第十三話 童地蔵
ばーさんがこの家に結界を遺してくれていたと教えられ改めて感謝していると、黒陽はふいっと首を動かした。
「その童地蔵の白毫に使われている石な」
黒陽につられて視線を向ける。
床の間に飾ってある童地蔵。
四百年前から伝わるものだと聞いている。
木彫りの像の額には水晶だかなんだかわからない透明な石が埋め込まれている。
「姫が青羽のために作ったものだ」
「―――!」
ということは、この仏像は青羽――前世の俺が作らせたのか?
「初めて出会ったとき、あいつはまだ十歳で、智成と名乗っていた」
童地蔵をみつめたまま、黒陽が話を始めた。
「姫に出会い『半身』と自覚し、我らの事情を知り、姫のために退魔師となることを決めた。
名を『青羽』と改め、退魔師としての修行を本格的に始めた」
退魔師だったことは開祖の手記にも少し書いてあった。
黒い亀と前世のハルに修行をつけてもらったことも。
だから知っていると示すためにひとつうなずいた。
黒陽は俺のうなずきに気付いているのかいないのか、童地蔵を見つめたまま言葉を落とした。
「その別れ際に、姫が作って渡したんだ。
『退魔師は危険が伴うから』と」
さっき黒陽も言っていた。『やさしすぎる』と。
きっとこのひとは昔から他人の心配ばかりしていたんだろう。
そうして出会った人誰にでもお守りを作って渡していたに違いない。
何故かそんなことが理解できた。
ちらりと視線を動かすと、穏やかに眠る彼女。
しあわせそうに眠る様子にココロがほんわかする。
「この霊玉な」
黒陽のつぶやきに顔をもどすと、黒陽もゆっくりと俺のほうを向いた。
「四重付与がかけてある」
「………」
………四重付与?
俺はばーさんから様々な術の手ほどきを受けてきた。
基本的に術は行使するのに必要な霊力量があって術式の理解ができていれば、誰でもどんな術でも行使できる。
その理解の深さと霊力量で使える術や術の効力が違う。
だから俺も物質に付与をつける術は知っているし、簡単なものなら付与できる。
でも、複数付与なんて、ばーさんでも三つが限界だったはずだ。
それを、四つ?
「物理守護と霊的守護と毒耐性と運気上昇。
これがあったからあのとき青羽は助かったと聞いた」
「………」
しかもどれも付与するのが大変なやつじゃないか。
それを、あの『禍』の瘴気の炎から生き延びさせるほどの効力?
一体どれほどの術なんだ⁉
え? この人、もしかしなくてもトンデモナイ人か?
俺なんか全然敵わない、もしかしたらハルですら敵わないほどの術者か?
すやすやと眠るかわいい人をじっとみつめて霊力を探ろうとしてみたけれど、抑えているのか封じているのか一般人より少し多めとしかわからなかった。
黒陽に聞いてみようと口を開いたけれど、やめた。
彼女がどれだけすごい術者でも、どれだけトンデモナイ霊力量をもっていたとしても、関係ないと思ったから。
どんなすごい人でも、彼女は『彼女』だ。俺の『半身』だ。
そんな理由であきらめることも、離れることもできない。
出会ってしまったのだから。
一度開けた口を閉じたものの何か言わなくてはと思い、ふと浮かんだことを口に乗せた。
「……子供の頃」
じっと俺を見つめる黒陽が話を聞いてくれる様子にほっとして、昔の話を始めた。
「俺、生まれたときから高霊力保持者で、霊玉を持って生まれてさ」
祖父母や両親によると、俺が高霊力保持者なことはお袋の腹の中にいたときからわかっていたらしい。
というか、お袋の腹に宿った時点で「この子は開祖様の生まれ変わりだ」とばーさんが気付き、両親に頼み込んで日本で産んでもらったらしい。
ばーさんが葬式の前に教えてくれた。
そんなばーさんでも、生まれ落ちた俺の手に霊玉を見つけた時は「倒れるかと思った」らしい。
「それこそ物心つく前からじーさんばーさんに鍛えられた」
そんな俺だから、じーさんもばーさんもとにかく何でもかんでも詰め込んだ。
高霊力を扱えるように。万が一の場合にも生き残れるように。
「修行は厳しいし、霊力操作はうまくいかないし暴走するしで、ガキの頃は結構大変だったんだ」
ハハ、と乾いた笑いがもれた俺に黒陽は「ああ」と哀れみの目を向けてきた。
きっとこの亀はそういう子供をたくさん見てきたのだろう。
「でも、どんなに大変なときでも、この童地蔵がそばにあったら落ち着いた。
苦しいときもかなしいときも、この地蔵がそばにあるだけでなぐさめられたしはげまされた。
霊力暴走したときにはすぐにこの地蔵持って来られて抱きしめていた。
それだけで霊力落ち着いた」
俺にとってはこの童地蔵は、お守りのような、守り神のような存在。
そばにいるだけで、抱きしめるだけで、なんだか誰かが包み込んでくれているように感じた。
あたたかくて、やさしくて、安心した。
「もしかして、竹さんの霊力がこもってるからかな?
それが『半身』である俺に作用したのかな?」
「多分そうだろうな」と黒陽もあっさりと認める。
そうか。
俺はずっと竹さんに守られてきたのか。
竹さんがずっと支えてくれていたのか。
なんだか胸の奥底がぽわんとあたたかくなる。
なんだろうこれ。
あたたかくて、きゅっと締め付けられるようで。
なんだろう。
胸を握りしめたかったけれど、黒陽の手前ぐっと膝の上で拳を握ることでこらえる。
そんな俺の態度に気付かない黒陽はちらりと童地蔵に目をやり、俺に言った。
「みたところ、まだ術は生きている。
さっき姫がまた霊力を込めていたから、しばらくは作用するぞ」
さっき童地蔵を見ていたとき、そんなことをしていたのか。
なんだか呆れてしまった。
「……この人は人のことばっかりなんだな」
きっと俺のことを気づかって、こっそりとそんなことをしたんだろう。
おしゃべりな亀がいなければ俺はそんなことにも気づかなかったから。
「自分に『運気上昇』かければいいのに」
ぽそりとつぶやいたら、黒陽が反論してきた。
「一応いろいろ持ってはいるぞ?
『運気上昇』のアイテムだけでなく、破邪の飾りとか術の効果を上げる飾りとか。
それでも『災禍』には届かないんだ」
色々と対策は取っているらしい。
それでも敵わない。
『災禍』を追うのは、大変なことのようだ。
「運良く『災禍』をつかまえられたらいいんだがな」
ふう、と疲れたように黒陽がこぼす。
「それこそ『運』を利用し操作するのは『災禍』の十八番だから。
いくら我らが『運気上昇』のアイテムを持っていても、敵わないんだろうな」
やれやれ、というように首を振って、黒陽は気合を入れなおすようにぐっと首を上げた。
「まあ、地道にコツコツ探していくしかない。
手がかりがないわけでもないしな」
「そうなのか?」
思いもかけない言葉に聞き返すと、黒陽はひとつうなずいた。
「まだ確定ではない。『もしかして』という程度だが。
それでも何の手がかりもないよりは随分な進展だ」
確かに。
何も手がかりもなく闇雲に探し回るよりは動きやすいだろう。
「だからこそ京都の結界を強くしておきたいんだ。
南の『要』に霊玉を渡したいんだ。
――同意してくれないか?」
じっと見つめられ、ぐっと詰まった。
黒陽の視線に耐えられず、すっと視線を逸らす。
霊玉を竹さんに渡す。
渡した霊玉を使って南の『要』のエネルギーとし、京都の周囲を囲む結界を強くする。
そうすることで『災禍』の行動範囲を限定する。
竹さんの責務を果たす一助になることは間違いない。
いいことしかない。
わかっている。理解している。だが。
「――竹さんに危険がないなら、渡してもいい」
ぼそりとした俺の言葉に、黒陽もぼそりと返した。
「……姫には私がついている」
顔を上げると、真剣な顔の黒陽と目が合った。
だから、重ねて言った。
「竹さんが無茶しないなら渡してもいい」
その言葉には「……それは……」と口を閉じてしまった。
困ったように目を伏せる亀。
そこは嘘でも『しない』と言えばいいのに。馬鹿だなあ。
さっさと俺を丸め込んで霊玉を取り上げればいいのに。
馬鹿でお人よしな亀になんだか親しみを覚える。
こういう馬鹿は嫌いじゃない。
だから、本音を吐き出した。
「正直、俺にとって霊玉はどうでもいいんだ。
俺が持っていようが誰かに渡そうがどうでもいい。
竹さんの役に立つならむしろ進んで渡す。でも」
俺の一番大事なこと。
竹さんが『しあわせ』であること。
竹さんが苦しまないこと。
それだけは、譲れない。
「竹さんを苦しめることになるなら、渡せない」
「……………」
のろりと顔を上げ俺をにらみつけていた黒陽だったが、あきらめたように「はあぁ…」とため息をついた。
「………お前だって十分頑固者じゃないか」
「ホントだな」
そう指摘されてそういえばと思い当たった。
なんだかおかしくなって笑いが出た。
黒陽も一緒になってちいさく笑った。
二人でクスクス笑ってコーヒーを飲んだ。
もうすっかり冷めてしまった。
黒陽の猪口にまたカップからコーヒーを注いでやり、クッキーを勧める。
ナッツの入ったそれを「うまいな」と黒陽は一枚ぺろりと食べた。
お口にあったようだ。よかった。
俺も一枚つまむ。
むぐむぐと咀嚼していると黒陽がぽつりと言った。
「……霊玉を渡すことは、姫を苦しめることにはつながらない」
ごくりと口の中のものを飲み込んで、コーヒーを一口注ぐ。
そうして話を聞く姿勢に戻った。
「今回の霊玉を使った南の『要』補強案。
これが成功したら懸案事項かひとつ減る。
京都の結界の中だけを探せばよくなるから、姫の負担も減る。
いいことしかないだろう?」
自信満々に偉そうに言う亀に、わざと肘をついて組んだ手に顎をのせて答えた。
「そういうときこそ『穴』があるんだよ」
俺の指摘に亀はわかりやすく「ぐっ」と詰まった。
「……まったく…。これだから聡い男は……」とぶつぶつ言っていたが、諦めたのかため息を落とした。
「――姫は罪に苦しんでいる。
それは誰にも代われないし誰も支えられない。
――生まれたときからずっとお守りしている私でさえも」
「それは相当な頑固者だな」
わざと呆れたように言うと、黒陽は悲しそうな顔に笑みを浮かべた。
「高間原に生を受けたときからずっとお守りしている私ですらも、姫は気づかって巻き込むまいとするから」
ちらりと眠る彼女を見つめ、かなしそうに言葉を落とした。
「自分のせいで私が亀の姿になったと思っているから」
俺もつられて彼女に目を向ける。
このひとならそう考えるだろうなあ。
「本当の意味で姫が救われるのは――。
姫がすべてを預けられるのは―――」
黒陽は目を伏せそうつぶやいて、のろりと顔を上げた。
じっと俺を見つめてくるその目が何か言いたげで、視線を受け止めたまま言葉を待った。
だが黒陽は何も言うことなく再び目を閉じ、ゆるく首を振った。
そうして首を上げ、強いまなざしを向けてきた。
「―――『災禍』を滅ぼしたときだ」
決意の込められたまなざしにうなずく。
黒陽もうなずきを返し、言葉を続けた。
「今もあちこち出向いて気配を探りながら探している。
だからさっさと霊玉を渡せ。京都の結界を強めろ」
「竹さんがムリしないならな」
命令口調で言っているが、それがわざとで、本心から命令しているわけではないとわかる。
俺が納得するまで待ってくれるつもりなのがわかったから、こちらもわざと悪態をついた。
そうして二人でにらみ合い、「ぷっ」と吹き出し笑いあった。