閑話 侵入者
男はいつものようにパソコンに向かい仕事をしていた。
「侵入者を確認しました」
その言葉に顔を上げた。
「侵入者?」
なんのことかと辺りを見回すが、特になんの変化もない。
「六階はお前の結界が張ってあるのだろう? 侵入者? 一体なんのことだ?」
たずねると、淡々とした声が返ってきた。
「現在当ビル一階から上がってきています」
「は?」
意味がわからず間抜けな声が出た。
そのとき。
ドン! ドン!
隣の部屋から音がした。
何事かと部屋を出てみると、玄関の扉が外側から激しく叩かれていた。
ドアフォンを確認。モニタには何もうつっていない。それなのに扉を開けようとする音は響く。
ガチャガチャと取手を動かす音。体当たりでもしているような音。
何をしても、どれだけやっても、この扉は開かない。当然だと男はほくそ笑む。こんなところで人払い対策が役に立つとは思わなかった。
やがてナニカは諦めたのか、扉の音が止まった。
なんだったのだろうかと男が首をかしげていると、今度は仕事部屋の方から大きな音がした!
ガシャーン!
雷の落ちたような音にあわてて部屋に戻る。
何事もなかったようにモニタの画面だけが動いていた。
パソコンが無事だったことにホッとした。
「なにがあった?」
「窓から侵入しようとしたモノがあったので、撃退しました」
簡潔に答える声に窓のカーテンを開ける。
ヒビも汚れもない、大きな窓がそこにあった。
足元からはるか北に向けて広がるのは京都の街。かすかに高い建物が見える。
至って平和で、平穏で、安穏とした光景。
ギロリとその街並みをにらみつけ、男は再びカーテンを閉めた。
モニタが並ぶ机に備えられた専用の椅子に深く沈む。
しばし目を閉じて精神を落ち着けてから、机に両肘をついて指を組んだ。
その手に顎を乗せ、ボソリとつぶやく。
「説明を」
「ナニモノかが『落ちて』きました」
声の答えに男は眉を寄せた。
「――『落ちて』――というのは……『異世界』からこの『世界』に来る、ということだったな」
「はい」
「ナニが『落ちて』きた? 鬼か?」
「不明です」
「『俺達の案件』には関係がないところから『落ちて』きたと?」
「はい」
ふーん、とちいさくつぶやいて男は椅子の背もたれに背中を預ける。
「そういうことは多いのか?」
「少なくはありません」
ふむ、とうなずくことで話の先をうながす。
「過去三十年を取っても『落ちて』くるだけならば何度もありました。
今回のように高霊力のモノとなると数は限られますが『全く無かった』ということはありません」
ふーん、とちいさく応え、さらに問いかける。
「『姫』達の関与は?」
「ないかと思われます」
「その根拠は?」
「姫達とも、守り役達とも気配が違いました」
ふむ、と再びうなずく。
「姫達も守り役達も属性特化した存在です。が、今回侵入しようとしたモノは全属性でした。
確かに『高間原』の霊力ではありましたが、時空軸のゆがみにより過去の『高間原』から『落ちて』きた、または似た『世界』から『落ちて』きたと考えるのが妥当かと考えます」
その説明に一応の納得を示した男だったが、肘掛けに肘をついて再び問いかけた。
「何故ここに来た?」
侵入者は明らかにこの部屋を狙っていた。
この部屋に入ろうとしていた。
それは何故なのか。
「可能性だけの見解になりますが」
「構わん。話せ」
「おそらくは、私を狙ったのではないかと」
「お前を?」
背もたれから身体を起こし、声に問いかけた。
「何故お前がここにいるとわかる?」
「何故かはわかりません」
きっぱりと答える声。
文句が口から出る前に声が続ける。
「ただ、京都に張り巡らせた陣からの情報によると、今回出現したナニカが最初に『落ちて』きた場所が、以前『鬼』を召喚した場所でした」
「その後も何箇所も『召喚した場所』に立ち寄り、そしてここに侵入しています。
あくまで推測ですが、『落ちた』ときに私の気配を察知したのかもしれません。
そして『この気配のモノに召喚された』と判断した可能性があります」
「――つまり『召喚者』を探してもとの『世界』に戻ろうとした、ということか?」
「可能性はゼロではありません」
「なるほど」
声の説明を頭の中で整理し、検証してみる。
「ここが察知された理由は?」
「ドローンを出し入れするのに窓を開けます。
そのときに微弱ながらも気配が漏れた可能性があります。
ドローンにも気配がついた可能性もあります。
『落ちた』ときに『召喚』の気配を察知するほどのモノならば、微弱な気配でも察知できる可能性はゼロではありません」
「――一応スジは通っているな………」
足を組み、口元を手で覆い、男は思案を巡らせる。
「何故玄関から侵入しようとした? 最初から窓から入ればよかったろうに」
「最初は窓をウロウロしていました」
「そうなのか!?」
驚く男に声はなんてことないような調子で続ける。
「最初に『落ちた』ナニカは、何箇所も『召喚した場所』に立ち寄り、そしてここにやってきました。
この窓の外でウロウロしていたので結界を強く展開しました。
おそらくは結界を展開していない一階の入口に気付き、そこから侵入したために玄関にたどり着いたのではないかと」
「玄関から離れたのは、お前の仕業か?」
「はい」
あっさりと答える声。
「少し攻撃を仕掛けました。
多少はダメージを与えたと判断します。
おそらくはそのために非常口から逃げ、無茶を承知でこの窓からの侵入を試みたのではないかと」
「で?」
「撃退しました」
「なるほど」
簡潔な報告にうなずく。
「そのナニカは今どうなっている?」
その質問にしばし黙っていた声が答える。
「のたうち回りながら、それでも数か所『召喚地』をまわっています。
最終的には鴨川に飛び込み、そこで反応が消えました。
おそらくは死亡したものと思われます」
「『死亡』の確証はないのか?」
「川の中には監視カメラも陣も展開していないため、確証を得ることは不可能です」
「遺体を引き上げることは?」
「おそらくは普通の人間には視えない存在であるため、発見は難しいかと」
「普通でないモノならば視えるか?」
「視えます」
フム、とうなずく男に声が続ける。
「あれほどの高霊力な存在であれば、おそらくは喰われます」
「ナニに?」
「『ヒトならざるモノ』に」
「………そういうものか?」
「はい」
グロテスクな場面を想像してしまい、つい、顔をしかめる。
「『ヒトならざるモノ』にとって、霊力をその身に取り込むことは『強くなる』ための最も手っ取り早い手段です。
弱った高霊力保持者は格好の獲物です。
おそらくは今回『落ちた』モノも、すぐに喰われて骨の一欠片もなくなります」
「……………そういうものか……………」
うんざりするのをどうにか立て直し、再び思考を巡らせる。
「俺達の『計画』に影響は?」
「ありません」
「『姫』達に邪魔される可能性は?」
「現段階ではありません」
「ならいい」
この件は終わり。
そう態度で示し、男は机に置いたままのペットボトルを手に取った。
一口飲んで息をつく。
「最近『こっち』も『侵入者』が増えている」
そう言いながら男はパソコンに目を遣る。
「『バーチャルキョート』が広まるにつれ有名になるにつれ『侵入してみよう』という馬鹿が後を立たない。
――まあ、俺もその気持ちはわかるがな」
クククッと男は楽しそうに嗤い、モニタに映る自分を見つめた。
「『侵入不可能』なんて呼び声が高ければ高いほど『侵入してみたい!』と思ってしまうんだよな」
モニタに映るのは遥か昔の記憶。
父と伯父と三人でたわむれていた、愛おしい日々。
「最近は手強いのが数人来る。
自動展開のセキュリティシステムを見直すべきかな」
「その案を推奨します」
「フム」とうなずいた男はパソコンに身を乗り出した。
「システムを再確認する。侵入経路の確認。バックドアをつけられていないか。そのうえでセキュリティレベルを上げる」
「最適な対策だと判断します」
「セキュリティレベルを上げるシステムの案はあるか?」
「提案します」
その言葉に男は目を閉じた。
しばらくそうしていた男はゆっくりと瞼を上げた。
「――時間がない。結界を展開しろ」
「了解しました」
そうして男はキーボードを叩き始めた。