第百四十三話 月曜日2 黒陽の考え
「考えることはまだあるよ」
ヒロがそう指摘する。
「仮に『呪い』が解けたとして。
それまでの時間が一気にかかる可能性はない?」
「どういうこと?」とたずねる晃にヒロが答える。
「これまでの五千年ていう時間が一気にその身にかかって、急激に歳を取ってミイラみたいになって死んじゃうとか」
「そんな!」
「ヒィッ」と晃は息を飲んだが、確かにヒロの言うとおりだ。そういう可能性も否定はできない。
「単に止まっていた時間が流れはじめて、『呪い』を受けた年齢の状態から普通に歳を重ねるんならいいんだけどね」
術の研究にとラノベやマンガを読み漁っているヒロには想定されるパターンがいくつも浮かんでいるらしい。
「他に考えられる可能性は?」と水を向けてみると「そうだねぇ」と考え、答えた。
「守り役様達は『死ねない呪い』だけ解けて『獣の姿』のままとか」
「姫達は『記憶を持って』だけ解けて『二十歳まで生きられない』は残るとか」
「なるほど……。
ふたつの『呪い』の片方しか解呪されないパターンか……」
うなずく俺にヒロもうなずく。
「こればっかりは解呪する術者の匙加減じゃない?
しかもかけたのは五千年も前だろ?
術者がきっちり術式を覚えているいれば問題ないけど、うっかり一文字間違えただけでも解呪とはならないと思うんだ」
「解呪するつもりが、別の『呪い』を重ねることになる、とか」
新たに示された可能性にゾッとする。
確かにそのとおりだ。
「………俺………考えが浅かった………」
がっくりとうなだれることしかできない。くそう。情けない。
やはり無理なのか?
彼女の『呪い』を解くことは。彼女とこれから先もずっと一緒にいることは。無理なことなのか?
「ゔゔゔ」と頭を抱えて唸っていたら、ヒロと晃が気の毒がってくれた。
「とりあえず、今の話はハルと父さんに報告しとくよ。菊様へは白露様、お願いします」
「わかったわ」
「俺もひなに言っとく」
「……そうだな。頼む」
どうにかうなずくと、ヒロは真面目な顔で続けた。
「朝ごはんのときにまとめて話すよりは、おひとりずつに聞いたほうがいいと思う」
それもそうだな。
デリケートな問題だしな。
「黒陽様と竹さんには、トモ、聞いといて」
「わかった」
「梅様と蘭様はどうします?」
問いかけられた緋炎様はちいさく首をかしげた。
「ウチの姫はそういう細かいこと気にしないと思うから、放置でいいわ」
いいのかよ。どんな姫だ。
「梅様は、どうかしらねぇ……。
あの方、蒼真以上に研究熱心だから……。
『記憶を持って転生』の恩恵を一番受けているとしたら、間違いなく梅様よね」
「そうねぇ。
薬草園の手入れは蒼真がしてるけど、転生するたび、覚醒するたびに調査結果確認してたらしいものねぇ」
「うーん」と唸っていたおふたりだったが、「それも含めて姫に聞いてみる」と白露様が請け負ってくださった。
「『呪い』を解く方法を相談したつもりだったのに、新たな問題が出ただけだったな」
離れに戻りながらがっくりとぼやけば、ヒロが「そんなことないよ」となぐさめてくれる。
「トモが提案してくれなかったらこんな議題出なかった。
きっと必要なことだよ。だからあんまりヘコむなよ」
「そうだよ。
結局『「呪い」を解く方法』は見つからなかったけど、色々考えるきっかけにはなったよ。
ひなならきっといい手を考えてくれるよ。
だからあんまり落ち込むなよトモ」
ふたりに励まされ、どうにか「サンキュ」と笑みを作る。
「とりあえず汗流そう! で、ごはん食べよ!」
ヒロに明るい声で引っ張られ、三人で風呂に直行した。
竹さんの部屋に戻ると、愛しい妻はまだ寝ていた。いいことだ。しっかりと寝させよう。
ハルのくれた時間停止の結界を起動させ、ノートパソコンを取り出す。
データ分析をしていたら端に置いた籠がごそごそと動いた。
「……………おはよう」
「おはよ」
首だけ出す黒い亀に挨拶を返す。
最初は俺が起きてゴソゴソしているのに気付くことなくぐーすか眠っていた自分を責めていた黒陽だったが、最近は『そういうもの』と諦めたらしい。あっさりと挨拶してくるようになった。
「良く寝たか?」
「うむ。しっかりと寝た」
「ふわぁ」と大きなあくびをした黒陽が「うーん」と伸びをする。
甲羅から出ている手足と首を限界まで伸ばしたあとダランと力を抜き、竹さんの様子を目だけで確認した。
「姫は、熱は?」
「なさそうだぞ」
「そうか。なら良い」
昨日は波瀾万丈だったからな。疲れが出て発熱するんじゃないかと俺も心配してた。
抱きしめて霊力循環してたからか、心配していたほど疲れがなかったからか、熱を出すことなくスヤスヤと気持ち良さそうに眠っている。
「今日はなにかあるか?」
竹さんが起き出すまでの黒陽とのふたりの時間に、竹さんに聞かせられない話を報告し合うのはいつものこと。
俺がヒロとの修行で聞いたことを報告することもあれば黒陽が守り役達から聞いたことを報告することもある。
「………ちょっと、込み入った話がある」
チラリと彼女の様子をうかがう。まだ起きそうにはない。
「フム」とひとつうなずいた黒陽がパッとなにかを展開した。
「姫の周りに防音結界をかけた。これで我らの話は姫には聞こえない」
「……話の途中で起きないか?」
「なんだ? そんなに長くなる話か?」
いぶかしげな黒陽に「うーん」と唸るしかできない。
彼女の様子をうかがう。よく寝ている。
これならまあ、大丈夫か……?
「……実はな」
そうして黒陽に話をした。
竹さんを死なせたくないこと。この先もずっと一緒にいたいこと。
そのためには『呪い』を解く必要があると考えたこと。
ずっとひとりで考えていたが、今日ヒロ達に相談したこと。
「『呪い』を解くことを本人は望んでいるのか」とヒロに指摘されたこと。
『呪い』といっているが、見方を変えたら違う受け取り方ができるのではないか。
仮に『呪い』を解くことができたとして、起こりうるであろうこと。考えられる可能性。
俺の話を黒陽はただ黙って聞いていた。
「黒陽はどう思う?」
「『「呪い」を解きたい』と思うか?」
そこまで話をして、ふと思い出した。
白露様と緋炎様から聞いた、黒陽の過去。
高間原から落ちてすぐ。『半身』の死を知って自ら首を落とした黒陽。『呪い』のために死ぬことは叶わず、それでも何度も自傷に走っていたこと。
そんな黒陽が『呪い』を解いたら――。
俺の思考を読んだのか。黒陽は困ったように嗤った。
「心配するな。もう自傷はしない」
「………本当か?」
信じられない俺に「ああ」と軽く答える黒陽には、嘘も気負いも見られない。
「『落ちて』すぐは『もう会えない』と絶望したが。
この五千年の間に何度か逢った。
それならば、そのうちまた出逢うこともあるだろう」
ぺろっと簡単そうに言うが。
「………わかるのか?」
「わかるさ」
「『半身』だからな」
気楽に、だがどこかさみしそうに言う黒陽に、かける言葉がみつからない。
黒陽の『半身』。妻の黒枝さん。
竹さんの育ての母。高間原にあった黒陽達の国の神官職の一族の出身で、ご自身も今でいう『神の愛し児』にあたる『神の巫女』だった。
そのひとは黒陽達がこの『世界』に落とされたあと『黄』の王に不服申し立てに行って殺された。
が、『白』の女王が『亡くなったものの魂も連れてきた』と言ったとおり、この『世界』で転生を繰り返していたようだ。
「………黒枝さんは黒陽のこと、わかったのか?」
聞こうかどうしようか迷って、結局聞いてしまった。
黒陽はなんてことないようにあっさりと「いや」と答えた。
「記憶がないからな。わからんだろう」
「……『半身』じゃないか」
「『半身』でも」
つい、と窓の外に顔を向ける黒陽。
「まあ、仕方のないことだ」
………それでいいのかよ。
モヤッとしたものが胸に浮かんだが、口には出せなかった。
黙った俺に黒陽は困ったように笑った。
「私は隠れていたからな。向こうは気付きようがない。
だが、姫のことは記憶がなくても『守るべき姫』だとわかっているらしい。
縁あって近くにいたときには、熱心に世話をしてくれた」
――それをあんたは黙ってみてたってことか――。
おそらくは『半身』の『しあわせ』のため。
亀の身になった自分では与えられない『しあわせ』のため。
どうにもならない過去のことだとわかっていても、くやしさが沸き起こる。
ぎゅ、と拳を握る俺に黒陽は何も言わない。
「黒枝は――私の『半身』は、この『世界』で輪廻を廻っている。
それならば、私がすべきは、自死することではない。
姫を守り、責務を果たすこと。与えられた生命を最後まで生き抜くこと。
為すべきを成せば、いつかまた巡り逢うこともあるだろう」
「お前と姫のようにな」
ニヤリと笑う黒陽に、どうにか口の端を上げた。
そうか。
俺達も何度も別れ、それでも巡り逢った。
それならきっと黒陽も『半身』にまた出逢うこともあるかもしれない。
「――じゃあ黒陽は『呪い』を解くことができるとしたら『解きたい』か?」
「そうだな」
あっさりと黒陽は答えを出した。
「姫の『呪い』が解けるならば、私が長く生き続ける必要はない。
私自身は『不老不死』など必要ない」
「そんなものは『世の理』に反する」
生真面目な男らしい生真面目な答えに、なんだかおかしくなった。