久木陽奈の暗躍 66 土曜日2 説得
あと数日で彼女は死んでしまう。
この決戦で彼女は『災禍』を封じるために全力を出す。魂を削る。そうして、生命を落とす。
それは誰もが予測していることで、誰もが口に出さないないこと。
あと数日でこの愛しいお姫様と別れなければならない。
それは私にとってもつらく、かなしいこと。
できるならば避けたい、防ぎたいこと。
でもおそらくは、どうにもできないこと。
だからこそトモさんは必死に動いている。
己の『半身』を喪う恐怖から目を背け、ほんの僅かな可能性にすがって必死に彼女が生き残る手段を探っている。
あと数日。
彼女に、彼に、残されているのは、あと数日。
『恋人ごっこ』をしていると言っていた。
でも今は『ごっこ』じゃない。
日々を重ね、想いを重ね、ふたりは『恋人』に成った。
精神系能力者の私にはそれが『わかる』。
遠慮がちで、己を罪人だと、『災厄を招く娘』だと思い込んでいるこのひとが、トモさんには自分を委ねている。
黒陽様よりも近い場所にトモさんが居る。
それが『わかる』。
それでもあと一歩が踏み出せない。
あともう何枚か壁がある。
それも『わかる』。
どうにかできないのだろうか。
せめて『好き』と伝えることはできないのだろうか。
遺される彼のためにも。
遺して逝く彼女のためにも。
『遺して逝く』
ジクリと、昔の傷がうずいた。
私も遺して逝った。家族を。同僚を。友達を。
先日会った両親を思い出す。再会した同僚を思い出す。
泣かれた。怒られた。どれほどつらかったのか聞かされた。
そうだ。
彼女も私と同じことをしようとしている。
身近なひとを遺して逝こうとしている。
ならば。
あんな想いをさせてはいけない。
あんな後悔を抱かせてはいけない。
まだだ。まだ時間はある。
この頑固者をどうにか説得して、せめてトモさんにだけでも『好き』と伝えさせなくては。
新たな使命感を抱き、戦略を組み立てていく。
いきなり言ってもこのひと頑固だから聞かないわよね。
じゃあまずはこっちを片付けるか……。
「……仮に竹さんが置いていかれる立場だとして」
私の言葉に竹さんはハッとして反論しようとしたのか口を開いた。
その隙を与えず言葉を続ける。
「どんな手紙をもらったらうれしいですか?」
この質問に彼女はパクンと口を閉じた。
そうして生真面目に考えはじめた。
改めて自分の書いた紙をじっと見つめる竹さん。
そうして、一枚のレポート用紙をそっとなでた。
「――そうですね。これで十分です」
そうして顔を上げ、にっこりと微笑んだ。
「ありがとうございます」
「――なにもしてないですけどね」
苦笑を浮かべる私に竹さんはちいさく首を振った。
「――アドバイスさせてもらうと」
そう言うとピッと姿勢を正す生真面目なひと。
「レポート用紙よりはちゃんとした便箋と封筒のほうがいいと思います」
「………ですよね……」
へにょりと眉を下げる竹さんに苦笑が浮かぶ。
《買いに行きたいけど、トモさん離れてくれないから》と諦めている。
まったくあの男は。
ため息をひとつ落とし、彼女に提案した。
「私が何種類か買ってきます。
で、そのなかから竹さんの好きなのを選んでください」
「! いいんですか!?」
「ええ。なんならトモさんも引きつけときますよ」
軽くそう言ったら「お願いします!!」と頭を下げられた。そんなにか。
「ただし。いくつか条件があります」
「もちろんです! なんでも言ってください!」
真剣な顔で乗り出してくる彼女がかわいくてつい笑みが浮かんだ。
「ひとつは、千明様とアキさんにも手紙を書くこと」
そう言うと竹さんはパカリと口を開けた。
ハッとしてすぐに《そうだった!》とあわてだした。
「もし可能ならば、主座様やヒロさんにも書いてあげてください」
コクコクと生真面目にうなずく彼女。頭の中に『書くひとリスト』ができていく。
「それからもうひとつ」
うなずく彼女ににっこりと微笑んだ。
「トモさんに『好き』って言ってあげてください」
そう言うと、彼女はわかりやすく困惑した。
「――だって――」とちいさくつぶやき、うつむいた。
ああもう。頑固なんだから。
自分が『好き』ということは彼にとって『迷惑なこと』だと思い込んでいる。そんなことないのに。
「竹さん、トモさんに『好き』って言われてるでしょ?」
うなずく彼女。
「『好き』って言われて、どうですか?」
そう聞くと、固まってしまった。
「うれしい? 嫌?」
トモさんに与えられた言葉を、愛情を思い出し、『しあわせ』を感じているのを承知の上でそうたずねてみた。
彼女はうつむいたまま、ポツリともらした。
「――うれしい、です……」
「でしょ?」
フフン。とわざと偉そうに笑ったら、ようやく竹さんは顔を上げた。
「トモさんだって言われたらうれしいに決まってます」
ポカンとしたあとハッとして、ぶすぅっとした顔になってそっぽを向く竹さん。照れているのが伝わって、かわいくてからかいたくなってしまう。
でもそれはまたの機会に。
今はこの頑固者を論破しなくっちゃ。
「それにね」
私の声色が変わったとわかったらしい竹さんがまたまっすぐに顔を向けてくれる。
「私も一度死んだから言えるんですけど」
ちいさく首を傾げ《なんだろう》と思っているかわいいひと。
なんだか幼く見えて、ちょっと笑った。
「私ね。『生まれ変わった』と、『死んだ』とわかったときに、強く感じたんです」
あの日。
目が覚めたら高熱が出てて身動きとれなくて、うんうん唸っているうちに眠りに落ちた。
気が付いたら赤ん坊になってて、それでようやく『死んだ』と理解した。
そのとき、強く強く感じた。
「『もっとちゃんと言っておけばよかった』って」
ちいさく眉を寄せるお人好しなお姫様に、わざとにっこりと微笑んだ。
「家族に。同僚に。友達に。
『いつもありがとう』と。『大好き』と。
普段から伝えておけばよかったと、強く後悔したんです」
竹さんは黙ってうつむいた。
私の後悔に、痛みに思いを馳せ、一緒に悲しんでくれる。
甘っちょろいお人好しに、なんだか癒やされるのを感じた。
「黙っていても伝わることもあるかもしれません。
でも、ほとんどは、黙ってたんじゃあなにも伝わらないんですよ」
うつむいたままうなずく竹さんに続けて言う。
「そうして死んでから『言っとけばよかった』って、後悔するんですよ」
「死んでから気が付いたんじゃ遅いんですけどね」
苦笑を浮かべる私に竹さんはのろりと顔を上げ、痛そうに首を振った。
「竹さん」
強く呼びかけると「はい」と生真面目な返事が返ってきた。
「竹さんはまだ生きてる」
「まだ時間がある」
私の言葉に、竹さんの瞳がゆらいだ。
《でも、もう時間がない》
《あと数日しかない》
そう嘆いているのが伝わって、本当は泣き出したいのも逃げ出したいのも伝わってきた。
それでも《私の責務だから》と。《私のせいだから》と『災禍』を滅する戦いに身を投じようとしている。
こわいのに。つらいのに。嫌なのに。別れたくないのに。
だから、その手を取った。
ぎゅっと握り、まっすぐにその瞳を見つめた。
「残り時間が少ないからこそ。
残ってる時間を大切に過ごしてください」
私のナカには晃の『火』が在る。
その『火』を彼女に分け与えるつもりで、ぐっとその手を強く握った。
「アキさん達ご家族に。主座様に。守り役の皆様に。――トモさんに。
感謝と『好き』を伝えてください」
「生まれ変わった貴女が後悔しないために」
私の言葉に竹さんは揺らいだ。
頑固者のココロに隙ができたのを見逃さずたたみかける。
「まだ時間はあります。まだできることはたくさんあります」
「できる限りで、たくさん伝えてください。
遺されるひと達が前をむけるように。
生まれ変わった貴女が胸を張れるように」
私の言葉が彼女の胸を打つ。
《前を向けるように》
《胸を張れるように》
その言葉がじんわりと彼女のナカに広がっていく。
じっと私を見つめてくれるかわいいひとに、ふと思った。
そうだ。まずは私が実践してみせなくては。
言うだけでなく、ちゃんと手本を示さなくては。
だから、彼女の目をまっすぐに見つめ、言った。
「――私、竹さん好きですよ」
かわいいひとはひゅっと息を飲んだ。
「出会えてよかったと思ってます」
にっこりと微笑むと、ふっくらとしたその頬がみるみる赤くなっていく。
あわあわと口を開け閉めし、ぐっと意を決した。
「――わ、わ、私も!」
握った手をぎゅっと握ってくれる。
「私も、ひなさんのこと、大好きです!
ひなさんに会えて、一緒に過ごせて、すごく、すごく楽しかったです!」
まっすぐな好意に照れくさくなる。でも、素直にうれしい。
「ありがとうございます」と笑うと彼女もうれしそうに微笑んだ。
「ね?」
「わかってることでも、ちゃんと言葉にして伝えてもらえたら、うれしいもんなんですよ」
そう言うと、彼女はハッとして、またうつむいた。
迷っているのが伝わってくる。
それでも私の言葉が彼女をあたためているのも感じる。
言って良かった。
素直にそう思う。
「――まあ、まだ時間はありますから。
チャンスがあったらどんどん伝えていってください」
情けない様子で顔を上げる彼女にわざと「千明様とかアキさんとか」と挙げると《そうだった!》と目を丸くする。
トモさんのことしか頭にないって言ってるようなもんですよ?
そんなに好きならさっさと伝えればいいのに。
おそらく彼女はあと数日で死ぬ。
そうして何十年、何百年後に生まれ変わる。
そのときにはきっと、今現在彼女の周りにいる人間は誰も生きてはいない。
私も。晃も。トモさんも。
『そのとき』に彼女が少しでも後悔しないように。
少しでも彼女がやさしい思い出に満たされるように。
まだ時間はある。
きっと伝えられる。
そう信じて、そうなるように願って、彼女の手をぎゅっと握った。