久木陽奈の暗躍 16 主座様との交渉 1
「とりあえず今日は解散。また後日お話をうかがいます」
私のその宣言に、三人はあからさまにホッとした。
「晃は帰りなさい。で、しっかり寝ること。
霊力からっぽになってるじゃない」
心配でそっと頬をなでると、途端にわんこはデレデレと私の手を握り、頬をすりつけてきた。
「うん。霊力からっぽにして回復させることで『器』を大きくさせて霊力増やすんだ」
つまり想定どおりということか。
「心配してくれてありがとひな」
ムッとしたらすぐさま「大好き」とへらりと笑うわんこ。
いつものように「黙れ」と言うとうれしそうに笑う。
私が『好き』と言われて本当はうれしいことも、照れ隠しで『黙れ』と言うこともこの『半身』にはお見通しだ。
だから私も遠慮なく言葉を投げつける。
そうやってじゃれる私達を守り役ふたりが生ぬるい顔で見ていることに気付き、パッと晃から離れ、おふたりに向き直った。
「主座様には私からお話をしますが、おふたりからもそれぞれ報告しておいてください」
守り役達にそう言うと了承の返事が帰ってくる。
「ぼく明日は薬草関係で出かけたいから、晴明には白露さん言っといてくれる?」
「わかったわ。ウチの姫にも言っておくわね」
白露様が私を連れて帰ると言ってくれたが、晃がどうしても「自分が送る!」と聞かなかった。
「あんた霊力からっぽじゃないの。早く帰って寝なさいよ」
「ひなが夜に出歩いてると思っただけで心配なの! お願いだからおれに送らせて!!」
過保護な『半身』にしぶしぶ了承する。
そうして守り役達と別れ、晃に部屋まで送ってもらった。
「おやすみ」のキスをして、ようやくわんこは安心したように帰っていった。
「………さて」
わんこがいなくなったところでノートを広げる。
今聞いた話をザッと書き落としていく。
上手くまとめようとしない。これは私が考えを整理するためだ。
頭の中のデータをノートに落とす。時系列に並べなおす。関連のあるものを結びつける。
そうやって何度も何度も書き直し書き進めていくうちに、頭の中も整理されていく。
大体の整理がついたところで、やるべきことを考える。
圧倒的に情報が足りない。
足りない部分の情報を持っているのは。
少し考えて、スマホを取った。
どっちにアポを取るべきか。
とん、とん、と指を遊ばせ、決めた。
『遅い時間に申し訳ありません。
緊急でお話させていただければと存じます。
ご都合の良い時で構いません。ご連絡くださいませ』
これまで一度も使ったことのない、直通番号へのメッセージ。
緊急事態と取られたのか、すぐに電話がかかってきた。
『もしもし?』
相対すると未だに緊張する。
それでも、このひとが一番事態を把握している。
情報もこのひとが一番持っている。
晃のために。
晃を守るために。
私にできることは、なんでもやる!
ゴクリと唾を飲み込んで、見えない相手ににっこりと微笑んだ。
「遅い時間に申し訳ありません。――主座様」
もう日付は変わった。
そんな時間だったけれど『できれば直接お会いして話をしたい』という私に、主座様は『わかりました』と丁寧に応じてくださった。
『そちらにお邪魔しても?』と問われたので了承する。じっと通話を切ったスマホを見つめていたら、ふとひとの気配がした。
振り返ると、主座様が部屋の真ん中に立っておられた。
「こんばんはひなさん」
にっこりと微笑むその姿は、妖狐の化身という伝説が本当であると信じさせるようだった。
肌理細やかな白い肌。名のある職人が筆で描いたような眉と切れ長の吊り目。絹のような艷やかな黒髪。薄い唇が妖艶に孤を描く。
なにか仕事でもしていたのか、白い狩衣姿をしておられる。
そのために余計に『ヒトならざるモノ』だと感じてしまう。
「お呼び立てして申し訳ございません」
震える手をどうにか重ねて、ペコリと頭を下げる。
そんな私に主座様はニヤリと微笑む。
「緊急とのことでしたが――晃関連ですか?」
水を向けてくださったので「はい」と答える。
「てっきりあいつがひなさんに襲いかかっているのかと思ったのですが……ご無事のようですね?」
苦笑を浮かべるしかできない私に主座様も困ったように微笑まれた。
「夜中にひなさんの部屋にふたりでいると晃にバレたら面倒です。
申し訳ないですが、お話だけでしたら場所を変えてもいいですか?」
「はい。構いません」
「我が家でも?」
「はい」
「『ふたりきり』だと晃がうるさいので、保護者達も同席させてもいいですか?」
嫉妬深い『半身持ち』のことをよく理解してくださっている。
いつもながら細やかなご配慮に有り難く了承する。
「できれぱタカさんにもお話をうかがいたいのです」
そう申し出ると、主座様はわずかに眉を上げられた。
が、「わかりました」と応じてくださった。
どこからかスマホを取り出した主座様は手早く操作し、またどこかに収めた。
「手を」
差し出された手に手を重ねる。
「目を閉じてください」
言われるままに目を閉じる。
「もう目を開けていいですよ」
その言葉に目を開けると、見慣れた御池の安倍家のリビングに立っていた。
「いらっしゃいひなちゃん」
ごく普通にアキさんが迎えてくださる。そうですか。人間が突然現れるという異常事態もへっちゃらですか。さすがは安倍家のお嫁様。
「夜分にすみません。お邪魔します」
「大丈夫よ。さあさあ。こちらへ」
勧められるままにソファに座る。
「ちょっと着替えてきます。しばしお待ちください」
主座様に「はい」と答える。
主座様と入れ替わるように晴臣さんが別室から出てこられた。
「こんばんはひなちゃん」とこちらも平気な顔だ。
アキさんがお茶を出してくださった。
「おまたせー」と千明様とタカさんが現れた。
皆様夜中なのにキチンとした服装だ。
さっき主座様がスマホを操作していたのは皆様を起こして着替えさせるためだったのだろう。
シャツにズボンのラフな格好になられた主座様もソファにお座りになり、ズラリと私を取り囲む。
「さて。『緊急』とのことでしたが、なにがありました?」
ゴクリ。緊張のあまり唾を飲み込む。
ぐっと拳をつくり、どうにかまっすぐに美しい狐を見つめた。
「先程、晃のところに白露様と蒼真様がいらっしゃいました」
うなずく主座様に、さらに続ける。
「トモさんの話を聞きました」
その一言だけで空気が変わった。
主座様も保護者の皆様も私の『緊急』は『晃関連だろう』と予測されていたに違いない。
『タカさんにも話を聞きたい』というのも『半身』としての意見を求めると思っておられたのだろう。
だからこそ、私が『トモさんの話』を出したことに驚かれた。
「晃の『記憶』を『視』ました。主座様と守り役様方の説明も。トモさんと竹さんの様子も『視』ました。
その上で白露様蒼真様のお話をうかがいました」
じっとただ黙って私の話を聞いてくださる皆様に、さらに続ける。
「『ボス鬼』の話を聞きました。
『そのとき』には晃が最前線に出なければならないことを聞きました」
どなたもなにもおっしゃらない。
つまり、皆様ご承知ということだ。
ならば、遠慮はいらない。
「晃は阿呆なので、誰かが危険であると知ったら自ら進んで戦いに行きます。
たとえ自分が死ぬと知っていても」
なるべく平静に話しているつもりなんだけど、アキさん千明様が少し眉を寄せられた。
私の痛みに気付いたおふたりに、にっこりと微笑む。
「晃はそういう子です。
それでこそ晃です。
私には晃を止めることはできません」
なにも言わない皆様。それでも晃を送り出さなければならない私を心配してくださっているのがわかる。
「だからといって、私は黙っているつもりはありません」
私の決意に、皆様がわずかに驚かれた。
「私は黙って晃の帰りを待つなんてしません。
私は私のやり方で晃を守ります。
私が晃を守るために。
お願いします。私に協力してください」
ペコリと頭を下げる。
「具体的には?」
主座様の声に顔を上げる。
まっすぐにその切れ長の目を見つめた。
「情報の開示をお願いします。
私にできるのは情報分析と後方支援です。
情報を分析して、攻めるべきを見極めます。
具体的には」
これを言えばもう引き返せない。
でも、構わない。
私は決めたんだから。
なんとしても、どんな手を使ってでも『晃を守る』と。決めたんだから。
わざとニヤリと嘲笑った。
交渉を有利に進めるには余裕ぶってると思わせることが必要。
隠してるカードがあると思わせることが必要。
心臓バクバクなことも、拳の中が汗でぐっしょりなことも隠して、言った。
「保志 叶多氏に会える方法を考えます」