第八十七話 帰還後一週間のまとめ
トモ視点に戻ります
俺が『こちら』に戻って一週間。
心配された『霊力酔い』もなく快調に過ごしている。
「竹様がそばにいるからかな?」
蒼真様が楽しそうに色々調べてくれたが、どこも不調はないと太鼓判を押してくれた。
普通は高霊力保持者が霊力の少ない『世界』に『落ちる』と、身体が欲する霊力が足りなくて具合が悪くなるという。
その様子がまるで船酔いしたようだとなり『霊力酔い』と呼ばれるようになったと聞いている。
今名付けるならば『低霊力症』とかか?
高い山に登るにつれ酸素が薄くなり、身体が欲する酸素が足りなくて具合が悪くなる低酸素症。
それと同じ現象だろう。
言ってみれば、高霊力にあふれた場所からこの『世界』に『落ちる』というのは、普段暮らしている場所から富士山のてっぺんにいきなり転移させられたようなもの。
慣らしも何もなく突然に低酸素の場所に『落ちた』ら、息ができなくなって苦しむに決まっている。
想像するだけでゾッとする。
船酔いよりもだいぶ苦しいと思うんだが。
俺、船乗ったことないからわからないだけか? それほど船酔いもキツイのか?
まあなんにしてもなんともないんだからそれにこしたことはない。
帰還したその日に彼女のそばにいることになり、三日目には仮とはいえ恋人になれた。
正直、こんなすぐにここまでになれると思ってなかった。しあわせが過ぎる。
俺と竹さんは『半身』だから、俺が彼女のそばにいるだけでも彼女の回復に役立つという。
が、抱きしめたりイチャイチャベタベタするとより回復するとわかり、蒼真様はじめ周囲から竹さんにイチャイチャベタベタすることを求められている。
役得以外の何物でもない。しあわせだ。
当の竹さんだけがブスっとしている。
隙あらば抱きしめ抱き上げくっついている。
彼女は恥ずかしがって抵抗するが「甘えさせてくれないんですか?」とあざとく言えば大人しく受け入れてくれる。チョロい。
俺、チョロいヤツも考えが甘いヤツも馬鹿だと思ってたんだけどな。
彼女に関してはいくらでもチョロくいてもらいたい。深く考えるなんてしてもらっては困る。
それでなくてもいつ逃げられるかわからないのに、深く考えるなんてして逃げられる可能性に気付いたらこのひとはあっという間にいなくなる。
俺を気遣って俺を巻き込むまいとして逃げる。
そんなことをさせるわけにはいかない。
彼女にはどこまでもうっかりで、どこまでもぼんやりしていてもらわなければならない。
うっかり上等。ぼんやり上等。
俺が『しっかり』を担当すればいいだけだ。
そんな彼女は表情豊かだ。考えていることが全部顔に出る。
王族とか貴族なんて表情読ませなくてナンボだと思うんだが、ずっと病弱で社交をしてこなかった彼女には残念ながらそんなスキルは備わらなかった。
かたや俺は物心つく前から退魔師の修行をしてきた。
かなり厳しく詰め込まれた自覚はある。
退魔師は表情を読んでナンボだ。
相手の表情を、言葉の調子を読んで弱点を探り、討ち滅ぼす。
逆に相手に表情を読ませない修行もしてきたが、それは置いといて。
だから俺にとって彼女の表情を読むのは簡単だった。
このひと弱気なことや後ろ向きなこと考えるとちょっと目を伏せる。で、諦めたようにちいさく笑う。
ただ問いかけてもはぐらかすことは明白だった。遠慮しぃのこのひとのことだ。「聞かせたら迷惑になる」くらい考えるに違いない。
だから逃げられないように、目をそらすことができないように、がっちりと頭を固定して聞いた。
「今なにを考えましたか」
目の色を探れば嘘をついているかはわかる。
そうして弱気も考え違いもマイナス思考も全部吐き出させた。
ほとんどは見当違いな思い込みと考え違いだった。
だからひとつひとつぶっ潰した。
俺に弱気を見透かされたときの彼女のびっくりした顔。
頬をつかんだときのおびえたような顔。
論破したときの顔。
『目からウロコが落ちた!』みたいな顔をするときもあればべしょりと泣きそうなときもある。
正直どの彼女もかわいい。
ついついヘラヘラと笑みこぼれてしまう。
こんなにいろんな彼女を見られるなんて思ってもいなかった。しあわせだ。
俺をそばに置くことについても話をした。
寝込んだ二日間も、そのあとも、突然思い出したように「やっぱり危険です」「迷惑になります」なんて言い出したから、その都度懇切丁寧にぶっ潰した。
俺に論破されほだされた彼女は「どれだけ言っても聞いてくれない」なんてふてくされていた。
ぶう、とふくれているのもかわいかった。
「ごめんね?」「あきらめて?」そう言うときにどうしてもニマニマしてしまいさらに怒らせてしまった。
そんなやりとりを経て、最終的に彼女は諦めた。
俺をそばに置くことを認めた。
一週間で認めたのは、早いほうなのか時間がかかったほうなのか。
「もう私つかれました」なんて遠い目をしていた。
うれしくて抱きしめたら怒られた。
いろんな話をして。一緒にメシを食って。昼寝をさせて。
そうやって四六時中べったりと彼女にくっついていた。
二日ほど彼女をゆっくりしっかり休ませた。
『寝られなかった』というのが嘘のように彼女はよく寝た。
俺がそばにいることが彼女を安定させ、それでよく眠るのかもしれない。
俺が戻るまで彼女は弱っていたから、回復のために眠るのかもしれない。
俺と話をして弱気や思い違いを叩き潰しているから、余計なことを考えることなく眠るのかもしれない。
なんでもいい。彼女が眠れるならば。
彼女が少しでも回復するのならば。
『長くて五年』
しあわせな毎日に忘れそうになるが、穏やかな寝顔を見つめているとふと不安がよぎる。
抜けない棘がジクリと痛む。
あとどのくらいこうして一緒にいられる?
どうすれば彼女は『しあわせ』になれる?
どうにか『呪い』を解呪してずっと一緒にいたい。そのためにはなにをどうすればいい?
『向こう』で宗主様の研究資料を見せてもらった。
宗主様は姫と守り役の『呪い』の解呪を願い、ずっと研究してきた。
その研究の一環で不死に近い身体になった。
三千年研究している宗主様をもってしても解呪の糸口はみえないという。
ただ、姫と守り役から話を聞き、高間原に生きていたひとたちや神々から話を聞いた宗主様はひとつの結論を出していた。
『呪い』をかけたのは『黄の王』ではない。
『呪い』をかけたのは『災禍』。
『黄の王』というひとは高間原とともに滅びたという。
術者がいない状況では解呪は望めない。
だが『災禍』が『呪い』を刻んだのだとしたら、ほんの僅かだが可能性が生まれる。
『災禍』と対峙したときにどうにか『呪い』を解くように仕向けることができれば。
可能性は限りなく低いが、解呪できる可能性はゼロではない。
彼女が『災禍』と対峙するとき。
そのとき俺はそばにいられるのだろうか。
彼女の邪魔をしないだろうか。
彼女が『災禍』と対峙したあと。
彼女はどうなっているのだろうか。
俺はどうなるのだろうか。
見えない未来に足がすくむ。
不安と恐怖しかなくて、目をふさぎたくなる。
だがそれをしっかりと見据えないと彼女を救えない。
正直、しんどい。
いつ彼女を喪うかわからない。
明日は? 明後日は? 一週間後は? 一ヶ月後は?
半年後、一年後、彼女は俺のそばにいてくれるのか?
そう考えてしまうことがしんどくて、苦しくて、彼女を抱きしめる。
彼女のぬくもりを身体全部で感じることで、彼女の存在を魂で感じることで、どうにか平静を保っている。
正直、焦る。
いつまで彼女といられるのか。
早く『災禍』を見つけて『呪い』を解呪させなくては。
『呪い』を解かせて、滅しなければ。
そう思っても調査は進展がない。
デジタルプラネットの社長が最有力で怪しいのは変わりないのだが、過去に何度も何度も『こいつが最有力で怪しいと踏み込んだら別人が宿主だった』なんて目に遭っているという西の姫と守り役達にとって『最有力で怪しい』というのは『なにかの罠なのではないか』と警戒してしまうらしい。
だからタカさんが中心になってデジタルプラネットの全社員を洗い、出入りの人間を洗い、社長の経歴を洗い、ほんの少しでも関わった人間を洗っている。
仮に社長が『災禍』の宿主だとして、いつどこで出会ったのかがわからないという。
そのために『社長が宿主だ』と断定しきれない。
一番確実で手っ取り早いのが『社長本人に直接会う』こと。
だがこれも難航している。
社長自身が極度の人嫌いに加えて、七月のバージョンアップに向けて社内がてんやわんやになっている。
保護者達が様々な切り口から「社長に会いたい」と交渉しているが、今のところ成果はない。
デジタルプラネットに俺も竹さんと黒陽と行ってみた。
ビルの入口から三人で様子を探ったが、おかしな気配は感じなかった。
ビルの最上階が社長の自宅兼仕事場だという。
竹さんも黒陽も式神を飛ばした。
俺も風を展開して探った。
が、最上階とその下の階にかけられている結界は強力で、俺の風も彼女達の式神も建物に入ることすらできなかった。
俺は『境界無効』の能力者だ。
俺自身がその場に行くならどんな境界も『無効』にする自信はある。
が、操る風や式神ではその能力を乗せることができない。
結果、五階より上は侵入できない。
それだけの防御を施されているというだけでも宿主である可能性は高いのだが、似たような結界を御池のマンションにかけているヤツを知っているから一概に『そう』だと言えない。
ウチのばーさんも自宅と寺に結界展開してたし、あちこちの『守護者』と面識のあるヒロに言わせるとどの家でも似たようなことをしているという。
ただ、竹さんもハルも侵入できないというのはそうそうないレベルだ。
怪しいのには違いない。
ふたりで「ここで『バーチャルキョート』作ってるんだぁ〜」なんて『近くまで来たから見学に来た』みたいな顔をして、わざと会社の正面入口の前でだべりながら出入りする人間を観察した。
扉が少し開いた隙を狙って式神や俺の風を何度も侵入させた。
何度やっても四階より上が探れない。
ならばと屋上から侵入したり思い切って六階の窓から侵入を試みたりしたが、どうやっても六階に入れなかった。
報告書によると五階に『バーチャルキョート』を支えるスーパーコンピューターが入っている。
そのための対策だと言われれば納得できないこともない。
探れる範囲は探ったが、社員にも部屋にも『災禍』の気配はなかった。
デスマーチっぽいエンジニアに同情した。
会社の前のガードレールに腰掛け、彼女の手を握り、コソコソと耳元で話し合いながら探った。
社員の出入りの多い昼食時を狙ってそんなことをしていたら、通りすがりの社員や通行人にすごい目で睨まれた。
舌打ちされたり「爆ぜろ」「クソが」とかちいさな声で捨て台詞を吐かれたりした。
俺は彼女の左の肩にいる黒陽が目に入っているが、隠形をとっている亀は一般人には見えない。
だから、俺が彼女の手を握ったまま耳元に唇を寄せて「やっぱり下から五階には行けないですね」「別ルートないかな」なんてボソボソ打ち合わせする様子が睦言をささやいているように見えるらしい。
また彼女がしかめっ面のへの字口で生真面目に考え込んでいるのが『路上で男に迫られて恥ずかしいけれどうれしいから断りきれない』みたいに見える。
うん。優越感ハンパない。
そう見られていることがうれしくてテンション上がって、ますますニマニマしてしまう。
そして通りすがりの一般人に呪詛を吐かれる。
いくらでもぶつけてこい! 全部跳ね返してやる!
調子に乗ってテンション上がった勢いのまま彼女の耳に軽くキスをした。
『ヒソヒソ話をするのに近づきすぎた事故』みたいに装ったキスに、うっかりな彼女はびっくりしつつもうっかり俺に騙され丸めこまれた。
「なにか?」ってなんでもない顔をしてニコニコしたら「……なんでも、ない、です」なんて耳を押さえて赤くなってうつむいた。
周囲からの怒気よりも、俺の内心を正しく読み取る優秀な守り役の威圧のほうがヤバかった。
「調子に乗るなよ」との警告に「了解しました」と大人しく従った。