久木陽奈の暗躍 41 検証
目が覚めたら、晃に抱かれていた。
あたたかくて安心して、ぎゅうっと抱きついた。
「――気がついた? 大丈夫? ひな」
心配そうな晃の声に、どうにか顔を上げる。
「これ、飲んで」
口に当てられたグラスに、なにも考えることなくそれを飲む。
……なんか、身体の中から浄化されるようなかんじがするんだけど。
あとすごく回復するんだけど。
「竹さんの水だよ」
ああ。なるほどね。
……って、私、そんなに危ない状態だったのね……。
竹さんの水を飲んで、ようやく人心地ついた。
ええと、ここはどこだ――?
「安倍家の離れのリビングだよ」
少し首を動かすと、あの大きな机が目に入った。
ぐるりとあたりを見回す。なるほど。安倍家のリビングだ。
椅子に座った晃の膝に横抱きに抱かれている。
ここがどこかわかったらまた落ち着いた。
冷静に何が起こったのか分析できるようになった。
「私――『呑まれた』?」
竹さんの『思念』もしくは『意識』に『呑まれた』のだろう。
私が『視た』のは、竹さんの過去に違いない。
そう判断したのに、晃は「ううん」と首を振った。
「『当てられた』だけ。『呑まれ』てはない」
「―――」
……え? それなのに、あんなに『引きずられ』たの? 私。
どういうことかとぐるぐるしていて、ハッと気付いた。
「あんたは?」
「ん?」
「あんたは大丈夫?『呑まれ』なかった?」
「『呑まれ』なかったけど、おれも『当てられた』」
ケロッと言う晃に、あんぐりと口が開いた。
「……それにしては平気そうね?」
「おれ、かなり耐性訓練してるから」
晃は属性特化の高霊力保持者。
それだけでもとんでもない存在なのに、さらに精神系の能力者でもある。
それも『記憶再生』なんて特殊能力を持っている。
なのに中学二年生になる直前のあの『禍』の騒動まで本人がそうと知らなかった。
私も晃が精神系の能力があることは知らなかった。
『晃の思念は伝わりやすいなー』くらいしか思ってなかった。
精神系の能力者は、他人からはわかりにくいのだ。
で、無知なお人好しの今後に主座様が心配をしてくださり、有能な精神系能力者であるトモさんの祖母であるサトさんに晃の修行を依頼。
おかげで晃は自衛も覚え、能力の使い方も覚えた。
その修行の一環で『耐性訓練』というのをしたという。
性格の悪いひと、悪いこと考えているひとを主座様が指定し、その思念をちょっと覗き見していたと。
ときにはうらみでえらいことになったひとや怨霊とも対峙したと。
それに加えて戦闘訓練のほうでも『耐性訓練』をしていた。
主座様に幻術をかけられて、ホラー映画もびっくりのグロいモノやエグいモノを見せられたらしい。
「それでも、おれもかなりキツかった。
ひな、扉開けてすぐ倒れたのも無理ないと思う」
……そう。そんなすぐに倒れたの私……。
晃が言うのには。
晃がトモさんの許可を得て扉を開けた。
部屋の中は竹さんの霊力が渦巻いていたという。
それに『当てられた』と。
晃ですら自衛も障壁も「間に合わなかった」というのだから、どれほどのものかわかろうというものだ。
その霊力の直撃を受けた瞬間に、竹さんの記憶まで『当てられ』てしまい、許容量オーバーになった私が倒れたと。
すぐさま扉を閉めて晃は竹さんの水を飲んだ。
そして私に『浸入』して『火』を展開し、助けてくれた。
自分でもわかる。
晃の『火』がなかったら、私はヤバいことになっていた。
今さらながらゾッとする。
ガタガタ震えだした身体を晃がぎゅうっと抱きしめてさすってくれる。
「大丈夫。大丈夫だよひな」
「ひなの『記憶』じゃないよ」
晃の言葉に、ぬくもりに癒やされる。
「これは私の『記憶』じゃない」
「そう」
「晃の『記憶』でもない」
「そうだよ」
「『近寄りすぎない』『のめりこまない』『呑まれないように』」
「うん。そう。そうだよ」
相手の『苦しみ』に引きずられないように。
相手の『思念』に呑まれないように。
相手を背負いすぎないように。
のめりこんだり寄り添いすぎたりすると『呑まれる』。
常に冷静に。客観的に。一歩引いて分析。
前世の祖母に言われていたこと。
そうやって自分を守ってきた。
これまではうまく『自衛』できてたんだけど。
「それだけ竹さんの霊力と記憶が強烈ってのもあると思うけど」
うん。あの霊力はとんでもなかったわね。あのひと、普段からあんなもの抑え込んでんの。とんでもないひとね。やっぱ神様かしら?
「ひな、体力作りしたり霊力操作訓練したりしてるだろ?
その成果が出てきて、霊力なんかは訓練始める前と比べたら倍になったよね。
それに引きずられて、多分特殊能力のほうの精度も上がってる」
「おれもそうだったんだけど」と晃が説明してくれたところによると。
特殊能力、というよりも精神系能力の訓練を重ねていくと、その精度が上がる。
それにひっぱられるように霊力量が多少増えることがあるらしい。
私の場合その逆で、霊力が増えたことにひっぱられて『思念』を受け取る能力とか感受性とかの精度が上がっている。
そのためにそれまで身につけていた『自衛』が合わなくなっているらしい。
主座様は「『受信能力』が上がっている」と表現されたと教えてくれる。
だから、私がこれまで無意識に展開していた『自衛』では防ぎきれない、と。
今は修得のための途中段階なのだそうだ。
霊力を増やせるだけ増やして、慣らして安定させる。
そうすれば特殊能力のほうも落ち着くだろうし、それに合わせた『自衛』も展開できるようになるだろうと晃が説明してくれる。
なるほどね。納得。
で、なんであの中でトモさんは平気なのかしらね?
「トモは精神系の能力者じゃないのもあると思うけど」
晃があっさりと判じる。
「『半身』だからじゃない?」
ああ。なるほど。
黒陽様は?
「あのかたも特別だから」
なるほどね。
「黒陽様がおっしゃるのに、竹さんて普段は霊力もきっちり抑え込んでるし、つらい記憶とか感情とかも見せないんだって」
それはそうだろうと思えたのでうなずいた。
「で、竹さんは暴走状態になったら、黒陽様も弾き出すんだって。『あぶないから』って。
結界展開してその中にこもっちゃって、黒陽様でも入れないんだって。
でも今は黒陽様も蒼真様も部屋に出入りできるし、トモもくっついてるし、一応暴走収まってる状態って言えるって判断してたんだって。
だからおれ達が『当てられる』なんて黒陽様も考えてなかったみたい。
『ごめん』って謝ってくれたよ」
え? あれで『収まってる状態』なの?
まだ暴走してるんじゃないの?
「……今は暴走状態収まってるって?」
「うん」
「……………あれで?」
「うん」
………昔の晃の暴走と比べてもすごい量の霊力だったわよ?
なのに、扉の外側はそんな気配全くなかった。
「竹さんが寝てるときに自動展開してる結界だって。
それで部屋の外は全然影響ないって」
あれだけの霊力を結界に抑え込むなんて――。
そこでハッと気がついた。
つまり、本当に本当の暴走状態は、あんなものじゃないということ。
それすらも竹さんの結界は抑え込める。
「……すごくない?」
「すごいよね」
ふたりで思わずつぶやいてしまう。
そしてそんなひどい暴走に耐えてきたということだ。あんな根性なさそうなひとが。
そりゃ弱る。疲弊する。
黒陽様が『万が一』を心配するのもわかる。
それほどまでに、竹さんから受けた霊力の渦はすさまじいものだった。
晃やトモさんは元々高霊力保持者なところに先日修行でさらに霊力増やしてるから大丈夫だったんだろうが、一般人に毛が生えた程度の私ではひとたまりもなかった。
「暴走は収まってるけど、普段してる、霊力を抑えたりコントロールしたりっていうところまでは回復してないらしくって。
それであんな状態になってるらしいよ?」
「……………」
……………やっぱりあのひと、人外だったか……。
なんであれだけのチカラ持ってて自信がないのかしら。
そこまで考えて、ふと理解した。
チカラがあるからか。
強大なチカラがあるから『災禍』の封印を解いてしまった。
強大なチカラがあるから『災厄』を招く。
強大なチカラがあるから祀り上げられて遠巻きにされる。理解されない。
彼女の記憶の一端を覗き見た今なら『わかる』。
それを、彼女は耐えてきた。
『己に課せられた罪だ』と考えて。
―――なんてあわれなひとだろう。
苦しみを背負って何千年も過ごしてきた。
その苦しみを誰にも見せず、笑顔を浮かべていた。
なんて『強い』ひとだろう。
なんてやさしいひとだろう。
「……ホントだね」
晃にもたれて身体を密着させているから、私の思念は晃に伝わっている。
なんとなくふたりでしんみりして、ぎゅっと手を握りあった。
「……どうにかしてあげたいね」
またすぐそういうことを言う。もう。お人好しなんだから。でも。
「……うん」
私もそう思う。どうにかしてあげたい。
春休みに竹さんの抱えている『闇』を『視た』。
それでも、これほどの罪の意識を、苦しみを抱えているとは思っていなかった。
竹さんはいつでもニコニコして、礼儀正しくて、うっかりでぼんやりでどんくさくてニブくて、こんなつらい想いをしているなんて思っていなかった。
愛おしいひと。
妹のような。守ってあげたいお姫様。
「……トモさんがいれば、少しは竹さんも楽になると思う。
実際、春休みに会ったときよりも『闇』が薄くなってる気がする」
私のつぶやきに晃もうなずく。
あ。初めて会った霊玉渡したときよりも雰囲気が違うって晃も気付いてたの。
「おれ達に竹さんの苦しみを取り除くとかはできないと思う。
ひなに『浸入』してきた思念はおれの『火』で燃やせたけど、竹さんはおれよりも霊力量多いし、竹さん水属性だし、おれの『火』では敵わないと思う」
晃は冷静に分析している。
どしたのあんた。『むこう』で修行したら急に大人びたわね?
「『むこう』で修行したのも、三年半経ってひなの知ってるおれよりも大人になったのもあると思うけど」
照れたように笑いながら晃が続ける。
「ひなの影響かも」
「私?」
自分を指差すと、晃はコクリとうなずいた。
私の霊力操作訓練に付き合わせている晃は精神系能力者。
だから、霊力を重ねる相手の影響を受けることがあるらしい。
実際中学二年生のときの修行では、霊力操作訓練を指導してくださったサトさんや毎晩おしゃべりしていた晴臣さんの気配がついていたという。
しかも私達は『半身』。
お互いの霊力が混じり、ひとつになろうとする。
だから私は晃の影響を受けて霊力増えやすくなったり記憶を『読む』感知能力が上がったりしてきてるし、晃は晃で私の影響を受けて分析したりできるようになってきたという。
ああ。それで私が竹さんの記憶まで『視』ちゃったってこと?
「多分」
なるほど。
「試しになにを『視た』か、お互いに『視せ合いっこ』する?」
それはいい考えかも。
中学のときの晃の訓練のひとつに、お互いの記憶を『視せ合いっこ』するというのがあった。
互いに別々の場所に行ってなにかひとつを覚える。
戻って私の記憶を『視て』、晃は逆に私に記憶を『視せて』、どこに行ったか、なにを覚えたかを当てる。
それを久しぶりにやってみた。
ふたりで両手をつなぎ、目を閉じておでこを合わせる。
それだけで霊力が循環するのがわかる。
「じゃあおれからね」
晃の言葉を合図に、晃の『視た』ものを『視た』。
「次、ひなの『視る』ね」
晃の意識が私の記憶を引き出していくのがわかる。
抵抗することなく楽にしていたら、晃が全部『視た』のが『わかった』。
瞼を開けると、火を宿した瞳が目の前にあった。
「おんなじだったね」
晃の言葉に「ね」と答える。
「やっぱりおれとひな、混じってきてるかんじがする。
霊力合わせる訓練してるからかなぁ。それとも『半身』だからかなぁ」
それは私も感じた。
以前よりも晃の霊力がすんなり流れる気がする。
ここ一週間の霊力操作訓練のたまものかしら?
「――とはいえ、大事なヒントも得たわ」
私の言いたいことが言葉にする前に晃に伝わる。
決意を込めた瞳で晃がうなずいた。
「私達は『災禍』が『わかる』」
守り役様達が言っていた。『災禍』は『見ればわかる』。
『災禍』は姿を変えられるという。だから外見上の特徴で探すことができない。
唯一断定できるのが、その気配。
それだけはどんなに姿を変えても変わらないという。
だから『災禍』を断定するのは、守り役様達か姫達でないとできなかった。
でも、今回竹さんの霊力と記憶に『当てられて』、私と晃も『災禍』の気配を知った。
確かにアレは言葉では説明できない。でも、感覚で『知った』今なら、どんな姿をしていても『災禍』が『わかる』と断言できる。
「『瓢箪から駒』だね」
うれしそうに笑う晃にこちらもニヤリと笑う。
「今度デジタルプラネットに行くことができたら、どうやってでも三上女史にくっついて保志氏のところに行く。
仮に私ひとりでも『災禍』を特定できるわ」
「ひなひとりでなんか行かせないよ。
隠形取っておれもついていくからね」
すぐさま晃が止めに入る。
「うん」とうなずき、つないだままの両手に少し力を入れる。
そっと唇を差し出すと、すぐにキスをしてくれる最愛。
重ねた唇をそっと離す。
「あんたは死なせない」
「うん」
「絶対に私が守る」
決意を込めてそう宣言すると「ありがと」とうれしそうにはにかんだ。
ちゅ、ちゅ、とバードキスを落としてきた晃は手を離し、私をぎゅうっと抱き込んだ。
「おれは死なない」
「絶対にひなをひとり置いていかない」
「約束する。これ以上ひなを泣かせない」
ぎゅうっと抱き合った。互いの『誓約』を確かめ合うように。互いのぬくもりを、魂をひとつに溶かすように。
「好きよ。晃」
「大好き」
普段は口に出せない言葉を口に乗せる。
『誓約』を強くするように。
「おれも」
「ひな、大好き」
「おれのひな。おれだけのひな」
「泣かせない。絶対に『しあわせ』にする」
なにそれ。なんかプロポーズみたいじゃない。
ちいさく笑ったら、晃も笑ったのがわかった。
「おれはいつでも結婚オッケーだよ?」
「なに言ってんのよ。大学は卒業させなさいよ」
「わかった。大学卒業したら結婚しようね」
《だから、死なないからね》
声ににしなかった言葉まで伝わる。これだから精神系能力者同士は。
晃の肩に埋めていた顔を上げ、そっと唇にキスをする。
「――約束よ?」
「うん。約束」
初めて具体的な結婚の約束をした私に、わんこは大喜びになってしまった。
「ひな」「ひな大好き」なんてキスを降らせるから、どうにか頬をつかんでそれを止める。
不満げな目をまっすぐに見つめて、ニヤリと笑った。
「アンタが私を『いらない』って言うまでは、そばにいるわ」
修学旅行のときに、告白のときに言った言葉をわざと口にした。
晃もわかってくれて、それはそれはうれしそうに微笑んだ。
「じゃあ死ぬまで一緒だ」
そう言った晃だったけど、ハッとなにかに気付いた。
「――違う。おれ、死んでもひなと一緒がいい」
呆気にとられる私に、晃は真面目な顔で言った。
「死んでも。生まれ変わっても。そばにいて」
「おれにはひなが必要だ」
「――もう」
仕方ないんだから。
かわいいわんこの首に腕をまわし、唇にキスをする。
「じゃあ、ずっとそばにいるわね」
「―――! うん!」
ぎゅうっと抱き込んでくれる晃。しっぽがちぎれそうなくらい振られているのがみえるよう。
「ひな」
「ひな大好き」
かわいいわんこと抱き合いながら、決意を固めた。
晃は、私が守る。
どんな手を使っても。
絶対に。