閑話 トモさんのおうち(竹視点)
竹視点です
「もう! 黒陽! あんな言い方しなくてもいいのに!」
ぷんぷん怒っても付き合いの長い守り役は知らん顔だ。
「ああでも言わないとあの男は退席しないでしょう。
あんなに汗をかいて暑そうだったのです。
シャワーを浴びてさっぱりしてから、ゆっくり話をするほうがヤツのためではありませんか?」
「そりゃ…そうかもしれないけど……」
この守り役は気が利くのだけれど。言い方を考えてくれないかしら。
「それより姫。ヤツのいない間にケーキを食べてしまいましょう」
それもそうだと再びケーキに取り掛かる。
有名ケーキ屋さんのケーキ。
一度食べてみたかった。
信じられないくらいおいしい! うれしい!
マドレーヌも一口。こっちもおいしい!
紅茶も甘くておいしい!
ぺろりと全部食べてしまった。
おなかがぽかぽかして、なんだかとろんとする。
このお部屋はすごく落ち着く。
なんだろう。すごく清浄で、あたたかい。
この童地蔵のおかげかしら。
それともトモさんの能力に関係しているのかしら。
先日、船岡山の先代玄武様のところへうかがった。
京都を囲う結界は今、南の『要』がない状態。
『要』である朱雀様が休眠しておられるから。
それを解消しようと、晴明さん達と話し合っている。
実際に術を行使する前に他の四神の皆様に説明をしておかなくてはいけない。
『北』の玄武様の今代様は鞍馬山におられるけれど、先代様にもお話をしておこうと船岡山に行った。
先代様に頼まれて笛を吹くことになった。
私の笛には長い間私の霊力が浸みこんでいるから、吹くだけでどこにどんな影響があるかわからない。
だからしっかり結界を張ってからでないと吹けない。
しっかりと結界を張って、せっかくだから桜でいっぱいにして、桜コンサートにしてみた。
先代様も、一緒に行ってくれた守り役達も喜んでくれた。
そこに現れた男性が、トモさん。
私の結界が破られた気配はなかった。
なのになんで知らない人がいるのか最初は意味が分からなかった。
白露が「『境界無効』の特殊能力持ちだ」と教えてくれてホッとした。
特殊能力にはどんな強力な結界も効果がない。
「たまたま紛れ込んじゃったんでしょうね」の説明に納得した。
穏やかに微笑む男性だった。
やさしそうな男性だった。
不思議だけど、初対面の男性なのに全然こわくなかった。
『トモ』さん。
昨年末に助けてくれたヒロさんのお仲間の霊玉守護者。
中学一年生になってから少しずつ記憶と霊力を取り戻し、昨年末からの休眠で完全に覚醒した。
高間原のことも、『災禍』のことも、私の罪のことも、全部思い出した。
「もう今生の家族のもとにいるわけにはいかない」という私に、晴明さんが一計を案じてくれた。
私はまだまだ休眠していることにする。
私の姿をした式神をベッドに寝かせておいて、見舞いにきた両親に会わせる。
私が死んだらその式神も死んだようにして「霊力が馴染まず亡くなりました」と両親に渡してくれることになった。
そのためにお世話を買って出てくれた晴明さんのご両親も協力してくださる。
いつものことながら何から何まで手配してくださる。ありがたい。
申し訳ないから、せっせと霊玉を作って渡したり、京都の結界のチェックをしたりしている。
でも、お洋服をいただいたりスマホをいただいたりと、逆にどんどん『借り』が重なっていく。
申し訳なくていたたまれない。
「対価をもらっていますから大丈夫ですよ」と晴明さんはいつも言ってくれる。
「私達も竹ちゃんがいてくれて楽しいわ」と晴明さんのお母様のアキさんは言ってくれる。
でも、そんなお言葉を真に受けて甘えるのは『ちがう』と思う。
私は『罪人』だから。
私は『災厄をまねく娘』だから。
それでも晴明さんの結界でしっかりと守られたこのマンションと離れの建物の中ならば『大丈夫』だと自分でもわかる。
結界の強度が他の場所と全然ちがう。
晴明さんにとっての『大切なもの』があるこの場所には、晴明さんが何年にもわたって何重にも結界やら守護の術やらをかけている。
だから私の気配や霊力に引き寄せられるものもやってこない。
そもそも私の気配や霊力が漏れることがない。
それに、ご家族の皆様にも晴明さんの守護の術が何重にもかけてある。
ここなら、大丈夫。
そう思ったからか、それで油断したのか、晴明さんのご家族のいいようにされている。気がする。
晴明さんのご家族は素敵な方ばかり。
普段テレビをあまり見ない私でも知っている目黒千明さんがヒロさんのお母様と紹介されたときにはびっくりした。
晴明さんのお母様のアキさんも、お父様達も、親切でやさしくて、まるで家族のように私に接してくださる。
晴明さんの片腕と紹介されたヒロさんも素敵な方。
同じ水属性だからか、そばにいて緊張しない。
私、初対面の男性はこわくて近寄れないのに。
昔。
まだ高間原の紫黒にいた、幼い頃。
霊力を暴走させてしまったときに、七歳年上のにいさまが私の噴き出す水をひとまとめにして抑えてくれた。
「ぼくなら無茶しても大丈夫だよ」
「気にせずドバーッと出しちゃいな」
そう言って抱きしめてくれた。
ヒロさんに初めて会ったときに同じような言葉をかけてもらって同じような対応をしてもらって、それですごく久しぶりににいさまのことを思い出して、それからヒロさんがにいさまのように感じて、つい、甘えてしまう。
ヒロさんは親切だから、なんだかんだと構ってくださる。
そのときによく他の霊玉守護者のお話を聞かせてくださる。
『トモ』さんのお話も、ヒロさんから聞いていた。
私が五つに分けて封じた霊玉は、現代もとても良い方のもとにあるようだ。よかった。
あの『禍』を浄化したと聞いて驚いた。
と同時にホッとした。
もうこの霊玉を浄化する必要はなくなった。
それならこの霊玉の霊力をひとつに戻して、休眠中の『南』の『要』である朱雀様にお渡ししたらどうかとヒロさんに言われた。
いい案だと思った。
菊様にも、白露にも相談した。
術式も検討して、術を実行した。
でも、トモさんからの『同意』が得られなかった。
術は失敗。一時停止にした。
「やっぱり私からちゃんとトモさんにお話ししなかったのがいけなかったのでしょうか」
そう言ったら晴明さんも白露も黒陽もなぐさめてくれた。
「そんなことないですよ」
「きっとトモは、ちょっと勘違いしたのよ」
「姫には一切責任はありません」
でもやっぱり気になって、トモさんと直接お話をしたいと思った。
そう言ったら、晴明さんがトモさんに連絡を取ってくれて、会いにいくことになった。
晴明さんのお父様の晴臣さんが一緒に行ってくださった。
車でトモさんのお家に連れて行ってもらって、玄関の前で三人で待った。
待っても待ってもトモさんは帰ってこなかった。
「おかしいなぁ…。トモの学校からだったら、もう帰ってきてもいいはずなのに…」
時計を気にする晴臣さんに申し訳なくなった。
「あの、晴臣さん。私、黒陽とここで待ってます。もうお仕事に戻ってください」
「え。でも」
「大丈夫です。帰りは北山の離れに転移します」
「いや、でも竹ちゃんひとりじゃ緊張しない?」
「黒陽がいるから大丈夫です」
晴臣さんはためらったけど、晴明さんに連絡して「帰っていい」って言ってもらってやっと帰ってくれた。
「夕ご飯までには帰ってくるんだよ? 帰れなくなりそうだったら連絡するんだよ?」
何度も何度も念押しして、しぶしぶといった感じに晴臣さんは帰っていった。
黒陽と術についてやトモさんとどんなふうにお話をしようか話しているうちに、トモさんが帰宅された。
和室に通されて、すぐに気が付いた。
床の間の童地蔵。
額の白毫に埋め込まれている透明な石。
一目でわかった。私の霊力を固めたものだ。
トモさんが席をはずされてすぐに近寄って確認した。
間違いない。私の霊力だ。
「なんでこんなところに?」「こんな石、いつ作ったかしら?」
作った覚えがなくて、でも間違いなく私の霊力を固めたもので。
そっと手をかざしてさぐってみると、四重付与をかけていた。
そこまでしたものを覚えてないって、どうなの? 私。
「黒陽、覚えてる?」
守り役にたずねると「覚えてますよ」とあっさり答えてくれた。
「いつ作ったもの?」
「四百年くらい前でしたかねぇ」
「四百年前……」
思い出そうと考えてみるけれど、もやでもかかったように思い出せない。
「――誰に作ったんだっけ……」
「『ご家族』に作られていましたよ」
「家族……」
どの家族だろう。『家族』といわれても、いつも生まれて数年で家を出ていたからパッとでてこない。
「去り際に渡しておられました」
「……そう……」
だから子供の姿のお地蔵様なのかしら。
私のせいで降りかかる災厄から守るために家を出るのはたいていこのくらいの年齢だった。
そのときの姿を写したのかしら。
なにかのご縁があってここにたどり着いたのかしら。
四百年、ずっと大切にされてきたのだろう。
この童地蔵にはあたたかい気持ちが込められているのを感じる。
そのあたたかさがこの部屋に充満しているのかしら。
すごく安心して、すごくおちつく。
戻ってこられたトモさんがお茶を出してくださる。
ケーキも「どうぞ」とすすめてくださる。
おいしい。うれしい。
トモさんもうれしそうにされている。親切な方だなあ。
初めてお会いした船岡山でも、二度目にお会いした北山の離れでも、三度目の今日も、トモさんはいつもにこにこと穏やかに微笑んでおられる。
やさしい人柄が感じられて、なんだかホッとする。
誰にでも親しみやすい、良い方なんだろうな。
晴明さんやヒロさんも「いいヤツですよ」とおっしゃってた。
事前にお話をたくさんお聞きしてたからこわくないのかしら?
黒陽に言われるまでトモさんが汗をかいておられることに気が付かなかった。
私はいつもそう。気が利かない。
気が利く守り役にいつも助けてもらっている。
ちょっと言葉が悪いのが気にはなるけれど。
ケーキをいただいて、お茶もいただいて。
おなかのなかからぽかぽか。
このおうち全体に誰かの結界が展開されているようで、私が警戒しなくても大丈夫って思える。
なんだろう。安心する。
まるで誰かに包まれているような。
誰かの気配に包まれているような。
誰だっけ。
この気配は。
世界で一番安心する、この場所は。
なつかしい、この場所は。
誰だっけ。
誰か、大事な人がいた。
私を全部預けられる人。
私が甘えられる人。
誰だっけ。
ぽかぽかして、ゆらゆらふわふわする。
あの人に包まれているときのよう。
あったかくて。安心して。
―――ここなら、だいじょうぶ―――
ちょっとだけ、ちょっとだけ。
そう言い訳しながら座卓に腕をのせ、頭をあずけた。
高間原や『災禍』については『紅蘭燃ゆ』をお読みくださいませ