソと話をしていたら、彼女の瞼がゆっくりと開いた。
寝起き! かわいい!
彼女は俺を見つけ、ホッとしたように微笑んだ。
笑った! かわいい!
安心したらしい彼女はまた瞼を閉じて――。
ハッ! と目を開け、ガバリと起きた!
キョロキョロとあわててあたりを見回す。
そして俺と目が合った。
べしょ、と情けない顔になる。かわいい!
かわいくておかしくて、つい、プッと笑ってしまった。
「おはようございます」
俺の言葉に彼女はサーッと顔色を変えた。
「――ごめんなさい!!」
ガバリと土下座をする!
驚いて言葉を失った俺に彼女は何度も何度も謝る。
「ごめんなさい! ごめんなさい! トモさんがお仕事されてるのに、私、のんきに寝ちゃってて……! ごめんなさい!」
「大丈夫! 問題ないです! 気にしないで!」
あわてて両手をぶんぶんと振る。
「貴女が少しでも休めたなら、よかった」
本心からそう言ったら、彼女は顔を赤く染めた。
目がうるうるしている。かわいすぎか!
しゅんとするのもかわいい!
もう、でろでろに甘やかしたくなる!
「姫」
そんな彼女に黒陽が声をかけた。
「トモと色々話をして、良い手がかりがありました。
早速晴明と相談をしたいので、今日は戻ってもよいですか?」
その言葉に彼女はバッと顔を上げた。
そこにはさっきまでの情けない顔はなく、キリッとした、王族らしい責任感と凛々しさがあった。
うなずき「はい」と答える彼女。
黒陽がトテトテと移動し、ピョンと彼女の肩に飛び乗る。
「じゃあなトモ。参考になった。ありがとな」
「待て待て」
そのまま転移しそうな二人をあわてて止める。
「靴は」
「「……………」」
大人しく階下へ移動する二人を見送るべく俺も一緒に下りる。
「パン、頼むな」
「おお。そうだった」
しっかりしてくれよ『うっかり担当』。
きっとこいつはずっとこんな調子だったんだろうなぁ。
奥さんずっと世話を焼いてやっていたんだろうなぁ。
そんなことに思い至り苦笑が浮かぶ。
玄関で靴を履いた彼女がきちんと立ち、頭を下げた。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ。ありがとうございました」
そして彼女はへにょりと眉を下げた。
「……その……、次は、霊玉をいただけるときに参ります」
言葉に詰まる俺に、彼女は困ったように微笑んだ。
「良いお返事をいただけるのを、お待ちしております」
そしてペコリと頭を下げる。
霊玉を渡せない負い目があるので「……スミマセン」と頭を下げる。
「今日また黒陽と色々話をしました。
――もうしばらく、考えさせてください」
彼女はただ微笑んでいた。
黒陽はそっぽを向いていた。
それでも彼女は「わかりました」と了承してくれた。
「では、失礼します」
ペコリと下げた頭が戻ったとき。
彼女の姿が消えた。
夢でも見ていたのではないかと思う。
都合のいい夢を。
そのくらい唐突に、彼女は消えた。
頭ではわかっている。ただ転移しただけだと。
だが、ココロが、乱れる。
今の今まであったぬくもりが一瞬で消えたことに。
穏やかな微笑みが消えたことに。
しばらく立ちすくむしかできなかった。
どのくらいそうしていたのか。
リリリリリ!
突然スマホが鳴った!
あわてて画面を見ると、オミさんだった。
「も、もしもし」
『あー。トモ? 今大丈夫?』
「う、うん」
いつもの調子のオミさんの声に、ようやく俺も再起動できた。
ええと、何しないといけないんだっけ?
とりあえずグラス片付けよう。
パタパタと二階へ戻る。
その間にものんきな声がスマホから流れる。
『パンありがとねー』
「どういたしまして。――あ。アキさんいる?」
『うん。代わるねー』
『もしもしトモくん? パンありがとう』
「こちらこそ。おかず、ありがと。助かります」
『どういたしましてー。しっかり食べてねー』
「はい」
そうだ。米炊かなきゃ。
グラスを盆に乗せて台所へ。
『ともちゃー』
『ともちゃー。あいあとー』
『あいあとー』
双子のかわいい声にほっこりしながら米を炊く支度をする。
『ゆきねー、パンいっぱいたべるよー』
『サチもいっぱいたべるよー』
「そっか。いっぱい食べろ」
『『うん!』』
かわいいやつらだなぁ。ヒロがメロメロなのわかるよ。
『サチはねえ、クリームのパンがすきなのー。いっぱいたべるよー』
『ゆきはねえ、チョコのパンがいいのー』
「わかったよ。じゃあ今度買っておくな」
『『わあぁい! ともちゃ、あいあとー!』』
ホントよくしゃべるようになったな。
米を研いで炊飯器にセット。これでよし。
『トモ』
今度はヒロか。昨日情けないところを見られているからちょっと気まずい。
だがヒロはそのことには一切触れず、ただパンの礼だけを言ってきた。
「画像見たか?」と確認すると『うん』と答えが返ってきた。
『黒陽様も今いま帰ってこられたばかりだから。詳しい話はまたあとで聞く。ありがとね』
少しでも彼女の役に立つならばいいんだが。
「頼むな」とだけ言って、電話を切った。
バタバタと残った用事を片付け、飯を食い、風呂に入る。
そうしながらも頭の中は今日聞いた話がリピートされる。
今日見た竹さんの映像がリピートされる。
どうしたらいいのか。どうすべきなのか。
そんなことがぐるぐるする。
ベッドに潜ってもぐるぐるしていた。
ふと、そういえばタカさんと話をするんだったと思い出した。
今日連絡をくれる予定になっていたと思い出し、スマホを確認したがなんの着信もメッセージも入っていなかった。
まああの人も忙しい人だしな。
俺ももーちょっと頭を整理してから話したい。
そう思って、スマホを放り投げて眠ることにした。