久木陽奈の暗躍 25 訪問 2
『バーチャルキョート』。
約三十年前に一介の高校生が作ったゲームは、今では世の中になくてはならない存在のひとつになっている。
最初はパソコンのみ対応していたけど、各種家庭用ゲーム機に対応し、今ではスマホでもパソコンでも使えるゲームになっている。
『バーチャルキョート』はオンライン版とオフライン版がある。
各種ハードに対応したソフト『オフライン版バーチャルキョート』は『ゲーム』のみを楽しむ形になっている。
今問題になっているのはオンライン版の『バーチャルキョート』についてだけだからオフライン版のことは置いといて。
オンライン版ではゲームの枠を飛び出して、普通に観光したり買い物したりできるようになった。
会議や仕事もこの『バーチャルキョート』でできるようになり、『もうひとつの世界』といっても過言ではない環境になっている。
オンライン版のユーザーは大きく三種類に分かれる。
まずは、純粋に『ゲーム』を楽しむ層。
『クエストチャレンジ』という設定があり、そこに出される『挑戦』をする。
探しものを主とするプレイヤーは『探索者』、戦いを主とするプレイヤーは『冒険者』を自称している。
ほかにも細々名称はあるが、まあそこは省いて。
元々が『キョートに現れる鬼を倒すゲーム』だったから、その流れを汲んでいると言うか、正しい楽しみ方をしていると言える。
次に『観光』を楽しむ層。
この『バーチャルキョート』は作り込みがハンパじゃない。
実写を見ているようなクオリティで背景が動く。
有名観光地や神社仏閣とも提携していて、例えば『バーチャル参拝』とかできる。
『投げ銭』がそのままお賽銭になる。
神社仏閣の、かなり深いところまで入り込める。
リアルなら観光客でごった返すところも、設定次第では自分だけで独り占めできる。
もちろんほかのアバターと共有するように設定したら友達同士で観光できる。知らないひとと交流もできる。
この『バーチャルキョート』のすごいところは、ちゃんと四季があるところ。
リアルと気温をリンクさせて、リアルが春なら『バーチャルキョート』も春になる。
例えばリアル京都で雪が降ったら『バーチャルキョート』も雪が降る。
そうやって、春夏秋冬の『キョート』を楽しめる。
もちろん祭礼も再現されている。
事前に申し込んでおけばアバターで行列に参加することもできる。
京都のほとんどの有名店が『バーチャルキョート』にも出店していて、それぞれリアルの店と同じ場所に店を構えている。
だから『観光してお土産買って』も、できる。
リアル京都よりも『キョート』を満喫できる。
そんな謳い文句が大袈裟でないと、誰もが感じるのが『バーチャルキョート』なのだ。
最後に『仕事』で使う層。
先述した『バーチャル店舗』の運営だけではない。
『バーチャルキョート』で待ちあわせをして会議を開いたり、『バーチャルキョート』で使われている通貨がそのままリアル取引に使われたりしている。
講習会。講演会。ライブ。そんなのは当たり前。
もはやビジネスに不可欠な存在のひとつになっている。
ゲーマーだけでなく、文字通り世界中の老若男女が集う場所。
それが『バーチャルキョート』。
今回は約八年ぶりの大幅バージョンアップだという。
これまでにちいさなアップデートはあったけれど、ここまで大きいものは久々だと三上女史が話している。
前川くん達前川印刷の社員も当然バージョンアップの内容は知っている。
印刷物に書いてあるからね。
それを私も事前に聞いた。
今回のバージョンアップの目玉は『新ステージの登場』。
いくつもの時代を行き来できる新システムが作られ、いくつもの新ステージが作られた。
平安初期、平安中期、平安後期、室町、戦国、江戸、幕末、そして現代。
この八つが今回のバージョンアップでプレイできるステージ。
八つのステージのどこかに『ボス鬼』がいる。
その『ボス鬼』を探し、倒すのが最終目標。
各時代にはその時代を代表する歴史上の人物が登場。
どこで誰に出会えるかも楽しみのひとつだ。
各ステージそれぞれに綿密な時代考証を重ねており、細部にまでこだわった作りとなっている。
衣装、建物、小物に至るまで、専門家に監修してもらい協議を重ね、それぞれの時代の専門家から「資料として使わせてくれ!」と逆にお願いされるレベルに仕上がっているらしい。
それこそ歴史系のテレビ番組で再現ドラマとかに使われるレベルだという再現度で「まるでその時代にタイムスリップしたかのよう」だという。
私もPR動画や印刷物を見せてもらったが、CGの凄さを見せつけられた。
このクオリティを京都全域に巡らせているとか。
しかもこの中をアバター動かすとか。
素人の私でもとんでもない情報処理量だとわかる。
そんな凄いステージを、同時に八つも展開って。
凄い時代になったものね。
パソコン導入時代の環境を知っているだけに時代の流れの早さに目がくらみそう。
それぞれのステージを作るのに、専門チームを作り対応させていた。
資料を集め、博物館や旧家に協力を依頼し、専門家と協議を重ねた。
何度も何度も修正し、少しずつ少しずつ作り上げていった。
そうやって、それぞれのステージが出来上がった。
なんと十年かかったという。
『バーチャルキョート』が有名になってきて、『バーチャルキョート』の中のスペースを専有する企業が出てきた。
リアルと同じ場所に店舗を構えて、オンラインショッピングに対応したり会議をしたりと活用している。
そのうち、個人やチームスペースを購入して本拠地とするプレイヤーも現れた。
だんだんスペースがなくなってきて困っていた三上女史に、保志氏が言った。
「ステージを増やそう」
「階層仕立にして、時代を行き来できるようにしよう」
「そうすれば、同じキョートで場所が増やせる」
最初は『平安初期』『室町』のふたつだけが追加予定だった。
それが歴史好きなひと達が「この時代もいるでしょう」「幕末は外さないでください!!」などと懇願し、最終的に現代を含めて八つのステージを作ることになった。
後に「あんなこと言わなきゃよかった」と開発スタッフがつぶやいたとかつぶやかなかったとか。
保志氏は細部にまでこだわる。
それこそ現実と遜色ないレベルを求める。
木の一本一本、建物の壁一枚一枚に至るまで現実に近づけるよう求めてくる。
まるで『新しい世界』を創るように。
そうして八つのステージを作り上げたデジタルプラネットのスタッフ。
最後の仕上げとして、昨年末から今年の春にかけて市内全域のデータを集め直した。
それまでの『バーチャルキョート』の街並みは八年前のものがベースになっている。
時々アップデートしていたものの、やはり変わっているところもあるだろうと改めてデータを集めた。
ギリギリのスケジュールを組んで、少しでも最新の京都と同じになるようにした。
それが報告書にあった、トモさんのやっていたバイト。
四月の第二週までデータを集めたところから、この会社の、というよりも保志氏のこだわりが見られる。
そうしてゴールデンウィーク前にはゲームは完成。
完成と同時に開発スタッフ全員でひたすらテストプレイをしているという。
もちろん外部からテストプレイヤーも多数入れている。
テストプレイをしながらPR動画を作り印刷物をデザインしホームページやらなんやらのデザインを展開。
あっちもこっちもギリギリのスケジュールで、どうにか今日のこの日を迎えた。
イーゼルに立てかけてあるポスターは三枚。
六月一日に解禁のもの。七月一日に解禁のもの。そして、七月十日に解禁のもの。
いわゆる『メインビジュアル』のそれは、平安京の南にあったという羅城門がメインになっている。
暗闇の中浮かぶ羅城門。
最初のポスターは固く扉が閉ざされた羅城門に『七月十七日、新しいキョートがはじまる』の文字。
次のポスターは一枚目よりも羅城門が大きく表され、中央の扉が細く開いて光が漏れている。キャッチコピーは同じ。
最後のポスターは羅城門の中央の扉のアップ。
扉はさらに開かれ、隙間から光がほとばしっている。
どれもカッコいい。
そして興味をかき立てられる。
公共交通機関の車内広告。チラシ。詳細が書いてある冊子。制作スタッフのインタビューも入った冊子。
ほかにもこまごまとしたアイテムが並んでいる。
バージョンアップを記念した限定商品も作られている。
紙モノは前川印刷が請け負ったという。
そんなひとつひとつを、三上女史は愛おしそうに確認していた。
「――副社長さんはほんとうに『バーチャルキョート』を大切にしておられるんですね」
距離が近くなったタイミングで声をかけると、ぱっと顔を向けられた。
「――新人さん?」
「はい。日崎と申します。
大好きな『バーチャルキョート』の納品に立ち合えて光栄です」
にっこりと微笑んでそう言うと「あら!」と喜色を浮かべる三上女史。
「あなたも『バーチャルキョート』、楽しんでくれているの?」
「はい! もちろんです!」
「うれしいわ! ありがとう」
「とんでもないです。こちらが『ありがとう』です!
こんな素晴らしい『世界』を創ってくださったんですから!」
私の言葉に三上女史は食いついた。
《わかる!?》
《そうなのよ!『バーチャルキョート』は、素晴らしい『世界』なのよ!!》
テンション高く脳内でお祭り騒ぎをしている三上女史の思念が『視える』。
でも表面上はにっこりと微笑んでいるだけ。さすが。
「できればゲームを作ったスタッフの方や社長さんに、この感謝を直接お伝えしたいんですけど」
私もにっこりと微笑んで勝負を仕掛けてみた。
どうだ? イケるか?
三上女史は「うふふ」と笑った。
「エンジニアは今から来るから。伝えてやって! きっと喜ぶわ!
普段ユーザーの方と話すことなんてないから、励みになるわ」
「社長さんは……」
「保志は、ちょっと無理かなあ」
困ったように微笑む三上女史。
「でも、社長さんがそもそもの開発者さんなんですよね」
「そうよ」
「つまりは『神』ですよね」
私の言葉に三上女史は大きな目を丸くした。
そして「プッ」と吹き出した。
「そうね。そうとも言えるかもね」
「『神』に直接感謝を申し上げたいんです。
『この世界を創ってくれてありがとう』と!
『毎日の楽しみをありがとう!』と!!」
この台詞は主座様の婚約者のリカさんのものだ。
今回会社訪問するにあたり、ベテランユーザーのリカさんに協力を依頼した。
「『バーチャルキョート』のいいところを熱く語ってください」と。
どうも彼女は、私と同じ人種らしい。
『推し』のことになると普段かぶっている猫が飛ぶ。
『バーチャルキョート』年表をはじめとする関連報告書のほとんどが彼女の作ったものだった。
その熱量に「これほど楽しんでくれたらスタッフはさぞうれしかろう」と思いついた。
主座様に転移でリカさんのご自宅に連れて行ってもらい、時間停止の結界のなかで思う存分語ってもらった。
会社訪問にあたって報告書を読み込み実際プレイもして話が理解できた私に、リカさんはさらに熱く熱く語ってくれた。
「会社に行かれるなら、この私の熱い想いを伝えてきてください!」と懇願された。
そんなリカさんの真似をしながら三上女史に熱く語っていると、チャイムが鳴った。
「あ。昼食の時間よ。よかったら皆さんもご一緒に召し上がってください」
「ありがとうございます」と前川くん達がうれしそうに頭を下げる。
「ここの社員さんはいつもおいしい社食を食べられていいですよね」
「うふふ。ありがとうございます。
ウチの社員はどうしても食事をおろそかにしがちなんで。
ちゃんと栄養バランスのとれた食事をさせて健康を維持してもらうのも、私の仕事です。
健康で、しっかり働いてもらわなきゃ」
エンジニアをはじめとするスタッフは、とにかく寝食を忘れて没頭するタイプが多いという。
だからチャイムで時間を知らせ、食堂に下りてこさせ、野菜や魚多めの食事を提供していると三上女史が教えてくれる。
「でないと毎食菓子パンとか、食事を取らないとかになっちゃうの」
「それはいけませんねえ」
ふむふむと同意して「社長さんも来られるんですか?」と聞いてみた。
「保志は来ないわ」
「え。じゃあ、お食事は……」
「私が持って行くの」
「え? 毎日ですか!? 大変じゃないですか? 副社長さんもお忙しいでしょうに……」
「私の都合が悪いときは調理スタッフが部屋の前まで持って行くこともあるわ」
「だから大丈夫よ」と微笑む三上女史に「それにしても……」と声がもれる。
ちょっと気になっていたことを、思い切って聞いてみた。
「……もしかして、社長と副社長さんって、その、お付き合い、されてたり……?」
色恋に興味津々な若い娘の顔をしてたずねる私に三上女史は一瞬キョトンとした。
が、すぐに「プッ」と吹き出し「アハハ!」と明るく笑った。
「アハハハハ! 残念だけど、そういうのはないのよ!」
「えー?」と、さも『ホントかなぁ』という顔をつくりながら『視て』みたけど、彼女の言葉に嘘はない。
するとそんな私達の会話が聞こえたらしい周りの社員から口々に声がかかった。
「でも社長に会えるの三上さんだけじゃない」
「それって、やっぱり……?」
「もう! オバサンをからかって遊ばないの!」
「だってー」
「私と保志は、そんなんじゃないわよ。
そうねぇ…。言うならば『同志』というのが一番ちかいかな?」
「『同志』かぁ」
「そうだよね。社長だけじゃ『バーチャルキョート』はここまで大きくなってないもんね」
「社長と三上さん、ふたりのおかげだよね」
そんな意見に三上女史はニコニコとうれしそう。
確かに報告書にも『ふたりが男女の関係にあった』と思わせるものはひとつもなかった。
この三上女史の態度や思考からもそんな気配は一切ない。
本当にふたりは『同志』なのだろう。
同じ『夢』を追い、ここまで駆けてきたのだろう。
チャイムの直後から次々と社員が食堂にやって来る。
そうしてこの印刷物の並ぶ一角に吸い寄せられ、仕上がりに興奮している。
「がんばったな俺達」なんて抱き合って涙ぐむ社員もいる。
食事にはどこのスタッフも必ず食堂に顔を出すように言っているらしく、いつの間にか大勢が集っていた。
入れ代わり立ち代わり印刷物を見ては喜んでいる。
「こうして『みんなで喜びを分かち合いたい』って三上さんの希望で、この時間この場所でのお披露目になったんだ」
前川くんがこっそりと教えてくれる。
確かにどの顔もキラキラとしている。
それを見る三上女史も満足そうだ。
「あ。野村くん。ちょっとこっち来て。こっち」
三上女史に呼ばれた男性は四十代後半に見えた。
「日崎さん。このひとが開発の責任者なのよ。
保志の次にエラいひと」
「えぇ~!」
わざと若い娘のようにキャピキャピとした声を上げる。
隠形で姿を消している晃が苦笑を浮かべているのがわかったけど無視。わかってるわよ。自分でもイタイと思ってるわよ!
「あの! 私、いつも『バーチャルキョート』楽しませてもらっています!
開発してくださって、ありがとうございます!!」
両手を組んで、当社比百五十パーセント増量のキラキラ笑顔で話しかける。
と、野村と紹介された男性だけでなく一緒にいた数名の男性もデレた。
うむ。私も捨てたもんじゃないらしい。
自分で自分が気持ち悪いけどな!
《ひなはかわいいんだから。あんまり愛想ふりまかないで!》
《うるさい黙れ。ちょっと離れとけ。今勝負かけてんだ》
私の思念にしぶしぶと阿呆が引き下がる。
それをまるっと無視して私は私の戦いに挑む。
「私はまだそんなに強くないんですけど。友達がすごく強くて。
プレイするところ見せてもらってるんです。
どのシーンでもグラフィックがすごく綺麗で! そのまま切り取ってポストカードにしたいくらいです!」
それからもキャピキャピとリカさん仕込みの話を披露する。
これが保志氏に繋がる可能性があるだけに、こっちは必死だ。
その必死さが熱心さととらえられ、周囲の社員も熱が上がっていく。
「そんなに言ってもらえるとうれしいなぁ~!」
よしつかんだ。
「今度のバージョンアップも楽しみです!
皆さん、お身体大切になさってください。
それで、これからも『バーチャルキョート』を守ってください!」
「ありがとう!」「がんばるよ!」なんて喜んだ社員達はなぜか私に握手を求めてきた。
快く握手をし「ありがとうございます」「ありがとうございます」なんて選挙の候補者みたいに愛想を振りまいた。
《おれのひなが……》
黙ってろ。今勝負かけてんだ。
「いいひとを連れてきてくれてありがとうございます前川さん。みんなの士気が上がりました」
三上女史が前川くんとそんな話をしているのが聞こえた。
よかった。『でしゃばり』『仕事に来たんじゃないのか』なんて不快感を抱かれる可能性もあったんだけど、好印象で受け入れられたようだ。
「こんなに熱心なユーザーさんに会えるなんて、うれしいなぁ!
三上さん。社長にも聞かせてあげたら?」
「!」
叫び出しそうになるのを必死でこらえる。
「でも……。保志、嫌がらないかしら?」
「こんなにかわいい若い娘さんにこんなに褒められたら、いくら社長が人嫌いでもうれしいんじゃない?」
「それもそうねぇ」
チラリと私に目を向ける三上女史に、必死で首をタテに振る。
頬が紅潮しているかもしれない。手を固く握りしめて、コクコクとうなずく。
「会いたいです! ぜひ『神』にこの感動と感謝をお伝えしたいです!!」
必死で言い募る。
保志氏に会えるチャンス! 晃を守るために、絶対つかむ!!
私の必死さに周囲はさらに掩護してくれる。
「ここまで言ってくれるとうれしいよ」「会わせてあげたら?」「社長も喜ぶんじゃない?」
口々に言われ、私に熱のこもった視線を向けられ、ついに三上女史は折れた!
「……ちょっと、電話してみようか」
「!! ありがとうございます!!」
困ったように、それでもどこかうれしそうに三上女史がスマホを取り出す。
かなり長いコールのあと。
『……もしもし』
機嫌の悪そうな声が届いた。