第百三十二話 保志 叶多の記憶 1
しばらく『保志叶多の記憶』をお送りします。
かなり暗いです。ツラいです。
ツラいのしんどい方は数日後にまとめ読みまたは飛ばすことをオススメします。
その広い庭がちいさな頃のおれの『世界』の中心だった。
代々続く伏見の運送会社。
その横にある広い庭のある古い家。
そこがじいちゃんの家であり、おれの家だった。
じいちゃんの会社には大きなトラックが何台もあった。
父さんもおじちゃんもそこで運転手をしていた。
おれがちいさい頃は父さんは遠くまで荷物を運ぶことも多くて、そうなると会社の近くのちいさなアパートにはおれと母さんのふたりだけになる。
「夜にそれは心配だから」って、父さんは母さんとおれに「夜勤の日はじいちゃんの家に泊まるように」って言った。
母さんもじいちゃんの会社で仕事をしていた。
ばあちゃんと、他にも何人かのおばさん達と一緒に仕事をしていた。
だからおれは生まれたときからじいちゃんの会社のすみっこに場所をもらって、いろんなひとに構ってもらいながら過ごしていた。
本を読んでもらったり。絵を描いたり。車のおもちゃや積み木で遊んだり。
それに飽きたらじいちゃんの家の庭で遊んだ。
「庭なら大きな車も悪いひとも来ないだろう」って好きにさせてくれた。
大きくなって思い出すと、よく手入れされた見事な日本庭園だった。
その生け垣に潜り込み、木にのぼり、水路や池に入った。
バッタを探し、蝉を追い、小魚を狙った。
おれが遊ぶからと普段は池の水量を浅くしてくれていたと後で知った。
それまでいた鯉は別の池に移動させていた。
夏には水量を増やしてプール代わりにして遊んだ。
スイカを食べ、花火をした。
秋には庭師さんが落ち葉を集めて飛び込ませてくれた。
その落ち葉で焼き芋をしてくれた。
冬には雪遊びをした。
伏見はそこまで雪が多くないけれど、父さんとおじちゃんがあちこちの雪を集めてかまくらを作ってくれた。
ちいさなかまくらはおれひとりしか入れなかったけれど、なんだかそこだけちがう世界のようで興奮した。
出入り口の穴からは大人達の笑顔が見えた。
父さん。母さん。じいちゃん。ばあちゃん。おじちゃん。
五人ともニコニコと楽しそうで、その笑顔はとてもあたたかくて安心できるもので、余計に楽しかった。
春は庭の大きな桜の樹が主役になる。
咲き始めから毎日花見をした。
従業員さん。近所のひと。お友達。
いろんなひとが日替わりで来て花見をした。
ばあちゃんと母さんが巻き寿司を作ってくれて、桜を見ながらみんなで食べた。
おれの『世界』は、あの庭を中心に広がっていた。
あの庭は『世界』につながっていた。
四季を感じた。生命を感じた。五感ぜんぶを使って感じた。
行事やしきたりを知った。流通を知った。社会を知った。
家族の愛に包まれていた。喜びも、しあわせも、ぜんぶあの庭にあった。
桜が降る。陽射しがそそぐ。落葉が舞う。雪が踊る。
笑顔としあわせがあふれるあの庭が、おれの『世界』の中心だった。
幼稚園に入っても、小学校に入っても、おれはじいちゃん家に帰っていた。
宿題も夕ごはんもじいちゃん家で済ませた。
夜だけ歩いて少しのアパートに帰る。
それだって父さんが夜勤のときはじいちゃん家に泊まっていく。
おじちゃんにまだお嫁さんが来ていないからと母さんの部屋がそのまま残っていて、父さんがいない夜はそこで母さんとふたりで寝た。
広い家は昔ながらの日本家屋。
台所もお風呂も昔ながらのものだから不便なところはある。
「泰輔にお嫁さんが来るときには改築しようかねぇ」なんていつも言っていた。
そのおじちゃんは「ユーマとカナタと遊んでるほうが楽しい」とお嫁さん探しには興味ないようだった。
そのころ出たばかりのパソコンを買ってきて、おじちゃんと父さんはふたりで夢中になっていた。
元々幼稚園からずっと仲良しのふたりだった。
おじちゃんの妹の母さんと父さんが結婚しておれが生まれてもふたりは変わらず仲良しで、一緒に仕事して一緒に遊んでいた。
その『遊び』に、おれも入れてもらった。
ふたりは子供のおれを嫌がることなく、むしろどこか面白がって色々なことを教えてくれた。
中学の入学祝に「プレゼントなにが欲しい?」と聞かれ、迷わず「パソコン!」と答えるくらいにはおれもパソコンに熱中していた。
幸福な時代は、ある日突然変わった。
五年生に上がった頃から体調を崩すことが多くなった。
突然息苦しくなる。
ふらついて倒れる。
原因不明の高熱が出る。
その都度医者にかかり精密検査をしてもらうが「どこも悪くない」と言われる。
それでも不調は治まらない。
いくつもの病院にかかり、何度も何度も精密検査を受けた。
「これは普通の病気じゃないんじゃないか」
六年生になってしばらくすると、家族はそんなふうに考えるようになった。
祖父母は伝手を頼って高名な神社仏閣にすがるようになった。
何人もののひとが言った。
「これは霊力過多症です」
「成長に伴い霊力が増えていることに身体がついていっていないために起こる現象です」
治すには「霊力操作訓練をする」か「霊力を吐き出す道具を使う」ことが必要だという。
「ではその訓練を」と祖父母が頼んでくれたが、俺を診てくれたひとでは「霊力操作訓練を指導することは難しい」と断られた。
「まだ思春期で不安定だから」と。
俺を診てくれたひと達は大人しか相手にしたことがないひとばかりで「子供を指導したことがない」と断られた。
「ならば『霊力を吐き出す道具』を」と求めてくれたが、おれの増える霊力量に対してそのひと達が用意できる道具は対応しきれなかった。
「安倍家の当主でないと対応できないだろう」と誰もが匙を投げた。
「ならば安倍家の当主に紹介してくれ」と祖父母はかなり粘った。
が、誰もが「連絡は入れてみる」としながらも、当主に繋がるパイプを持っていなかった。
日に日に弱っていく俺を、祖父母も両親も伯父も心配してくれた。
「もしかして」と死も覚悟していた。
おれ自身も「このまま死ぬんだろうな」なんて考えてた。
だから中学に上がれたことを家族はものすごく喜んでくれて、当時ものすごく高価だったパソコンもポンと買い与えてくれた。
体調のいいときには学校に行ったりパソコンをいじったりした。
でも、中学に入ってもやっぱり体調は良くならなくて、しょっちゅう早退したり休んだりしていた。
そんなときだった。
あのジジイが来たのは。
「篠原さん。私、いいモノを持ってます」
ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべたジジイがじいちゃんに見せたのは、透明な水晶玉だった。
「これは『願い』を叶えると言われている霊玉です」
「これを差し上げる代わりに、私の保証人になってもらえませんか」
ダメだ。
なんでか、わかった。
あのジジイはイヤなカンジがする。
続きの間の襖を細く開けてこっそりとのぞいていたおれにじいちゃんは気付いていた。
その玉を一旦受け取って、じいちゃんがおれに握らせた。
すると、身体からあふれていた余分なチカラがスウッとその石に吸い込まれていった。
「ダメだよじいちゃん」
「ダメだ」
必死に訴えた。
あのジジイは信用しちゃいけない。
こんなもの受け取っちゃいけない。
父さんも母さんも反対した。
「叶多のために家を潰すようなことをしちゃいけない」って、何度も何度もじいちゃんに言った。
結局じいちゃんはその霊玉を受け取った。
その代償として、持ってきたジジイの保証人になると約束して。
その玉のおかげか、俺はどんどん具合が良くなっていった。
それに反比例するように、悪いことが次々に起こっていった。
玉を持ってきたあのジジイは消えたという。
乱暴で声の大きな連中がしょっちゅう来るようになった。
「金を返せ」と騒ぎ立て、仕事の邪魔をした。
「叶多はなにも気にしなくていい」じいちゃんは言った。
「叶多が元気でいることが、何よりも大切なことだ」
「叶多が元気でしあわせであれば、それにまさる『しあわせ』はないよ」
でもじいちゃん。おれ、知ってるんだよ。
じいちゃん、すごくすごく大変になってるんでしょ?
家にあった絵や壺が無くなっていく。
知らないひとがばあちゃんの着物や帯を持って行く。
会社の社長室でじいちゃんがえらそうなひとに何度も頭を下げていた。
電話もたくさんしていた。
じいちゃんもばあちゃんもいろんなひとに訴えていた。「少し待ってください」「助けてください」
でも、誰も助けてくれない。
むしろどんどん逃げていくようだった。
あのジジイは言っていた。
「これは『願い』を叶えると言われている霊玉」だと。
それならと、水晶玉を持って必死に願った。
「どうにかしてください」
「じいちゃんを助けてください」
「じいちゃんの会社を守ってください」
おれの大好きなひと達を助けてください。
おれの大事な家族を守ってください。
神様でも仏様でも誰でもいい。
おれにできることがあるならなんでもするから。
いい子でいろと言うならいい子でいるから。
だからどうか。
どうか。
おれの家族を、誰か、助けてください。