久木陽奈の暗躍 22 あやちゃん家
あやちゃんの自宅はマンションの一室だった。
なんだかんだしてたからもう十一時近い。
こんな時間によそのお宅にお邪魔するなんて非常識もいいところだ。
でも、一日でも早く対処したい。
いつ『ボス鬼』が現れるのか誰にもわからないのだから。
呼び鈴にすぐに反応があった。
玄関ホールを開けてもらい、エレベーターで上階へ。
指定された部屋番号の前に立つなり、扉が内側から開いた。
記憶にあるよりもふっくらとして、おばさんになっていた。
そりゃそうよね。もうアラ還だもの。ええと、私の三歳下だったはずだから――五十五? 六?
それでも『わかる』。
この子は、あやちゃん。
長年苦楽を共にした、かわいい後輩。
「……あやちゃん」
ポツリと呼びかけていた。
あやちゃんは、固まって動かない。
ただじっと私を見つめていた。
だから私もじっと彼女を見つめた。
《ひな先輩……?》
《でも、若い……》
《! もしかして、話にきく『転生者』――!?
ひな先輩、転生したの!?》
あやちゃんの思考が流れてくる。動揺しているのに加え、私に直接向かってきているから読めてしまう。
「とりあえずあやちゃん」
声をかけるとハッとするあやちゃんに、にっこりと微笑んだ。
「おうちに入れてもらっていいかしら?」
「どうぞ」と扉を大きく開けてもらい、玄関口に三人で入る。
「改めて。元、日崎 雛です。
お察しのとおり転生しまして、今は女子高生です」
「――転生なんて、ホントに――」
「ね。びっくりよね。私もびっくりだわ」
震えるあやちゃんに軽く笑うと、あやちゃんは突然泣き出した!
「ゔわあぁぁぁぁ!!」
「あ、あやちゃん!?」
「先輩! ひな先輩!! 先輩~!! ゔわあぁぁぁぁん!!」
ガバリと抱きついてくるのをあわてて抱きとめる。
わんわん泣くあやちゃんの思念が伝わってくる。
申し訳なくて「ごめんね」としか言えなかった。
ガタリと物音がした。
顔を向けると、初老のおじさんが立っていた。
一瞬『誰?』って思ったけど、ここがあやちゃん家で、その中から出てくるとすれば、彼女の旦那さんだと思い至った。
「………前川くん………?」
そう思って見れば、面影がある。
髪少なくなってるけど。お腹出てるけど。
私に抱きついてわんわん泣くあやちゃんに呆然としていたおじさんは、「ウソだろ」「本当に?」とぶつぶつつぶやいていた。
「前川くん。『出てる』わよ」
驚きすぎたり突飛なことを言われたりしたら動揺して考えていることが全部口から出てしまうのは彼の欠点だった。
入社したときから注意していたのだけれど、この歳まで治らなかったらしい。
前川くんは私の言葉に、わかりやすく動転した。
《! ひな先輩》
《間違いない! ひな先輩!!》
「ひな先輩!」
「遅い時間にごめんね前川くん」
呼びかけに答えると、前川くんは目をうるませた。
と。
「ごめんなさい! ごめんなさいひな先輩!! ごめんなさい!!」
突然土下座して叫んだ!
「なに!? なんで土下座!?」
「そうだ! 謝れ! お前が悪いんだ!!」
あやちゃん落ち着いて。泣くか怒るかどっちかにして。
わあわあ騒ぐふたりをどうにかなだめ、リビングに通してもらった。
「遅い時間にごめんね。あやちゃん。前川くん」
「ひな先輩……」
「ゔゔゔ、先輩ぃ……」
タオルを握りしめてぐじぐじ泣くあやちゃん。
隣の前川くんもタオルに顔を埋めたまま。
「転生したならさっさと連絡してくださいよ!」
「そうですよ! 俺達がどれだけ……」
「ゔゔゔ」と泣く前川くんによると。
私が新入社員研修に同行したのは、この前川くんが熱を出したからだった。
インフルエンザだった。
どうも前川くんから新入社員にうつり、それが私にうつったらしい。
ふたりは私が「病院に行け」と指示したから言われたとおりに病院に行った。
薬を飲んで寝て、復帰したら私か死んでいた。
「そりゃあさぞびっくりしたわねぇ。ゴメンね」
「『ゴメン』じゃないです!!」
があっと叫ぶ前川くん。
「なんで俺達には病院行かせておいて自分は病院行ってないんですか!!
行ってくださいよ! せめて誰か呼んでくださいよ!!」
「そうですよひな先輩!! なんで電話くれなかったんですか!! 私すぐ行ったのに!!」
「いやー。寝てたら治るかなーって」
「「甘い!!」」
それから散々に説教された。
だから会いたくなかったんだ。
大人しく「ごめんなさい」と頭を下げた。
ふたりはすっかり私を『生まれ変わった日崎 雛』と認識した。
最初前川くんが出てこなかったのは、あやちゃんの指示だった。
あやちゃんはずっと私の下について、あのバブル期の有象無象の相手をしてきた。
おかしなヤツが善人の顔をして近づいてくることを良く知っていた。
だから最初に私からの電話を受けたとき、その場に前川くんもいたけれど、「絶対に声を出すな」「自分が判断する」と前川くんの存在を隠した。
私達が自宅の呼び鈴を鳴らしたときも「確証が取れたら呼ぶから。それまでは絶対に出てくるな」と厳命していた。
大人しく言うことを聞いて待機していた前川くんだったけど、どう見ても『私』が『日崎 雛』で間違いないのに一向に呼んでくれないあやちゃんにしびれを切らせて顔をのぞかせたと、そういうことらしい。
あやちゃんがここまで前川くんを隠したのは、理由がある。
前川くんは現在会社の社長。
だから、公私関係なくいろんなのが『湧いてくる』らしい。
やれ金を貸せ。投資に興味はないか。便宜をはかれ。
今回の私の電話も、その可能性があった。
前川くんの『後悔』を突いた『罠』の可能性が。
だからあやちゃんが矢面に立ち、対応した。
「素晴らしい。さすがあやちゃん。私の自慢の後輩だわ」
褒めたら泣かれた。
それからふたりの話を聞いた。
私が死んでからの話を。
私が「自分のせいで死んで」前川くんは「死んでお詫びをしようとした」らしい。
それをあやちゃんが止めた。
「あんたが死んだら原田も死なないといけなくなる」
「あんたはひな先輩だけでなく原田も殺すつもりか」
そう言うあやちゃんに、前川くんは「じゃあどうすればいい」と聞いた。
あやちゃんは答えた。
「ひな先輩の分まで働け」「ひな先輩の愛したこの会社を守れ」
それから前川くんは「がむしゃらに働いた」という。
営業だった前川くんは、どちらかというと手を抜くところがあった。
外回り中に喫茶店で休憩したり、時には公園で昼寝したりしていたのを私も知っていた。
やるべきことはちゃんとできていたから注意しなかったけど。
それが人が変わったように働いた。
一件でも多くのお客様に対応しようと寝食を惜しんで働いた。
お客様の質問にすぐに答えられるよう、現場に入って知識を重ねた。
同業他社との交流会にも積極的に参加して、新しい技術や知識を得た。
「ひな先輩がしてくれたことを後輩たちにも」と、下の子達の世話もよくした。
そうしているうちに、分社化の話が出た。
古川印刷は昔ながらの『町の印刷屋さん』。
地元の学校の文化祭などのイベントポスターや新聞、地元のお店のチラシや名刺などが主なターゲットだった。
それが前川くんはじめみんなががんばった結果、けっこう大きい仕事も扱うようになった。
「ひなちゃんは『町のちいさな印刷屋』のこの会社を愛してくれてたんだ」
引退を決めた社長が言ったらしい。
「だけど、こうも言ってたんだ。『昔のやり方をそのままやっていてはダメ』『新しいことをして新しい技術を取り入れないと、会社を守れない』『この会社がなくなったらたくさんのひとが困る』」
「ひなちゃんは、この会社と、お客様を、愛してくれてたんだ」
「新しい技術をどんどん入れて、新しいお客様を取ることも大事だ。
そうやって『会社を守れ』とひなちゃんも言っていた。
でもぼくは、昔からのお客様も大切にしたい。
だから、会社を分けようと思う」
これまでの『地元密着』の仕事は古川印刷。
新しく取ってきた、市内全域、場合によっては全国展開するような仕事は新しく作る会社。
「部署を分けたらいいじゃないか」という意見もあったらしいけど、「新会社設立を機に新しい社屋と新しい機械を導入したらいい」と社長が決めた。
そうして、ちょうど近所に倒産による売地があったので買い求め、新会社を立ち上げた。
新しく取ってきた仕事に携わっていた社員がそのまま新会社に移行。
その社長に選ばれたのが、前川くんだった。
「『古川』と『前川』で、つながりがあるっぽくていいじゃない」
あののんきな社長らしい意見で、新会社の名前も『前川印刷』になった。
新会社の設立を成し遂げ、社長は完全引退。
業務のほとんどは息子の次期社長に引き継いでいたから、古川印刷はそのまま息子が社長になった。
ふたつの印刷会社は分社化しても仲がいいという。
ときどき会社の駐車場で合同昼食会をしたり、若手が合同勉強会を開いたりしているという。
前川くんが社長になった、この『前川印刷』。
ここが、『バーチャルキョート』の印刷物を一手に引き受けていた。
まだ高校生だった三上女史にたまたま対応したのが、前川くんだった。
たまたま取った電話で『ゲームのパッケージ印刷できますか』と言われ、たまたま他社の仕事をやったばかりだったから「できます」と答えた。
その頃は私まだ生きてバリバリ働いていたから覚えてる。
いきなり制服の女の子が「営業の前川さんお願いします」って来たから、恋愛のこじれかなんかかと思ってあやちゃん達とウキウキのぞきに行ったら、ただの仕事の話でがっかりしたものだ。
そうか。あの女子高生が、三上女史か。
三上女史はウチの前に何社かの印刷会社に当たっていた。
でもどこも『実績のない』『高校生がひとりで作った』『たまたま一本当たったゲーム』の仕事を受けることに難色を示したという。
一番問題視されたのが支払い。
三上女史はかなりの枚数を依頼しており、どの会社も「絶対にロスになる」と思った。
『ロス分もきっちり買い取ってもらう』という条件を承諾し、金額も承諾した三上女史だったけど、やっぱり高校生の女の子ひとりが「構いません!」と言っても最後は信用してもらえなかった。
「親御さんか先生か、だれか大人を連れてきて」と言われたけれど、そのとき三上女史の活動に誰も理解を示してくれていなくて、大金が動くことに対して協力してくれるひとはいなかった。
そうやって何社かに断られた三上女史が「負けるもんか!」と電話をかけたのが、古川印刷だった。
たまたま電話にでたのが前川くんだった。
前川くんはそのゲームを知っていた。
「面白かったよ!」「協力する!」と快諾し、自分が代理人になって契約をした。
見ず知らずの高校生の女の子を信用して。
彼女が支払いできなかったら自分がお金を支払わなくてはならないのに。
売れずに在庫を処分、とかなったら社内の立場が悪くなるのに。
そのリスクを十分に分かったうえで、前川くんは『バーチャルキョート』の第二作の仕事を受けた。
その甲斐もあったのか『バーチャルキョート』第二作は売れた。
パッケージを急遽増刷しないといけないくらいに売れた。
「前川さんのおかげです」と三上女史は恩を感じているらしく、その後も『バーチャルキョート』の印刷関係は全部前川くんを通して古川印刷が扱った。
そのおかげでいろんな仕事をするようになり、勉強して対応して、そうして『町の印刷屋さん』では受けないような仕事をたくさんするようになった。
そうして分社化に至った。
新会社になっても、『バーチャルキョート』が世界規模のゲームになっても、三上女史は「前川さんに」と仕事を全部持ってくるという。
「あのとき前川さんだけが自分を信じてくれた」「前川さんが信じてくれたから今の『バーチャルキョート』はある」とまで言ってくれているらしい。
――まさかそんな信頼関係を築いているとは。
「調査報告書にはそんな話ありませんでしたよね」
晃の隣のタカさんにボソリとつぶやけば「初耳だな」とこちらも苦笑を浮かべていた。
あまりにも古い話で周囲のひとは知らなかったらしい。
三上女史もそういうの言いふらすひとじゃないようで、ただ「最初からこちらの印刷会社さんにお願いしていたから」「こちらはずっとウチに携わってくれていて、よくわかってくれているから」と言っていたらしい。
前川くんのところにも調査は入っていた。報告書にあった。
でも前川くんもほかの社員も「昔から受けてる」程度の認識で、そんな『恩人』とか思っていないみたいだった。
今この話をしてくれたのはあやちゃん。
十年以上のつきあいのある『恩人』前川くんが「結婚する」と聞いて、お祝いに駆け付けた三上女史が教えてくれたらしい。
「前川さんは私の――『バーチャルキョート』の『恩人』なんです」と。
それほどの関係を築いているならば。
予想していたよりも深く、入れるかも――!
期待にテンション上がっていく。
それでもどうにか平静な顔をつくって頭を動かす。
どう言う?
どこまで話す?
ふたりが無我夢中で話まくるのをききながら、戦略を考えた。