第百十六話 おねだり
生理三日目。
この日も結局動画見て俺が『バーチャルキョート』して終わった。
俺に背中から抱き込まれた竹さんは今日も一日のほとんどを寝て過ごした。
目が覚めたときのトロンとしたまなざし。
俺を見つけたときのほにゃりとした笑顔。
ハッと気付いて青くなる様子。
もうどれもかわいい。
かわいすぎて死にそう。
こんなかわいいひとが俺の『彼女』だなんて。
しあわせだ。神仏に深く感謝を捧げよう。
「……明日こそは……。明日こそはがんばります……」
べしょりと泣きそうな顔でかわいいことを言う。かわいすぎか。
風呂あがりの彼女をハグしたらそんな決意表明をするから、おかしいやらかわいいやらでニヤニヤしてしまった。
彼女がそんな俺に気付いてしまった。
ぶすぅっとふくれてそっぽを向く。
だからかわいいんだって!
かわいくてかわいくて囲い込んだままでいて、ふと思い出した。
昨夜蒼真様に言われたこと。
『一緒に寝たら?』
今じゃないか?
『おねだり』すれば、このチョロいお人好しは受けるんじゃないか?
決してスケベ心じゃない。そうだとも。違うとも。
彼女の体調管理に必要なことだからだ。蒼真様がそう言ったからだ。だから一緒に寝ないといけないんだ。そうだ。そうなんだ。うん。
俺の思考を読んだらしい守り役がテーブルの上でため息をついた。
でもそれだけ。止めることも文句を言うこともなく黙っている。どうやらお許しくださるようだ。
「……竹さんにお願いがあるんだ」
「? なんですか?」
守り役の無言の許可に思い切ってそう切り出した。彼女は生真面目に見つめてくれる。かわいい。
「一緒に寝て?」
「……………は?」
ポカンとする彼女ににっこりと微笑んでたたみこむ。
「暴走のあと、ずっと貴女を抱きしめて寝てたでしょ?
そのせいか、ひとりで寝てたらさみしくなるようになってしまって……」
それは本当。
だからアイテムボックスに入れている童地蔵を抱いて寝ている。
「だからか、深く眠った気になれなくて……」
そう言う俺に彼女はわかりやすくうろたえた。
『自分のせいで!』とか思ってるぞこれ。困ったひとだ。
「俺、ショートスリーパーなんだ」
「『ショートスリーパー』?」
『て、なに?』という顔で首をかしげる。かわいい。
「睡眠時間短くていいひとのこと。三時間寝れば平気」
「そうなの!?」
『そんなひといるの!?』と言いたげにピョッと跳ねる彼女。かわいい。
「その分深く眠るんだ。夢も見ない」
『へー』と感心するような彼女に、わざと困った顔を作ってみせる。
「なのに、ここ数日眠りが浅くなって……」
ハッとする彼女。
『自分のせい!?』と顔にかいてある。かわいい。
「だからね?」
彼女の背中で組んでいた手をほどき、グッと腰を抱き寄せた。
「一緒に寝てくれたら、助かる」
鼻先がつくかつかないかくらいまで顔も近づけて、じっとその目を見つめておねだりしてみた。
彼女はわかりやすく動揺した。瞳がキョドキョドしている。
「で、でも」
「『でも』、なに?」
「……………迷惑に、なる」
「ならないよ? 俺が『お願い』してるんだから」
そう言うとさらに眉を下げる愛しいひと。かわいい。
「トモさん、お仕事が……」
「それは、起きてからやる」
「……………」
「しっかり寝てからやるほうが効率がいい。
頭動くからいい仕事できる」
その説明に彼女は納得の色を見せた。
「どう? いい?」
あざとくおねだりしてみたが、彼女はまだうろたえる。
「………その、私、一般常識がなくて」
「ん?」
「わかんないんですけど」
「うん」
「あの、その、………普通は、『男性と一緒に寝る』というのは、良くないことなんじゃないかな、って……」
……………知ってたか。
うっかりなこのひとならうっかり見過ごしているかとも思ったんだが。
まあいい。そのくらいは論破できる。
「一般的にはそうだね」
肯定するとホッとする彼女。「じゃあ」と言いかけたのを「でも」と先を制する。
「『恋人同士』には普通のことだよ?」
その説明に、彼女は心当たりがあったらしい。うん。貴女が読んだラノベにもそういうシーンあったもんね。ナニシたかははぶいてあったけど。
「『恋人ごっこ』してるんだから、『恋人』っぽいことしてもいいんじゃない?」
「……………そう、かな……………?」
もう一押しか。
「ひなさんとは一緒に寝るのに、俺とは一緒に寝てくれないの?」
再びあざとくおねだりしたら彼女はわかりやすく動揺した。
「だ、だって」
「ん?」
「ひなさんは、女性だし」
「俺は『半身』だよ?」
「! そ、そ、それ、は」
モゴモゴする彼女。かわいい。
「暴走のあと一週間ずっと一緒に寝てたじゃないか。今更でしょ?」
「そ、そ、それ、は」
「ね? お願い。一緒に寝て?」
自分でもどうかと思うくらい甘えた態度に、お人好しで責任感の強いうっかり者はわかりやすくほだされた。チョロい。
「……『一緒に寝る』というのは、『恋人』には、普通のこと、なんですか?」
おずおずと上目遣いで見つめないで! かわいくて邪念が出そう!
「普通じゃない? 俺も他の恋人のことなんか知らないから断言はできないけど」
平常心平常心、と唱えながらどうにか答える。
「ひなさんはなんか言ってた?」
竹さんはひなさんに信頼を寄せている。嫉妬するほどに。
そのひなさんがなにか言っていたら援護射撃になるんじゃないかとたずねてみた。
ひなさんとのやり取りを思い出している様子を見せていた彼女だったが、なにかを思い出したらしく、急に俺から逃げようとした。
あわてて抱きしめて逃亡を阻止する。
「なに? なんか言われてた?」
「あ、あの、その、」
「なに?」
しばらくモゴモゴしていた彼女だったが、やがて諦めたように脱力した。
「……その、『一緒に寝る』のは、してない、って、聞きました」
「……………」
それもそうか。うーむ、ひなさんを持ち出したのは失敗だったか。
あのふたり生まれたときから一緒でよく一緒に昼寝してたって聞いたからイケるかと思ったんだが。
このうっかりなひとなら『ガキの頃一緒に寝ていた話』も『最近の話』と勘違いして俺を受け入れてくれると思ったんだがな。
「でも」
そう言ったきり口を閉じてしまった彼女。
なんか顔が赤くなっていっている。どうした?
「なに?」
「……………その、」
「うん」
「……………」
「なに?」
「……………こ、晃さんが、」
「うん」
「ひなさんの、その、……………お胸やお尻を、触る、って……………」
「……………」
―――晃おぉぉぉぉ!! ナニやらかしてんだ!!
そんなうらやま「オイ」けしからんことを!!
そうだ。そういえば昔言ってた! あいつかなりやらかしてた!
そんな話聞いたら抱き寄せた彼女の胸やら腰やら気になっ「オイ?」「ナンデモナイデス」
過保護で優秀な守り役からの威圧が刺さる!
これ以上は駄目らしい。守り役が優秀すぎるのも考えものだ。
すう、はあ、と深呼吸を繰り返し、邪念をどうにか鎮める。落ち着け。落ち着け。やらかしたら殺される。彼女にも逃げられる。
「――あのふたりは『本当の恋人同士』だからね。
そういうことも、あるだろうね」
俺の説明に彼女はようやく顔を上げた。
「俺達はまだ『恋人ごっこ』だから、そういうのはしないよ」
『まだ』ね。
わざと言葉を伏せてにっこりと微笑んだ。
「胸とか尻とか触ったりはしない。
でも、抱きしめるのは許して? ずっと貴女を抱いて寝てたから、いてくれないとさみしくてよく寝られない」
俺のあざといおねだりに、お人好しの彼女は目を伏せた。
『どうしよう』と考えているのが丸わかりだ。
もう一押しかな?
「それに『ふたりきり』じゃないよ? 黒陽も一緒に寝るよ」
「え?」
キョトンとする彼女。さては黒陽のこと忘れてたな。
「暴走のあとだってそうだったでしょ?」
「……………そういえば……………?」
暴走中、俺が彼女を抱き込んでいたその枕元で黒陽も一緒に寝ていた。
だからあの『巣』は、正確には俺と彼女と黒陽の三人の『巣』だった。
といっても黒陽はほとんど出かけていて、戻ってくるのは診察のときと夜寝るときだけだったが。
『黒陽が一緒』と気付いて、彼女のハードルが一気に下がったのがわかった。
が、すぐにまたなにかを考えはじめた。
また余計なこと考えてるぞこのひと。
「……………私、」
「ん?」
「その、もしかしたら、寝相が悪いかも……」
「俺が抱いてるから関係ないんじゃない?」
「あの、もしかしたら、いびき、とか……」
「俺、深く寝たら気にならないから大丈夫」
「トモさん、かえって疲れるんじゃ……」
「いや? 貴女を抱いて寝たら多分回復するよ?『半身』だから」
反論を端から潰していく。
尚もなにか反論しようとしていたが、出てこなかったらしい。彼女は口を開けたり締めたりしていたが、結局黙ってうつむいた。
「ね? 一緒に寝て?」
トドメとばかりにあざとくおねだりをした。
うつむく彼女をのぞきこんで見上げるように見つめたら、彼女は頬を染めてぶすうっと口をへの字にした。
そっぽを向いて黙っていたが、ようやく口を開いた。
「………わ、わかり……ました……」
チョロい。
「ありがと」
抱きしめて頬にキスをする。
「みゃっ!?」とちいさく叫んでビクッとするのかわいすぎ! 邪念が出そう!
ごまかすようにパッと彼女の身体を離すと、彼女は真っ赤になって固まっていた。
くそう! かわいい!!
「………オイ?」
「ナンデモアリマセン」
守り役は今にも抜刀しそうだ。こわいこわい。
「じゃあ、今夜から一緒に寝よ」
そうおねだりするとコクリとうなずく愛しいひと。かわいい。
「俺、すぐ風呂済ませてくるから。竹さん先にベッドに入ってて」
「はい」
「寝ててもいいよ」
そう言ったが彼女はただ微笑んだ。これは生真面目に俺のこと待っているに違いない。困ったひとだ。
「じゃ、風呂行ってくるね」
「行ってらっしゃい」
こんな何気ないやりとりに胸が締め付けられる。
愛おしくて、しあわせで、キュンキュンして心臓止まりそうになる。
彼女と『日常』を重ねていると実感する。
彼女が『いる』と実感する。
こんな日々が送りたかった。そのためにがんばってきた。がんばってよかった。
これからもこんな日々を重ねていこう。何年も、何十年も。
きっと『願い』は叶う。そう信じて。
大急ぎで風呂を済ませ、彼女の部屋に行く。
思ったとおり彼女は起きて待っていた。
彼女の横にもぐりこみ、抱きしめる。
それだけでひとつに戻る感覚になる。
しあわせで、満たされる。
黒陽が枕元に収まった。
「わかっているだろうな」と威圧を向けてくるので「わかってます」と大人しく答える。不埒な真似はシません。一緒に寝るだけです。
そんな俺達のやりとりに彼女はキョトンとしている。
「なんでもないよ」と微笑んで額にキスをする。
赤くなった彼女にそっとささやく。
「おやすみ。また明日」
「……おやすみなさい」
ぎゅうっと抱き込んで彼女を堪能する。彼女も俺にもたれてくれる。
ひとつに溶ける。俺達は元々ひとつだった。『半身』だと、強く感じる。
愛しいひとを腕に抱き、そのぬくもりと霊力を感じながら深く深く眠りについた。