第百十五話 黒陽の過去 3
そこまで話して、緋炎様は大きくため息をついた。
白露様はただ黙っていた。
「黒陽さんですら『半身』を喪って、それほど苦しんだ」
何度も自死を繰り返した。
死にたいのに死ねない地獄を生きた。
「『半身』である黒枝さんとの『約束』があるから――『竹様を守る』という責務があるから生きられた」
そう言った緋炎様は、くちばしを開けたまま固まった。
言おうか言うまいか迷う様子に、ただ黙って待った。
「……こういうこと、言いたくないけど……」
ためらいがちに目をそらし、それでもどうにか俺の目をまっすぐに見つめ、緋炎様は言葉を吐き出した。
「トモは――トモも――、同じ苦しみを、味わうことに、なる」
黒陽と同じ苦しみ。
『半身』を喪う、苦しみ。
喪う。
『半身』を。
竹さんを。
そう考えるだけで身体の真ん中をごっそり削がれる気がする。
ポッカリと穴があく。
目の前が暗くなっていく。
グッと拳を握りしめた。固く、固く。
乱れる霊力をどうにか抑える。
――まだだ。
まだ、死んでない。
俺の愛しいひとはまだ生きてる。
うつむき黙ってしまった緋炎様と俺に、白露様が口を開いた。
「――黒陽さんて、しっかりして見えるけど、かなりうっかりで常識知らずなのよ」
空気を変えるようにわざと明るく、茶化した調子で白露様は語る。
「それでも『守り役だから』って、竹様を大事に大事に支えてた」
「それが『黒枝さんの願い』だからって」
懐かしむように、あわれむように、白露様は嗤った。
緋炎様もちいさくうなずいた。
「――黒陽さん、竹様のいないときには、抜け殻のようになってたのよ」
竹さんのそばにいるときには優秀な守り役としてしっかり勤めを果たしていた黒陽だったが、竹さんを喪うと、その喪失感も合わさってただ呆然としていたという。
「見かねた梅様が言ったのよ。『竹様がいない間は寝とけ』って。
私達守り役には何故か己の姫が母体に宿ったら『わかる』から。
『そのとき』には眠りから覚めるように術式を組んで、黒陽さんは休眠することになったの」
それが四千五百年くらい前のこと。
そうしてそれから黒陽は竹さんがいないときは休眠するようになった。
そんな緋炎様の説明のあと、白露様がちいさくため息を落とした。
「――私も長く生きてるから、『半身』と別れたひとを何人も見てきた」
大半の『半身持ち』は半身を喪って間もなく亡くなったという。
ごく自然に亡くなったひともいるが、ほとんどが『半身』を喪ったことに耐えられず自死したと。
そういえば聞いた。
『静原の呪い』に『とらわれた』ひとのなかでも、死に別れたり想いを遂げられなかったりしたひとがいたと。
そういうひと達が自死したり発狂したりしたために『呪い』なんて言われるようになったと。
「トモも、間違いなく『そう』なるわ」
ポツリと、苦しいのを隠して白露様が言葉を落とす。
緋炎様はただ黙って目を伏せた。
自分でもそう思う。
俺は、竹さんを喪ったら、おそらく生きていられない。
彼女と出会う前にはもう戻れない。
あの笑顔を。あのぬくもりを。俺は知ってしまった。
魂が。霊力が。交わりひとつに重なる歓びを知ってしまった。
その彼女を喪ったら。
彼女のいない世界で――俺は、生きていられない。
これまで色々なひとと話をした。
彼女を守りたくて、そばにいたくて、でも俺は弱っちくて。
彼女には責務があって『呪い』があって二十歳まで生きられない。
どうやったって俺は遺される。
『遺される覚悟はあるか』
『喪う覚悟はあるか』
いつかタカさんに問われた。
あのときは『諦められない』と、それしか答えが出てこなかった。
『遺される覚悟はあるか』
『喪う覚悟はあるか』
改めて突きつけられた問題に、頭が動かない。
ただ言葉だけがぐるぐると頭の中を動き回り、ココロを散り散りにしていく。
「――トモが竹様と船岡山で出会ったあとにね」
ポツリ。緋炎様が言葉を落とす。
「黒陽さんも、晴明も、心配してたの。
『ふたりを合わせることがいいことなのかわからない』って。
出会ったふたりをどうすればいいかって心配してた」
そんな話をいつか聞いた。ハルから。
ハルはそう言って心配してくれていた。俺を。彼女を。
「でも、出会ったからには、協力したいって思ったの」
そう言って緋炎様は弱々しく嘲笑った。
「私達にとっても竹様は大事なお姫様よ。
かわいらしくて世間知らずで、愛おしいと思ってる」
白露様も黙ってうなずいた。
「ずっと罪を背負って苦しんでる竹様をどうにか救いたいって、私達も思ってる」
そうやってこれまでの五千年を過ごしてきたのだろう。
どうにかしたくて色々と心を砕いてくれたのだろう。
気のいいおふたりが俺達に構ってくれたように竹さんを構う様子が簡単に浮かんで、のろりと顔を上げた。
俺は余程酷い顔をしていたのだろう。おふたりが困ったように笑顔を作った。
「トモに出会ってから、竹様、これまでに見たことがないくらいに明るくなったわ!
これってすごいことなのよ!?」
わざとらしく明るく言う白露様に緋炎様も続く。
「あんなにしあわせそうな竹様、見たことなかった」
「うんうん」とうなずいた白露様はやさしいまなざしを向けてきた。
「トモも、私達のかわいいコよ」
慈愛に満ちた眼に、なにも言葉が出なかった。
「まだ少年の頃からずっと成長を見守ってきた、かわいいコよ」
五千年も生きているこのひと達にとっては、たかが十四、五年生きた小僧なんて『かわいいコ』なのは当然だと理解はできる。
が、『むこう』で三年ちょい修行してほぼ二十歳になった男をつかまえて『かわいいコ』と言い切るのは、言われたほうはなんと答えていいのか困ってしまう。
苦笑を浮かべる俺に楽しそうにちいさく笑ったおふたりだったが、すぐに憂いを浮かべた。
「――トモが黒陽さんのように苦しむ姿を、私達は見たくない」
――きっとおふたりには容易に想像できたのだろう。
竹さんを喪った俺が苦しむ姿が。
「『半身』に遺されても生きていたひとは、大抵『半身』から形見をもらっていた」
白露様がそう語る。「『なにかを頼む』と『願い』を託されていた」と。
「黒陽さんも、竹様がいたから生きられた」と。
「トモも、竹様になにかもらっておきなさいな」
それを言うために来たのだと、わかった。
さっきも言っていた。『黒陽が生理のことを知らないと知ったあと、ふたりで話していて思い出した』と。
黒枝さんのこと。黒陽のこと。『半身』と別れたひとのこと。
芋づる式に思い出していき、俺のことに思い至ったのだろう。
俺が『遺される半身持ち』だと気付いたのだろう。
竹さんを喪った俺が自死すると思い至ったのだろう。
黒陽に聞いた。『智明』は彼女から『千年続く街を作れ』と言われたと。彼女の作った帯や結紐をずっと身につけていたと。
ハルに聞いた。『青羽』は彼女から『霊玉を守れ』と言われたと。
彼女の姿をした、彼女の霊力を固めた霊玉を額に嵌めた童地蔵をずっとそばにおいていたと。
だから『智明』は生きた。
だから『青羽』は生きた。
『俺』は?
『俺』は彼女を喪って生きていけるのか?
『彼女のいない世界』で、生きられるのか?
――生きられない。
彼女を喪うと考えただけで身が削がれるように感じる。
あのぬくもり。あの霊力。あの笑顔。
それが存在しないなんて、生きている意味がない。
黒陽だって『半身』を喪ったと聞いて自ら首を落とした。
間違いなく俺もそうなる。
ふと、思い出した。
じーさんのこと。
じーさんとばーさんも『半身』だった。
ばーさんに先立たれたじーさんは取り乱した。
呆けて、暴れて、ばーさんを求めた。
それでもすぐに後を追わなかったのは、ばーさんから用事をたんまり言いつけられていたから。
「『半身』のために」と働き、じーさんは生きた。
『智明』もそうやって生きた。
『青羽』もそうやって生きた。
『俺』は?
彼女になにかもらえば生きられるのか?
そうまでして生きる意味があるのか?
喪ったらもう会えないのに?
――会えない――?
そこまで考えて、気付いた。
様々な情報が頭の中を巡る。
彼女から聞いた話。黒陽から聞いた話。ハルから、守り役達から聞いた話。
彼女には『呪い』がある。
『二十歳まで生きられず』『記憶を持ったまま何度も転生する』。
『何度も』『転生する』
また、会える。
ぶわり。風が立ち上がる。
思い出すのは彼女に出会ったばかりのときのこと。
弱っちくて、でも彼女を諦められなくて、強くなろうと決めたときのこと。
そうだ。『何年かかっても強くなる』と決めた。
強くなる前に彼女を喪っても『次に生まれ変わるまで待つ』と決めた。
そうだ。
待とう。
『喪う』んじゃない。
『ちょっと別れる』だけだ。
彼女は『呪い』を受けていて、何度死んでも何度も生まれ変わる。
それならば、待てばいい。
彼女がまた生まれ変わるまで。
「―――俺」
グッと目に力を込め、おふたりを交互に見つめた。
「待ちます」
はっきりと告げる俺に、おふたりは息を飲んだ。
「彼女を喪ったら、また生まれてくるまで、待ちます」
そうだ。待てばいい。
そうすればまた会える。
何年経っても。何十年何百年経っても。
そう覚悟を決めたら、ふと思いついた。
「白楽様のところは『こっち』の半分の時間の流れになってるんですよね。
それなら、仮に百年後に竹さんが生まれ変わるとしても『むこう』では五十年しか経たない。
それなら、俺はまだ生きてる可能性が高い」
淡々と説明する俺におふたりは目を丸くした。
その様子がなんだかおかしくて、ニッと笑いかけた。
「彼女にまた会えるならば、待ちます。待てます」
明るく、軽く言う俺に、おふたりはどこか呆然としていた。
が、どこか吹っ切れたように息を吐き出した。
「―――そう……」
先につぶやきを落としたのは緋炎様だった。
一度瞼を閉じた緋炎様は、次に顔を上げたときにはいつもの妖艶な笑みを浮かべていた。
「それは、いい考えかもしれないわね……」
『でしょ?』という思いを込めてうなずいたら、緋炎様も白露様も楽しそうに笑った。
「――楽ちゃんはトモのことすごく買ってたわ。
きっと喜んで受け入れてくれるわよ」
白露様もそう太鼓判を押してくれた。
『むこう』に引っ越して色んな研究したり師範連中とじゃれたりしてるうちにきっと竹さんも生まれ変わるだろう。
この気のいいひと達に頼んでおけば、生まれ変わった竹さんと黒陽にまた会えるに違いない。
そう決めたら、なんだかココロが軽くなった。
彼女を喪うことへのおそれはまだ心の奥底にあるけれど、少しだけ軽くなった。気がする。
「トモ」
そんな俺に緋炎様が声をかけてきた。
「黒陽さんのこと、気にかけておいてあげて」
腕のことか、竹さんを喪ったあとの話かと思っていたら緋炎様は思いもよらないことを言った。
「黒陽さん、昔のトモのこと『友達』って言ってたの。
今生でも『友達』になってあげてくれると、私達もうれしいわ」
『友達』。
その単語は、なんだか俺と黒陽を表すものとしては合っていないように感じた。
「……『友達』と言えるかどうかわかりませんが」
だから感じたままを答えた。
「俺も黒陽は『特別な存在』だと思っています」
そう。あの気のいい亀を、俺は気に入っている。
同じ『竹さんを支える同志』。
俺なんか到底敵わない、すごい男だと理解している。
それでも俺にとっては、対等で、信頼できる相手。
霊玉守護者の連中とは違う場所で『俺』をそのままさらけ出せる相手だと、思う。
まるで『家族』のようだと、感じている。
「これまでどおり、これからも黒陽と一緒に竹さんを支えます」
真摯に答えたのに、大きな白虎とちいさなオカメインコは生ぬるい顔で微笑んだ。