第二十六話 黒陽の話 4
竹さんが『俺の妻だ』と言われただけでドキドキキュンキュンふわふわして動揺してしまう。
そんな俺に黒陽は呆れた様子を隠さない。
なんだか気まずくて話題を変えようと必死で頭を動かす。が、ぐるぐるするばかりでうまくまとまらない。
と、ポンと、先程の黒陽の話が浮かんだ。
「……さっき」
「ん?」と顔を向けてきた黒陽に話を向ける。
「さっき『成長した青羽とは去り際にしか会っていない』って言ってたよな?」
「ああ」と答える黒陽に重ねて問う。
「……アンタは会いにいかなかったのか?」
『禍』との戦いで死にかけた『青羽』を竹さんが看病したと話していた。
守り役である黒陽が同行するのは当然のように感じるが、違うのだろうか?
俺のその疑問も黒陽は理解してくれた。
「『災禍』を追う、大詰めの段階だった。
その段階で姫と守り役の二人が抜けたのだ。
残された我らは手一杯で、とても青羽や姫の様子を見に行くことはできなかった」
むしろ『よく二人抜けられたな!』という状況だったようだ。
フムフムと聞いていたら、黒陽はそっと俺から視線を逸らし、フッと微笑んだ。
「『お前』のそばなら姫は『しあわせ』なのは間違いなかったから。
会いにいく必要を感じなかった」
――おそらくは『青羽』に向けて言った言葉。
黒陽が『青羽』を深く信頼していたことが伝わって、前世の記憶なんかないのに胸がギュッと締め付けられた。
そんな俺をチラリと見上げ、黒陽は照れくさそうにちいさく笑った。
「実際、姫はしあわせそうだったらしい。
時々報告に戻った蒼真がげんなりしていた。
『甘すぎる』『別人だ』と」
相当イチャイチャしていたらしい。
昔のことだと理解していても、昔の――前世の自分のことだと理解していても……ムカツク!
ムッとへの字口になる俺に黒陽は苦笑を浮かべ、話を続けた。
「『災禍』を追い詰める策を練り、いよいよ実行するという日。
姫は蒼真と二人で戻ってきた。
青羽は『眠らせてきた』と言って」
――文句を言いたいが、先程の説明を受けた後だと言いたくても言えない。
確かに逆の立場だったら俺でもそうする。
俺のせいで竹さんが死ぬ可能性があるなら、彼女に黙って出ていく。
「姫としては『青羽を巻き込みたくない』という一念だったようだ。
『少しでも長生きしてほしい』と、置いてきたらしい」
理解できてしまうので黙ってうなずいた。
そんな俺に黒陽は「それにな」と付け加えた。
「智明のときに蘇生やら魂削るやらとんでもないことをやらかしているからな。
青羽も何をしでかすかわかったもんじゃなかった。
姫の生命が危ういとなったら、術を破綻させるくらいやってのける可能性があった。
実際、今回お前もやったしな」
……反論できない。
何千年も追いかけ、策を練りに練って、やっと封印できるというときに、やらかす可能性のある男。
……駄目だ。連れていけない。
説明されたら納得しかない。
実際自分もやらかしているからより深くわかる。
俺ならやる。
その術を続けることで竹さんが生命を落とすと判断したら、どんな手を使ってでも術をやめさせる。
『災禍』も責務も知ったことかとやめさせる!
『眠りの術をかけて抜け出した』と聞いて、『目が覚めたら「半身」が死んでいた』と聞いて、「なんて非道い仕打ちを」と胸が詰まったが、説明されると当然の対処だ。
大事な局面でやらかす可能性のある阿呆は置いていくしかない!
そこまで考えて、ハッと気が付いた。
俺も、絶対やらかす。
やらかす自信しかない。
てことは。
俺も置いて行かれる!!
「黒陽……」
震える声に黒陽は顔を上げた。
「どうしたら置いていかれないですむ?
どうしたらずっと彼女のそばにいられる?」
俺は真剣に、大真面目に聞いたのに、黒陽はあっさりと言った。
「お前には無理だろう」
「なんで」
「『半身』だから」
なんでもかんでも『半身』ですませるな!
ムッとしたが、黒陽は当然のことを言っているとばかりに呆れた顔をした。
「『半身』の死を目前にして冷静でいられる『半身持ち』がいるわけないだろう」
そう言われて、じーさんのことを思い出した。
じーさんとばーさんも『半身』だった。
ばーさんが先に逝ったとき、じーさんは冷静に見えた。
だが火葬場の炎にばーさんの遺体が入れられるとき、乱れに乱れた。
そこがどこか、どんな場かとか、あの遺体にもうばーさんはいないとか、なにもかもぶっ飛んで、ただばーさんを救おうとした。
あのじーさんでさえそうなんだ。
ばーさんに一年以上前から言い聞かせられ、覚悟をうながされ、納得していたじーさんでもそうなった。
ばーさんは寿命で亡くなったのに、『亡くなっても仕方ない』と誰もが思うようないい年齢だったのに。
それでも、『半身』を救おうと、暴れた。
竹さんは、二十歳まで生きられない。
『呪い』のせいで。
『そのとき』を迎えたとき、俺はどうするだろうか?
……間違いなく暴れる。
例えばそれが『災禍』を追い詰めているときだろうと、千載一遇のチャンスだろうと、竹さんのことしか考えられなくなることは明白だ。
――駄目だ! 置いていかれる!
どうしたらいいのかわからなくて、どうにもならないのもわかっていて、ただがっくりとうなだれることしかできない。
そんな俺に黒陽は呆れているのを隠しもせず、ため息をついた。
悔しまぎれにジロリとにらむが涼しい顔だ。くそう!
くそう。どうしたらいいんだ。
でもどうにもならない。
その時その場になったら、俺は絶対やらかす。やらかす自信しかない。
情けなくてでもどうにもできなくて、机に突っ伏して頭を抱えるしかできない。
「ゔー」「あー」と唸る俺に黒陽は呆れ顔だ。くそう。
そういえば。
ふと、気がついた。
さっきの黒陽の言葉。
『「半身」を失う痛みを、苦しみを知っている』と、『わかる』と言っていた。
つまり。
黒陽も『半身』がいるということか?
死に別れたと、そういうことか?
聞いていいのかどうかわからない。
でもこの亀の『半身』がどんなひとなのか気になった。
『半身』を喪ったこの亀がどうやって乗り越えたのか、気になった。
のろりと身体を起こし、黒陽をじっと見つめた。
俺の様子が変わったのに気付いた黒陽が俺を見上げる。
「……聞いてもいいか?」
「なんだ?」
軽い調子に聞いていいものかためらったが、思い切って聞いてみた。
「……黒陽も『半身』がいたのか?」
黒陽は一瞬真顔になった。
が、すぐにそっと目を伏せた。
「……ああ」
静かな声だった。
なんの感情も乗せない、ただ事実だけを答える声だった。
「……どんなひとだ?」
ためらいながらも尚も聞いてみると、即答えが返ってきた。
「素晴らしい女性だ」
きっぱりと、自慢げに言い切った。
「私にはもったいないくらいの、素晴らしい女性だ」
過去形で言わないところに、黒陽が未だその女性にココロがあることを示していた。
話しているうちに興が乗ったのか、黒陽は言葉を重ねた。
「しっかりしていて、頭も良くて、愛情にあふれていて。
やさしくて、厳しくて、すぐにクヨクヨする私をいつも支えてくれていた」
愛おしさを隠しもしない、やさしい顔で、黒陽は語った。
「黒枝が側にいてくれるだけで、私は最強になれた」
『黒枝』。それが黒陽の『半身』の『名』。
大切な宝物を見せてくれたようで、じんわりと喜びが広がっていく。
じっと見つめる俺の視線に気付いたのか、照れくさそうにごまかすように黒陽は笑った。
「口の悪い白露や緋炎は私を『うっかり担当』、妻を『しっかり担当』などとからかっていた」
「それは相当しっかりした女性なんだな」と笑うと「そうなんだ!」と自慢げにうれしそうに答えた。
「妻は、姫の筆頭側仕えなんだ」
そうして、昔の話をしてくれた。
「高霊力を持った姫の出産に王妃が持ちこたえられるかわからなかったから、黒枝は出産前から王妃の世話役として王城にあがり、姫が生まれたらそのまま乳母になった」
ヒロのところの双子も高霊力を持った赤ん坊で出産前から大変だった。
竹さんの出産も大変だったらしい。
「そのとき私は丁度怪我をしていて前線に出られなかったから、リハビリを兼ねて姫の専属護衛になったんだ。
子供達達も姫の遊び相手兼側仕えとして姫付きになり、家族そろって姫の側にいた」
一家全員で竹さんのそばにいたと。
「言ってみれば、姫は私達家族の『家族』のようなものだ」
納得する俺に黒陽はさらに続けた。
「だが、仮にも王の娘を『家族』とするわけにはいかない。
妻もそれだけは絶対に譲らず、あくまでも『姫と臣下』の立場を崩さなかった。
子供達にもそれを徹底させた。
それ以外は、家族全員が姫に愛情を注いでお育てしたんだ」
……頑固者の気配がするな……。
竹さんが頑固なのって、そのひとの影響じゃないのか?
俺が黙っていることに疑問を抱かず、黒陽は続けた。
「すぐに王と王妃に姫をお返しするつもりだった。
だが、姫はひどい霊力過多症で苦しんでいて、なかなか離宮から出られなかった。
時々王と王妃が顔を見に来ても会えないこともあった」
前も話していた。『ひどい霊力過多症だった』と。
物心つく前からそんなに苦しんでいたのか。
竹さんの幼少期に思いを馳せ、眉が寄った。
「姫の成長に伴い、妻は筆頭側仕えに、娘達は側仕えに、私は筆頭護衛になり、姫専属になった。
息子達は警備隊に入隊して寮生活になったが、休みの日には姫の離宮に帰ってきていた」
「……何人子供いたんだよ」
気になって聞いてみたら、黒陽はあっさりと答えた。
「娘が二人、息子が二人だ。
双子の娘、息子、息子、の順だな」
「アンタ何歳なんだよ」
「高間原から『落ちた』ときは四十三歳だった。
そのあとは何年経ったか、細かい数字は覚えていない」
「けっこうオッサンだったんだな」
「見えないだろう?」
ニヤリと笑ってそんなことを言う。
おかしくてプッと笑った。
「ずっと離宮暮らし。ほとんど寝込んでいたから王族教育もろくに受けていない。当然社交などできない。
口の悪い連中は姫のことを『名ばかり姫』なんて呼んでいた。
それでも姫は妻から術の手ほどきを受け、笛に霊力をのせることを覚え、あの離宮から魔の森の結界を支えていたんだ」
懐かしそうに話す黒陽には昔の光景が見えているのだろう。
微笑みを浮かべてポツリポツリと話してくれた。
「薬術に詳しい東の姫が、『先見姫』と呼ばれる西の姫が黄珀に向かうと聞いて、我らも黄珀に向かった。
そして、姫達のおかげで姫は健康になった」
そこまで話して、黒陽は黙ってしまった。
うつむいて、どこも見ていない目で、どこかをにらみつけていた。
その沈黙が話が終わったからではないとわかる。
ピリ、と空気が張り詰めた感じがした。
「――あの日。
『王家の森』に向かうあの日」
ようやく黒陽は口を開いた。
「妻が私に言ったんだ」
静かな、静かな声で、言った。
「『姫を頼む』と」
黒陽はギュッと固く目を閉じ、うなだれた。
「私は姫を守れなかった」
「妻の――『半身』の『願い』を叶えられなかった」
昨日の話を思い出した。
『王家の森』の樹に触れてしまい『災禍』の封印を解いてしまった竹さん。
「自分が竹さんを支えられていれば」と己を責め続けている黒陽。
どれほど後悔しても、どれほど苦しくても『呪い』を刻まれているせいで死ねない。
その苦しみを、五千年も。
黒陽がどれほど苦しかったか改めて突きつけられたようで、言葉がでなかった。
ただぐっと歯を食いしばり、拳を握った。
「姫の側で姫を守りお世話をすることは、妻の『最後の願い』だから。
もちろん守り役としての責務もある。
生まれたときからお守りしている姫への愛情もある。
だが一番は。
妻の『願い』だから。
だから、のうのうと、生きている」
黒陽も『置いていかれた』のが、わかった。
『置いていかれた』苦しみを『知っている』とさっきも言っていた。
黒陽は、苦しいんだ。
『半身』の『願い』を叶えられなかったから。
『半身』に『置いていかれた』から。
これまで聞いた話を思い返す。
『置いていかれた』苦しみを知っているからきっと『竹さんの半身』に対して強く言えないんだ。
苦しみを知っているから『夫婦に』とすすめたことまで罪として背負ってしまうんだ。
こいつも大概背負い込む性質なんだな。
なんだ?『黒の一族』とやらはみんなそうなのか?
それともこいつに育てられたから竹さんもそうなったのか?
頑固で、生真面目で、なんでもかんでも背負い込んで。
困った主従だ。
そんな主従が、話を聞く前よりも愛おしく感じた。
トモの祖父母の出会いは『静原の呪い』を、お葬式のときのお話は『根幹の火継』をお読みくださいませ