閑話 竹 4 『半身』1(トモ帰還四日目)
竹視点です
ふ、と意識が浮上する。
ああ。よく寝た。
もう起きなきゃ。でも、もう少しこうしてたい。
あのひとがそばにいてくれる。だから、大丈夫。
目を閉じていてもわかる。
あのひとの気配に包まれてる。
そばにいてくれてるって、わかる。
安心して。心地よくて。もう少しこのまま微睡んでいたい。
貴方に包まれていたい。
貴方がいてくれたらそれだけで『しあわせ』。
私が寄りかかっても貴方はいつも受け止めてくれる。
あったかくて、強くて、やさしい、私の『半身』。私の唯一。
私の。私だけの。
―――あれ? なんだっけ……?
私の、なんだっけ?
―――あれ? 私、今、なに考えてたんだっけ……?
意識がはっきりするにつれ、夢は霧散してしまう。
もったいなくてすがるようにそれをつかもうと思うのだけれど、つかんだところから霧のように散ってしまう。
なんだっけ。なにか、大切なこと。
大事なこと。大事なひと。
私の――。
私の――?
ふ、と瞼をひらく。
頭にイメージしていた部屋とちがう。ここ、どこだっけ?
イメージしていたのはこんな綺麗な壁じゃない。板を打ち付けただけみたいな壁。
お布団もこんなに柔らかくない。もっと固くて、板の床に直接敷いていた。
あれ? 竈がない。いつもあのひとがお薬を作ってくれるのに。
あれ? ここ、どこ?
「竹さん?」
身体を起こしてキョロキョロしていたら声がかかった。
あのひとの声。
ああ、よかった。ここがどこかわからないけど、貴方がいるなら大丈夫。
貴方のいるところが私の居場所。
貴方がいてくれればそれだけでいい。
声に顔を向けると、いつものやさしい笑顔がそこにあった。
「おはようございます。具合はどうですか?」
いつもの挨拶。いつも私のことを心配してくれる、やさしいひと。
「大丈夫です」
「ならよかった」
うれしそうに微笑んでくれる。貴方のその笑顔だけでしあわせになっちゃう。
うれしくて、自然にニコニコしてしまう。
「寝られました?」
「はい。なんだかよく寝た気がします」
「そっか。よかった」
そうしてそっと私の頬をなでてくれる。
うれしくてしあわせで気持ちよくて、私もその手に手を添えて、そっと頬ずりした。
甘えても怒られることも軽蔑されることもないことに安心して、もう少しスリスリする。
私、王族なのに。こんなに甘えちゃダメなのに。
でもこのひとがいつも「甘えて」って赦してくれるから。
このひとの前でだけは、私は『ただの私』になれるから。
私の『半身』。私の唯一。私の、
―――私、の……?
……………?
……………。
―――ハッ!!
目が覚めた! 完全に目が覚めた!!
やだ私寝ぼけてた!! 夢の中だと思ってた!
ええと、ええと、今はいつだっけ!? ここ、どこだっけ!?
えと、えと。
アワアワしていたら目の前の男性と目があった。
トモさん。
そうだ。トモさんだ。
『金』の霊玉守護者で、私の『半身』で、やさしくて強くて――って、ああ! 今はそこまで思い出さなくていいの!
そうしてハッと気が付いた! 私、トモさんの手を握ったままだ!
うわあぁぁぁ! 私、甘えてスリスリしてた!! 恥ずかしい!
どうしよう! これ、どうしたらいいの!?
どうしたらいいのか何を言えばいいのかわからなくなってぐるぐるしてたら、トモさんが「フッ」って笑った。
いつもの、やさしい笑顔。
あ。大丈夫だ。
なんでか、そう『わかった』。
根拠もなにもないのに、トモさんがいてくれるだけで『大丈夫』って思う。
なんだろう? なんでそんなこと思うんだろう?
昨日もそう思ってたっけ? どうだったっけ?
あれ? いつから私トモさん見ただけで『大丈夫』って思うようになったんだろう?
あれ? あれれ?
なんだろ? なんか。
「目が覚めた?」
トモさんの声にハッとして、考えてたことがまた霧散してしまった。
あわてて顔を上げると、トモさんは私の頬をやさしくなでてくれながらやさしい笑みを浮かべていた。
「さ、覚めました」
「そう? もう少し寝ててもいいですよ?」
「も、もう起きます!」
「そ? わかった」
そうして頭をポンポンしてから離れた。
トモさんの手がなくなった途端、なんだかさみしくなる。
なんだろうこれ。これが『半身』ていうこと?
「俺、黒陽とリビングで待ってますね」
「あ、はい」
そういえば黒陽もいたんだった。
あれ? 私、黒陽のこと忘れてた?
そんな、まさか。でも、そういえば。え? なんで?
わけがわからないことばかりでぐるぐるしていたら「じゃ、またあとで」とトモさんはお部屋を出ていった。
肩に黒陽を乗せて。
――私、どうしたんだろ?
服を着替えながら考えを巡らせる。
なんだかおかしい。自分でもわかる。
なんかすごくよく寝た気がする。
霊力がいつもとちがう。
なんか、いっぱい充電されてる感じがする。
今ならわかる。
今までの私はガス欠状態だった。
それがいっぱいに満たされてる感じがする。
なんで? トモさんがいてくれるから?
『半身』がそばにいてくれるから?
鬼ごっこでトモさんにつかまったとき『わかった』。
このひとだと。
このひとが『私の半分』だと。
トモさんが説明してくれた。
『半身』という存在のこと。
『夫婦は元々ひとつの塊だった』
元々ひとつだったものがふたつに分かたれた存在。
それが『半身』。
説明されて、『名』をつけられて、深く深く納得した。
このひとだと。
このひとが私の『半身』だと。
「『半身』だから俺は貴女のそばにいてもいい」
トモさんはそう言ってくれる。
「災厄が降りかかっても多分気が付かない」「貴女といられるだけで『しあわせ』だから」
そんなことを言ってくれる。
「『半身』だから貴女の罪も責務も半分は自分のものだ」なんて言ってくれる。
私の罪を、責務をトモさんが背負うことは「義務だ」と。
だから「そばにいてもいい」と言ってくれる。
――ホントは、うれしい。
私なんかの『そばにいる』なんて言ってくれるひとは黒陽だけだと思ってた。
私は『罪人』で。『災厄を招く娘』で。
私がそばにいたら迷惑がかかる。
それなのに。
「『半身』だから大丈夫」だと。
「そはにいたい」と願ってくれる。
うれしい。うれしい。
私もそばにいてほしい。
でも。
でも。
ホントに大丈夫なの?
ホントに私がそばにいても大丈夫なの?
『半身』だからって、甘えてもいいの?
そこまで考えて、ふと、気が付いた。
トモさんは『半身』だからやさしくしてくれるんだ。
そう思ったら、申し訳なくなった。
お部屋を出て歩き出した足が止まった。
私なんかが『半身』じゃなかったら、トモさんはもっと楽に生きられたのに。
こんな、罪や責務を背負った人間の『半身』になったために、あのひとが負わなくていい罪や責務を負う。
申し訳なくて、いたたまれなくて。
いつの間にかうつむいた顔があげられなくなった。
どうしたらいいんだろう。
どうしたらあのひとを開放できるんだろう。
私なんかの『半身』でなかったら、きっとあのひとは『しあわせ』になれる。
責務も、罪も、余命もない、『呪い』だってない素敵な女性と結ばれて『しあわせ』になれる。
――『しあわせ』、に、
スウッ。
『あのひとが他の女性と結ばれる』と考えた途端、血の気が引いた。
あれ? 貧血? どうしたんだろう。
なんでか立っていられなくなって、ドッと廊下の壁にもたれる。
それでもやっぱり立っていられなくなって、ズルズルとその場にしゃがみ込んだ。
なんだろう。なんで、こんな。
わけがわからなくて、ただこわくてさみしくて、目を閉じて壁に頭をもたれさせた。
大丈夫。ちょっと、具合が悪くなっただけ。
ちょっと休めば、大丈夫。
大丈夫。大丈夫。
そう自分に言い聞かせていたら。
「竹さん!?」
大きな声にびっくりして目を開けた。
ガバッと身体を支えられた。
固い表情のトモさんがいた。
額に、首に手を当ててなにかを確認してくれている。
「どうしました? 具合悪い?」
そう言いながらじっと私の目を見つめてくれる。
その目に心配や不安の色をみつけて、また申し訳なくなった。
「――ごめんなさい」
「『ごめん』はいいから」
ひょいっと私を抱き上げたトモさんはそのまま私の部屋に逆戻りした。
そしてベッドの上に下ろしてくれた。
「――この三日、ちょっと無理しすぎましたね。
今日は休みましょう。
とりあえず、これ飲んで」
そう言いながら無限収納から取り出したらしいコップにお水を入れて渡してくれる。
「大丈夫で「いいから。飲んで」ハイ」
大人しくお水をいただく。霊力たっぷりでおいしい。
「なんか食えそう? ゼリーか果物にしとく?」
ベッドの横の机に次から次へと食べ物が出てくる。
「あの、もう大丈夫です。御池に行きます」
そう言ったのに、トモさんは「ダメ」と言う。
「蒼真様に診てもらおう。俺、ちょっと呼んでくるから。黒陽、竹さんのそばにいてくれ」
「ウム」
ふたりで話がどんどん進んでいく!
「だ、大丈夫! ちょっとふらっとしただけだから! いつものことだから! ね! 黒陽!」
「覚醒時は確かにそうでしたが、覚醒してからはそんなこと少なくなっていたでしょう。
――やはり疲れが出たのです姫。
蒼真に診てもらいましょう」
黒陽も心配してくれる。
どうしよう。ちがうのに。疲れとかじゃないのに。
「ちがうの! ちょっと考え事してたら、ちょっとふらっとしただけで、そんな、疲れとかじゃな」
ガッ。
トモさんが、私のほっぺを両手ではさんだ。
にっこりの形でお顔が固まってる。
あ。こ、これは。
「――竹さん?」
「ひ、ひゃい」
「なにを考えたんですか?」
「……………」
「な・に・を! 考えたんですか!?」
「トモ」
「な、なにも「今『考え事して』って言いましたよね?」
「……………」
「で? なにを考えたんですか!?」
「トモ。抑えろ」
黒陽が止めてくれてるけどトモさんは全然止まってくれない。
お鼻がくっつきそうなくらいに顔を近づけて私の目をじっと見つめてくる!
逃げたい。
こわくてつい目をそらしたら「俺の目を見て」ってもっと怒られた。
「で? なにを考えたんですか」
「……………」
「竹さん!?」
「……………」
だってなんて言えばいいの!?
私なんかと『半身』じゃなかったら貴方はもっと『しあわせ』だったんじゃ、なんて言って、本当にこのひとが私から離れてしまったら。
ホントはわかってる。
私はこのひとのそばにいちゃいけない。
私は『災厄を招く娘』だから。『罪人』だから。私がそばにいたらこのひとを不幸にするから。
だから私は言わないといけない。
『私と「半身」じゃなかったら貴方はもっと「しあわせ」になれるんですよ』って。
『私から離れて』って。
わかってる。わかってる。
なのに、言えない。
このひとのそばは心地良い。
そばにいてくれるだけで安心する。
ずっとそばにいたい。隣で笑っててほしい。
一緒にお出かけしたり、ごはんたべたり、おしゃべりしたりしていたい。
『半身』ていう意味がわかった。
私はこのひとの『半分』。
このひとは私の『半分』。
そばにいたい。そばにいてほしい。でも。
不意に、あの糺の森のことを思い出す。
暗い森で、糸が切れたように倒れたトモさん。
どれほど浄化をかけても、どれほど治癒をかけても回復しなかった。
私がそばにいたから。
私が関わったから。
私は『災厄を招く娘』。
私は『罪人』。
『災禍』を滅する、その責務のためだけに生命を重ねているだけの存在。
私がそばにいたらこのひとが傷つく。
私が近寄ったひとは不幸になる。
だから、言えない。『そばにいたい』って。
このひとが『そばにいさせて』って言ってくれても『うん』って言えない。
でも。
本当は、うれしい。
そばにいてくれて。『好き』って言ってくれて。笑ってくれて。
うれしい。
うれしい。
うれしい。
このひとが笑ってくれるだけでどこかが満たされる。
このひとが『好き』って言ってくれるたびに胸がきゅうってなる。
そばにいたい。そばにいちゃいけない。
お別れしないといけない。お別れなんてしたくない。
自分でもどうしたらいいのかわからない。
菊様も、蒼真も、保護者の皆様も、このひとを『そばに置いとけ』っておっしゃる。
そうおっしゃるなら従うべきだと思うけど、やっぱり心配。
このひとを傷つけたくない。このひとには『しあわせ』になってもらいたい。
そう思うのに、弱虫の私はこのひとを拒絶できない。そんな自分が情けない。
誰にも相談できなくて、このひとがそばにいてくれることに甘えて、今日までズルズルと過ごした。
でも、そうだ。
このひとが自分から離れてしまう可能性だってある。
私は『災厄を招く娘』。
こんな私に嫌気がさして、このひとがいなくなる可能性は、十分に、ある。
このひとが、いなくなる。
そんなことになったら、私……。私――!
じわりと涙が浮かぶ。情けない。こんなだから『名ばかり姫』なんて呼ばれるんだ。
王族なんだからもっとしっかりしないといけないのに。もっと毅然としないといけないのに。
そんな情けない私にトモさんが眉を寄せた。
ごめんなさい。私が『名ばかり姫』だから貴方にまでそんな顔をさせてしまう。
やっぱり私はダメな子なんだ。
迷惑かけてばかりの、情けない子なんだ。
「今考えたこと口に出して」
グッとトモさんに顔を上げさせられる。
うつむいていた視線をムリヤリ上げられて、トモさんの視線にとらえられる。
「俺は晃みたいに『触れただけで相手がなにを考えているかわかる』なんてできないから、言ってくれないとわからない。
貴女がなにを考えているのか。
なにをかなしんでいるのか。
言ってくれないとわからない」
そう言われても、言えない。
私は王族だから。甘えちゃいけないから。
「俺にはちゃんと言って?
俺は貴女がなにを言っても、嫌うことも軽蔑することもないから」
そう言ってくれても、言ったらきっと軽蔑される。
王族なのに情けないって思われちゃう。
「言いにくいことも言って。
でないと俺、わからない」
トモさんのほうが痛そうなお顔で、一生懸命に言ってくれる。
やさしいひと。私の『半身』。
「貴女がなにに傷ついているのか。
貴女がなににとらわれているのか。
言って。教えて。
俺は絶対に馬鹿にすることも嫌がることもないから」
――ホントに?
ホントに、イヤじゃない――?
「貴女のことが知りたいんだ」
「貴女のことを支えたいんだ」
真剣に、まっすぐに伝えてくれる。
そのまなざしの熱にあたためられていく。
目が離せなくてじっとトモさんの目を見つめていたら、トモさんがベッドにあがってきた。
そのまま私をお膝に乗せてぎゅうっと抱きしめてくれる。
それだけで安心して、身体中の力が抜けていく。
ほにゃほにゃと、解けていく。
「――わかる?」
うん。わかる。
「俺達は『半身』だよ」
トモさんに抱きしめられているだけでホッとする。
ここは世界でいちばん安心できる場所。
私を全部出してもいい場所。
根拠もないのに、なんでかそんなふうに思ってしまう。
「『半身』なんだから、貴女の痛みも苦しみも半分は俺のものだ。
お願いだから俺を拒絶しないで。
そばにいさせて。
『好きになってくれ』なんて言わないから、せめて気持ちは教えて」
やさしい声。
甘くて、あたたかくて、身体の中に染み込んでいくみたい。
トモさんの声に、体温に、ぎゅっと抱きしめて支えてくれる力強さに、だんだんとこわばっていたものが解けていく。
「なにを考えているのか。
なにが貴女を縛っているのか。
教えて」
やさしく、やさしく言ってくれるトモさん。
いいの? 言ってもいいの?
そう思って顔を上げたら、トモさんはにっこりと微笑んだ。
「俺が全部ぶっ潰すから」
獰猛としか表現できない笑顔にぷるぷると震えてしまう!
こ、こわい! 逃げなきゃ!
あわててトモさんのお膝から逃げようとしたのに、ガッとまたほっぺをつかまれて逃げられなくなった!
「――で? なにを考えていたんですか?」
ニコニコ顔なのに威圧がにじみ出ているトモさんから逃げられなくて、ぷるぷる震えることしかできなかった。