久木陽奈の暗躍 23 前川くんへの依頼
前世の私が死んだときのこと。死んでからのこと。その後の会社について。
いろんな話をふたりが聞かせてくれる。
「死んでお詫びを」と思い詰めた前川くんを同期入社のあやちゃんが殴り飛ばし励まし、最終的には身体でなぐさめたらあっさり子供を授かって結婚することになった話にはどんな顔をしていいのかわからなかった。
その娘さんに『雛』と名付けたと。
「いまさらですけど、いいですか?」
「……もう二十年経ってるのに、いまさら『ダメ』なんて言えないでしょう……」
「それもそうですね」
その雛ちゃんは現在大学生。
東京で一人暮らしをしているという。
だから今はこの家で夫婦ふたり暮らしなのだと。
あやちゃんは産休をとっただけで、ずっと古川印刷で今も働いていると。
そんな話を聞かせてもらった。
「はあ」とふたりが満足そうに息を吐いた。
そのタイミングでなんとなくみんなお茶をいただいた。
しゃべってしゃべって落ち着いたふたりは、そこでようやく気が付いた。
「ところでひな先輩。俺に『連絡取りたい』って、なんの用ですか?」
ようやく本題に入れる。
タカさんに目配せをしたらうなずかれた。
私もうなずきを返して、ふたりに向き直った。
「――実は、頼みがあるの」
「頼み?」
コクリとうなずき、思いきって言った。
「デジタルプラネットに連れて行ってほしいの」
「デジタルプラネットに――?」
きょとんとするふたりにうなずく。
「詳しくは言えないんだけど、社長の保志氏に会いたいの」
黙るふたりにさらに説明をする。
「でも保志氏はかなりの人嫌いらしく、どうやっても会えない。
保志氏に会えるのは副社長の三上女史だけって聞いた。
だから、三上女史につなぎをつけて、保志氏に会わせてもらいたい。
その依頼をするために、デジタルプラネットに前川くんの会社のひとが行くときに同行させてもらいたいの」
「会社に行きさえすれば、運がよければそのまま社長のところへ――ってなるかもしれない」
そう。
これが私の『策』。
印刷物を一手に引き受けている会社ならば、デジタルプラネットでの打ち合わせもあるはず。
そのときに同行させてもらって、うまいこと話を持って行って、六階の社長室に連れて行ってもらう。
デジタルプラネットの取引先企業の中に『前川印刷』があった。
最初目にしたときは何も思わなかった。
まあ印刷会社とも取引があるだろうくらいしか。
でも、先日何度目かに報告書を確認していて、隅から隅まで読み込んでいて、ふと頭によぎった。
この会社、古川印刷の近くだ。と。
前世京都育ち。印刷会社の仕事には町内地図作成なんてのもあって、人手が足りないときは私も校正に入ったから、町名は把握している。
通りを挟んでいたので古川印刷とは違う住所になっていたから最初はなんとも思わなかった。
でも、ふと気が付いた。『近くだ』と。
こんな会社、近くにあったっけ。
そうして会社概要を確認して、この会社が古川印刷から分社した新会社であること、私が死んでからできたことを知った。
その社長が前川くんだということも。
前世の仕事を思い出す。
私は経理部とは名ばかりの事務系なんでも屋だった。
会社のパソコン導入のときに会社の仕事は隅から隅まで勉強した。
印刷に入る前に営業担当者がお客様と打ち合わせをする。
それはどこでするかというと、ほとんどがお客様の会社だ。
ということは、デジタルプラネットに違和感なく訪問できる。
運がよければパッケージ担当者から三上副社長を紹介してもらえるかもしれない。
そしてさらに運がよければそのまま社長のところに行けるかもしれない。
そんなうまくいくことなんてないとわかっている。
それでも、たとえば三上女史とだけでも顔をつないで、次のチャンスにつなげることはできる可能性は、ある。
そのための『鍵』を、私は持っている。
社長があの前川くんだとすれば、彼は『日崎 雛』を覚えているはずだ。
彼の若い時の恥ずかしいあれこれをネタに脅しをかけ――ゴホン。交渉して、どうにか同行させてもらいたい。
そのためにはまず『私』が『日崎 雛』だと信じてもらわなければならない。
そのために昔のケータイの番号から電話をする必要があった。
さすがの私も会社のひとの個人のケータイ番号は覚えていない。
そのために実家からパソコンとケータイを持ち出した。
うまくデータが取り出せてよかった。
パソコンの住所録もケータイの電話帳もちゃんと読めた。
第一候補。前川くん。
よく考えたらこれ、会社が支給していた仕事用のケータイの番号だったのよね。
仕事以外で前川くんと連絡取ることなかったから、プライベートの番号は知らなかった。
第二候補。あやちゃん。
あやちゃんはまだ定年にはなっていない。
あれからも独身を貫いて仕事を続けているとしたら、前川くんと連絡を取ることができると予想した。
まさか結婚しているとは思わなかった。
そうしてあやちゃんに電話をかけ、今に至る。
竹さんのくれた『運気上昇』の込められたお守りのおかげか、私が予想していたよりもかなり都合のいい状況が展開されている。
まさか前川くんが三上女史から『恩人』と思われているとは。
これなら前川くんが協力してくれたら、かなりの成果が期待できる!
「仕事の邪魔はしない。約束する。
『新入社員に仕事の見学をさせる』とか言って同行させて。
仕事のあと、ちょっと雑談をさせて。
どうにか三上女史とつなぎをとって、保志氏に会いたいの」
私の本気を、ふたりは感じ取ったらしい。
真剣な表情でそれぞれに考えを巡らせていた。
「――なんのためですか」
あやちゃんが問いかけてきた。
当然の質問だ。
でも。
「言えない」
『バーチャルキョート』が『災禍』と呼ばれるモノと関わっている可能性があるとか。
『ボス鬼』がこの京都に出現する可能性があるとか。
『災禍』と『宿主』を確定させるために保志氏に会いたいとか。
そんなことを言ったら「こいつマンガの読みすぎじゃね?」と思われてしまう。
あやちゃんには私がヲタクで腐女子なことはバレていた。
間違いなく『そっち方面にのめりこみすぎてる』と思われてしまう。
じっとふたりの目を見つめる。
《ひな先輩がそこまで言うなら協力したい。けど……》
《三上さんに迷惑かけることにならないか?》
《なんかおかしい》
《社長は俺も会ったことない》
《会えるとはとても思えない》
そんな思念が伝わってくる。
どうする? どう説明したらいい?
ただじっとふたりを見つめるしかできない。
ふたりはそれぞれに困ったように私の視線を受け止めていた。
《これは本気モードだ》
《ひな先輩の役に立つなら協力したい》
《でも、なんでそんなことしたいの?》
《なんかあやしい》
むむむむ、と見つめあっていたら「あのー」と声がかかった。
目を向けると、タカさんがへらりと笑った。
「いまさらなんですけど、自己紹介してもいいですか?
ひなちゃんは全然紹介してくれないんで……」
「「「あ」」」
そうですね。玄関で号泣になってそのまま怒涛のお話が始まって、タカさんも晃も口をはさむ余裕も紹介する隙もなかったですね。
ちょっとバツが悪そうに「どうぞどうぞ」と前川くんが勧めてくれて、タカさんはにっこりと笑顔を浮かべた。
「改めまして。目黒 隆弘と申します。
一乗寺にあります『目黒』という会社の副社長で、華道家の目黒千明の夫です」
名刺を差し出してのタカさんの自己紹介に「あの!!」とふたりが反応する。
さすがは千明様。知名度バツグンですね。
名刺を受け取った前川くんが「名刺取ってきます!」と出ていき、すぐに戻ってきた。
名刺交換をして再びソファに落ち着く。
「ひな先輩とはどのようなご関係で――」
あやちゃんの当然の質問に、タカさんはあっさりと答えた。
「彼女の現在の父親と私が友人なのです」
これにふたりは納得した。
「彼女が『転生者』であることは以前から知ってまして。『経理をしていた』と聞いていたので、弊社の年度末処理の助っ人に来てもらったりしているんです」
これにふたりは深く深く納得した。
「『転生者』についてはご存じですか?」
「『そういうひとがいる』という程度です」
「ぼくも。たまに『あのひと実は…』みたいに聞くことがある、という程度ですね」
そうよね。私も前世はそうだった。
「でも、ひな先輩がこうしてぼく達の前にいるということは――。
『転生者』の存在を信じないわけにはいきません」
前川くんの言葉にあやちゃんもうなずく。
そんなふたりにタカさんは満足そうに微笑んだ。
「そうなんです。この世には、信じられないようなことが実際あったりするんです」
うんうんとうなずくふたり。
私に目をむけ、にっこりと笑う。
なんか、いたたまれません。
前世京都育ちのスキルを活かして、なんてことないようににっこりと微笑みを返しておく。
「ところでおふたりは『安倍家』についてご存じですか」
突然の質問にふたりがきょとんとする。
「『安倍家』というと……あれですか?『京都を影から牛耳っている』っていう」
「それですそれです」
肯定されて、余計になんのことかと思っているふたりにタカさんが続ける。
「『安倍家が京都のアヤシイ事件を解決してる』って話はご存じですか?」
「……知って、ます」
「――え? まさか、それも、ホントなんですか――?」
タカさんはにっこり微笑むだけで答えない。
答えないことで凄みがかもしだされている。
ふたりは作った笑顔で口元を引きつらせていたけれど、ゴクリとつばを飲み込んで黙り込んだ。
「――ここからは極秘でお願いしたいのですが」
タカさんがいつもより低い、それでも穏やかな声色で、そっと言葉をつむぐ。
ふたりは徐々に前のめりになっていく。完全にタカさんにのまれている。
「実は私、その名刺以外にも役職がありまして」
コクリとうなずくふたりに、タカさんはちいさな声で告げた。
「安倍家主座様直属の部下です」
「「―――!!」」
「まさか」
「ほんとうに?」
ふたりは完全に身を乗り出し、ひそひそとタカさんに問いかける。
黙ってうなずくタカさんにふたりは息を飲み、興奮に頬を染めた。
「ナイショですよ」とタカさんが人差し指を唇に当てると、ふたりはコクコクと激しくうなずく。
わかるわかる。興奮するよね。
まさか『安倍家の主座様』が実在するとは思わないよね。私も思ってなかった。
しかもその『直属の部下』とか。厨二心くすぐられまくるよね。
「実は現在、京都をゆるがす大事件が動いている可能性があります」
ああ。ふたりが大興奮だ。鼻息荒くうなずいている。
「その『鍵』が、保志氏なのです」
「そうなんですか!!」
嘘は言ってない。なのになんでこんなに嘘くさく聞こえるんだ。非日常が過ぎるからか。
「ですがご存知のとおり、保志氏が人前に現れることはありません。
唯一の接点が副社長の三上女史。
我々も彼女から接触を図ったのですが、うまくいかず困っているんです。
今回『転生者』であり京都の事情に詳しいひなちゃんに協力を要請したところ、前川社長の存在に気付いてくれまして。
『自分が交渉してみる』と請け負ってくれたのです」
「なるほど」「そうだったんですね」とふたりはすっかり納得してしまった。
「三上女史にこんな話を聞かせるわけにはいきません。彼女は『バーチャルキョート』も保志氏も大切にしていますから。
いくら『協力してほしい』とお願いしても、きっと『疑念をもたれている』と感じて、拒絶されてしまいます」
かなしそうにタカさんが言えば「そうでしょうねえ」と前川くんが納得する。
「ですので、彼女には何も知らせず、できるだけ自然な形で保志氏に接触したいんです。
保志氏が事件に関与しているかの調査をしたいんです」
「どうやってそれがわかるんですか?」
あやちゃん。目がキラキラしてるわよ。相変わらずこういう事件っぽい話が好きなのね。
「安倍家の『能力者』が一目『視れ』ばわかります」
淡々と、当たり前のことのように言うその様子が信憑性をかもし出していて、そんなタカさんにふたりはますます興奮している。
「欲を言えば、触れたらもっといいんですけど。そこまで望むのは欲張りでしょう。
そういうわけで、御社の担当者がデジタルプラネットに行くときに、このひなちゃんを同行させてもらいたいんです。
ひなちゃんに『安倍家の能力者』が隠れてついていきます」
「そんなことができるんですか!!」とさらに興奮するふたり。
と、前川くんがなにかに気付いた。
「――ひな先輩の役に立つならいくらでも協力したいところではあるんですけれど……。
『社長に会う』のは、難しいと思いますよ」
前川くんも会ったことがない。
社内のひとも会ったことがない。
『本当に存在するのか』なんて笑い話も出るくらいだという。
でも、そんなの百も承知だ。
前川くんの目をまっすぐに見据えて、はっきりと言った。
「それでもいい。わずかな可能性でも、可能性には違いない。
それに、もしそのとき会えなくても、次につながる糸口になるかもしれない」
私の覚悟が伝わったのか、前川くんは黙って、それでも検討をはじめてくれた。
「……なんでひな先輩がそこまでするんですか?」
あやちゃんの問いかけに「それは……」と言葉をにごす。
正直に『晃のため』なんて言ってもわかんないだろうし、どう言ったもんか……。
困っていたらタカさんがニコリと笑った。
「『好きな男のため』です」
うぉおぉぉい!! なにペロッと爆弾発言かましてんのよぉぉ!!
「実は彼がひなちゃんの恋人なんですが」
「「!!」」
あやちゃんも前川くんも目をランランとさせている! いたたまれない!!
「彼も『安倍家主座様の直属』でして」
「「!!」」
晃と私を交互に見るあやちゃん。
もう、楽しそうな思念がバッシバシ刺さるんだけど!? 恥ずかしすぎて穴掘りたいんだけど!!
「京都になにか一大事があれば彼が最前線で戦わなければなりません。
そうさせないために、大事件を未然に防ぐために、ひなちゃんは今がんばっているんです」
タカさんの説明にふたりは色めき立った。
「あのひな先輩が!」
「『好きな男のため』に!!」
ニヤニヤと楽しそうなふたりに顔が上げられない!
「………いっそ殺せ……」
うつむき両手で顔をおおってつぶやいたら「そんなこと言わないの」と晃がたしなめてくる。阿呆のくせに生意気な。
「彼氏くん!」
あやちゃんが前のめりに晃に声をかける!
「何歳!? 名前は!? ひな先輩とどこで知り合ったの!? 付き合ってどのくらい!? ひな先輩のどんなところが好き!?」
「あやちゃん!!」
怒涛の質問に、晃は落ち着いた態度でにっこりと微笑んだ。
「申し訳ありません。主座様から名前も年齢も明かすことを禁じられております。
失礼なのは十分承知しておりますが、ご理解いただきご容赦くださいませ」
おお。流れるようなお断り。
これはさてはヒロさんあたり叩き込まれたな。
ふたりもこの説明になんか納得している。
「ひなの好きなところは、ありすぎて一言では伝えきれません」
「「ほおー!!」」
このど阿呆! なにを口走ってるんだ!
ガッと横から体当たりをしたけれど、さすが毎日守り役様達にもまれているだけあってびくともしない。生意気な。
そんな私にちらりと微笑みを向けた晃は、すぐにふたりに向き直り「ただ言えるのは」と話を続けた。
「ひなはおれの太陽です。
おふたりが愛してくださったひなを、これからはおれが守ります。
必ず『しあわせ』にすると、誓います」
「―――!!」
恥 ず か 死 ぬ !!
やめてくれ! なんの罰だ!?
前世の職場の後輩の前で愛の誓いをかますとか、恥もいいところでしょう!!
なんの拷問だ! あのとき病院行かなかった罰か!? 勘弁してー!!
私が頭を抱えてうつむきもだえているというのに、なんかふたりは感動している。
「「よろしくお願いします!!」」なんて声をそろえて頭下げなくていいのよ!
晃も!「はい!」なんて良いお返事はいらないのよ!!
「よかったですねひな先輩! 転生してよかったですね!!」
「彼氏イケメンですね!! 顔もだけど、ココロがイケメン!
よかったですねひな先輩!!」
「黙れ」
「まさかひな先輩に『好きな男』ができるなんて!
信じられなかったけど、このイケメンっぷりなら納得です!
ひな先輩、理想が高かったんですね!!」
「黙れ!!」
やいやいとふたりから声をかけられたけれど、私は恥ずかしすぎて顔を上げることができなかった。