久木陽奈の暗躍 36 中学時代のトモさんの話とナツさんの話
本編第九十四話にあたる日の朝です
スマホのアラームをどうにか止めた。
正直まだ寝てたい。でも、やらないといけないことがある。
布団の中で「うーん」と伸びをして、モソモソと起きる。
隣の竹さんはまだぐっすり眠っている。
竹さんは一時期眠れなくなっていた。
どんどん疲弊していって、それがある日を境に今度は一日のほとんどを寝て過ごすようになった。
「動けるのはあと半年」黒陽様も蒼真様もそう判じた。
そんな竹さんに、保護者の皆様は家族として構いまくった。家族の愛情を注ぎ、『半身』であるトモさんの写真を見せ、話を聞かせた。
それが一定の効果をもたらしていた。
そして、トモさんが帰ってきた。
帰ってきたトモさんは竹さんにべったりくっついて構い倒していたという。
毎日一緒に出かけ、一緒に食事をし、文字通り『おはようからおやすみまで』ずーっと一緒にいるらしい。
帰還三日目には『恋人ごっこ』をすることになり、さらにイチャイチャベタベタしているという。
そのおかげか、竹さんは体調を取り戻しつつある。
ごはんも食べられるようになり、夜もちゃんと寝るようになった。
蒼真様の言うとおり、『半身』にはお互いを補い合う効果があるようだ。
黒陽様によると、竹さんがマイナス思考を持ち出したり弱気を見せたりすると、すかさずトモさんが論破しているらしい。
それもあってあの闇が薄くなっているのだろう。
竹さんのことはトモさんに任せておけば大丈夫。
私は私のことをやらなければ。
隣で眠るかわいいひとを起こさないように、そっとベッドから降りて身支度を整えた。
トトトトトトトト。
キッチンから軽快な音が聞こえる。
顔を出すとすぐに向こうも私に気付いた。
「おはよーひなさん。早いね」
「おはようございますナツさん」
挨拶を返し、ナツさんのそばに向かう。
ナツさんは京都でも有名な料亭に就職し、和食の料理人となるべく修行中だと聞いている。
でもそばで見ていると、とても『修行中』には見えない。
流れるような動きで次々に料理を仕込んでいく。
「ごめんねー。おれのせいで朝ごはん早くなって」
「とんでもないです。私も皆さんが絶賛する『ナツさんの料理』食べてみたいですから。早起きくらいなんてことないです」
「ハードル上げないでよー」
「あはは」と笑うナツさんは百六十四センチの私と同じくらいの背。
晃の仲間内で一番小柄。おまけに童顔。
猫のような目をした、可愛らしい男性。
『男性』というよりは『男の子』といったほうがいいかんじの、可愛らしい男の子。
なんか昔イロイロあって主座様の『異界』で過ごす時間が積み重なって、主座様ヒロさん同様、身体年齢は二十歳前になっているはずなのに、ちっともそんなふうに見えない。
クセのある髪を短く整えている分、昔よりは大人っぽく見えないでもないけれど。
「ナツさん今日もお仕事ですよね?」
「うん。だから、店の朝ごはんまでには戻らないといけないんだー」
「ここで朝ごはん食べて、お店の朝ごはんも食べるんですか?」
さすがは成人男性。食いっぷりが女子とは違う。
そう感心していたら「そうなんだよ」とナツさんが笑う。
「だからここでごはん食べたら、白露様達が時間停止かけた結界の中で運動させてくれるって。
トモも付き合ってくれるから、それでおなかペコペコにして戻る予定」
「なるほど」
ナツさんは現在寮住まい。
就職先の料亭の独身男性ばかりが住んでいるその寮では、交代で朝食を作り全員で食べるという。
その時間までに戻らないといけないから早い時間の朝食になった。
「おれ、あんまり量食えないから。
腹減らさないと店のごはん食えないと思うんだー」
「そうなんですねー」
「ヒロはめっちゃ食うんだ。うらやましいよ。
店のひとと研究で外食したりするんだけどさ。
おれ、すぐ腹いっぱいになっちゃって、種類が食えないんだよね」
「へー」
そんな他愛もない話をしているうちにナツさんの仕事が一段落ついたのがわかった。
使った道具をきれいに片付けていくナツさんに「もう完成です?」と声をかける。
「あとはごはん炊きあがるの待つ。
玉子焼きはみんなの顔見てから焼いたほうがアツアツを食べてもらえるから、またあとでね」
ニコニコとそう答えるナツさんに「じゃあ」と声をかけた。
「ちょっと私の話を聞いてもらえませんか?」
「話? ひなさんの?」
キョトンとしたその顔はとても成人男性に見えない。
そんなかわいいひとににっこりと微笑みを向ける。
「ナツさんに『お願い』があるんです」
私の『お願い』を、ナツさんは快く了承してくれた。
「送迎は緋炎様か白露様がしてくださいますので」
「うん。わかった。
あ。念の為におれのお仕えする神様に言っといてもいい?」
「もちろんです。私も今日ご報告とお願いにあがります。
『愛し児』をお借りするのですから」
「もう『愛し児』って年齢じゃないと思うんだけどなぁ」
そう笑っていたらトモさんが顔を出された。
「おはよ。早いなナツ。ひなさんもおはようございます」
「おはよートモ。もうすぐできるよ。竹さん起こしてきて」
「了解」
え。なにあのひと当然のように向かってんですか。女の子の寝室に勝手に入るんですか。いくら『半身』とはいえ、未婚の男女がそれはいいんですか!?
「なんか毎朝寝顔眺めてるらしいよ?」
「は!?」
「竹さんが起きるまで時間停止の結界展開してるって。
で、自分はその間竹さんの横でデータ分析とかの仕事してるって」
「……………」
そんなこと、昨夜竹さんは言ってなかったぞ?
「着替えのときはさすがに部屋出ると思うよ?」
「当然です」
はあ、とため息が落ちた。
「……なんか、今までのトモさんと違いすぎて……」
「わかるー」
頭を抱える私にナツさんも食卓を整えながらクスクス笑う。
「まさかあのトモがあんなになるなんて思わなかったよ」
ナツさんは中学の二年三年と、ニ年間トモさんの家で同居していた。
学校も同じクラスだった。
そのナツさんから見ても、今のトモさんは「別人みたい」だという。
「トモって女の子に全く興味なくて。
なんか小学生のときに押しかけ彼女に迷惑かけられたときに爆発したのが知れ渡ってて、女の子達もトモには近づかないんだけど、でも遠巻きに好意を向けてたんだ」
なんですかその『押しかけ彼女』って。『爆発』って、なにがあったんですか。
気になったけど、話を進めてもらおうと黙っておいた。
「なのにトモったらそんな視線に全く気付かないんだ」
思い出したらしくナツさんがクスクス笑う。
「おれも『トモに渡して』って何回もラブレター渡されたけどさ。
『トモは無理だよ』って受け取らなかったら、『おれとトモが付き合ってる』って話が広がってて」
まあそうなりますよね。
「それをわざわざ聞かせたバカがいてさ。
まあトモが怒る怒る。
『言い出したヤツを突き止める』とか言い出して女の子達を容赦なく尋問していって。
泣かれても怒ったまま『泣いて済むと思うな』なんて問い詰めるんだよ。
かわいそうで『もうやめてやれ』って止めたら『お前がそんな甘いこと言うからこんなばかな話が出るんだろうが』っておれも怒られた」
「……………大変でしたね」
「うん」
トモさんは学校中を恐怖に落としたという。
ついには教師が出てきて取り成すもお怒りモードのトモさんは聞かず、校長、教頭、担任、学年主任、生徒指導の先生方に囲まれても「俺は被害者だ」「名誉毀損で訴える」と姿勢を変えなかったという。
そうして最終的にはトモさんとナツさんが恋愛関係にあると一度でも口にしたと証言が取れた生徒のリストを作り、弁護士の晴臣さんを引っ張り出し「名誉毀損」と「心的負担を強いられた」としてすべての生徒とその保護者と面談をした。
『二度とそんなこと言いません。考えません』という誓約書を書かせて示談としたという。
学校側もトモさんは訴えたという。
『生徒の指導がなってない』『被害を訴えてもなんの対処もしなかった』と。
実際そのとおりだったので学校側は今後の対応策を提示。教育委員会まで出てくる大事になったらしい。
徹底してますね。さすが。
同じ学校の生徒はたまったもんじゃないですね。
私トモさんと違う学校でよかった。
「元々恋愛に、というより女の子に興味がなかったのに、それでさらに嫌になったみたい」
「あー」
「そんなんでトモ、恋愛とか結婚とかできるのかって、おれ、心配だったんだ」
ナツさんからしたらトモさんは生涯独身をつらぬいてひとり気ままに生きていくと思えた。
その様子が手の取るようにわかった。
『前世の私』がそこにいた。
今ならわかる。
『前世の私』は、自分で気付かないうちに『半身』を求めていた。
だから他の男は恋愛対象にならなかった。
きっとこれまでのトモさんも私と同じ状態だったのだろう。
「でも、ばあちゃんとじいちゃんが言ってたんだ。
『トモには「半身」がいる』って」
トモさんの祖母であり晃の特殊能力の師匠でもあるサトさんは『視る』ことに長けたひとだったという。
その能力で、トモさんが自分のお寺の開祖の生まれ変わりなことも、『半身』がいることも『視』ぬいていたという。
「『「半身」に「とらわれた」ら「ひとが変わる」から』。『だから放っといて大丈夫だよ』って」
そしてサトさんの言葉どおり、トモさんは『変わった』と。
「おれ、竹さんに感謝してるんだ」
箸を並べながら、ポツリと、ナツさんは言葉を落とした。
穏やかな微笑みを浮かべていた。
「トモに『女性を愛する気持ち』を教えてくれて。
トモを『しあわせ』な気持ちにしてくれて。
――感謝してるんだ」
並べる箸に向かって、ナツさんが言葉を落とす。
「トモもおれの恩人だから」
――思念が流れてくる。
大好きなおかあちゃん。
しあわせな毎日が、あの日、こわれた。
真っ暗闇の中、ただ、舞う。
おかあちゃんに会いたくて。
そんな『世界』から救ってくれたのが、晃。
晃の『火』が闇を食っていく。
記憶の花束を集めていく。
晃のおかげで、おれは『おれ』を取り戻した。
それまで支えてくれていたヒロとハルと別れ、トモと暮らすことになった。
右も左も分からないおれをトモが引っぱってくれた。
学校で。家で。修行で。
友達ができた。家族ができた。失ったものをひとつひとつ新しく拾いなおしていく。
トモがいつもそばにいてくれた。
困ったときはいつもそっと助けてくれた。
トモがいてくれたから、新しい生活に馴染めた。
トモが支えてくれてるって思えたから、新しい道を選ぶことができた。
暗闇でうずくまっている間ずっと支えてくれていたヒロとハル。
暗闇を燃やしてくれた晃。
そして。
新しい場所で支えてくれたトモ。
おれの恩人。大事な友達。
「おれに『しあわせ』をくれたトモに、『しあわせ』になって欲しいって思ってたから」
「だから、トモに『好きなひと』が出来たって聞いて、うれしかったんだ」
「『おれが手伝えることがあれば手伝いたい』って思ってたんだ」
「なにも手伝えないまま、うまくいっちゃったけどね」
へへ。と笑うナツさんに私も笑顔を向ける。なにも知らないフリをして。
「そういうナツさんは『好きなひと』いないんですか?」
「そうなんだよー。おれ、マザコンだから」
茶化すようにナツさんはケロッと言う。
話しながら土鍋の様子をうかがうナツさんに、わざとからかうように話しかけた。
「ナツさんモテるんじゃないんです? 中学時代とか。今とか」
そう水を向けてみたけれど「えー。全然だよー」と笑う。
「おれが『マザコンだ』って知ったら、女の子達恋愛対象からはずしちゃうんだ」
茶碗を用意しながらそういうナツさんに「そりゃもったいないですね」とついもらした。
「こんなにやさしくて料理上手なのに」
「それもね」
クスクスと楽しそうに笑いながら今度は小鉢を取り出す。
「『女の子より料理上手な男はダメ』なんだって」
「あー」
そう言えば前世でもそんな話を聞いた。
彼氏や旦那に「料理してもらいたい」けど「自分より料理上手なのはイヤ」って。
でも「そんなの関係ない」っていう女性もいると思うんだけど。
それこそ料理できない女性だっているだろうし。
ふと思った。
このひとにも『半身』がいるんだろうか。
「――ナツさんにも、どこかに『半身』がいるんですかね」
「どうだろうね」
さらっと答える様子からも伝わる思念からも、ナツさんが『半身』を求める様子は見られない。
自分と比較するに、このひとには『半身』はいないんだろう。
「おれ、女のひとはどんなひとでも『かわいい』って思うから。
『半身』でもそうじゃなくてもかまわない」
なるほど。花街で女性に囲まれて育ったから、女性は年齢問わず『かわいい』と思うように教育されているんですね。
まあナツさんを前にして性格悪くいられる女性もいないだろう。
『神の愛し児』だけあって、ナツさんの魂は清浄で高潔だ。
そんなひとのそばにあっては、たいていのひとは善性を引き出される。
わざとふざけて「私も?」と聞いてみたら「ひなさんもかわいいよ」と軽い答えが返ってきた。
「ナイショね。こんなこと晃に聞かれたら殺されちゃう」
人差し指を唇に当ててクスクス笑うナツさんに、こちらも笑みがこぼれる。
「ナツさんが『こんなひとと結婚できたらなぁ』って思うひと、いました?」
おふざけついでにそんなことを聞いてみたら「いたいた!」と楽しそうに答えてくれた。
「一番はおかあちゃん。次にサトばあちゃん。その次がアキさんかなー」
………既婚者ばかりですね……ていうか……。
「……母性あふれるひとばかりですね……」
なるほど。これは『マザコン』だわ。
そう思っていたら「『母性』もかもだけど」とナツさんはどこかを見たままつぶやいた。
「『強い』女性、かな」
「……なるほど」
確かに。
私はアキさんにしかお会いしたことはないが、話を聞くだけでもナツさんのお母様もトモさんのおばあ様も『強いひと』だと思う。
己の信念を持ち、揺らぐことなく立っていた女性だと感じる。
そんな女性達と比べられるなんて、ナツさんを好きになる女性は大変だ。
「じゃあ、ナツさんの好きな女性のタイプは『強い女性』?」
そう確認してみると「そうだね」とあっさり答えるナツさん。
おひたしを小鉢に盛りつけながら、なんてことないように軽く教えてくれた。
「おれが招くかもしれない『災厄』に負けない、『強い』女性がいいな。
おれより一日でも長生きしてくれる、元気で明るい女性だとなおいい」
彼の『痛み』を『視た』私には、それがナツさんの本当の『願い』だとわかった。
『痛み』を抱え、そんな『願い』を抱き、そんな女性はいないだろうと諦めているのがわかった。
いつか彼がそんな女性に巡り合えたらいい。
そうしていつか彼の『痛み』を癒してくれたらいい。
そう願い、言葉をかけた。
「そんな女性に、巡り合えるといいですね」
ナツさんはただにっこりと微笑んだ。
ナツの過去は『霊玉守護者顛末奇譚』『霊玉守護者顛末奇譚 番外編』をお読みください