久木陽奈の暗躍 14 晃の修行
言われるままに白露様の背にまたがる。
ぴょんとひとっとびで日村の家についた。
「ちょっと目を閉じててねひな。蒼真の『異界』に入るから」
意味はわからないがすべきことはわかった。大人しく目を閉じ、もふもふの背中に身体をあずける。
ふ、と。空気が変わったのを感じた。
「もう目を開けてもいいわよ」
言われて目を開けると、そこはなにもない空間だった。
無機質な、真っ白な空間。
空気は清浄。悪い場所ではなさそう。
「ここは」と問いかけようと身体を起こした。
視線が高くなったことで、白露様の頭の向こうが見えた。
真っ白な空間の中、そこにだけ鮮やかな『赤』があった。
その『赤』の意味するところを理解した。
ずるり。白露様の背中からずり落ちた。
それでも目だけはその『赤』からはずせない。
立ち上がろうとするけれど、足が言うことを聞かない。
鮮やかな、『赤』。
血溜まりのなか、ひとが倒れていた。
「……………晃……………?」
目の前の光景が信じられなかった。
うつ伏せていて顔は見えない。なのに『わかった』。
倒れているのが、私の『半身』だと。私の唯一だと。
それでも信じられなくて、信じたくなくて、どうにか立ち上がり、のろりと倒れたひとに近寄る。
一歩進むごとに鉄の錆びたような匂いが鼻を突く。
ぴしゃり。
液体に足が濡れる。
ガクリと足の力が抜け落ち、膝をつく。
低くなった視点から、その伏せた顔が見えた。
いつもなら輝く瞳を向けてくる目は固く閉じられたまま。
やさしく名を呼んでくれる口も。
触れてくれる手も。
動かない。
血に濡れて。
「……………うそ……………」
震える手をなんとか動かして、頬に触れた。
いつもならわんこみたいに喜んでくれるのに、何の反応もない。
「晃……………?」
呼びかけても反応がない。
いつもなら「なに? ひな」ってキラキラした目で応えてくれるのに。
晃。
晃が。
私の晃が。
「――――――いやあぁぁぁぁぁぁ!!」
ただ叫ぶしかできない。
なにが起きている。なんでこんなことになっている。晃が。私の晃が。
「晃! 晃!!」
呼びかけても揺すってもぴくりとも動かない。
「晃!!」
どうにかゴロリと身体が動いた。仰向けになった晃はどこも血まみれだった。
「晃! 起きなさい!! 晃! 晃!!」
顔を近づけ、ペチペチと頬を叩く。
それでも晃はピクリともしない。
涙で視界が歪む。ボロボロ落ちる私の涙は晃の頬を濡らすけど、血は一向にきれいにならない。
どうにかならないかと晃の頬を必死でぬぐう。
それでも血が広がるだけでちっともきれいにならない。
なんで。
なんで。こんな。
私の晃が。
「晃!」
嫌。こんなの、嘘。
「晃!!」
目を開けて! 私を呼んで!!
「嘘よ! こんなの嘘よ!!」
ガバリと晃の頭を抱きかかえる。
どろりとした感触。冷たい首筋。
「目を開けて晃! お願い!! 晃! 晃!!」
どうしたらいい。なにをすればいい。
晃が。私の晃が。
ハッと気付いた。回復!
――駄目だ! 私程度の回復じゃ効果がない!
「白露様!!」
振り返ると白露様は困ったように笑っていた。
なんで笑っていられるの!? 晃がこんな目に遭ってるのに!
「白露様! 回復かけてください! 晃を助けて!」
それでも白露様は動かない。なんで!? なんで!!
「白露様!!」
泣いても叫んでも白露様は困ったように笑うだけ。
なんで。なんでなんでなんで。
「お願いします! 晃を助けて!! お願いします!!」
恥も外聞もなく、晃を抱えたまま頭を下げた。
「お願いします!! お願いします!! 晃を、晃を助けて!! お願いします!!」
床にすりつける勢いで頭を下げた。
涙と鼻水が床に落ちる。ぬぐうこともできず、ただ必死に頭を下げた。
「……もういい?」「仕方ない。いいよ」
言葉の意味がわからない。『いい』とはなんだ。
のろりと頭を上げると、白露様が前足を片方上げた。
なにか術をかけたとわかった。
「……う……」
「………晃………?」
膝の上の晃が顔をしかめた。――生きてる? ――生きてる!
「晃!」
「……………ひ、な……………?」
薄っすらと目が開いた。
ちいさい声だけど、私を呼んでくれた。
それだけでホッとして、また涙があふれた。
「……なんで、ひな……」
右手を出してきたからすぐにぎゅっとつかむ。
「晃」
よかった。生きてる。
「晃」
生きてる。生きてる。
「……う……ううう、う、うわあぁぁぁぁぁ!!」
「ひ、ひな!?」
号泣する私の膝で晃がぎょっとする。
起き上がろうとしたのか身じろぎしたけど、私がガバッとおおいかぶさったから動けなくなったらしい。
そんな晃に構うことなく晃を抱きしめた。
「うわあぁぁぁぁぁん! わあぁぁぁん!!」
「ひ、ひな。ひな。ごめんね。泣かないでひな」
晃が私の中でなにか言ってる。
それでも晃が死んだかもっていう恐怖と緊張からの開放感と晃が生きてるっていう安心感で、ただただ泣き叫ぶしかできなかった。
どうにか泣き止んで晃から身体を起こした。
途端に晃は起き上がり、私をぎゅうっと抱きしめてくれた。
「心配させて、ごめんね。ひな」
「―――ふぐぅ……」
やさしいこと言わないでよ。そんな、抱きしめたりしないでよ。また泣けちゃうじゃないの。
「ううううう、晃ぉぉぉ」
「ごめんね。ごめんねひな」
「晃おぉぉぉ」
晃にしがみついてえぐえぐと泣く。
もうやだ。こわかった。晃が死んだかと思った。
「ていうか、なんでひながここにいるの?」
「ぼくが白露さんに『連れて来て』って頼んだ」
聞いたことのない声に「ん?」と思考停止する。
「なんで」
「いやー。『半身』に回復の効果があるか調べたくてさ。
いいデータがとれたよ! ありがとね!」
「『ありがと』じゃありません! ひなを巻き込まないでください!!」
珍しい。わんこが怒ってる。
晃は基本お人好しだから『怒る』とかないのに。
ソロリと顔を上げると、晃はこわい顔でどこかをにらんでいる。
その視線を追いかけて――固まった。
龍がいた。
神社仏閣によくあるような、くねくねした長い身体の、ヒゲが生えてツノが生えた龍がいた。
あ。私、死んだのか。
「死んでないよひな。あの方はホントに龍だよ」
晃がツッコミを入れてくる。
と、ちいさな青い龍はピッと片手を挙げた。
「はじめまして! 高間原の東、青藍の一の姫、梅様の専属護衛兼助手の蒼真です!
よろしくねひな!」
えらいフレンドリーな龍に開いた口がふさがらない。
「ひな。ひな。さっき話したでしょ?
この子が蒼真よ。
この蒼真が『半身』について調べたいって言って、ひなに来てもらったの」
「おれ、聞いてないよ?」
ジトリと白露様をにらむ晃。
対する白露様は「ごめんねぇ」とのんきなものだ。
珍しいお怒りモードの晃に、逆に私は冷静になった。
「晃。怪我は?」
「ん? 大丈夫。白露様が治癒かけてくれたから、すっかり元気。どこも痛くないよ」
「だってこんな、血みどろで、あんた」
まだ震える手で晃の頬に触れると、晃はすぐに私の手を握ってくれた。
「大丈夫だよ。傷はふさがってるから」
「でも」
「そういえば汚れたまんまだったわね。ごめんね晃。アラ。ひなも汚れちゃったわね」
言い合っていたら白露様がのんきに声をかけてきた。
次の瞬間。私も晃もきれいさっぱりしていた。
あの血の海もなくなっていて、何事もなかったかのような有様だ。
「いやー。『半身』がくっつくだけで回復するなんて知らなかったよ。
『循環させながら癒やす』なんて、そんなの、修行を積んだ上級薬師くらいにしかできない。
それをなんの訓練もしていない人間が簡単に、自然にこなすなんて。
すごいねぇ。もっと調べないといけないよねぇ」
ニコニコと楽しそうに蒼真様がおっしゃった。
意味がわからず「は?」と声をもらした。
と。
バッと晃が私から離れた。
え。と思った瞬間!
ドン!!
晃がふっ飛ばされた!!
「!!」
私が息を飲んだその一拍で晃は刀を構え、迫りくる龍の攻撃をさばいていた。
けどすぐにさばききれなくなった!
「晃!!」
「ひな。あぶないから、じっとしてましょうね」
駆け寄ろうとしたら白露様が後ろからのしかかった! 動けない!!
「離して白露様! 晃が! 晃が!!」
伸ばした手の先で晃の全身から血が吹き出した!!
「晃ォ!!」
「大丈夫大丈夫。手加減して斬ってるから」
「そんなわけないでしょ!? あんなに血が――」
叫んでいた、そのとき。
ボキッ。
「ぐわあぁぁぁぁっ!!」
「―――!!」
なに。折れた。骨。晃。倒れて。血が。嫌。晃。晃が。晃が!
「いやあぁぁぁぁ!! 晃ぉぉぉぉぉ!!」
必死で腕を伸ばす! 晃が! 晃が死んじゃう!! 晃! 晃!!
「晃ぉぉぉぉ!!」
涙も鼻水も唾も飛ばして叫ぶ! 叫ぶしかできなくて情けなくて涙が出る。
助けなきゃ。私の晃を! なにができなくても構わない! 私が晃を助ける!!
「晃! 晃! 晃!!」
叫んで暴れていたら、ふ、と身体が軽くなった!
考えるより早く駆け出し、倒れている晃の頭を抱き上げた。
「晃! 晃!!」
「……だい、じょ、ぶ、だか……ッ、」
ゲホッと咳き込んだ。
バシャリ。血が広がった。
「―――!!」
吐血。口の中を切った? それならもっと出血量は少ない。
となると、肺か、内蔵――!
ゾワリ。
京都で視た、竹さんの闇が真後ろまで迫ってくる。
あの闇に、晃がつかまる。
晃が。私の晃が!
「―――いやあぁぁぁぁ! 晃! 晃!!」
涙も鼻水も流して、必死で回復をかける!
でも私の回復なんか全然効果ない!
「……ひ、な、だいじょ、ぶ、だか…ら……」
「白露様! 白露様!! 治して! 早く治してやってください!」
横たわった晃を抱き、必死で頼んだ。
ようやく治癒をかけてくれ、晃はケロッと起き上がった。
ぎゅうぎゅうに晃に抱きついて泣いた。
「ひ、ひな。人前だよ? いいの?」
そんなの関係ない。こわかったんだから。心配したんだから。
「ごめんね」
「ごめんねひな」
私の思考を読んだらしい最愛が抱き返してくれる。
あたたかい。生きてる。私の『半身』。私の唯一。私の晃。
「あのくらいで動揺してちゃダメだよー。
ちゃんと手加減してるし。肉も骨も気を遣ってきれいに斬ってるし。
そもそも回復で元通り治るんだからいいでしょ?」
――ブッチーン。
「……………はァ……!?」
耳に届いた台詞に、堪忍袋の緒が切れた。
自分でも驚くくらいの低い低い声が出た。
ジロリとにらみつけたら「ピッ」とおかしな鳴き声をあげて龍がまっすぐに伸びた。
「……今、なんと、おっしゃいましたか?」
ゆらり。
晃から離れ、ゆっくりと阿呆龍の前に進む。
「え、ええと」
「なにを言ったかと聞いているんだ答えろ」
「ハイッ!『回復で元通りになるからいい』と言いました!」
青い龍はさらに青くなった。
ダラダラと汗を流している。
にっこりと笑みを向けてやると、へらりと口の端を上げた。
ガッ!
阿呆龍の首と思われる場所を両手でつかみ締め上げる!
「東の守り役の、蒼真様?」
「は、はひ」
「ひ、ひな!?」ウチの阿呆が慌てたように飛んできて私の肩を揺するけど、肩越しにギッとにらみつけて手を引かせる。
「『医術薬術に詳しい』と白露様がおっしゃっていましたが、違うようですねぇ?」
わざとにっこりと笑みを浮かべ、その鼻先と私の鼻がくっつくくらいに迫る。
じっと目をのぞきこんだらアワアワとうろたえた。
「『治るからいい』? それが医術に携わる人間の台詞ですか?」
「ゔ」
「『治るから』そんな理由でひとを傷つけてもいいと、あなたは考えるのですね」
私は精神系の能力者だ。
そのためか、相対する相手の『イタイところ』をなんとなく察することが多い。
その能力はこの龍にも適用されたらしい。
私の台詞に、龍は明らかに動揺した。
「ち、ちがいます! その、それは、そう! 修行なんだ!
ボス鬼と戦っても生き残れるようにするためには、仕方ないんだ!
痛みに耐える訓練もしとかないと、いざ本番で死にそうになったときに動けなくなるから!
だからわざと痛みを与えてるんだ!!」
「『ボス鬼』」
「そう!」
「だから『傷つけてもいい』と?」
「だ、だって」
ギリ。両手にさらに力が入る。
「ぐえ」っておかしな鳴き声ですね。もっと鳴きますかね。やってみましょう。
「ひ、ひな。もうそのくらいで「黙れ」ハイ」
晃と白露様は並んで正座とおすわりをしている。
龍が『助けて!』と目を向けたのでさらに締める。
「おはなしの最中に余所見とは。余裕がありますねぇ。
それともなんですか? 大した霊力も能力もないヤツとは『話す価値もない』と?」
「ぞ、ぞんなごどば、ありばぜん」
「ふふふ。龍っておかしな喋り方をするんですねぇ。もっと面白い鳴き方をしますかねぇ」
「ぐ、ぐえぇぇぇ」
「で?『修行のためなら傷つけてもいい』と?」
少しだけ力をゆるめてやると、慌てたように龍はペラペラと喋りだした。
「だ、だって! 今回出たのは『中ボス』だったんだよ! それでもトモは死にかけてるんだから!
晃達はもっともっと厳しく修行しないと、生き残れない!
だから、そう! だから、仕方なく、ね!
仕方なく痛めつけたんだよ!
ぼくだってこんなことしたくないよ! でも黒陽さんが『霊玉守護者達が強くなれるように協力してくれ』って頭下げるから!
だから、仕方ないんだよ!」
「―――ほぉう―――?」
「ヒッ」手の中の龍がピンと一直線に固まった。
おすわりのふたりは寄り添ってガタガタ震えている。
『ボス鬼』
『中ボス』
『トモは死にかけている』
『黒陽様に頼まれて』
「――詳しいおはなしを、聞かせていただけますね」
守り役様ひとりずつににっこりと笑みを向けると、青い龍はさらに青く、白い虎はさらに白くなり、コクコクとうなずいた。