第十七話 ハルの話
「なあハル」
思い切ってハルに聞いてみる。
「俺はどうしたらいい?」
俺が真剣だとわかったのだろう。ハルもヒロも真面目な顔つきでじっと俺を見た。
だから、ずっと渦巻いているものを吐き出した。
「どうすれば彼女は『しあわせ』になる?
どうすれば彼女は苦しむことなく過ごせる?
そのために俺に何ができる?
俺はどうしたらいい?」
彼女のために何ができるのか。
とうすることが最善なのか。
教えてほしい。指示してほしい。
「あと五年で、どうにかできると思うか?」
俺の言葉に、ハルが顔をしかめた。
「……『長くて五年』だ」
『長くて五年』。
その言葉に衝撃を受け、動けなくなった。
黒陽は何と言った?
そうだ。『二十歳まで生きられない』と言った。
『二十歳に死ぬ』ではなかった。
ということは。
今死ぬかもしれないということか?
もう、時間がないと、いうことか?
勝手に身体がガクガクと震える。
なにか言わなくてはと思うのになにも出てこない。
彼女が死ぬ?
俺をおいて?
また?
せっかく会えたのに?
何も言えない俺にハルがポツリと言った。
「どうにかできればと思っているよ」
さっきの俺の質問への答えだとわかった。
だから期待を込めてじっとハルを見つめた。
そんな俺にハルは話を続けた。
「ここ数百年は姫達が四人そろうことはなかった。
四人がそろうのは四百五十年ぶりだ」
そうなのか。
うなずくとハルもうなずいた。
「僕もいる。おまけにお前達霊玉守護者も五人そろっている。
何千年、何万年に一度といえるくらいの巡り合わせが巡ってきているのが、今なんだ」
これにもうなずく。
俺達霊玉守護者が五人そろったのも四百年ぶりだといつかハルが言っていた。
姫達と霊玉守護者。
両方がそろうなど、確かに奇跡的な確率だ。
「『災禍』の手がかりもある。
この機会を逃したら、それこそもう『災禍』を滅するなんて絶望的だと思う」
吐き出すようにそう言い、「ハァ」とため息をついた。
「だから、どうにかできればと思っている」
ハルはハルで色々と調査したり策を講じたりしていると言う。
五千年の記憶のある西の姫と連絡を取り合い、指示を受けているらしい。
「今は『災禍』を滅する絶好の機会。
これを逃せば、おそらく『災禍』を滅することなどもうできない」
そう言って、ハルはそっと目を伏せた。
「――もう姫達がもたない」
どういう意味かわからず視線で先をうながすと、ハルは「フウ」とひとつ息をつき、コーヒーを飲んだ。
「最初にこわれたのは南の姫なんだ」
『こわれた』
去年の秋にハルに『半身』のことを聞いたとき、確かにハルが言っていた。
『南の姫と姫宮はこわれた』
そのときは「ふーん」と聞いていた話が突然現実味と恐怖を持って迫ってきた。
『こわれた』
ココロが。
ヒロにも聞かせるためだろう。
ハルが去年の秋に聞いた話をもう一度してくれる。
「南の姫は末っ子気質で、傍若無人に見えて甘えん坊なんだ。
その姫が唯一の主と定めた人物がいたんだけど」
その主が誰かは言わず、そのままハルは話を続ける。
「まあ、時代の流れというか、死人に口なしというか。
彼女の主が、時代が進むにつれて、悪役扱いされるようになって。
それに反発しながらも彼女は己を責めたんだ。
『自分がもっとうまく立ち回っていたら』『自分がもっと警戒していたら』って」
会ったこともないその姫の苦しみが伝わるようで、知らず眉が寄った。
ヒロも渋い顔をしている。
「そんなふうに自分を責めているうちに、昔の罪まで蒸し返してきた。
『自分が誘わなければ』『自分がもっと警戒していたら』」
黒陽が言っていた、元いた世界で『災禍』の封印を解いたときの話だとわかった。
黒陽が言っていた。
『東の姫も南の姫も「自分のせいで」と己を責めている』と。
「そうして南の姫はこわれていった」
ポツリと、ハルが言った。
「生まれ落ちても表情がなくなった。ただの一言も声を出さなくなった。
あれほどの剣技を扱う人が、じっとして動かなくなった。
まるで人形のようなままただ生きて、そしてただ死んでいった」
ココロがこわれたから。
それほどまでに己を責めた姫を憐れに思うと同時に、誘っただけの南の姫がそうなるならば封印を解いた本人である竹さんはどれだけ苦しんだのかと苦しくなった。
「それを二度繰り返し、緋炎様が西の姫に泣きついたんだ。
『記憶を封じてくれ』って」
つらい記憶がなければ、『唯一』と定めた主の記憶がなければ、きっと元の姫に戻る。
そう信じて、緋炎様は記憶の封印を依頼した。
「で、西の姫と白露様と、封印に詳しい姫宮と黒陽様も加えて、僕も協力して、術式を作ったんだ。
実験体に名乗りを上げた東の姫にかけてみて、大丈夫そうだったから南の姫にかけた」
「……その南の姫は、その後どうなったんだ?」
おそるおそる聞いてみると、ハルはあっさりと答えた。
「覚醒してもその主のことは覚えていない。
だからか、一応は元気になったよ。
――ただ、その術式だっていつほころびが出るかわからない。
実際姫宮にかけた術式はほころんでいる可能性があるしな」
どういうことかと視線を向けると、諦めたようなかなしそうな顔で目を伏せた。
「姫宮は眠れなくなっているんだ」
黒陽が言っていた。
昼寝する竹さんを見つめ「こんなふうに眠るのは覚醒してから初めてだ」と。
きっと罪の意識にとらわれて、思い詰めて眠れなかったのだろう。
「そうなのか」とちいさく言ったら、ハルはじっと俺を見つめ、なにか言いたそうに口を開いたが、またすぐに閉じた。
そうしてひとつため息を落とし、また話し始めた。
「昔の罪にとらわれて眠れないのは今までもずっとそうだったが、四百年前に『半身』と再会したあとから、夜出歩くようになった」
意味がわからず視線で問うと、ハルはうなずいた。
「どうも、『半身』を探しているらしい」
『半身』。
つまり――俺を?
いや。違う。
それは四百年前に出会った『半身』だ。
前世の俺。おじさんの寺の開祖。
俺かもしれないが、俺じゃない。
知らず眉を寄せる俺にハルは皮肉げに口の端を上げ、話を続けた。
「本人は覚えていない。夢遊病と同じだ。
無意識に出歩いて探している。
『また会えるのではないか』と」
夜の街をあてどもなく歩く彼女が浮かんで、かなしくなった。
そういえば去年ハルが話していた。
竹さんは「『半身』のいない世界を繰り返すことに疲れてしまったんだ」と。
そうして「ゆっくりとこわれていった」と。
そのときはやっぱり「ふーん」としか思わなかった。
だが、竹さんに出会った今ならわかる。
探しても探しても『半身』に会えない。
それは、どれほど苦しいことだろう。
たとえば俺だったら。
一度出会えた竹さんにもう会えないとしたら。
探しても探しても見つからないとしたら。
――あ。駄目だ。
考えただけで気が狂いそうだ。
「見かねた黒陽様が西の姫に頼んで姫宮をだまし討ちにして記憶を封じたあとは、そんなことはなくなった。
ただ罪の意識に潰されそうになって眠れなくなるだけだった。
それはそれで問題なんだがな」
フウ、とため息をつくハルに同意を示すのにうなずいた。
そもそも眠れないなんてのは現代では病気の一種だ。
睡眠は人間には必要なものだ。
眠れないなんて、それだけで具合が悪くなるに決まっている。
ふと、今日の彼女を思い出した。
気持ちよさそうに眠っていた。
俺の家で少しでも彼女が眠れてよかったと、それだけでもホッとした。
「昨夜、姫宮が夜中に出ていったと式神から報告があった」
罪の意識から眠れなくて出歩いているらしい。
かわいそうにと目を伏せた。
「黒陽様に確認したら、間違いなかった。
『誰かを探しているようだった』らしい」
ハルの言葉に息を飲んだ。
それは。
『半身』を探しているのか?
だって、封印は?
『半身のことを覚えていない』と黒陽は言っていたのに。
思わず顔を上げ、ハルをじっと見つめた。
俺の言いたいことをハルは理解し、皮肉げな笑みを浮かべた。
「――お前に出会ったことで、封印が弱まってしまったのかもしれない」
――俺のせいか。
俺と出会ったせいか。
そのせいで、彼女はしっかり眠れなくなっているのか。
「それでなくても眠れないのに、眠っている間はうろうろ出歩いているんだ。
今までもそうやって出歩いて体力が削がれていって衰弱していった。
今生も今まで以上に疲弊するに決まっている」
震える手で、頭を抱えた。
彼女は俺のせいで疲弊するのか。
そう思うだけで自分を絞め殺したくなる。
どうすればいい。どうすれば彼女は眠れる?
どうすれば彼女のためになる?
「――どうすればいいんだ……?」
思わずもれたつぶやきに、ハルはため息で答えた。
「それが僕にもわからないんだよ」
のろりと顔を向けると、ハルは腕を組んでへの字口で眉を寄せた。
「お前を『半身だ』と認識したら、あのひとは間違いなく逃げる」
きっぱりと言い切るハル。
「『自分の責務にお前を巻き込めない』と逃げる。
『お前といると責務を忘れたくなる』と、『お前といるとしあわせだから』と逃げる。
それは悪手だと思うんだ」
そしてまた「ハァ」とため息をついた。
「一番は姫宮がお前を受け入れてくれたらいいんだけどなぁ」
そうすれば『半身』を探して眠っている間に出歩くことはなくなる。
『半身』である俺がそばにいれば彼女は安定して眠れるようになる。
実際今日もぐっすりと眠っていた。
「ただ、彼女には無理だろうなぁ」
それは俺にも理解できた。
彼女の背負っているものは重すぎて、彼女自身その重さに耐えかねていて、やさしい彼女はそれを誰かが一緒に背負うことを良しとしない。
「だから、次案として、お前が『半身』だとバレないようにしてそばに置いておこうかと話していたんだ。
僕やヒロのような扱いだな」
ハルとヒロは『協力者』として受け入れてくれているらしい。
そういえば黒陽も言っていた。
なるほどとうなずく。
「ちょうど『災禍』を追うのにシステムエンジニアが必要になっていてな。
うまくいけばお前に仕事を依頼しようと話していたんだ」
「ふーん」
『災禍』とシステムエンジニアが結びつかないが。
「俺で役に立つなら何でもやる」
そう答えると「そのときは頼む」とハルも答えた。
「ともかく、お前はまずタカと話をしろ。
お前の不安や姫宮に対する想いやらは、実際『半身』を得ているタカが一番理解できるだろうから。
タカに話をして、それでさっさと納得して、霊玉を渡せ。
京都の結界を強くしろ」
「そうだよなぁ……。やっぱりそうだよなぁ……」
「はあぁぁぁ……」とまた情けなくため息をつき、机に肘をついて頭を抱える。
それができればこんなに悩まない。
頭では理解できているのにココロが納得しない。
ポンコツな自分が情けなくて嫌になる。
そんな俺にハルは苦笑を浮かべた。
「姫宮がどこにもいかないように説得するから。
西の姫にも連絡して、釘を刺してもらうから」
ハルなりに竹さんが出ていかないように手を打ってくれると約束してくれる。
のろりとうなずくけれど、言葉が出ない。
「食事はアキ達がうまく言いくるめて食べさせている。
眠るのだけはどうにもならないが、なるべく安倍家の用事を押し付けて縛り付けておくから。
そのうえでお前がそばにいられるように取り計らう。
それでどうにか納得しろ」
「……わかった……」
かろうじてそれだけ言えた。
そんな俺にハルもヒロも呆れているようだった。
コーヒーを飲んで、ハルが聞いてきた。
「お前明日は時間あるか?」
タカさんと話をする件の調整だとわかったので、正直に答える。
「午前中はバイト入れてる。
午後は家事を片付ける予定にしてたけど……。どうしようかなぁ……」
「バイトってなに? ホワイトハッカーとは違うの?」
俺がホワイトハッカーのバイトをしていることは仲間達は知っている。
それが夜のことだということも。
『午前中のバイト』と聞いて、ヒロが疑問を持ったらしい。
そういえば言ってなかったと思い出し、説明する。
「ホワイトハッカーの会社から回ってきたバイトだよ。
『バーチャルキョート』って知ってるか?」
『バーチャルキョート』。
パソコンやスマホなどのデジタルツールで使えるアプリで、ここ最近急激に広まっている。
最初は三十年くらい前のパソコンゲーム。
京都を舞台にしたロールプレイングゲーム。
現実世界に近い舞台で『オニ』を倒すゲームだったと聞いている。
現在までに何度もアップデートやアップグレードを繰り返し、今ではスマホやタブレットでもプレイできる。
ユーザーは自分のアバターを操作して街を歩いたり買い物をしたりする。
元がロールプレイングゲームだから、その要素も残っている。
特筆すべきはその街並み。
現実の京都の街並みと遜色ないレベルがデジタル空間に再現されている。
正直そこまでこだわる意味がわからない。
それほどの精密さで街並みが作られている。
それを活かして観光協会と連携して京都をアピールしたり、企業と連携してデジタル空間に出店したりと多角的に展開している。
それが話題となり人が集まり、人が集まることでまた話題になる。
最近では祭りまで再現されていて、ユーザーが『バーチャルキョート』内の祭礼に参加できたりする。
そしてニュースで現実の祭りの話題のあと『バーチャルキョート』の様子が紹介されたりしている。
そうやってニュースやコマーシャルで紹介されることが多いからだろう。
ハルもヒロも『バーチャルキョート』のことを知っていた。
「あれのバージョンアップが控えてるんだけど、町並みのデータが足りないらしい。
それで、機材乗せて自転車で走り回ってデータ集めるバイト。
なんか大学生とか大量に使ってるらしい」
「へー」と答えるヒロの様子がいつもと違う。
そのことに引っかかりを覚えつつ、もう少し説明する。
「『走り回ってそれで終わり』のバイトも居るらしいけど、俺に回ってきたのは『走り回って集めたデータを処理してデータベースに入れる』までのバイト。
冬休みからもう何回も受けてる」
この話が来たのはデジタルプラネットからじゃない。
俺が所属しているホワイトハッカーの会社からだ。
デジタルプラネットでシステム構築が追い付かなくて、社員のひとりが昔バイトしていた伝手を頼ってホワイトハッカーの会社に助けを求めた。
「京都在住もしくは京都に来てくれるシステムに強い人間を紹介してくれないか」と。
画像データを集めるのは学生バイトに依頼している。
それの処理が追い付かない。
だから会社に来て処理してくれる人間が欲しい。
もしくは画像データを集めて処理した状態のデータを送れる人間が欲しい。
俺は後者の依頼を受けた。
前者は『社内仮眠室完備! 三食保障!』なんてブラックなニオイをプンプンさせていたから。
物好きな人間が何人か派遣されていると聞いた。
募集があったのが十二月初めで、仕事に入ったのが十五日頃。
それから『出てきた』という話を聞いていない。
四か月カンヅメって。それとも逆に居心地がよくて居ついているのだろうか。
派遣元はホワイトハッカーの会社のはずだから、また今度ちょっと聞いてみよう。
「それでトモ冬休みも春休みも忙しかったの?」
「そう」
仕事内容を思い出し、つい、愚痴が出た。
「『こんなとこ必要ないだろ』って細かいところまで求めててさ。
データ集めるのも処理するのも結構大変。
だけどまあ慣れたから、データ処理は簡単になったな。処理するためのシステム作ったし」
ずっと黙っていたハルがボソリと聞いてきた。
「……それ、データ渡すのは会社に持っていくのか?」
「いや?
パソコン上からログインしてアップするだけ」
「だから自宅で済むよ」と説明するとハルはまたなにか考えていた。
「……社長に会ったことはあるか?」
「ない」
「メールとかで連絡することも?」
「ないな」
何かはわからないが社長に接触したいらしいと気付き、俺の知っている情報を出す。
「社長は忙しいらしいぞ。
システムの骨組みをガンガンおろしてくるらしい。
で、社長に『あれしろ』『これ集めろ』言われた社員がひいこら言ってるって。
その社員からバイト募集がホワイトハッカーの会社に行ったらしい」
「へー」とヒロが相槌をうつ影でハルはさらに考えを巡らせている。
「……ホワイトハッカーの会社は確か、タカが関わっていたな」
「ああ。タカさんの昔の仲間がまだいるぞ」
そう答えると、ハルはまたなにか考えていた。
「……そのバイト、午前中で終わるのか?」
タカさんと話をする件に戻ったらしい。
「一応その予定。
でも、夜までにデータ送ればいいわけだから、もしタカさんの都合が合わなければ時間空けるよ」
そう言ったのだが、ハルは少し考えて首を振った。
「――いや。タカにはこれから確認をとる。
お前の予定もタカに伝えておくから。
またタカから連絡させる」
「わかった。悪いな」と了承するとハルもやっとうなずいた。
「ちなみに日曜は?」
「いつもどおり。修行して、家事して、ひたすら料理」
「わかった。伝えておく」
「竹さんになんかあったら連絡くれ」
「わかった」
そうしてハルとヒロは来たとき同様転移で帰っていった。