第十六話 ハルとヒロが来た
予告どおり二十時ぴったりにハルとヒロが来た。
ガラリと玄関を開けて「来たぞ」と一声かけただけで勝手に上がりこんでくる。
もーちょっと遠慮を覚えてもいいと思うぞ?
声に顔を出すと、いつもどおりのえらそうなハルと、少しすねたようにそっぽを向くヒロがいた。
なんと答えようか迷い、結局いつもどおり「おー」とだけ答えた。
「どこで話す?」
いつもみんなが来たときは俺の部屋か、居間か、台所のどれかで話す。
じーさんがいたときは居間一択だったが、一人暮らしになって何かと気づかって来てくれるときはその時その時で違った。
「台所でもいいか?」とハルがポンと袋を渡してくる。
「なんだこれ?」
「アキから」
中をのぞくと、スナック菓子が入っていた。
俺も食えるものをと気を使ってくれたらしい。
「つまり茶を淹れろと」
「僕はコーヒーがいい。ヒロは?」
ハルの問いかけにヒロはブスッとしたまま「この前のミルクティー」と答える。
「ハイハイ」と台所に移動して椅子に座ってもらう。
こうしてちょくちょく誰かが来るから、一人暮らしになった今でも椅子は残してある。
リクエストどおりに飲み物を用意している間にハルはさっさと机に置いたスナック菓子をパーティ開けにした。
いつもはヒロが率先して動くのに、ふてくされているのか腕を組んで動く気配がない。
ハルがこまめに動くのは珍しくて逆に落ち着かない。
二人に湯気の出るマグカップを渡し、自分の前にもカップを置いて、椅子に座った。
きちんと姿勢を正し、二人に頭を下げた。
「昨日は申し訳ありませんでした」
ハルは「謝罪を受け入れる」とうなずいた。が、ヒロはブスッとしたまま何も言わない。
「ヒロ」とハルにうながされ、しぶしぶながらも「……いいよ」と言った。
「すまんな。ヒロは照れてるだけだから。気にするな」
「ハル!」
ブスッとしたヒロは怒っているわけではなく照れているだけらしい。
ハルにペロッとバラされて照れくさいのか、ハルの服を掴んでブンブンと揺する。
そんなことをされても怒らないどころか平気な顔をしているハルはさすがだ。
「もう」と頬をふくらませ、ヒロはグビグビとミルクティーを飲み干した。
「おかわり」
「ハイ」
大人しく言うことを聞いておかわりを作る間、ヒロは広げられたスナック菓子をわしゃわしゃと口に入れた。
いつも思うが、こいつこれだけ食ってよくこの体型を維持できるな?
それだけ動いているということか?
おかわりを差し出すと頬袋をふくらませたヒロがえらそうにうなずく。
なんだかおかしくて苦笑が浮かぶ。
ついでだからとお手拭きを濡らしてしっかりと絞って渡してやる。
素直に受け取ったヒロが手を拭き、口元も拭いた。
「ふう」と息をつき、ようやく俺と顔を合わせた。
「――で? トモはどうするの?」
『どう』の意味がわからなくて黙っていたら「霊玉渡すの?」と重ねて問いかけられた。
霊玉を渡すかどうか。
それは安倍家の能力者であり責任者でもあるハルとヒロには重要なことだろう。
京都を囲む結界に関することなのだから。
霊玉を渡すこと自体は大した問題じゃない。
問題なのは、そのことで彼女が苦しむことだ。
黙っていると、ハルがひとつため息をついた。
「……僕や晃ならわかるが、ヒロには黙っていては伝わらない。
今考えていること、全部ちゃんと口から出せ」
驚いてハルを見つめると「ダダ漏れだぞ」と苦笑を返された。
「お前がここまでダダ漏れになることは今までなかったのにな」
呆れたように言われ、余計に何も言えなくなった。
「? なに? どういうこと?」
ヒロに問いかけられたハルが「トモはな」と答える。
「思考がダダ漏れになってるんだ。
晃みたいな精神系の能力者や僕みたいな訓練を重ねた人間なら何を考えているか丸わかりになるくらいに、何を考えているのかが漏れている。
普段はそんなことないのにな」
「なんでダダ漏れになってるの?」
「姫宮関連だからだろう」
「違うか?」と問われ、そのとおりだと自覚があるのでグッと詰まった。
「ハア」と呆れたようにため息を吐くハルの顔を見ていられなくてそっと視線を逸らす。
「まったくお前は……。生まれ変わっても姫宮のことになるとポンコツになるんだからな……」
やれやれと首を振るハルにヒロが興味深いのを隠しもしないで声をかける。
「なになに? 前世でもこんな感じだったの?」
「そうなんだよ。いつもは飄々として冷静沈着、頼りになる実力者なのに、姫宮のところに行けるとなった途端に霊力抑えられなくなるわ、理屈がわからなくなるわ、大変だったんだ」
「へー」
ニヤニヤしながらヒロが見てくる。いたたまれない!
「で? 今またポンコツになってるの?」
「なってるな」
反論できない。
ポンコツになっている自覚はある。
どれだけ冷静でいようと反省しても、彼女を前にしたら『かわいい』しか浮かばなくなる。
ふとした瞬間に彼女のことばかり考えてしまう。彼女でいっぱいになってしまう。
これでは駄目だと思っても改善の余地もない。どうにもならない。
「それが『恋』だ」とツヅキが言った。
「そういうものだ」と。
とはいえ、どうにかならないものだろうか。
そこまで考えて、ふと昨夜のツヅキのアドバイスを思い出した。
そうだ。ハルに相談しようと思っていたんだった。
ちょうどいい。どうせハルには思考を読まれてバレているんだ。
もう、諸々吐き出して、そのうえでアドバイスをもらおう。
腹をくくって二人に顔を向けた俺に、二人も様子がかわったとわかったらしい。
じゃれるのをやめて俺に向き直った。
「……その……。情けない話なんだが……。
相談に、乗ってくれないか?」
そうして彼女に出会った船岡山からの話を聞いてもらった。
ハルは真面目な顔で、ヒロはニヤニヤキラキラしながら。
「いやー。まさかトモがそんなことになるなんてねぇ」
楽しいのを隠しもしないヒロ。くそう!
「その辺りの心理は僕では助言できないな。
タカならわかるかもしれない。今呼ぶか?」
ハルの言葉にそれもいいかと思ったが、時間がヤバい。
「今日はもう時間ないから、またお願いしたい」
「そうだったな」とハルも軽くつぶやいて「タカに言っておくよ」と請け負ってくれた。
「晃から竹さんがトモの『半身』だって聞いてさ」
真面目な顔になったヒロの言葉にうなずくことで話の先をうながす。
「『彼女を守るためにあんなことした』って聞いた」
これにもうなずくと、ヒロは少し顔をしかめた。
「それって、ぼくらが霊玉渡したら竹さんが危険ってこと?
渡さないほうがよかったってこと?」
ヒロの問いに、なんと答えればいいか考える。
「『彼女が危険』ということはない……と、思う。
俺が気になっているのは――」
俺が、渡せないと思うのは。
「――結界の件が一段落したら、彼女はまたひとりで『災禍』を追うんじゃないか、ということ。
なにもかもひとりで抱えて、ひとりで苦しむんじゃないかということ」
霊玉を渡したことをヒロなりに気にしていたらしい。
ちょっと安心したように表情をゆるめたが、すぐに厳しい顔つきに戻った。
「『ウチから出ていく』ってこと?」
「……かもしれない」
上手く説明できなくて頭を抱える。
「俺も自分でもわからないんだ。
ただ、なんでかそう思うんだ。
『彼女がいなくなる』『彼女が無理をする』そんなことばかりが浮かんできて、それで『霊玉を渡せない』って思うんだ」
「はああぁぁぁ……」と深いため息がもれた。
自分が情けなくて訳がわからなくて、がっくりとうなだれた。
「俺はとらわれてばかりだ。
彼女にとらわれて、おかしな考えにとらわれて、身動きができない。
何をすべきなのか、どうしたいのか、どうするのが最善か、考えなくてはいけないとわかっているのに。
なのに、あれにもこれにもとらわれて、何ひとつ考えられない。
何ひとつ決められない」
「はああぁぁぁ……」とまたため息を吐き出す俺に、ハルもヒロもなにも言わなかった。
しばらくして、やっとハルがポツリと言った。
「……姫宮が出ていく可能性は高いよ」
その言葉に顔を上げると、ハルは渋い顔をして腕を組んでいた。
「あの人は昔からそうなんだ。
家を出るのに協力したら、しばらくすると出ていく。
『これ以上迷惑はかけられない』とか言って」
「対価はもらってるんでしょ?」
ヒロの質問にうなずくハル。
「毎回お釣りがくるほどくれているよ。
それでも彼女は気にするんだ」
ああ、彼女なら気にするだろうなあ。
そんな様子が目の前に見えるようで苦笑しか出ない。
「自分のお家も安倍家も出て、どうしてるんだろう」
このヒロのつぶやきにもハルが答える。
「黒陽様と二人であちこちフラフラ歩き回っていると言っていた。
どうも、基本的には霊力の強い場所を巡っているようだな。
で、霊力のゆらぎを感じたら即転移で現地に飛ぶ。
そのゆらぎについて調査したり浄化したり対処していると聞いたことがある」
「寝起きするところとか、ごはんとかは?」
「食事はとっていないと聞いた。
高霊力保持者だから、霊力の強い場所を巡るだけで生命活動は維持できるから。
寝起きは『異界』を展開してそこで休んでいると聞いた気がする」
「……能力の無駄使いだね……」
「まったくな」
「フウ」とひとつ息をついて、ハルがコーヒーを一口飲む。
「他の姫がいたらまだ言うことを聞いてくれるんだがな。
今は姫宮ひとりだけだから、確かにいつ出ていくかわかったもんじゃないな」
「他の姫はどうしているんだ?」
黒陽の話には他の姫が今どうしているかの話は出なかった。
もしかして転生していないのか?
俺の質問にもハルはあっさりと答えた。
「三人共この京都に転生している。
全員姫宮と同い年らしいぞ」
「連絡がとれているのか?」
驚いてそう聞いたら「いや」と答えるハル。
「連絡がついているのは西の姫だけだ。
東の姫と南の姫はまだ覚醒していない。
あの二人も姫宮と同じく、記憶が封じられているんだ」
そういえば去年の秋に『半身』のことを聞いたときにその話も聞いた。
今は記憶が封じてあると。
ある一定期間が来たら覚醒して記憶と霊力が戻ると。
「守り役には母親に宿った時点でそれとわかるらしい。
それぞれの守り役が姿を消してついているらしいぞ。
とはいっても始終ついているわけではないらしいが」
緋炎様は南の姫の守り役だという。
なるほど。あのひとわりと好き勝手ウロウロしているらしいものな。
「西の姫は記憶を封じていないから、それこそ胎児のときからこれまでの五千年の記憶を持っている。
今は生まれ落ちた家から僕達や白露様に指示を出している段階だ」
白露様は西の姫の守り役だという。
それなのにあのひと晃を育ててたのか。よく許可が出たな?
「だから今安倍家でお預かりしているのは、姫宮だけなんだ。
そうなると、あのひとは遠慮する。
西の姫が時々指示を出しているとはいえ、確かにいつ出ていくかわからない」
「西の姫に釘を刺しておいてもらうか……」とハルがブツブツ言っている。ぜひそうしてもらいたい。