久木陽菜の暗躍 55 投影終了
ひな視点です
目の前に映っていた景色がゆがむ。
ふ、と意識が浮上する。
と、立ちくらみのような感覚に襲われた。座っているのに。
ぐらりと倒れそうになるけれど、晃がすぐに抱き止めてくれる。
目と思念で《ありがと》と伝えると、晃は痛そうな顔で微笑んだ。
息を整え、目だけで周囲を見回す。
菊様、主座様は表情を固くしておられるが、平気そうだ。さすが。
保護者の皆様は気持ち悪そう。私よりも霊力少ないから仕方ない。
蒼真様がそれぞれに回復をかけ、かいがいしく様子を診てあげている。
皆様は蒼真様にお任せしておけば大丈夫だろう。
ヒロさんは『視た』彼の過去にココロを寄せて悼んでいる。やさしいヒロさんらしい。
トモさんは竹さんを抱きしめて必死に霊力を注いでいる。
そしてその竹さんは。
《私のせいだ》
《私が『災禍』の封印を解いたから》
《そのせいでまたたくさんのひとが亡くなった》
《あのひとに余計な罪を犯させた》
トモさんに抱かれ、彼の肩に顔を埋めて震えていた。
「ちがうよ」
「竹さんのせいじゃないよ」
「貴女が負うべきことじゃない」
思い詰めて泣く竹さんにトモさんはちいさなちいさな声で言い聞かせている。
竹さんはふるふるとトモさんの肩に顔を擦り付けていた。
菊様が水面に手をかざされた。
それだけで水は消え、鏡と紐だけが残った。
それらも菊様が手をかざされるとパッと消えた。アイテムボックスに収められたらしい。
「白露」
菊様の呼びかけに「はい」と答えた白露様がのそりと動く。
「さあさ。みんな。とりあえず一服しましょ」
ドン。とどこからかちゃぶ台を出された白露様。あ。アイテムボックスですね。便利ですね。
さらにお茶のペットボトル数本と紙コップを出した白露様に、ヒロさんがようやく動いた。
「ヒロちゃん。私が……」
アキさんが動こうとしたけれど、立ちくらみを起こしたのかまたその場に手をついた。
「ダメだよ明子。もう少し大人しくしてて!
ヒロ。お茶。早く!」
蒼真様に急かされたヒロさんが手早くお茶を紙コップに注いでいく。
主座様が菊様にお出ししたのとほぼ同時に蒼真様がアキさんにお茶を飲ませる。
「ゆっくり。ゆっくり飲んでね。ハイ。オミも」
「……ありがとう蒼真くん」
タカさん千明様にもかいがいしくお茶を渡す蒼真様。
トモさんも自分でお茶を注ぎ、竹さんに飲ませていた。
「ひなさん。晃も。ハイ」
ヒロさんに渡されたお茶をありがたく受け取る。
一口含むと、それだけで回復するのがわかった。
竹さんの水を使って沸かしたお茶のようだ。
「まずは晃」
全員が一息ついたタイミングで菊様が声をかけられた。
「はい」と答え姿勢を正したわんこに、菊様はそれはそれは美しい笑みを向けられた。
「よくやってくれたわね。期待以上の働きをしてくれたわ。お手柄よ」
菊様なりの最大限の褒め言葉らしい。
「とんでもございません」とウチのわんこが頭を下げる。
「全員今の『記憶』は『視』たわね」
うなずく一同に菊様もうなずきを返される。
「では改めてそれぞれの報告を聞くわ。まずは白露」
「はい」
それから守り役様達が順に今日の訪問について報告された。
『宿主』は保志 叶多氏で間違いないこと。
『災禍』はあのビルの六階、保志氏の仕事部屋の机の上にいて、現在は水晶玉の状態であること。竹さんの封印がバッチリ効いていること。
その六階に行くにはやはり三上女史の『承認』が必要なこと。
先ほど『視た』保志氏の『記憶』とも合致する。
同行したタカさん、トモさんの意見も聞く菊様。
保志氏の印象についても質問された。
「とても私と同年代とは思えませんでした」とタカさん。
「長年時間停止の『異界』を使っていたようだったからね」と菊様はあっさりとおっしゃる。
当然だけど、外では時間が経っていないようにみえても、本人の時間は経過している。
幼いナツさんを助けようと時間停止の『異界』で共に過ごすことの多かった主座様とヒロさんは、戸籍上の年齢よりも二年時間を先取りしている。
おまけにこの間『白楽様の高間原』で三年半を過ごしてきたヒロさんは、現在戸籍上は高校二年生の十七歳だけど、実年齢は二十二歳になっている。
最近は守り役様との修行でまた時間停止の結界を使っているから、もしかしたらもう二十三歳になってるかもしれない。
「『時間停止』は便利なようだけど、そういう問題があるのよ」
菊様のお言葉に一同がうなずく。
「トモの祖父母も、戸籍上は九十歳で死亡したことになっていますが、実際は百歳超えていましたからね」
主座様のつぶやきに「そうなの!?」と晃が声を上げる。
保護者の皆様もヒロさんも、孫のトモさんまでびっくり顔だ。
「なんだ。トモも知らなかったのか?」
主座様の問いかけに真顔でうなずくトモさん。
「あのふたりは昔私とした『困っているモノがいたら助ける』という誓約を守るために、なんだかんだと『神域』やら『異界』やら入っていたからな。
サトは時間停止の結界張れたし。
だからふたりとも百歳超えてたんだよ。多分……百十五、六だったんじゃないか?」
「だから亡くなったのも無理はない」と話を締めくくる主座様に、ウチのわんこはどこかスッキリしたようだった。
サトさんが亡くなったとき「もっと長生きしてるひとだっていっぱいいるのに」ってずいぶん泣いてたもんね。
百十五、六歳なんて、滅多に見ないご長寿だ。
ウチのわんこも納得して受け入れられたようだ。
「カ――保志社長も、八十代から九十代に見えました」
タカさんの報告に同行した皆様がうなずく。
ウチのわんこが口を開いたけれど、閉じた。
《――うん。今はまだ黙っときなさい》
思念で伝えると《うん》と素直な答えが返ってきた。
あのとき。
晃達が車に戻ってきたとき。
私をみつけるなりくしゃりと顔をゆがめ、晃はたっと駆け出してきた。
そのまま飛びついてくるわんこをぎゅう、と抱きとめた途端。
晃の思念が『視えた』。
『災禍』。水晶玉。ギョロリとした目の老人。社長。桜が舞う。雪が舞う。楽しそうに、しあわせそうにのぞき込んでくる大人達。奪われた。なにもかも。こんな世の中間違ってる。世の中を正す。王になる。身を焦がす。黒い炎に変える。
晃のナカはぐちゃぐちゃのドロドロだった。
『視た』モノを受け止めきれず、苦しんでいた。
だから抱きしめてその頭を、背を撫でた。
「よくがんばったわね晃。エラい。エラいわよ」
「ひな。ひなぁ」
「大丈夫よ。あとで全部聞くからね。大丈夫、大丈夫」
私の胸でぐじぐじ泣くわんこがかわいくて愛おしくてかわいそうで、ただぎゅっと抱きしめた。
そうして額を合わせて情報の整理をした。
晃を通して『視る』私と違って『浸入』で直接感情まで『視た』晃は相当なダメージを受けている。
それでも車で移動する間私がずっと抱きしめて霊力を循環させたこと、私に記憶を『視せた』ことで情報が整理できたことで、ある程度は晃も回復した。
晃の『記憶』を『視た』私は理解した。
『これは口頭での報告は無理だ』
『これをこのまま視せる必要がある』
どれだけカナタさんが苦しんだのか。
どれだけカナタさんが傷ついたのか。
『肌感覚』で知ってもらう必要がある。
だから菊様にお願いをした。
『関係者に晃の「視た」モノを「視せて」ください』
以前どんなことができるのかお伺いしたときに菊様がそういうことができるということは伺っていた。
白露様に「必要なことです」とお願いして、菊様を呼びに行ってもらった。
菊様は今日はお茶会の予定だったらしいけど「急に頭が痛くなった」「薬を飲んで寝てれば治る」とキャンセルし、ベッドに式神を寝させてこちらに急行してくださった。
《ナツと佑輝も》とわんこが望んだけれど、ナツさんは仕事中、佑輝さんは試合中で、とても抜け出せる状況ではなかった。
私のその説明にわんこも納得し、引いた。
そうして関係者の集まった場にお出ましくださった菊様が晃の『視た』モノを投影し、皆様に『視せて』くださった。
おかげでこれまでわからなかったことも、これからの計画も全部わかった。
保志氏がどこで『災禍』と出会ったのか。
どのような『願い』をかけているのか。
そのために何をしようとしているのか。
今後どうしようと計画しているのか。
言ってみれば、保志氏の考えを丸裸にしたようなもの。
これだけわかっていたら今後の対策を練ることができる。
計画立案は私がやる。
七月十七日までに決着をつける!
わんこが言わなかったことは今は必要ない。『そのこと』は私と晃だけが知っていればそれでいい。菊様にも守り役の皆様にも報告の必要はない。
七月十七日までの決着には関係ないことだから。
やさしいわんこ。私の唯一。
誰よりも熱くて愛しい、私の『火』。
己を『たまもり』だと――『魂守り』だと自覚していて、そう在ろうとする『神の愛し児』。
苦しんでいるひとにその『火』を注ぐ『火継の子』。
晃が望むのならば。
晃の進むべき道を示すのが私の役割。
私は『光先』。晃の『光』。
晃を導き、照らすのが私の使命。
晃の気持ちも、想いも、『願い』も、私が全部叶える!
強く決意し、膝の上の拳をグッと握った。