第九十九話 月曜日 竹さんの水とおにぎり作成
深く眠った愛しいひとをお姫様抱っこして彼女の部屋に向かう。
風を使って扉を開け、彼女をベッドの上に下ろす。
すやすやと気持ちよさそうに眠る様子にホッとする。
「おやすみ」
ちゅ、と額にキスする。深く眠った彼女は反応しない。それでも安らかな寝顔がかわいくて、頭をなでてから布団をかけてやった。
ふとサイドテーブルに目を向けると、アキさんの作ったちいさなベッドで黒陽が寝ていた。
……術式はどうした?
そして俺が近づいているのになんで気付かない?
いつもの黒陽だったら竹さんが目覚めたら一緒に起きる。そういう術式を自分にかけている。
守り役である黒陽は他人が近づいたら反応する。護衛とはそういうものだといつか聞いた。
具合でも悪いのか?
こいつもデジタルプラネットの侵入のときかなり精神すり減らしていたし。結界やらなんやら多用して俺のこと守ってくれてたし。
そう思って心配になった。
そっと顔をのぞいてみるが、ぐっすりと眠っているだけにみえる。
触れたら霊力の流れがわかるかもしれないが、触れたら起きるかもしれない。
まあいいやと放置して俺も寝ることにした。
翌日。
いつものように朝の修行をする。
帰還したヒロも一緒。
あれから気持ち悪くなるたびに霊力補充クリップ起動させて「どうにか一晩乗り越えた」という。
「しばらくはクリップ手放せそうにない」
そんなにか。
俺『半身持ち』でよかった。
ふたりで山を駆けながら『むこう』の話を聞く。
あれがどうなった、新しくこんなことをした、誰々が俺のことを気にしていた、そんな話を聞いた。
「また行きたいな」
「そうだね。『むこう』から何人か『こっち』に来る予定にはなってるけど、また行きたいよね」
なんでも俺達を受け入れてもらった対価として今度は『むこう』の人間を安倍家で受け入れる約束をしてきたらしい。
それで行きも帰りもハルが同行したのか。ヒロがいるからかと思った。納得。
シャワーを浴びていつものようにノートパソコンを持って愛しいひとの部屋へ。
今日はどうかな? 起きるかな?
俺の愛しいひととその守り役は今朝もぐっすりと眠っている。起きる気配は全くない。
いいことだ。しっかり寝させよう。
いつものようにハルの時間停止の結界を展開。彼女が目覚めるまで依頼された仕事をすることにする。
簡単なデータ処理をしながら、ふと昨夜の彼女が浮かぶ。
めちゃめちゃしあわせだった。あれ本当に現実にあった出来事だったのか? やっぱり夢じゃないか?
『俺』を心配してくれて。
『俺』にベタベタに甘えてくれて。
お膝に抱っこで頬にキスしてくれて。
「だいすき」なんて言ってくれて。
しあわせが過ぎる。
がんばってよかった。
きっと彼女はいつものように『夢の中だ』と思っていたに違いない。
それでも彼女が『俺』に甘えてくれたことが、うれしくてたまらない。
――あきらめない。
絶対に彼女と『しあわせ』になってみせる。
なにをどうしたらいいかなんてわからないけれど。
いつ彼女を喪うかも知れないけれど。
そんなの、誰だって同じだ。
普通に日常生活送っていたら気付かないだけ。
誰だっていつ死ぬかわからない。
事故に遭う可能性だってある。病気にかかる可能性だってある。
誰だって先のことなんかわからない。
明日会社が倒産するかもしれない。世界が滅びるかもしれない。
それでも、誰もがそんなこと考えることなく日々を暮らしている。
俺だってそうだった。
今日と同じ明日はきっと来る。
未来はきっと希望に満ちあふれている。
馬鹿みたいにそう信じて、目の前のことをひとつひとつ片付けていこう。
あきらめさえしなければきっと『道』はあると信じて。
目が覚めた彼女は思ったとおり昨夜のことを覚えていなかった。
それでも「なんかすごく調子がいい気がします」なんてかわいく笑っていた。
ウン。昨夜もキスしまくったからね。
役得役得。
またキスしていいかな?
「オイ」
わかってます。起きてるときは自制します。
彼女が身支度している間に黒陽に昨夜の話をした。
「なんで起きなかったんだ?」と聞いたら本人が一番驚いていた。
「姫が時間停止の結界を張った可能性がある」と悔しそうに言った。
「姫はやさしいから。生まれたときから共に在る私にも気を遣っているから」
かなしそうに嗤う黒陽が憐れに感じた。
「そういうひとなんだから。仕方ないじゃないか」
「………まあな」
ふう、とため息を落とす黒陽はどこかさみしそうだった。
御池で朝食をいただいて、タカさんとこっそり話をする。
『バーチャルキョート』のセキュリティレベルが上がっていたこと。
俺達の侵入未遂に気付いて『バーチャルキョート』のセキュリティレベルも上げた可能性が高いこと。
つまり、社長も俺達の侵入未遂を知っているということ。
『災禍』とつながりがある可能性が――『宿主』である可能性が上がったこと。
「昨日ひなちゃんと色々話したから。
とりあえず今日から仕切り直しだ」
なにをどう話したのかはわからないが「お願いします」と頭を下げた。
昨日のハルからの依頼は彼女にとってとてもうれしいことだったらしい。
御池で朝食をいただきながらも「どのくらい用意しましょうか」「容れものはどうしましょうか」と喜び勇んでハルに話しかけていた。
元気な様子に保護者達も喜んでいた。
離れに戻るなり「池に行く」という。
あの中学二年の地獄の修行のときに俺達が投げ込まれたあの池は龍脈の上にあって霊力豊富だ。
だから「あそこならいい水ができる」という。
「とりあえず」とハルが安倍本家に備蓄してあった災害用のウォータータンクをあるだけ持ってきてくれた。
折りたたみ式のそれをせっせと広げ、準備ができたところで彼女が水を錬成した。
……阿呆みたいな高霊力を感じるんだが。
これ、純度も高いよな?
おまけになんか付与してある?
「付与はしてないです」
……………。
「……姫はそのときに考えたり感じたことがそのまま『付与』になる。
本人は意識していない」
長年の守り役の説明にげんなりしてしまったのは許してほしい。
十リットルの水が入るタンクを何十個も用意していた。
一回の錬成でそれが全ていっぱいになってしまった。
「まだできます!」というかわいいひとを「容れものがないからね?」とどうにかなだめる。
「容れもの買ってこようね。また今度作ってね」
そう言うと「はい!」と張り切る彼女。かわいいか。チョロいか。
とりあえず水を入れたタンクは手分けしてアイテムボックスに入れた。ハルが帰ったら報告して新しいタンクを手配してもらおう。
離れに戻って作った水を使って米を炊く。
ナツは昨日土鍋で炊いていたが、炊飯器でもイケるかな?
炊飯器で炊いてみた。
恐ろしく美味い飯になった。
でもナツが炊いたのほどではない。
やっぱり土鍋がいいのか?
ナツに連絡してやり方を教わって土鍋で炊いてみた。
美味い。けど、ナツレベルにはならない。
あいつ『完全模倣』の特殊能力持ちだからな。
一流の料理人の仕事を『みて』火加減とかタイミングとか完璧に模倣してんだろうな。
とりあえず俺が炊いた飯でも効果はありそう。
食ってみたら霊力補充される感じがする。
試食させるためにも保存のためにもおにぎりにする。
彼女が手伝ってくれた。
竹さんが握ったのは全部俺のだからね。誰にも食わせちゃダメだよ。
塩をつけただけの銀シャリむすびをせっせと作っていて、ふと思いついた。
具を入れたらどうだろうか。
これも検証の必要があるな。
アキさんに連絡したら色々用意してくれた。
基本の梅干しや昆布だけでなく「混ぜご飯にしたら」とシソやカツオや混ぜご飯の具を持ってきた。
ふりかけも数種類持ってきた。
飯が足りなくなってまた炊いた。
アキさんも手伝ってくれて三人でせっせとおにぎりを作った。
昼食に、夕食に、いろんなひとに食べてもらって検証。
検証した蒼真様によると、どのおにぎりでも霊力補充されてるらしい。具とかは関係ないようだ。
試しにアキさんに御池で米を炊いてもらった。
竹さんの水を使ったら、誰でも高霊力を含んだ飯が炊けることが証明された。
「これがあればいざというときに食事と霊力が同時にとれる。
時間停止のかかってるアイテムボックスに入れとけばいつでもどこでも食べられる。
これは戦術的に大きいよ竹様!」
蒼真様にそう太鼓判を押してもらい、俺のかわいいひとはこれまでには考えられないくらいの満面の笑みを浮かべた。