第百三十六話 『夫婦ごっこ』3
『生まれ変わるまで待つ』と言う俺に、彼女は目を伏せ黙り込んだ。
葛藤しているのが手に取るようにわかる。
この生真面目で遠慮がちな頑固者は、俺にそれだけの時間をとらせることを良しとしないだろう。
だからわざと別のことを聞いた。
「俺がオッサンやジジイになったら、嫌? もう会いたくない?」
この質問に、生真面目な愛しいひとは慌てたようにぷるぷると首を振った。
「よかった」
ホッとして微笑むと、彼女は困ったように口をへの字にした。
「俺、待ってるから。
オッサンになってもジジイになっても。
貴女にまた会えるまで、待ってるから」
「だから、生まれ変わったら帰ってきて。
俺のところに。
またこんなふうに三人で暮らそう」
俺の言葉に、彼女は肩をこわばらせた。
泣くのをこらえている。拳を握り、なにかを葛藤していたが、耐えかねたように俺の肩に顔を押し付けてきた。
珍しく素直に甘えてくれている。かわいい。愛おしい。
すぐにぎゅうっと抱き込むと、それだけで彼女のこわばりが少しゆるんだ。
「……私、いつ生まれ変わるか、わかんない……」
か細い声でそんなことを言う。でも、そんなこと百も承知だ。
「いいよ」
「いつまででも待つよ」
だから即答した。
俺の肩に埋めたままの頭をなでながら。
「宗主様――白楽様のところは『こっち』と時間の流れが違うだろ?
俺、宗主様のところで待ってる。
ありがたいことに技術者連中やら師範連中が『また来い』って言ってくれてたから、そこで待ってる」
彼女はなにか考えているのか、じっとしたまま。
そんな彼女の頭を抱きかかえたまま、黒陽に顔を向けた。
「黒陽なら宗主様のところと行き来できるだろ?」
「できる」
「じゃあ、竹さんが生まれ変わったら教えてくれ」
「わかった」
黒陽と話を進めていたら、愛しいひとが「ダメ」と言い出した。
ガバリと顔を上げ、悲壮な顔つきで俺を見つめてきた。
「ダメ」
「『待つ』なんて、ダメ」
「私、貴方にそこまでしてもらう価値、ない」
必死に首を振る彼女がかわいくて愛おしい。
頬を両手ではさみ、涙に潤むその目をまっすぐに見つめた。
「それを決めるのは貴女じゃない。俺だ」
はっきりと断言してやると、彼女はわかりやすくひるんだ。
息を飲む彼女ににっこりと微笑みかける。
「俺にとっては、十分価値があるよ」
そう言っても彼女は「でも」とためらう。
苦しそうに眉を寄せた。
「また貴女に会えるならば、どれだけでも待つ。
貴女はそれだけの価値のある女性だ」
視線で『そうでしょ?』と問いかけたけれど、彼女は泣きそうな顔でグッと口を引き結んだ。
「俺の『半身』。俺の唯一」
頬をなでてから彼女の背中に腕をまわす。
ぎゅうっと抱きしめる俺に彼女はなにも言わない。
「待つ間、貴女の『夫』でいさせて。
『ごっこ』でいいから。
貴女のことを『俺の妻』と呼ばせて」
片手で支える彼女の頭に頭をすり寄せる。
甘える俺に彼女はされるがままになっている。
それでも嫌がっていないことはわかる。
彼女はためらっているだけだ。
俺を心配しているだけだ。
俺が好きだから。俺が大切だから。
俺だって同じだ。
彼女が好きで、大切で、離したくない。
たとえあと数日で死に別れると理解していても。
いつかまた会えると信じている。
生まれ変わった彼女とまた会えると。また一緒に暮らせると。
信じている。
「生まれ変わっても、三人で暮らそう。これまでみたいに」
そう言ったら、彼女はちいさく反応した。
なにかをためらい、葛藤しているのがわかる。
やがて、ちいさなちいさな声がした。
「………いいの……?」
ポツリ。
抱きかかえた俺にもたれたまま、ちいさく問いかけてきた。
「いいよ」
すぐに答える俺に、彼女はまた黙ってしまった。
が、またポツリと言葉を落とした。
「……そんなことして、赦されるの……?」
「赦すも赦さないも」
生真面目な愛しいひとをぎゅっと抱きしめ、言った。
「それを決めるのは貴女でしょう?」
ピタリと彼女が動きを止めた。
きっとポカンとしている。
「貴女が『誰と暮らしたいか』でしょう?」
重ねて言うと、頭を起こそうとしたのがわかった。
腕をゆるめてやると彼女はのろりと身体を起こした。
予想どおりのポカンとした顔を向けてきたから、かわいくておかしくてちょっと笑った。
かわいいひとの両手をつかみ、まっすぐにその目を見つめた。
「俺は貴女と暮らしたい。
貴女と、黒陽と、三人で暮らしたい。
俺達夫婦と、妻の守り役と、三人で。
黒陽。あんたは?」
「お前と暮らすのは悪くない。
姫の体調も良くなるしな。
いかがですか? 姫」
すぐに答える守り役に、彼女はやっぱりポカンとしていた。
ポカンとしたまま「でも」「だって」とちいさくつぶやいた。
「赦される、の?」
「別に問題はないでしょう。これまでだって一緒に暮らしているのですから」
「だって、私、罪人で」
「それを言うなら私も同罪です」
その言葉に彼女はうろたえた。
「ちがう! 黒陽は私を守ってくれた!」
俺の膝から落っこちそうになったので、すぐさま抱いて支える。
「私が悪いの! 黒陽は悪くないの!」
「それは今いいから」
俺が口をはさむとムッとした顔を向ける愛しいひと。
かわいくてついヘラリと笑ったら、さらにムッとされた。
「今は俺の話でしょ?」
「『夫婦ごっこ』の話でしょ?」
わざと責めるようにそう言うと『そうだった!』と言うような顔をしてシュンとする彼女。うっかりだなぁ。チョロいなぁ。
それでもなにか考えていた彼女だったが、やがておずおずと俺を見上げてきた。上目遣いかわいい。
「……『夫婦ごっこ』って……、なにをすればいいの?」
「なにもしなくていいよ」
生真面目な質問にサラッと答えると、彼女は目をまんまるにして驚いていた。
「これまでどおり。一緒にいて、一緒に飯食って、一緒に笑って、一緒に寝る。
朝起きたら『おはよう』って言って、夜寝るときに『おやすみ』って言う」
俺の説明に考える彼女に「ね?」と笑いかける。
「今までと変わらないでしょ?」
そんな俺に彼女は眉を寄せた。
「………それで、いいの?」
「いいよ」
「………イヤじゃない?」
「ないよ」
「……迷惑じゃない?」
「ちっとも」
いつものやりとりにおかしく思っていたら、彼女はへにょりと情けない顔をした。
そっと視線をはずし、ポツリとつぶやいた。
「……私、そばにいられなくなるなるのに」
「いいよ」
即答する俺に、彼女がのろりと顔を上げる。
「それでもいいよ」
にっこりと微笑んだ。
なのに彼女は泣きそうに顔をゆがめた。
「そばにいられない間、貴女をそばに感じていたい。
だから『夫婦』になりたい」
彼女はまた目を伏せた。まばたきを繰り返している。涙が落ちそうになるのをごまかしているのかもしれない。
だからその顔を下からのぞきこんだ。
「……駄目?」
あざとく甘えてみたら、彼女はわかりやすく照れた。
ぶすぅっとした顔をしてそっぽを向く。
愛しいひとのかわいらしい態度に、また笑みがこぼれる。
「竹さん」
そのままの勢いで、ねだった。
「俺の『妻』になって」
そろりと俺に目を向ける、その態度がかわいくて、またぎゅうっと抱きしめた。
「俺を貴女の『夫』にして。『夫』として、貴女を、『妻』を待たせて」
俺の『おねだり』に、彼女はまたなにか考えていた。
「……私で、いいの?」
「貴女がいいんだ」
「私、死んじゃうのに…」
「また生まれ変わるでしょ?」
ポソポソと問いかけてくるのを端から斬り捨てていく。
「それとも、生まれ変わったら、もう俺に会いたくない?
俺の『妻』になるのは、嫌?
一緒に暮らすのは、嫌?」
わざとそう斬り込んだら、お人好しのうっかり者はわかりやすく動揺した。
そっと腕をゆるめると顔を伏せてオロオロしていた。
「竹さん?」
顔をのぞきこんで答えを急かすと、ビクリとして視線をさまよわせた。
わかってるよ。貴女、俺のこと好きだよね。
きっと『生まれ変わっても会いたい』って思ってくれてるよね。
ここ数週間の毎日のデートで、彼女に好かれていると自信がついた。
俺にだけ距離が近いことも、俺にだけ甘えてくれるのも、俺にだけイロイロ許してくれているのもわかった。
彼女は俺が好き。
恥ずかしくて、生真面目で、罪人だと思い込んでるから言えないだけ。
わかってるから、こんなことも聞ける。
「竹さん。俺のこと、嫌?
生まれ変わったら、もう会いたくない?」
重ねて問うと、彼女はぎゅっと目を閉じた。
肩をこわばらせ、拳を固く握った。
そうして、生真面目に、ポソリと答えた。
「……………イヤじゃ、ない……………」
―――!
恥ずかしがり屋で、生真面目で、罪人だと思い込んでるひとが!
自分から認めた!
自分の口で『嫌じゃない』と言った!!
そんなに俺のこと好きなの!? 俺も大好きだ!!
ああ! 俺、愛されてる!! しあわせ!
うれしくてテンション上がる俺に気付かない彼女はそっと瞼を開き、目を伏せたままちいさくつぶやいた。
「……………そうできたら………そんなこと、赦されるなら……………」
「うれしい?」
すかさず問いかけるも、彼女は黙ったまま。
ためらうようにさらに顔を伏せた。
「嫌?」
わざとそう聞くと、またも肩をこわばらせる。
迷って迷って、ようやくポソポソ答えた。
「……………イヤじゃ……………ない……………」
ああもう! チョロい! かわいい!
キスしたくなったがグッとこらえて、うつむく彼女の顔を下からのぞきこんだ。
「じゃあ一緒に『夫婦ごっこ』してくれる?」
「俺の『妻』に、なってくれる?」
彼女は息を飲み、視線をさまよわせた。
が、またぎゅっと目を閉じ、震える口を開いた。
「……………わ、わかり、まし、た………」
俺の『おねだり』に、彼女はようやく観念した。