久木陽奈の暗躍 77 バージョンアップ
「な、なんか言ってます!!」
竹さんの悲鳴にトモさんが飛んでいく。
「――一斉退去五分前のアナウンスだ」
メンテナンスのためとして『バーチャルキョート』から一度ログアウトするようアナウンスが繰り返し流れている。
「大丈夫だよ。教えてくれてありがとう」
別人のような甘い顔のトモさんに褒められ、竹さんはホッとしている。
が、すぐに表情を引き締めた。
竹さんが持っていたスマホを操作してログアウトさせたトモさん。
「持っててね。またなんか出たら教えてね」とやさしく声をかけ、タカさんのところに戻る。
ヒロさんも主座様達もあちこちに連絡を取る。
烏丸の本拠地、北山の本家周辺、その他各地に散ったひと達のうち『異界』組のひと達はバーチャルキョートのバージョンアップに備えるように連絡。
『現実世界組』はなにが起きてもいいように周辺警戒及び装備確認。
大丈夫。大丈夫。
自分に言い聞かせながら報告を聞く。
いつの間にか晃が真横にいた。
ぎゅっと手を握ってくれて、ようやく拳にしていたことに気が付いた。
そろりと目を向けると、やさしい『火』をたたえた目がそこにあった。
私の『火』。私の『半身』。
《大丈夫》
晃が『火』を注いでくれる。
《大丈夫》
私の弱気を燃やす。私の不安を燃やす。
私のやる気に火をつける。
そうだ。大丈夫だ。
やるべきことはすべてやった。
神様達にもお願いした。
きっと大丈夫。あとはやるだけだ。
グッと目に力を込め、晃にうなずいてみせた。
私のわんこはやさしく微笑み、うなずきを返してくれた。
「え!? なんか、なんか!」
あわてふためくお姫様にかぶせるように、アキさんが手元のスマホを見ながら淡々と報告される。
「バージョンアップ三十分前。全ユーザーログアウト完了。画面ブラックアウト。――再ログインのアナウンス開始しました」
「――個人データ入力までは粘る。トモは竹ちゃんへ」
タカさんの指示でトモさんが離脱。竹さんの横にべったりとくっついてスマホを出した。
「みんな、こっちへ」
ヒロさんにうながされて年少組がちびっこから離れてトモさんの近くに移動する。
霊玉守護者と竹さんの六人で車座になって座った。
それぞれにスマホを取り出して『バーチャルキョート』にアクセスする。私も進行状況を確認するためにも自分のスマホでアクセス。保護者の皆様も主座様もそれぞれにスマホを操作された。
データをバージョンアップするとの説明が流れている。
バージョンアップによってどんなことが変わるかの説明のあと『同意しますか』のボタンが現れた。
当然全員タップ。
そのとき。
白露様の背に乗って菊様がお出ましになった。
いつもの高間原の正装である巫女装束。
「菊様。こちらへ」
ヒロさんが車座の輪の中に菊様を加える。
伏せをされた白露様に包まれるように菊様は正座で座られた。
「状況は」
「予定どおり進んでいます」
答える私に菊様はうなずかれた。
「恐れ入ります。菊様も『バーチャルキョート』へのアクセスをお願いいたします」
「わかったわ」
私の指示に菊様は短く答え、ササッとスマホを操作される。
ヒロさんが横から確認してくれてるので大丈夫だろう。
どんくさいほうのお姫様は過保護な『半身』がべったりくっついて代わりに操作してあげている。
ブーツ着用の霊玉守護者達は胡座でスマホを操作。黒陽様は竹さんの肩に乗ってスマホの画面をのぞき見ておられる。
『バージョンアップへの同意を確認しました』
そのメッセージに続き、改めて個人データを入力を求めるメッセージが表示された。
おそらくはこれが『異界』に連れて行かれる『鍵』になる。
「――ゴメン。ダメだった」
タカさんが悔しそうに降参を宣言する。
なにが『鍵』かギリギリまで探ろうとしてくれていたタカさんだったけど、やっぱりわからなかったらしい。
「仕方ないよ」「よくやってくれた」オミさんや主座様からのねぎらいにもタカさんは悔しそうだ。
あれだけ『宿主』のカナタさんが竹さんを連れて行こうと『願い』をかけていたから、おそらく竹さんは連れて行かれる。
その竹さんのデータに寄せて入力したいけれど、官公庁や企業も参入している『バーチャルキョート』であまり現実と違う情報を入力したら虚偽入力として弾かれる可能性がある。
だから年齢や家族構成は正直に、他の好きな時代や有名人などは竹さんの意見に合わせて入力させた。
これがどんな結果になるかわからないけれど、いただいた『運気上昇』を信じるしかない。
『うまくいきますように』『カナタさんのたくらみをつぶせますように』
首から下げた竹さんのお守りをぎゅっと握りしめ、一心不乱に祈った。
バージョンアップ十分前。
チュートリアルが始まった。
車座に座っているメンバーはそれぞれ手にしているスマホに注目する。
主座様と保護者の皆様、そして私の『現実世界組』は、バージョンアップの手続きはしても画面は見ない。
おそらくは画面に写し出された転移陣を網膜に焼きつけることで対象者を転移させると考えられている。
だから『現実世界組』はスマホ画面は見ない。各地に散って待機している『現実世界組』にもそのように指示している。
逆に『異界組』はしっかりとスマホを持ち画面を見るよう指示している。
主座様が式神を飛ばして様子を確認された。どこも指示どおりにしているようだ。よかった。
市内に設置されている監視カメラの映像からもおかしなところは見えない。
繁華街は賑やかな、住宅街は静かな様子がモニタに映し出されている。
まず連れて行かれるであろう竹さんは緊張の面持ちでスマホをにらみつけている。
その竹さんをトモさんがピッタリとくっついてしっかりと肩を抱いている。
トモさんをじっと『視る』と、彼の思念が『読めた』。
ホントは胡座の中にすっぽりと収めて後ろから抱き締めていたいと考えているのが伝わってくる。そうすれば彼女が連れて行かれたときに一緒に行けるだろうと。
それでもこれだけ大勢のなかでそんなことをしたら彼女が嫌がるのがわかっているから、大人しく肩を抱くだけに留めている。
が、肩を抱かれた竹さんが不安からかトモさんに甘えてもたれかかった。
無自覚姫、恐るべし。
トモさんのやる気がすごい勢いであおられている。
いいことだ。黙っておこう。
そっと晃に目を向けると、愛しい『半身』はすぐに気が付いてくれた。
《大丈夫だよ》
にっこりと微笑んでそう伝えてくる。
だから黙ってうなずいた。
《頼むわね》
《まかせて》
《絶対帰ってきてね》
《うん》
思念でやり取りをし、そこからは仕事に集中することにした。
「五分前」
「『バーチャルキョート』、チュートリアル中。門が現れました」
晴臣さんのカウントダウンとアキさんの実況に緊張が走る。
手の中のスマホの画面にはあのポスターのように暗闇の中に羅城門が浮かんでいた。
その門が徐々に大きくなる。まるで自分が門に向かって歩いているように。
『――以上でチュートリアルを終了します。
それでは皆様、「もうひとつの世界」を、どうぞお楽しみください』
『バーチャルキョート』のアナウンスが響く。
門の扉が細く開き、光が漏れている。
この扉の向こうが『異界』。
『宿主』保志 叶多が創った『異界』。
鬼が出るか蛇が出るか。
やるべきことはやった。取れるだけの対策は取った。打てるだけの手も打った。
「竹さん」
私の呼びかけに竹さんが顔を上げる。その顔は青白くこわばっていた。
「皆さんも。
『異界』に誰が行けるかわかりませんが、少なくとも竹さんは連れていかれるでしょう。
竹さんは『異界』に行ったらまずは伏見のデジタルプラネットを目指してください。
できれば六階で、無理なら外で結界を展開。
トモさんは同行できれば竹さんの護衛をしつつデジタルプラネット六階の『扉』を確保。
もし『異界』に行けなかったら、すぐさまデジタルプラネット六階へ。
『現実世界』から『扉』を確保して『異界』の竹さんを迎えに行ってください」
私の確認におふたりがうなずく。
「『異界』から連絡が入れられる状況かはわかりませんが、可能であれば連絡をください。
連絡がもらえた時点でタカさんが一斉クエストを流して『異界』にいるひとをデジタルプラネット六階に向かわせる。
そこから『現実世界』に連れ戻す」
これからやるべきことを告げ、全員の意思統一を図る。
「『異界』に行けたひとは、とにかく竹さんと合流のうえサポート。鬼に出くわすようならば蹴散らしてください。
なるべくデジタルプラネットまでは竹さんに体力も霊力も使わせないように」
うなずく一同に私もうなずきを返す。
「南の姫に関しては緋炎様の連絡待ちとなります。
それまで、竹さんの結界で抑えなければなりません。
竹さん、よろしくお願いします」
「はい」と生真面目にうなずくお姫様。
彼女の『半身』がその肩をグッと抱き、支えた。
「バージョンアップが終わって『新バーチャルキョート』がオープンしたら、事態は一気に動きます。
皆様、よろしくお願いします」
主座様と保護者の皆様にお辞儀をする。皆様無言でちいさく返礼してくださった。
わざとニヤリと悪い笑みを浮かべ、一同を見回した。
「さあ。『災禍』をぶっ潰しますよ」
なにが起きるかわからない。想定外のこともあるかもしれない。晃が危険な目に遭うかもしれない。
こわい。逃げたい。やめさせたい。
でも、ここまできたんだ。
ここで勝負を決める。
五千年にわたる因縁を、今日これから、ここで断ち切る!
私は『光』。
道を指し示すモノ。
晃は死なせない。
竹さんも死なせない。
京都のひとも、『バーチャルキョート』に連れていかれたひとも死なせない。
カナタさんを救う。
『呪い』を解かせる。
『災禍』を滅し、姫と守り役の責務を果たす!
強く強く強く『願い』をかける。
成功イメージを強く持つ。
絶対成功する! 絶対みんな『しあわせ』になる!!
「――二分前」
晴臣さんの読み上げに緊張が走る。
モニタにはネット上のコメントが次々と流れている。
『いよいよ!』『ワクワク』『早くー』
世界中でこのバージョンアップの瞬間を待っているひとがいる。
それはそれだけ転移対象者がいるということ。
どれだけのひとが、どんなひとが連れていかれるのか、結局わからなかった。どれだけの鬼が『異界』に現れるのかも。
できれば誰も傷つかないでほしい。せめて誰も死なないでほしい。
そうしてうまく『災禍』を封じ『呪い』を解き、『災禍』を滅してほしい。
いつもどおりの山鉾巡行が迎えられるように。
京都を地獄に変えないように。
「一分前」
スマホの中の羅城門がすぐ手前に迫っている。その扉が徐々に、徐々に開いていく。
光が次第に強さを増していく。
トモさんが竹さんをグッと抱き寄せた。
竹さんもスマホを見つめたままトモさんに寄りかかる。
菊様も、他の霊玉守護者達もじっとスマホを見つめ『その瞬間』に備えている。
「三十秒前」
モニタに映る京都の街に異変はない。
ネット上のコメントからは多くのひとが期待に胸躍らせているのが見える。
いよいよだ。
さあ。来い!
「三、二、一。――オープン」
カッ!
晴臣さんのカウントダウンに合わせるように、強い光がスマホの画面からいっぱいにあふれ出した。