第八十八話 話し方
『こちら』に帰還して一週間が経った。
『むこう』にいたときには考えられなかった『しあわせ』な毎日を過ごしている。
朝起きて修行したら彼女を起こしに行く。
寝顔を眺め『しあわせ』を噛みしめる。
彼女が目覚めて最初に目に入るのが俺とか。
一日の一番最初の「おはよう」を言い合えるとか。
それだけで『しあわせ』で泣きそう。
『このかわいいひとが俺の彼女だー!』と世界中に叫びたい。
そんなことをすると迷惑になると理解しているので、拳を作ることでどうにか抑えている。
一緒に朝食をいただいて。一緒に出かけて。
一緒に責務に取り組んで。昼飯も一緒に食べて。帰ったら夕食をいただいて。夜は「おやすみ」とハグをして。
新婚夫婦みたいじゃないか?
もう俺達『夫婦』でいいんじゃないか!?
彼女も『妻にして』って言ってくれてたし!
そこに思い至り、爆走していた思考がスウッと冷めた。
彼女が『妻に』『夫に』と望んだのは『俺』じゃない。
前世の、前前世の俺だ。
――彼女にとっては『智明』も『青羽』も『トモ』も同一人物として認識されているらしい。
だからそのまま彼女の愛情を受け入れてもいいのだろうとは思う。
でも、感情は収まらない。
『俺』を見て!
『俺』を愛して!
『俺』だけを求めて!
そう叫びそうになるけれど、半覚醒状態の彼女にそんなことを求めても困らせるだけだとも理解している。
半覚醒状態だからこそあんなに素直に甘えてくれることも。
彼女は『救い』を求めている。
そして、彼女を救うことができるのは彼女の『半身』だけ。
現代は俺だけ。
彼女が求めてくれるならば、彼女を救えるならば、他の男のフリくらいしてみせる。
そう思って毎夜彼女を抱きしめ、キスをし、愛をささやいている。
どういうわけか彼女は毎夜起き出す。
黒陽の話によると、「おやすみなさい」と部屋に戻って一度は寝るらしい。
それが突然起き出して俺を探してフラフラ出歩くと。
「俺の気配がついてたら寝るんじゃなかったのか?」
蒼真様とアキさんも交えた四人で『なぜ半覚醒状態で起きてしまうのか』と話し合った。
「日中もなんだかんだ抱きしめてるし、寝る直前にはハグしてるのに」
「お前と再会した頃はそれで一晩しっかりと寝たんだが……」
黒陽もわからないらしい。
ううん、と頭をひねる俺達に、口元に手を当ててじっと考えていたアキさんがぽつりと言葉を落とした。
「……求めてる?」
なんのことかと全員がアキさんに注目する中「私も『そう』だったんだけどね」とアキさんは懐かしむように話をした。
「最初は会えるだけで嬉しかった。それが、目が合った。話ができた。笑いかけてくれた。そんなことが積み重ねるにつれて、もっとこんなことをしてほしい、もっとこんなふうにしたい、って求めてしまうの」
その話は俺も深く理解した。
出会ったばかりのころはとにかく会いたかった。会えただけで『しあわせ』だった。有頂天になった。
それが今、当たり前に彼女のそばにいられるようになった。
そばにいたら抱きしめたいしキスもしたい。
笑いかけてもらいたいし彼女からキスして欲しい。
『俺』を愛して欲しい。『俺』だけを求めて欲しい。
そうやって、次から次へと欲求が重なっていく。
「竹ちゃんも『そう』なんじゃないかしら」
彼女が? 彼女も、求めてくれている!?
『俺』を!?
「最初はトモくんに会えただけで満足だった。
だからトモくんに会った日はよく眠った。
それがあの『鬼の一件』のあと、竹ちゃん、ココロを壊してたじゃない?
それでトモくんを求めるようになって、再会できたら余計に求めるようになってるんじゃないかしら?」
……聞き捨てならない言葉があったぞ?
竹さんがココロを壊していた!? 聞いてないぞ!!
『弱っていった』としか聞いていない。どういうことだよ!
「つまり」
俺が文句を言うより早く蒼真様が口をはさんだ。
「竹様が『トモ』のこと、どんどん『好き』になってる、ってこと?」
『好き』!? 竹さんが!『俺』を!?
「多分」てアキさんがうなずく!
そうなのか!? 竹さん、『俺』のこと『好き』なのか!?
「毎日会うようになって。笑顔を向けてもらって。『好き好き』言われて。ハグしてもらって。
そんなの、女のコなら『恋』しちゃうわよ」
そうなのか!? 彼女、俺に『恋』してるのか!?
「トモくんに『恋』してるけど自覚はなくて。でも『もっと愛して欲しい』って求めてるんじゃないかしら?
それで夜の眠りが浅くなったときにトモくんを探すことになるんじゃないかしら?」
「一理ある」
黒陽も蒼真様もウンウンと納得している。
そうなのか!? 彼女、そんなに『俺』を求めてくれてるのか!? 望むところだ! どんとこい!! いくらでも愛してやるぞ!!
「調子に乗るなよ」
優秀な守り役にすかさず釘を刺される。
ピッと背筋を伸ばす俺に苦笑を浮かべたアキさんはさらに続けた。
「トモくんが夜になだめてるおかげか、竹ちゃん日ごとに元気になってる気がするわ」
それは俺も感じている。
朝起きたとき。昼寝から起きたとき。
眠る前よりも回復しているのを感じる。
霊力量は変わらない。変わらず高霊力だ。
『霊力量が増えた』というよりは、『濃くなった』。
霊力の『質』に厚みが出たというか、深みが出たというか。
『満たされている』という彼女の言葉のとおり、浅く色褪せていたのが濃く鮮やかな色に染まっていくように感じる。
「睡眠にはレム睡眠とノンレム睡眠があるから。
その眠りが浅くなる時にかけられてる封印が沈んで、半覚醒状態になっちゃうんでしょうね。
で、そのときに、普段は気付かない気持ちが出ちゃう。
『トモくんにもっと愛されたい』『甘えたい』っていう気持ちが」
「で、トモを探してフラフラすると」
「どうかしら?」
アキさんの言葉に「そうかも」と蒼真様が同意する。黒陽も納得しているようだ。俺も納得。
「てことは、今後も夜に起き出すってことだよね……」
うーん、と蒼真様が唸る。と。
「それに関しては問題ないのではないか?」
それまで黙っていた黒陽が口を開いた。
「トモには面倒をかけて申し訳ないのだが、二度目に起きてトモになだめられたあとは朝までよく眠る。
明子の仮定のとおりだとするならば、半覚醒状態のときにしっかりと甘やかすことが姫の回復につながる。
ならば、姫が望むままにトモに対応させてはどうだろうか」
「それもそうか」と蒼真様もあっさりと納得した。
「朝まで寝るなら問題ないかも」とアキさんも納得した。
「スマンなトモ。面倒をかけるが、姫を頼む」
頭を下げてくる生真面目な守り役に、こちらもきちんと姿勢を正して頭を下げた。
「面倒じゃない。彼女が甘えてくれるのは、俺にとってはご褒美だ」
ニヤリと笑う俺に黒陽はちょっと驚いたように目をまるくしたが、すぐにその目を細めた。
「調子に乗るなよ」
「わかってます」
いつものやりとりに、やっと黒陽がニヤリと笑った。
「ダメよ!」
いつもの夕食後の報告会。
突然千明さんがバァン! とテーブルを両手で叩き、吼えた。
なにが『ダメ』なのか全員が驚き固まる中、千明さんはビシッと俺を指さした。
え? 俺?
「固い! 固いのよトモくん!」
「は?」
「なんでいまだに敬語なのよ!
『恋人ごっこ』してるなら、もっと馴れ馴れしい喋り方にしないと!」
保護者達もヒロも「ああ」「そういえば」と納得している。が、俺と竹さんは『キョトン』だ。
そんな俺達に千明さんはさらに言葉を重ねるが、重ねれば重ねるほど意味がわからなくなっていく。
「もっとフランクに!」「青春ぽく!」とか、なにを求めているんだこのひとは。
アキさんが通訳してくれた。
俺が黒陽に対するときと彼女に対するときで言葉遣いが違うことに千明さんは気付いていた。
いつ竹さんにも黒陽に対するような喋り方になるかと様子をうかがっていた千明さんだが『恋人ごっこ宣言』から三日経っても四日経っても変わらない俺についにブチ切れたと。
そんな急に変わるかよ。
なのに生真面目なかわいいひとはショックを受けてしまった。
「千明さんのおっしゃる通りです」なんてシュンとする。
「私のほうが年下ですし。
トモさんが礼儀正しい方だとしても、私からお願いすべきでした。
もっと早く気が付かないといけなかったのに……私……」
「ち、違うわよ! 竹ちゃんは悪くないわ!」
あわてて千明さんが竹さんをなだめるけれど、生真面目な愛しいひとはどんどん落ち込んでいった。
またマイナス思考におちいってる。困ったひとだなぁ。
千明さんがギッと俺をにらんでくる。
いやアンタが言い出したんだろう。俺は悪くないよ?
「『トモくんがくだけた話し方しないのが悪い』って」
とんだとばっちりだな。
そしてよくわかるなアキさん。
『俺が悪い』の言葉に彼女がパッと顔を上げた。
「ちがいます。トモさんは悪くありません!
至らない私が悪いんです」
「竹ちゃんは悪くないってば!」
さすがの千明さんも竹さんには弱いらしい。
なんとかしてもらおうと夫に目をやると、タカさんはどこかおもしろそうに笑っているだけで妻を止める気もなだめる気もないようだった。
逆に俺に視線で『どうする?』と問いかけてきた。
……仕方ない。俺がこの話引き上げればいいんだろ?
「千明さんの意見はわかりました。参考にします。
竹さん。とりあえずこの件は離れに戻ってふたりで話し合いましょう?」
そうまとめると、愛しいひとは悲壮な覚悟を込めた顔で、千明さんはホッとしたようにうなずいた。
報告会を終えて「おやすみなさい」とハグをされ、離れに戻るなり生真面目なひとは生真面目に言ってきた。
「私も黒陽みたいなくだけた言葉遣いにしてください!」
「『くだけた言葉』ねぇ……」
別に言いたいように言ってるだけで意識したことないんだけどな。
ふぅ、と腕を組んで考えを巡らせていたら、泣きそうな彼女が目に入った!
またおかしなマイナス思考に突っ走ってるな!
あわてて弁明する!
「いや、意識して敬語なわけじゃないですから!
俺が竹さんが好きで、緊張してしまうからつい敬語になっちゃうんです。貴女は悪くないです!」
そしたら今度はショックを受けたように固まった。
そしてへにょりと泣きそうになる。
「トモさん、私といると緊張しちゃうんですか……」
ぐわあぁぁぁ! ああ言えばこう言う! めんどくせえぇぇぇ! でもかわいいぃぃぃ!
なんだその叱られた犬みたいな顔! 俺が貴女相手に緊張してるのがそんなにかなしいのか!
どうせ『自分は俺といてのびのびしてるのに』とか見当違いなこと考えてるんだろう!
それとも俺にリラックスして欲しいのか!? 自分のそばでのびのびしていてほしいって、そう願ってくれてるのか!? 望むところだ! これまで以上に構い倒してやる!
「オイ」
おっと。
過保護な守り役のおかげで暴走していた思考が止まった。
いかんいかん。彼女がかわいくてつい暴走してしまう。
「緊張というと言い方が悪かったですね。
『貴女に良く見られたい』『カッコいいと思われたい』
そんな欲にまみれてしまって、つい、敬語になってしまいます」
きょとんとした彼女にたたみかける。
「貴女が大事で、貴女が大好きで、大切にしたいから敬語になっちゃうんです」
頬をはさんでそう告げると目をまんまるにする彼女。
ぶすっと口をへの字にする。照れてる! かわいい!
「それに貴女だって俺に敬語じゃないですか」
「私はこれが普通です」
「じゃあ俺だってこれが普通です」
「黒陽には違うじゃないですか」
「そう言われても、黒陽は黒陽だから」
「なんですかそれ」
「貴女だって黒陽にはもっとくだけた話し方じゃないですか」
「そ、それは……」
言い合いを続けていたら黒陽がため息を落とした。
「『恋人ごっこ』には、千明の言うように、くだけた口調も必要なのではないですか?」
その意見に竹さんがきょとんとした。
「今すぐに変えるのは姫もトモも難しいでしょうから。
徐々にくだけた口調に慣らしていけばいいのではないですか?」
その意見に彼女は納得した。
「トモは時々姫に馴れ馴れしい言葉を使っています。
姫が私に話すようにトモに話してやれば、自然にくだけた口調になるでしょう」
そうか? 意識したことなかった。
そして彼女はなんかぶつぶつ言っている。
「黒陽に話すみたいに……」なんて生真面目に考えている。
悲壮な顔つきで決意を込めた目を俺に向ける彼女。
「じゃあ……、私、がんばってみます。
だからトモさんも私に黒陽に話すみたいな言葉にしてください!」
言ってる端から敬語になってるよ。うっかりだなあ。かわいいなあ。
「うん。わかった」
へらりと笑ってそう答えたのに、彼女は目をまんまるにして固まってしまった。
「これでいい?」
確認したらハッと再起動した。
なんかあわあわしている。どうした?
やがてブスッとふくれた顔になってうつむいた。
「……………いい、です」
―――照れてる! かわいい!
「『いいです』じゃないでしょ?」
かわいいひとの頬をはさんで上を向かせる。
めっちゃかわいいんだが。なんだそのふてくされたような顔。『照れたときの顔』って知らなかったら怒ってるのかと思うよ?
「『いいよ』でしょ?」
にっこり笑って言葉を催促すると、またしても目をまんまるにしてうろたえる彼女。
口を開けては閉めて目も泳いでいる。
そんな大層な要求じゃなかろうに。生真面目だなあ。
「竹さん?」
『言って?』と目で訴えると、彼女はめずらしく俺の要求を正しく理解した。
グッと詰まったあと、なにか考えを巡らせ、そうしてぎゅっと目を閉じた。
決意を込めて目を開けた彼女は、じっと俺を見つめた。
「………『いいよ』」
上目遣い。拗ねたような表情。羞恥のためか決意のためか赤く染まった頬。うるんだ瞳。とがらせた唇は赤くぽってりとしていて―――。
「オイ」
地獄の底から響くような低いドスの効いた声に固まった。
首筋に細い細い水の糸が這っている。
黒陽がちょっと力を入れたら頭と胴がお別れするやつだ。
ドッと汗が噴き出す。
ようやく正気に戻って周囲を確認すると、彼女の唇まで数センチのところだった。
だって仕方ないだろう! 好きなひとがかわいい顔して『いいよ』なんて言うんだぞ!
「お前が言わせたんだろうが」
同じ男なら理解しろよ! 許してくれよ!
「理解したから止めたんだろうが」
考えをすべて見透かして黒陽がいちいち返事をする。くそう。チート亀め。
「? なんですか?」
固まった俺に彼女が心配そうな目を向ける。
「………私、なにか間違いましたか……?」
だからかわいすぎるんだって!
そんな泣きそうな情けない顔で見上げないでくれ! 邪念が出る!!
どうにか呼吸を繰り返して落ち着くと、首筋の細い糸がパッと霧散した。
やれやれ。守り役が優秀すぎるのも困りものだ。
「『いいよ』って言ってくれたのが、うれしくて」
にっこり微笑んだら彼女はびっくりしたように目をまるくした。
くそう。かわいい。
かわいさに身体が勝手に動いた。
ちゅ、と素早く額にキスをおとす。
頬をはさんだままの彼女がキョトンとしている。
守り役がギリ、と歯ぎしりをしたのがわかった。
「かわいい」
ぺろっとこぼれた本音に彼女はみるみる赤くなっていった!
あわあわと口を震わせる様子も目をうるませるのもかわいくて愛しくて、ぎゅうっと抱きしめた。
「大好き」
俺から逃れようと彼女がジタバタするが、腕力が違うから身動きひとつ取れていない。
ジタバタするのもかわいい。さらにぎゅうっと抱き込んで逃さないようにする。
やがて彼女は諦めたらしい。ダランと力が抜けた。
俺の肩に頭をもたれさせ、拗ねたように、怒ったようにボソリと言った。
「……たった一言でこんなに甘えんぼさんになっちゃうなら、私、敬語やめないほうがいいんじゃないですか……?」
「甘えん坊な男は、嫌い?」
抱きしめたままわざとあざとく問いかけた。
予想どおり「……嫌いじゃ、ない、です……」なんてボソボソつぶやく彼女。
ああもう! チョロい! かわいい!
「甘えさせて? 俺、貴女にしか甘える気ないから」
「俺には貴女だけだから」
あざといおねだりに彼女は黙ってうなずいた。
彼女がうっかりなお人好しで助かった!
「ありがと」「大好き」
そうささやいて彼女の頭にキスをする。
守り役からの威圧がビシバシ刺さる!
「調子に乗るなよ」なんて呪詛みたいに言うなよ! わかったよ!
しぶしぶ彼女を開放する。
途端に彼女は両手で顔を覆ってしゃがみ込んでしまった!
「た、竹さん!?」
あわてて顔を上げさせようとしてもぷるぷる頭を振って余計に顔を伏せる。ついには床に丸くなってしまった。
「大丈夫!? 具合悪い!?」
背中をなでながら霊力を探り様子を探る。
「竹さん!?」
「恥ずかしがっているだけだから。放っておいてやってくれ」
「黒陽!」
ガバッと身体を起こした彼女は真っ赤な顔をしていた。
「もう! もう! なんでいつも私の考え読んじゃうの!?」
「守り役ですから」
「だからって、だって、そんな、」
テーブルの上の亀にくってかかる様子からは具合が悪いようには見えない。
ということは、本当に恥ずかしがっていただけか?
少しは俺のこと『男』として意識してくれてるのか!?
急に恥ずかしくなってきた! 赤くなっていくのが自分でもわかる! ぐわあぁぁぁ! うれしい! 恥ずかしい! 胸がキュンキュンする!!
バッと顔を覆う俺に彼女が驚き口をわななかせるのが指の隙間から見えた。
彼女の白い首筋が、耳が赤く染まっていく!
かわいすぎか! ああ! もう、愛おしいが過ぎる!!
爆発しそうな霊力を必死で抑えていると「わ、私! お風呂行ってきます!」と叫び彼女が走り去った。
「……甘すぎて胸やけがする」
黒陽が意味のわからないことをつぶやいていたが、俺も爆発寸前の感情と霊力を抱えてそれに構うどころではなかった。