第百四十六話 月曜5 蒼真様の考え
「トモさんはすごいね」
かわいいひとがぽつりとそんなことを言う。
「なにが?」とたずねたら「だって」とどこかムキになったように俺に迫ってくる。かわいい。
「私、これまで五千年の間、私のこの『罪』をどうやって償ったらいいのか、わからなかった。
四千年前に『災禍』が『いる』ってわかって、そのせいで国が滅びてたくさんのひとが亡くなって、だから『災禍』を滅しようって話になったんだけど、滅することは私達の『やらないといけない責務』だと思ってた。
責務は責務で、『罪』はまた別に償わなきゃって、ずっと思ってた。
でもどうやったら償えるのかわからなかった。
お守りをつくったり、すこしでもひとのためになることをしようってしたけど、どれもうまくいかないし。
死んでお詫びをしたくても、またすぐ生まれ変わってくるし」
話しながら次第にショボンとしていくのがかわいくて可哀想で、抱きしめて彼女の頭を俺の肩に押し付けた。
彼女は甘えるように俺にもたれた。
そんな仕草も愛おしくて、ますますぎゅうっと抱きしめてしまう。
「でも、今トモさんが教えてくれたから」
「『災禍』を滅することが『罪滅ぼし』になるって、教えてくれたから」
「私の償うべき『罪』も。私の負うべき『罰』も。
みんな『今生で償って流そう』って言ってくれたから」
「そしたらきっと『私のせいで死んだひと達も赦してくれる』って、教えてくれたから」
ぽつりぽつりと言葉をつむぎ、彼女は俺の身体に腕を回してぎゅっと抱きついた。
「だから私、がんばる」
生真面目にそう宣言し、俺の肩にぎゅうっと顔を押し付けてくる。
「がんばる」
ちいさくちいさくつぶやく彼女が愛しくていじらしくて、またぎゅうぎゅうと抱き寄せた。
「………ひとりでがんばらなくていいよ」
「俺もいるから」
「ふたりで一緒にがんばろう」
俺の言葉に彼女が息を飲んだのがわかった。
さらにぎゅうっと抱きしめられる。
「―――うん」
「ありがと……」
―――くっっっそかわいいぃぃぃ! いじらしいぃぃぃ!
もう、なんだよこのひと! なんでこんなにかわいらしいんだよ!!
愛おしすぎて感情制御ができない。霊力制御もできない。ただただ抱きしめるしかできない。
もう、絶対死なせない! 絶対に『災禍』を滅してやる!!
鼻息荒く決意も新たに「がんばろうね」とささやいた。
生真面目な愛しいひとは「うん」とうなずいた。
どうにか落ち着いたところで彼女を開放する。
名残惜しそうに俺の肩にもたれていた彼女だったが、のろりと頭を上げた。
俺の顔を見て「えへへ」と照れくさそうに微笑む、その笑顔にまたしても胸を貫かれた。
どんだけ愛らしいんだ俺の妻は! これじゃあ俺の心臓もたないよ!?
頬に手を添え、ちゅ、と口付ける。
一瞬のキスにも彼女はうれしそうに微笑んだ。
その表情にまたしても胸を鷲掴みにされた。
「きりがない」
ぼそりと聞こえた声に彼女はわかりやすく跳ねた。
優秀な守り役は自分の守るべき姫が生真面目な恥ずかしがり屋だと承知しているので、いつもは気を利かせて気配を消している。それでうっかり者の愛しい妻は守り役がそばにいることを忘れるらしい。
だから彼女は俺と抱き合ったりキスしたりできる。
が、さすがに今のつぶやきはうっかり者の妻にもはっきりと守り役の存在を理解させた。
おそるおそる声の方向に目を向けた妻はそこにそっぽを向いた守り役を見つけ、みるみる顔を赤くした。
「え」「あ」「あうぅぅ」と意味不明な声をもらし、両手で顔を隠してしまった。
さらに俺の膝の上に乗ったまま丸くなろうとする。かわいすぎるんだが。愛おしすぎるんだが。
「いいから朝食に行くぞ。今日もやることがあるんだろう」
守り役が俺にかけた言葉に、彼女がハッとする。
たった今『がんばる』と言ったことを思い出したらしい。
パッと顔を上げ、またもハッとした。ようやく自分がパジャマのままだと気付いたらしい。
「ご、ごめんなさい! すぐ着替えるね!」
あわてて俺の膝から飛び降りる彼女。
「ええと、今日はどこに行くの? なに着ればいいかな」
母親達が用意してくれたクローゼットの中身を見ながらあわあわする彼女がかわいくて愛おしくて、一緒に服を選んでから部屋を出た。
彼女の着替えを待つのにリビングに移動し、椅子に座った。
彼女が起きるまでとかけていた時間停止の結界のおかげで、あれだけ話し合いをしてもそんなに時間は経っていない。
スマホでヒロに『もうすぐ行く』と連絡を入れたところで、黒陽がボソリとつぶやいた。
「――ありがとな」
「なにが?」
「姫のことだ」
「だからなにが?」
なんのことかわからず重ねてたずねたら、黒陽は苦笑を浮かべた。
「姫にとって『罪を償うこと』『罰を受けること』は『当たり前のこと』だったんだ。
『赦されたい』と思っていろいろしてきたことは間違いないのだが、それでも『赦される』とは姫は考えたことはなかったに違いない」
生真面目で頑固なあのひとらしいと苦笑が浮かぶ。
「しかし、今のお前の話で、姫はようやく『赦される道筋』をみつけた。
『赦される可能性』を持つことができた。
それも『今生でどうにかできるかもしれない』と思うことができた」
それは頑固で思い込みの激しい彼女にとって、価値観をひっくり返すレベルの目から鱗なことだと守り役が言う。
「――お前のおかげだ」
「ありがとう」
にっこりと微笑む黒い亀の目が潤んでいることに気付かないフリをして「別に」と笑いかける。
「あのひとは俺の妻だ。
愛しい妻を丸め込むのは、夫の特権だろう?」
ニヤリと笑ってそういう俺に黒陽は目を丸くした。
が、すぐに「プッ」と吹き出し「違いない」と楽しそうに笑った。
御池に移動したら保護者達もハル達もみんな揃っていた。ちょうどよかった。
「おはようございます。昨日はありがとうございました」
キチンと頭を下げると、愛しい妻が慌てたように俺に倣って頭を下げた。
ヒロと晃には朝の修行の前に一番に礼を言ったが、何度言ってもいいだろう。
保護者達は「気にしなくてもいいのよー」「そうだよ。こっちが頼んだんだから」なんて軽ーく言ってくれる。
彼女が気に病まないようにわざとそう言ってくれているのがわかって、ありがたくてもう一度頭を下げた。
朝食をいただいて離れに移動し、リビングで打ち合わせをする。
出席者は俺と竹さんと黒陽、ハルとヒロ、晃とひなさん、タカさんと蒼真様。
白露様と緋炎様は西の姫のところに報告に行っている。終わり次第こちらに来られる予定。
西の姫への報告がいるからとヒロが議事録をとるべくレポート用紙を広げた。
俺達が離れで話をしている間にヒロと晃がハルとタカさんとひなさん、そして蒼真様に話をしていた。
竹さんを死なせたくない俺が『呪い』を解きたいと願っていること。
どうにか『呪い』をかけた『災禍』に解かせることはできないか。
姫や守り役はこの『呪い』のことをどう考えているのか。『呪い』が解けるならば『解きたい』と思うのか。
蒼真様の答えは「姫次第」だった。
不老不死の身はあちこちの薬草園の管理をし薬を研究するのにはうってつけだ。
『記憶を持ったまま転生』するのも、研究者にとっては「たまらないことだ」と蒼真様も言う。
「でもそれって、言ってみれば『ズル』なんだよね」
蒼真様はそんな表現をした。
「みんな限りのある人生のなかで研究したりしてるのに、ぼくらだけが無限の時間がある。
そのことに、気付かされた」
ヒロから俺の話を聞かされた蒼真様は、改めて自分と己の姫にかけられた『呪い』について考えてくれたらしい。それで朝食のときめずらしくおとなしかったのか。
「『呪い』をかけられて高間原から『落ちて』、ぼくらしばらく無我夢中だったんだよ」
自分に一体何が起こったのか。高間原は、自分達の国はどうなったのか。
事態を飲み込めないうちに次々とひとが『渡って』くる。
増える人口に対応すべく動く。新しい情報が次から次へと入ってくる。立ち止まって考える暇はなかった。
ようやく安定した生活基盤ができたときには何十年も経っていた。
苦楽を共にしたひとを、ひとり、またひとりと見送る。
新しい生命を迎え、病に、怪我に苦しむひとに薬を処方する。そうして生命を見送る。
そんなことを何度も何度も繰り返していた。
『呪い』を解呪できないかと東の姫と研究していた時期もあった。
西の姫と白露様は展開された陣から研究していたから、東の姫と蒼真様は解毒薬のようなものがつくれないか研究していたという。
でもそれもうまくいかなかった。
何十年、何百年と失敗を重ね、そのうちに『呪い』を解くことを諦めた。
『呪い』を、受け入れた。
そうして何度も己の姫の死を見送り、母体に宿った姫を迎えた。
「姫が転生する限り、ぼくは姫のそばにいる」
「それがぼくの存在意義。ぼくの果たすべき使命」
いつになく真面目な蒼真様の言葉に黒陽もうなずくことで同意を示す。
「逆に言えば、姫が『記憶を持って転生』なんてしないなら、ぼくは『お役御免』なんだよね」
「姫がいないのにぼくだけ長生きしても、つまんない」
拗ねたように、どこかさみしそうに蒼真様はつぶやいた。
言い方はともかく、蒼真様も黒陽と同じで「姫の『呪い』が解けるならば自分の『呪い』も解呪しても構わない」とのことだった。
覚醒していない東の姫の意思確認はどうすべきか、守り役である蒼真様に確認してみた。
「ウチの姫は潔いひとだから。
今回ヒロがしてくれた話を聞いて、ホントに『呪い』を解くことができるのだったら、あっさり解呪に同意すると思うよ」
きっぱりと蒼真様が断言する。どうやら東の姫というひとは高潔な人物のようだ。
竹さんも黒陽も、ハルも「でしょうね」とうなずいている。
「ぼくも姫も、『呪い』が解けないから『呪い』を受け入れてるだけ。
もし解けるなら、解いたほうがいいに決まってるよ」
その瞳に言いしれない深みを浮かべる蒼真様。
いつもの明るくどこか幼い様子はなりをひそめていた。
長い時間を生きてきたひと特有の悟りきった様子に、このひとはどれほどのことを重ねてきたのだろうと思った。
俺達の視線に気付いたのか、パッと顔を上げた蒼真様はいつもの明るい調子で言った。
「研究者としては『もったいない』とは思うけどね」
ケロッと笑うその顔は、もういつもの青い龍だった。
「もし『呪い』が解けるなら、この鱗、取っときたいね!
『龍の鱗』なんて、薬の材料になりそうじゃない!?
あ! このたてがみも薬にならないかな!? 爪はどうかな!!」
「ちょっと試してみよう!」と自分の鱗を剥ごうとする龍を全員であわてて止めた。