久木陽奈の暗躍 24 訪問 1
月曜日。
私と晃はスーツ姿でデジタルプラネットの前に立っていた。
先週の土曜日は体育祭があった。今日は振替休日。
そんな日にたまたま「元々この日にデジタルプラネットに行く予定だった」とは、運が良すぎる。竹さんのお守りの運気上昇のおかげだろうか。すごいわね!
先週の水曜日。前川くんとあやちゃんと再会した。
改めて連絡先を交換し、今日のために打ち合わせを重ねてきた。
前川くんは私の社員証を用意してくれた。
名前が『日崎 雛』になっているのは都合がいい。
デジタルプラネットは昔から前川くんが担当していて、社長になった今でも担当しているという。
デジタルプラネットの副社長の三上女史が前川くんに深く恩義を感じていて「前川さんにお願いしたい」と言ってくれているらしい。
前川くんも「俺社長だぜ」とふんぞり返るひとじゃないから、社長でもデジタルプラネット以外にも何社も担当を持っていると教えてくれた。
「俺、がんばったでしょ?」
褒めてほしそうに、それでも茶化してそう言うから、褒めてやった。
「うん。よくがんばったね。で、よくがんばってるね。えらい!」
滂沱の涙を流す前川くんに、どれだけ苦労したのか、どれだけ己を責めたのか『視』せられて泣きそうになったけど、わざとしらんぷりで背中をなでてやった。
紺色のスーツを着て化粧をして、自衛用の眼鏡をかける。
それだけで高校生の小娘は新社会人に見える。
待ち合わせは前川くんの会社。
晃は隠形をとってついてきている。
高霊力保持者の晃が訪問すると『災禍』を刺激することになる可能性がある。
だから、霊力を極限まで抑え、気配を消してついてきている。
守り役様達が侵入をはかったときも、隠形で霊力も気配も消した状態で突入したという。
隠形の状態でも『災禍』の気配はわかるらしい。
そして今回も守り役様が同行している。それも全員。
黒陽様に「竹さんはいいんですか?」と聞いたら「トモがついているから大丈夫だ」と返ってきた。
先週の金曜日にトモさんが『異界』から戻ってきた。
早速竹さん付になり、竹さんにべったりくっついて構い倒しているという。
その効果か、弱っていた竹さんに回復の兆しが見えると蒼真様が言う。
「とはいえ、今朝ちょっと倒れたらしくて。今日は休ませてる」
で、トモさんがべったりくっついてるから黒陽様が「ちょっと抜けて」こっちに来ても大丈夫らしい。
竹さんが心配だけど、今は後回し。
この貴重な機会を活かすも殺すも私次第。
集中する。全力でかかる。
竹さんのお守りに「うまくいきますように」と『願い』を込めた。
今回デジタルプラネットに行くのは前川くんと、四十代前半に見える男性と二十代後半に見える男性の三人。
デジタルプラネットからの依頼はアイテム数が多い上に注意事項も多いので、チームを作って当たっているという。
そのチームの代表がこの三人だと。
突然現れた小娘にふたりの男性は驚きつつも受け入れてくれた。
「この娘が話してた日崎 雛さん。
昔古川で働いてた日崎さんのご親戚」
「はじめまして。日崎と申します。
このたびは同行の許可をいただきありがとうございます。
しっかり勉強させていただきます。よろしくお願いします」
前川くんが事前にあちこちに説明してくれていた。
「古川でお世話になったひな先輩の親戚のひとが、会社見学を希望している」
「どんな仕事をしているのか同行したいと言っている」
私の死後、前世の兄の子供に娘が生まれた。
当然のように『雛』と名付けたという。
その『雛』ちゃんは高校三年生。
本物の彼女は受験勉強に励んでいるらしいけれど、敢えて彼女のフリをして『就職も視野に入れています』『大叔母の愛した会社を見学させてください』と申し入れた。ことにした。
この京都では『転生者』の存在は広く知られている。『転生者だ』と自己申告するひとも多い。
だから、当たり前のように『生まれ変わり』ということが信じられている。
そうして、愛するひと、大切なひとを喪ったひとが、生まれた赤ん坊にそのひとの『名』を付けることが多くある。
『また会いたい』と願って。
『自分のところに来てくれた』そう信じたくて。
で。
古川印刷で一時『雛ブーム』が起きていた。
誰も彼もが女の子が生まれるたびに『ひな先輩かも!』と『雛』と名付けた。
そうして『雛』が大量発生しているという。
なんの罰だ!!
恥ずか死ぬ!!
まあとにかく、そうやって古川印刷にも、分社した前川印刷にも『日崎 雛の伝説』が伝わっていて、だから全く仕事に関係ない小娘が同行を申し出ても受け入れられた。
……『日崎 雛の伝説』とは、なんぞ……。
「それはですね」
「いい。聞かせなくていい。むしろ黙れ」
事前の打ち合わせは紛糾した。
社員ふたりの乗るバンに今回の印刷物その他を載せ、私達は前川くんの車に乗る。
いつもは大きな虎の姿の白露様は私の前でみるみるちいさくなり、白い子猫になった。
そうして守り役様達は私と晃の膝や肩の上で大人しくしている。
後部座席の私をバックミラーでチラチラ見ながら、前川くんがこらえきれないように話しかけてきた。
「彼氏くん、ホントにいるんですか?」
「うん。見えなくしてるけど、いるわよ」
ウキウキと興味津々な前川くんに、晃がスッと隠形を解いて挨拶する。
「隠形ですみません。お世話になります」
「―――!!」
すぐに再び姿を消す晃に前川くんは大興奮だ。
「ちょっと。しっかり運転してよ」
「は! ははは、はいぃ!!」
「スゲェ」「マジスゲェ」なんてブツブツ言っている。まったく。新入社員時代からあれほど言っていたのに、口から出る癖が治らなかったわね。
そうしてデジタルプラネットに到着した。
手慣れた様子で受付に挨拶をし、指示された部屋に荷物を運び込む。
二階のそこは、食堂だという。
かなりの広さのスペースにいくつも机と椅子が並んでいる。
その一角を少し広げ、完成した印刷物を並べていった。
額装したポスターは持参したイーゼルに立てて。
冊子類をはじめとするちいさいものは机に並べて。
搬入も展示も、私も手伝った。
隠形を取っている阿呆が《おれもなんか手伝おうか?》と伝えてきたけれど《余計なことすんな》《じっとしてろ》と待機を命じておいた。
守り役の皆様はすぐさまどこかに行った。
しばらくして戻ってきたところによると、やはり五階から上に上がれないらしい。
「四階から下は『災禍』の気配はない。目立つ高霊力保持者もいない」
つまり、あやしいところはないということ。
「やっぱり社長に会うのが一番ですね」
こそりとささやくと皆様晃の肩からうなずかれた。
なんで私が隠形の皆様と晃が視えるかというと、視えるように『承認』してもらったから。
普段はそれぞれが隠形をかける皆様だけれど、今回は私に視えるように白露様が全員に隠形をかけ、私に『承認』をかけた。
だから、視える。
でなければ私程度の霊力では、隠れた皆様を視ることはできない。
社内に高霊力保持者もいないようだし、とりあえず皆様のことがバレる心配はなさそうだ。
準備ができたところで前川くんが電話を入れた。
しばらくしたら、どやどやとひとの気配が近づいてきた。
「前川さん!」
扉を開けるなり輝く笑顔の女性が声を上げた。
細いストライプのシャツにベージュのパンツ。ショートヘアが似合っている。イヤリングとネックレスはシンプルなもの。
来年五十歳と聞いていたが、四十代前半に見える。
痩せても太ってもいない標準体型。メイクもバッチリ。いかにも『仕事のできる女』って感じ。
大きな目と大きな口が印象的な美人。
副社長の三上 香織女史だった。
前川くんから「間違いなく三上さんは顔を出す」と聞いていたけれど、まさかいきなり会えると思わなかった。
忙しいって聞いてたけど。なんで先頭切って登場すんの。ココロの準備が間に合わないじゃない。
動揺は顔に出さない。にっこりと微笑んで壁に張り付いた。
そんな小娘を目にとめることなく三上女史はスタスタとこちらにやってきて、前川くんと握手をした。
「今回もありがとうございます! 素晴らしい出来です!」
「我々は印刷するだけです。御社のデザイナーが素晴らしいんですよ」
「ね」と目を向けられてはにかんでいるのがそのデザイナーなのだろう。
ほかにも五人がわあわあと最終印刷物を手に取ったり近寄ったりして確認している。
すぐに担当者らしきひとと前川印刷の男性二人がその騒ぎから抜けて最終打ち合わせに入った。
印刷物の校正は当然終わっている。発注数量の最終確認と搬入場所の確認をしているようだ。
三上女史はそちらには行かず、印刷物をひとつひとつ手に取って確認していた。
「――やっぱり何度バージョンアップを経験しても、こうして形になったものを手にすると、胸がいっぱいになりますね」
その笑顔は本当にこころからのものとわかるもので。
『こんなに喜んでくれるなんて』と私でも感動してしまう。
三上女史と前川くんが話をしている間にも次から次へとひとが来た。
「わあ! できてる!」「うお! かっこいいー!」
口々に喜びの声をあげながらわあわあと印刷物を手に取り喜ぶ社員達は前川くんがお相手をしていた。
三上女史はそんなひと達の様子をニコニコと見守っていた。