久木陽奈の暗躍 75 お風呂
ひどい目に遭った。
何時間神域にいたのかわからない。
高霊力の充満する空間に居続けて、それだけでメンタルも霊力もガリガリ削られた。
神様達はテンション高くノリノリで舞や笛を要求された。
舞と同時に霊力も献上するのでナツさんと竹さんはグビグビ回復薬を飲んだ。
私もリクエストされたけど「もう無理!」と勘弁してもらった。その分晃が舞った。
晃とナツさんふたりでも舞った。竹さんの笛の伴奏でまた舞った。想像の百万倍すごかった。
そしてふたりは回復薬を飲んだ。
千明様のつぶやきに従って回復薬作っといてもらってよかった。
作成者の蒼真様が「まさかこんなことになるなんて」「すごいね千明」と震えておられた。
これだけ見事な芸能と良質で豊富な霊力を献上したのだ。今夜の決戦はきっとうまくいく。
菊様も「よくやってくれたわひな」とお褒めくださった。
取れる手段ははすべて取った。
あとは決戦を迎えるだけた。
どうにか開放されて御池のマンションにたどり着いたのは二十二時をまわっていた。
神域は時間停止の結界が展開されていたから何時間経っても問題なかったけど、往復に時間がかかった。
全員汗だくのヘロヘロになっていた。
隠形取って白露様に乗って来られた菊様は再び隠形を取って白露様の背に乗り帰宅された。
頃合いをみて北山の離れに転移して来られる予定だ。
決戦まで時間がない。
それまでにやるべきことをやろう。
男性が離れのお風呂、私と竹さんは御池のマンションのお風呂をお借りて大急ぎで汗を流すことになった。
脱衣所に入ってすぐに竹さんに頼んで時間停止の結界を展開してもらう。男性側は主座様にお願いしている。これでゆっくりとお風呂に入っても大丈夫。
バージョンアップまでもう時間がない。
その少ない時間を有効活用するために、時間停止の結界は有用だ。
多様しすぎるとカナタさんのように気がついたら同級生より何十年も先取りしてしまうことになるけど、今回は仕方ない。
浄化でも綺麗になるけど敢えてお風呂に入るのは禊の意味もある。
運気を上げてこちらの都合のよい展開に持っていくために、神様達のご助力は必須。
だから禊をして決戦にあたらなければならない。
とはいえ、そんなことをこの気の弱いお姫様に正直に言ったら北山の滝に突撃しそうなので黙っておく。
うっかり者のお姫様は『身綺麗にするだけならば浄化で十分』と気付いていない。いいことだ。今後もうっかりでいてもらおう。
汗でベタベタになった浴衣と下着類を脱がしっこしてどうにか剥がす。
肌着も補正用のタオルもぐっしょりと湿っていた。
竹さん、どんだけタオル詰められてるんですか。暑かったでしょう。
「黒陽とトモさんがミストシャワー? ていうのしてくれるんです。だからそこまで暑くなかったです」
……………。
あの過保護どもめ。私にもしてよ!
私のは純粋に汗だが、竹さんの浴衣や肌着が湿っているのは過保護な守り役と『半身』によるミストシャワーのためらしい。これだから高霊力保持者は。
御池のマンションのお風呂は一般的なお風呂なので洗い場も浴槽も離れの大風呂と比べると狭い。
それでもふたりなら十分だ。
髪の短い私が先に頭と身体を洗い、湯船に入った。
竹さんもすぐに続き、頭と身体を洗って湯船に入ってきた。
ふたりして頭をタオルで包み、湯船のなかで向かい合って「はあぁ」と息をつく。
思わず顔を見合わせ、クスクスと笑った。
「お疲れ様でした」
「ひなさんもおつかれさまでした」
ほにゃりと微笑むかわいいお姫様。これはトモさんもメロメロになるわ。
「竹さん、舞も笛もすごいお上手ですね」
そう言うとパッと笑顔になるお姫様。
「ホントですか!? ありがとうございます!!」
………無自覚姫め。なんでそんなに喜ぶのよ。
「私、高霊力保持者なんで、笛を演奏したり舞を舞ったりしたら霊力が広がることがあって。
それで倒れちゃうひともいるから、何重にも結界を展開したところでしか笛も舞もできないんです」
なるほど。一般人が見聞きする機会がないから一般的評価を知らないと。
「神様方はいつでも『上手上手』と褒めてくださいます。
けど、それは私が高間原にいたちいさい頃から観てくださっているからで……。
高霊力を捧げたらお喜びになるのはどの奉納者さんでも同じだし……。
笛とか舞とか、私、高間原にいたときからずっと練習してきたので、褒められたら、すごく、すごくうれしいです」
無自覚姫は頬を染めて照れたように微笑む。
可愛らしさに胸を貫かれた。
言いたいことは山程あるが『もういいや』と放り投げておくことにした。
「それよりもひなさんのほうがすごかったです!!
火の粉がこう、ぶわーっとなって! 晃さんと息ぴったりで!!」
バッシャバッシャと湯船のなかで腕を振り回すお姫様。めずらしく大興奮しておられる。いいことだ。
そのネタが自分というのがイマイチ釈然としないけどね。
「こんなこともあろうかと緋炎様に特訓させられたんですよ」
私のごまかしを「そうなんですね!」と素直に信じるお姫様。チョロい。
「やっぱり緋炎はすごいですね!」
「ですね。あの方、戦闘部隊束ねておられただけあって、知識も豊富だし見識も高いですよね」
「ですよね!」
コクコクうなずくかわいいひと。
「今回の決戦に関しても緋炎様にたくさんアドバイスいただきました。
準備は万端です。
だから、きっと大丈夫ですよ」
にっこりと余裕ぶって微笑んだ。
そんな私にテンション高かったお姫様はすうっと落ち着いていった。
じっと私に向けられたその目に迷いが、不安が浮かぶ。
それを隠すようにそっと目を伏せたお姫様は、弱々しく、困ったような微笑みを浮かべた。
「……ひなさん」
静かな呼びかけに「はい」と答える。
迷うような素振りをしていたお姫様はぎゅっと目を閉じた。
どうにか顔を上げた彼女は、開いたその目をまっすぐに私に向けた。
「私が死んだら、あの引き出しのお手紙を、お願いします」
『引き出しのお手紙』
――この前書いた、いろんなひとへ宛てた遺書。
悲壮な顔に、真剣なまなざしに、彼女は死ぬ覚悟をしているとわかった。
これから起こる『バーチャルキョート』のバージョンアップ。
カナタさんの策ではそこで特定のユーザーを『異界』に転移させ、鬼に喰わせ『贄』として霊力を集める。
そうして明日の朝九時の長刀鉾の注連縄切りを『鍵』に、京都に張り巡らされた陣を展開。
同調させた『異界』から鬼を『現実世界』になだれこませ、京都のひとを無差別に喰わせる。
『宿主』保志 叶多の『願い』
『京都の全ての人間の抹消』
そんなこと、させるわけにはいかない。
一般市民を死なせるなんて、させてはいけない。
カナタさんにこれ以上罪を重ねさせるわけにはいかない。
お人好しで生真面目で責任感の強いお姫様は、カナタさんがひとの生命を奪い続けているのを『「災禍」の封印を解いた自分のせいだ』と背負ってしまった。
これまでもそうやってたくさんのものを背負ってきたんだろう。
だからこそ、これ以上誰も死なせないために『災禍』を滅することを己の責務として戦ってきたお姫様。
そうして今回も戦いに身を投じようとしている。
私の予測では戦いのあとも竹さんは生き残れる可能性が高い。
それでも彼女はこれまでの経験から『自分は死ぬ』と思っている。その覚悟をしている。
せっかく『半身』と結ばれたのに。
どうにかこの頑固者に『生き残れるイメージ』を植え付けなければ。
いざというときに踏ん張れるように。最後まで諦めないように。
「………わかりました」
考えを巡らせ、にっこりと微笑んだ。
「生きて帰ったら、あのお手紙は『感謝状』として皆様にお渡ししましょうね」
そう言うと、かわいいお姫様は目をまんまるにした。そのまましばらくフリーズする。
ようやく再起動した彼女はなにか言おうと口を開いた。が、すぐにまた閉じた。
やがて「ぷっ」と吹き出した。
「――ひなさんは、すごいですね」
「そうですか?」
「すごいです」
クスクスと楽しそうに笑う彼女につられてこちらも笑ってしまう。
よかった。どうやら彼女は前を向けたようだ。
「竹さん」
私の呼びかけに生真面目に顔を向けるお姫様。
「絶対に生きて戻ってきてください」
きっぱりと言い切る私に、竹さんは困ったように微笑むだけ。
だからわざとムッとして言った。
「竹さんが死んだらトモさんがどうなるかわかりません。
それこそ京都を滅ぼす大魔王になりますよあのひと」
私はかなり本気でその心配をしている。
タカさんだって何度もやらかしそうになったと聞いている。
タカさんよりも霊力強くて執着も強くて、頭がよくて行動力もあるトモさんのことだ。京都滅亡どころか日本沈没とかやらかしそう。
なのにお人好しのお姫様は信じない。
「トモさんはそんなことしません」
「するんですよ」
げんなりとした声が出た。
「『半身』を喪った『半身持ち』には普通の判断はできません。
京都の平和のため、いえ、世界の平和のために、竹さんは生き残ってトモさんを一生抑えていてもらわないといけないんです」
「わかりますか?」の念押しする私に、竹さんはキョトンとしている。
「トモさんはいいひとですよ?」
「貴女の前ではね」
あっちこっちでやらかしている報告を思い出し、吐き捨てるように言ってしまう。ホントあのひとは。これだから『半身持ち』は。
「『半身持ち』ナメちゃいけません。ナニやらかすか、どんな無茶するか、わかったもんじゃないですよ」
それでも信じないお姫様に、仕方なく自分を例に出すことにした。
「現に私だって『晃のため』って緋炎様に乗せられて神様相手に舞を奉納するんですよ。一般人の私が!
普通有り得ないですからね!
『半身』のためならってやっちゃった私も私ですけど!」
細かいところは違うが『晃のため』とかなりの無茶をした自覚はある。
だから真に迫った私の言葉に竹さんは苦笑を浮かべた。
「笑ってますけどね竹さん。貴女も『半身持ち』ですからね!」
そう指摘するとキョトンとするお姫様。
「貴女も『トモさんのため』なら、普段からは考えられない無茶をしますよ。絶対ですよ。断言できますよ!」
私の言葉に「そうなんですか!?」とお姫様は驚く。
「だから、絶対生き残れます」
「同じ『半身持ち』の私が断言するんです。
間違いありません」
ニヤリと自信満々に断言する私に、気弱なお姫様は息を飲んだ。
そうして色々考え、ようやく《そうかも》と納得した。
「――ひなさんは、すごいですね」
「そうですか?」
「すごいです」
心からの笑顔を浮かべる彼女に『これなら大丈夫』と私も思えた。