第百二話 暴走 3
「――よく、がんばったね。えらいよ。竹さん」
そう言って頭をよしよしとなでてやる。
くっつけている頬が濡れる。
ポロリと、彼女の涙が落ちたのだと、わかった。
「でも、これからはひとりでがんばらないで。
俺も一緒にいさせて。
苦しいことも、つらいことも、一緒に背負わせて」
「俺達は『半身』なんだから」
「俺は、大丈夫だから」
頬が濡れていく。
ほんの少しだけ、彼女からこわばりが解けた気がした。
「大丈夫。大丈夫だよ」
バカみたいに繰り返し、よしよしと頭を、背を撫でる。
「大好きだよ。だから、そばにいて」
調子に乗って、ちゅ、と耳にキスで触れる。
ビクッとする彼女を抑え込むようにぎゅうっと抱き締める。
「逃げないで。俺をひとりにしないで。そばにいて。離れないで」
暴走する霊力は俺達を取り囲んでいる。
それでも先程までの暴力的な威力は弱くなった気がする。
『半身』である俺がくっついているからかもしれない。
くっついているだけで彼女の霊力が俺に流れてくる。
俺を通すことで霊力が混じり落ち着くのかもしれない。
そのくらい、ふたりの霊力が混じり、循環しているのを感じる。
いつもはここまでの感覚はないんだがな。
彼女の霊力が暴走しているからか? 霊力差がありすぎるからか?
ふと思いついた。
もっとくっついたらどうだろう。
キスしたら、どうだろう。
「――竹さん」
嫌がられたらやめよう。
でも『暴走が収まるか試しに』と言えば、イケるか……!?
彼女を心配する気持ちもある。が、ほとんどは下心で、提案してみた。
「キス、しても、いい?」
聞き間違いとでも思ったのか、彼女が俺に顔を向けようとしたのがわかった。
だからそっと抱く腕をゆるめ、彼女と顔を合わせた。
キョトンとしている。かわいい。
あまりのかわいさに、勝手に身体が動いた。
許可もなく、唇を、重ねた。
――ああ。溶ける。
なんて『しあわせ』なんだ!
彼女とひとつに重なる。
『半身』だと、強く強く感じる。
やわらかな唇はどこまでもあたたかい。
重なる熱がふたりをひとつに溶かす。
いつも抱き合っているときよりも強く感じる。
俺と彼女は『ひとつだった』と。
俺達は『半身』だと。
ふと彼女が無反応なことに気が付いた。
そっと離れて彼女の顔をうかがうと、彼女はポカンとしていた。
が、ようやく何が起こったのか理解したらしく、見る見る赤くなっていった!
――か わ い す ぎ かー!
かわいくてかわいくて、たまらずもう一度唇を重ねる。
今度はさっきより少し長めに唇の熱を堪能し、ゆっくりと離れた。
閉じていた瞼を開くと、赤い顔で『信じられない』というのを隠しもしない彼女がそこにいた。
「――な、な、なん、なに、」
「『なに』?」
「なに、を」
「『なにを』?」
彼女がなにを言いたいのかわからなくてオウムのように復唱する。
俺達の周囲は未だにゴウゴウと水が渦を巻いている。それでもその威力が少し、ほんの少しだけ弱まった。気がする。
「なん、で、き、きき、キス、」
「『なんでキスしたのか』?」
俺の確認に彼女は赤い顔でうなずく。目がうるんでるのかわいい。
「好きだから」
まっすぐにそのかわいらしい目を見据えて告げる。
「貴女がかわいくてかわいくてたまらないから。
だから、我慢できなくて、キスした」
そのさくらんぼのような唇を親指でそっと押し「ここに」と続けると、彼女はさらに赤くなった。かわいい。
「そん、な、『好き』とか、『かわいい』とか、」
まだ俺のことをを信じていないらしいかわいいひとにムッとする。
「俺の言葉、信じてくれないの?」
あざとくそうたずねたら彼女は首をふるふると振った。
「だって、私、全然、ダメ、で。
こんな、制御、できなくて」
ああ。またマイナス思考が仕事をしている。仕方のないひとだなあ。
「制御できないことなんて誰にでもあるでしょ?
俺だってこの前『むこう』にいたときに何回も暴走したよ?」
そう。あの連中、俺でイロイロ実験してくれた。
何度暴走したことか。ホントひどい目にあった。
「でも、私、霊力、多く、て。迷惑、で」
「迷惑じゃないよ。貴女のその霊力で昨日も一昨日も助かったよ。そうでしょ?」
そう言ったのに今日の彼女はしぶとい。
いつもは丸め込めるのに「でも」と抵抗する。
「でも、制御、できないと、魔物と、同じ」
「ひとを、傷つけ、る」
―――きっとどこかでそう言われたんだろう。
おそらくは高間原。おそらくは黒陽の妻。王族教育のなかでそんな言葉が出たんだろう。困ったもんだな。
言っていることは正論なだけに論破が難しい。
彼女は未だに高間原にとらわれている。
己は高間原の『黒の姫』だと。『黒の王族』だと。
彼女にとって王族教育をほどこしてくれた育ての母である黒陽の妻の言葉は『絶対』だ。
きっと彼女を心の底から信じていたんだろう。心の底から信頼していたんだろう。
五千年もの長い間、黒陽の妻の言葉を頑なに信じてきたんだろう。
「強いチカラが、あるから、こそ、抑えない、と、いけない、の、に」
「私は、できな、い。こんな、暴走、させて」
言いながらまた涙がボロボロッと落ちる。
「『役に立てる』って、思った、のに。
やっと『名ばかり姫』じゃなくなれるって、思った、の、に」
昨日の喜んでいた彼女を思い出す。
張り切って水を錬成していた。うれしそうにおにぎりを握っていた。俺の腕の中で「ありがとう」と微笑んでいた。
――やっと自分に自信が持てそうだったのに。
やっと『しあわせ』になれそうだったのに。
かわいそうで俺までつらくなって、ぎゅうっと彼女を抱きしめた。
どうしたらいいだろうか。
この堅物の頑固者をどうやったら説得できるだろうか。
考えを巡らせてちょっと黙っていたら、愛しいひとは俺に抱かれたまま、言葉を落とした。
「――もうだれも、傷つけたく、ない」
「貴方を、傷つけ、たく、ない」
「―――!!」
―――こンの、お人好しめぇぇぇ!
自分がそんなにしんどいのにまだ他人の心配してんのか! 俺の心配してんのか!! かわいすぎんだよくそう!
かわいくてかわいくて、頬に手を添えて上を向かせ、また唇を重ねた。
「!!」
驚いた彼女が暴れるけど無理矢理抱え込んで動きを封じる。
逃げようとするから後頭部をがっちりつかんでさらに唇を押し付ける。
背中をドンドンと叩いてくるけれどちっとも痛くない。
角度を変え、二度、三度と唇を重ねた。
どうにか落ち着いてそっと腕をゆるめると、彼女はくてりと倒れかけた。
あわてて支えて俺に身体をあずけさせる。
ぜえぜえと息を乱している。かわいい。
ぎゅうっと抱きしめて彼女を堪能していると、腕の中の愛しいひとがみじろぎしたのがわかった。
腕をゆるめると彼女は怒ったような責めるような顔で、目に涙をいっぱいにためて俺をにらみつけていた。
――かわいいしかない。
またキスしようと顔を寄せたら「ヤ」とちいさな悲鳴をあげて彼女が逃げようとした。
「逃げないで」
パッと抱きしめた、そのとき。
「やめて!!」
強い拒絶に身が固まった。
彼女は本気で嫌がっている。本気で怒っている。
それがわかって、ザッと血の気が引いた。
腕がゆるんだその隙に彼女が俺から逃げ出した。
べしょ、と俺の反対側のシーツに倒れ込んだ彼女は「ううううう」と泣きだした。
泣かせた。俺が。嫌がられた。拒絶された。
そんなに嫌だった? 俺とキスするの嫌だった? 無理矢理すぎたから?
竹さんも俺のこと好きになってきてくれてると思ってた。それって、勘違いだった? 俺、うぬぼれてた? 調子に乗ってた?
ぐるぐるぐるぐる。
いろんな言葉が頭をぐちゃぐちゃに掻き回す。
強い拒絶に身体が動かない。目の前が暗くなっていく。
どうしよう。どうしよう。どうしたら。
泣かせた。怒らせた。俺が。俺、どうしたら。
ぐるぐるぐるぐる。
彼女は俺に背を向けて突っ伏して泣いている。
泣かせたくないのに。守りたいのに。
俺が泣かせた。俺が。
「―――ごめん―――」
どうにか言葉が口から出た。
でも彼女は「ううううう」と泣き続ける。
「ごめん」
泣く彼女のその姿だけで胸が潰れそう。
苦しくてつらくて、俺も泣きたくなった。
「ごめん。ごめんなさい。申し訳ありません」
必死で謝罪を重ねる。
彼女の怒りを示すように部屋中を霊力の水が縦横無尽に激しく打っている。
さっきまで落ち着きそうな気配を見せていたのが嘘のように。
ベッドの上の俺達にも激しくぶつかってくる。正直倒れそうだけど、今はそれどころじゃない。
「竹さん」
呼びかけて、そっと近寄って、うつ伏せた肩に触れた。
途端。
「――ヤだ!!」
うつ伏せたままの彼女から、激しい拒絶の言葉が発せられた。
反射的に手を引いた。
竹さん、俺のこと拒絶するの?
俺、貴女をそんなに怒らせたの?
彼女はいつでも穏やかでやさしくてお人好しで甘っちょろくて。
だから怒るなんて考えなかった。
俺のすることを嫌がるなんて思いもしなかった。
血の気が引いていく。
『嫌われた』『拒絶された』
目の前に突きつけられた事実に声も出なくなった。
「ヤだ! もうヤだ!
なんで聞いてくれないの!?
『来ないで』って言ってるじゃない!
なんでそんな、キスしたりするの!?
貴方のこと、これ以上巻き込みたくないのに!
なんでそんなことするの!? なんで言うこと聞いてくれないの!?」
そう叫んだ彼女は「わあぁぁぁ!!」と泣き叫んだ。
「ごめんなさい」
土下座で謝るしかできない。情けない。申し訳ない。
『ゴメン。そんなに嫌がると思わなかったんだ』
そんな言い訳を言える状況ではないことは自分でもわかる。
だからただ「申し訳ありません」と土下座をする。
「巻き込みたくないのに! 迷惑かけたくないのに! 全然聞いてくれない!!」
「ごめんなさい」
「なんで誰も聞いてくれないの!? なんでトモさん置くの!?」
過ぎた話まで掘り出して泣く。納得してくれたと思ってたのに。
情けなくてかなしくてつらくて顔が上げられない。
「やっぱり私は魔物なんだ!」
「災厄を招くしかできないんだ!」
「もうヤだ! ヤだ!!」
「わあぁぁぁ!!」と泣き叫びながら彼女はシーツを握りしめイヤイヤと顔を擦り付けた。
霊力が暴走しているからか俺が不埒な真似をしたからか、彼女の感情も暴走しているようだ。
普段の彼女ならば諦めたように微笑んで呑み込んでいることを吐き出している。
落ち着きかけていた霊力がまた暴走をはじめた。
ガツンと頭を殴られ、ぐらりと倒れ込んだ。
彼女に拒絶されていると思い知らされ、目の前がどんどん真っ暗になっていく。
「――申し訳、ありません」
謝罪することしかできない。
触れることもできない。
調子に乗った数分間の自分を殴り殺したい。
わんわん泣く彼女を前にして、助けることもなぐさめることもできず、ただシーツに額を擦り付けた。