第百一話 暴走 2
水の壁をくぐると、彼女の部屋は様相を変えていた。
ザアア!!
水が部屋中を激しく暴れまわっていた!
「竹さん!!」
両腕で顔面を守りながらどうにか部屋をうかがうと、ベッドの上でうずくまっている彼女を見つけた。
必死に霊力を抑えようとしているのか、自分の肩を抱いていた。
俺の呼びかけに彼女がのろりと顔を上げた。
俺の姿を認めるなり、驚愕に固まる彼女。
かわいい垂れ目がまんまるに見開かれている。
『なんで?』唇が声にならない言葉を伝える。
よかった。とりあえず無事だ。
俺がホッとしたのが彼女もわかったのだろう。ハッとしてくしゃりと顔をゆがめた。
「来ないで!!」
いつもの彼女からは考えられない強い叫びが響く。
「来ないで! お願いだから、来ないで!!」
まるで渦潮に放り込まれたかのように翻弄される! 彼女からあふれて暴れる霊力に殴りつけられる!
彼女はそんな霊力を抑えようとしているのだろう。自分で自分を抱きしめ、ギュッと目を閉じ歯を食いしばった。
「ぐうぅっ」と呻き声が聞こえる。
苦しそうな、辛そうな声。
「竹さん!」
あわてて駆け寄ろうとしたが、弾かれた!
彼女からあふれ周囲を渦巻く霊力に、文字通り弾き飛ばされた。
ヒロなんか目じゃないほどの強い水気。それが彼女からあふれている。
抑えようと圧縮しようとするからだろう。霊力が固まり水になり、それが嵐のように彼女の周囲で吹き荒れている。
ザアァァァ! ゴオォォォ!
音を立てて彼女の周囲を取り囲む霊力。
まるで彼女を捕らえる檻のよう。
その檻が俺と彼女を隔てていた。
ザン! 激しい雨粒が叩きつけてくる!
ドッ! 強い波が殴りつけてくる!
「―――!」
咄嗟に展開した障壁は簡単に破られた。
なんとか声は出さなかったものの、あまりの衝撃にガクリと膝をついた。
――こんな――。
黒陽から聞いていた。「ひどい霊力過多症だった」
俺もガキの頃は霊力制御がうまくできなくてあふれさせることがあった。
身体の内側を暴風雨が吹き荒れる感覚。
身体の中身をぶち壊されてグチャグチャにかき混ぜられる感覚。
外に吐き出しても吐き出しても収まらない暴風に体力も精神力も削がれ、落ち着いたあとは必ず熱を出していた。
成長してからはそんなことはほとんどなくなったが、『宗主様の世界』にいたときには何度も暴走した。
『むこう』の連中、寄ってたかって俺を実験台にしてくれた。
その影響で暴走することが何度もあった。
その暴走すら連中の研究のネタにされた。
彼女が「霊力過多症だった」と聞いて、俺は勝手に自分の経験を重ねていた。
苦しかったろうと。大変だったろうと。
だが、実際はどうだ!
こんなの、俺の暴走の比じゃない!
霊力量が桁違いに多い。
それが彼女の制御を離れ暴れまわっている。
こんな苦しみをひとりで耐えていたのか。
これ程の霊力をその身体に抱えていたのか。
「来ないで!」
「来ないで! お願い!」
自分で自分を抱きしめ、ギュッと目を閉じた彼女が叫ぶ。
悲痛な叫びに胸が痛む。
「大丈夫だから! いつものことだから!
しばらくすれば、収まるから!
だから、来ないで!」
「来ないで!!」
『しばらくすれば収まる』と彼女は言うが、それが『制御できて収める』のではなく『彼女が力尽きて収まる』のだとわかった。
罪の意識にとらわれて、思い詰めて食事も睡眠もとれなくなり、疲弊して弱っていくのだと思った。
『半身』に逢えないつらさに疲弊して弱っていくのだと思った。
それなら俺がそばにいてしっかり食べさせて眠らせれば元気になると考えていた。
マイナス思考をぶっ潰せば元気になると思っていた。
だが、違った。
これが、この霊力の暴走こそが、彼女を弱らせる最大の要因。
彼女のチカラが強すぎて誰も制御できない。
迷惑をかけまいと展開する彼女の結界に誰一人入ることができない。生まれたときからの守り役である黒陽でさえも。
それほど彼女の持つ霊力と彼女の持つ能力は桁外れのもの。
結果、彼女はひとりでこの暴走を抑えなくてはならない。
ひとりで、苦しむ。
そんなこと――させるものか!
働け『境界無効』!
今仕事しなくていつするんだ!
きっと、このためだ。
俺が『境界無効』なんて能力持ってるのは、このためだ!
能力に振り回される彼女に近づくため。
彼女を檻から救い出すため。
そのための『境界無効』だ! そうだろう!?
ドン!
「!」
「!!」
横殴りに霊力の波を叩きつけられ、不意打ちにドッと倒れ込む。
そんな俺に彼女がさらに顔色を悪くした。
くそう。彼女に心配させるとは。
すぐさま起き上がり、体勢を低く膝立ちで彼女を取り巻く渦をにらみつける。
「やめて!」悲痛な叫びが響く。
「もうやめて! 部屋から出ていって! お願い!」
ああ、泣かせてしまった。
泣かせたくなんかないのに。
いつでも笑っていてほしいのに。
ドン! ドン!
さらに霊力が叩きつけられる!
彼女が息を飲んだ。
霊力を抑えようとギュッと目を閉じる。
自分で自分の身体を押さえるように抱き締めるが抑えられない。
なおもぎゅうっと自分を抱え込み、額をベッドに埋め丸くなった。
ああ。ダンゴムシみたいだ。
こんなときなのにふとそんなことがうかんでしまい、フッと笑みがこぼれる。
甲殻をまとい丸くなりまわりから身を守っているように見せかけて、実際はこのひとは甲殻で己を封じ周囲を護っている。
やさしいひと。
つよいひと。
俺の、愛おしいひと。
ひとりにさせない。
なにがあってもそばにいる。
そう『願った』。
そう『誓った』。
その『願い』を、その『誓約』を、示すのは、今だろう!
ドン! 強い衝撃が俺を襲う。
だが、まだ耐えられる。
こんなのどうってことない。
彼女はもっと昔からこれに耐えてきたんだ。
体力もない、弱っちい子供の頃から耐えてきたんだ。
修行してきた俺が耐えられなくてどうする!
仕事しろ『境界無効』!
彼女のそばに行く『道』を、示せ!
ギッと彼女を取り巻く渦をにらみつける。
と、僅かな隙間が見えた!
今だ!
ダッ! と駆け出す!
弾かれることなく一気に彼女のそばに辿り着いた!
覆いかぶさるようにギュッと彼女を抱きしめる。
ああ、竹さんだ。
何故かこんなときなのにほんわかとココロがあたたかくなる。
俺の腕の中で彼女がハッとしたのがわかった。
身体を起こそうとしたのがわかったので力を少しゆるめると、彼女は真っ白な顔に驚愕を貼り付けていた。
「……なん、で……」
「俺、『境界無効』の能力者」
ケロッと言ってやると、彼女は顎が外れるんじゃないかというくらいにパカリと大きく口を開けた。
目もまんまるだ。落っこちそうだよ?
そんな彼女がおかしくてプッと笑うと、彼女がハッとした。
「だ、ダメ! 離れて!」
グイグイと俺の胸を押して俺から離れようとする。
その様子にムッとした。ベッドの上に上がり込んで、素早く彼女を抱き上げる。
胡座をかいて座り、足の間に彼女をすっぽりと納め、ぎゅうっと抱き締める。
「ひゃ」と一瞬気が緩んだ彼女は、それでも俺から逃げようとする。
「ダメ!」「離して!」と暴れるからさらに押さえつける。
霊力では敵わないけれど、腕力なら俺のほうが上だ。
絶対逃さない!
ぎゅうぅぅぅ、と彼女を抱きしめる。
ひとつの塊になるように。
彼女を抱いていると、彼女に迫っていた霊力の暴走がモロに迫ってくる。
さっきまでもけちょんけちょんにやられたが、あれでも彼女が抑えてくれていたのだとわかった。
そのくらい、彼女に迫ってくる霊力の暴走は激しく、強いものだった。
これをひとりで抑えていたのか。
これをひとりで耐えていたのか。
なんて強いひとだろう。
なんてやさしいひとだろう。
ああ、なんて愛おしい。
俺の『半身』。
俺の唯一。
支えたい。ひとりにしたくない。
ずっとそばにいたい。
笑っていてほしい。
『しあわせ』でいてほしい。
俺のそばで、ずっとそばで。
「――竹さん」
「……て……」
暴れても暴れても身動きが取れない彼女はぐったりとしてきた。
元々この暴走にさらされていたんだ。もう体力の限界が近いのだろう。
「竹さん。聞いて」
ゴウゴウと暴れまわる霊力の渦の中は、世界中でたったふたりきりになったよう。
こんな状況なのに、彼女が俺の腕の中にいるというだけでホッとしてしあわせな気持ちになる。
「俺は貴女の『半身』だよ」
「だから、俺は大丈夫だよ」
ホントはかなりキツい。
ガツガツと削られている。
こんな衝撃を彼女はひとりで耐えていたのか。
キツいけど、今だけでも彼女を守れているという事実があるから耐えられる。
ぎゅうっ。彼女を包み込む。
この霊力の暴走が彼女を傷つけることがないように。
彼女を守れるように。
「――よく、がんばったね。えらいよ。竹さん」
そう言って頭をよしよしとなでてやる。
くっつけている頬が濡れる。
ポロリと、彼女の涙が落ちたのだと、わかった。