第七十七話 帰還三日目 朝
彼女が眠ったのを確認して顔を上げると、黒陽と目が合った。
「スマンな」
ちいさな声に「いや」と答える。
そのまま彼女を抱き上げベッドに連れて行く。
横にしても、布団を掛けても彼女は目覚めることはなかった。
「このまま朝まで眠ってくれたらいいんだがな」
ふう、とため息を落とす黒陽にふと気付いた。
こいつも疲れてる?
「あんたも寝ろよ?」
心配になってついそう言ったが、黒陽は口の端を上げただけだった。
「あんたが倒れたら誰が竹さんの世話をするんだよ」
わざとそう言ったら「問題ない」と返ってきた。
「私は『呪い』があるから死なない。多少のことは大丈夫だ」
………それは『問題ない』わけではないぞ?
「……なに? 竹さんが起きたらあんたも起きるように術式組んでんのか?」
『むこう』で聞いた。
竹さんが生命を落としたら黒陽は休眠すると。
竹さんが母胎に宿ったら目覚めるように術式を組んでいると。
その関係で竹さんが目覚めたらこの亀も起きてしまうのか?
当てずっぽうな俺の言葉に、うっかり亀はわかりやすく動揺した。
「な、何故それを」
「そうなのか」
呆れてジロリと視線を送ると、ようやくカマをかけられたと気付いたらしい。悔しそうに眉を寄せ、それでも諦めたのか大きなため息を落とした。
「……姫が目覚めてどこに行くかわからなかったからな。
あんな危険な状態の姫を放って、私ひとりぐーぐー寝ているわけにはいくまい」
「だからって、それじゃああんたが休まらないだろう」
「このくらい平気だ。
昔は三日四日眠らずに仕事をすることだってあった」
どんなブラック企業だ。
「……竹さんが眠れば、あんたも眠れるのか?」
「おそらくな」
自分のことなのにどこか他人事のような亀に知らず眉が寄る。
そんな俺に黒陽は困ったように微笑んだ。
「私のことはいいから。お前は自分のことを考えろ。
今日も忙しかったから疲れたろう。
ホラ。早く寝ろ」
「……俺はショートスリーパーだから大丈夫だよ」
「なんだそれは」
「睡眠時間短くても大丈夫なタイプってこと。
三時間寝れば平気」
「そんな人間がいるのか!」
大袈裟に驚く亀がおかしくて笑った。
「ハルもショートスリーパーだぞ?」
「そうなのか!?」
「あんたは? いつもどのくらい寝るんだ?」
「……………」
答えない亀に察した。
「……寝ろよ?」
「寝るさ。おやすみ」
アキさんが黒陽用にと作った、カゴにセットされた布団にごそごそと潜り込む亀。
そうして器用に顔を出してきた。
「今日はありがとう。助かった」
「……俺がやりたくてやってることだ」
生真面目な亀に笑うと、向こうも楽しそうに笑った。
「おやすみ」と挨拶を交わして部屋を出た。
翌日。
またヒロとふたり朝の修行をして、シャワーを浴びて竹さんの部屋に行った。
「竹さん?」
ノックをしても声をかけても返事がない。
まだ寝てるのか?
そっと扉を開けると、すやすやと眠るひとが目に入った。
黒陽もサイドテーブルの上のカゴの中でぐっすりと眠っている。
俺が近寄っているのに、守り役としてそれはどうなんだ?
油断しまくったふたりに呆れる。
それでもぐっすりと眠る様子になんだかほっこりして、まだ寝させておきたくなった。
どうするかなぁ。もうすぐ朝食なんだが。
このまま寝させておいたらアキさん達心配するかなぁ。
かわいい寝顔を愛でながら、うーん、と悩んでいたら、ふと思い出した。
昔ハルから時間停止のかかった結界石を借りた。
あれはばーさんが死んだとき。
『半身』を喪ったじーさんを抑えるのにハルが貸してくれた。
「持っておけ」と言われ、結局そのままになっていた。
あれを使えばいいんじゃないか?
それなら、とさらに思いついて俺の部屋からノートパソコンを持ってくる。
待ってる間に頼まれた仕事済ませてしまおう。
そうして竹さんの部屋でパソコンを開き、時間停止の結界を展開した。
サイドテーブルの、黒陽が眠るカゴの手前にノートパソコンを置いてデータを処理していく。
頼まれた分の仕事を終えた。
それでもふたりはまだよく寝ている。それならと分析のための入力フォームをいじってみた。
これなら分析がもっと早くなると思うんだが。どうかな?
試しに入力して反応を確認。うん。悪くないんじゃないか? タカさんに検証してもらおう。
他にもやることあったよな。とスマホのトゥドゥリストを確認していると、ガバッと黒陽が布団を跳ね上げた!
びっくりして黒陽の様子をうかがっていると、ちいさな黒い亀はキョロキョロと周囲をうかがっていた。
と、俺と目が合った。
パチパチとまばたきをした黒陽は、おそるおそるというように口を開いた。
「……………智明……………?」
「『トモ』だよ」
苦笑を浮かべてそう答えると、黒陽はまたもまばたきを繰り返した。
「……………『トモ』……………」
「うん」
呆然とする黒陽。どうした? 寝ぼけてるのか?
「………久しぶりに、すごく、よく寝た気がする………」
「そりゃよかったな」
そう声をかける俺をまじまじと見つめる黒陽。
なんだ? なんかついてるか?
黒陽は首を動かして竹さんを確認するとホッと息をついた。
それから周囲をぐるりと見回す。
「――結界か?」
「ああ。ハルの時間停止の込められた陣」
結界石を見せると黒陽は納得していた。
「それなら多少は大丈夫だな」
「は?」
どういうことかたずねる間もなかった。
ド!
突然俺達の外側が水で埋め尽くされた!
あっと思ったときにはあふれた水は消え失せ、霊玉サイズに圧縮されていた。
と思った次の瞬間にはその霊玉から水が吹き出し、ゴウゴウと音を立てて俺達の周囲で渦を巻いた!
それからも水は複雑な動きを見せ、最終的にはパチンと霧散した。
「―――」
開いた口が塞がらない。
なんだその霊力操作!
ただ者じゃないとは思ってたけど、トンデモナイ霊力量と霊力操作だ!
トンデモナイことをしでかした亀は、それなのに顔色ひとつ変わらない。
まったくのいつもどおりの様子に呆れるしかできない。
「――こんなに違うものか……」
なんだか感心したようにつぶやく黒陽。
「……なにが?」
ようやく出せるようになった声でたずねる俺に、黒陽はどこか呆然としたように答えた。
「よく寝た」
………そりゃよかったな。
「霊力も、術も、なにもかもが冴えている気がする。
まるで全盛期の、黒枝がいてくれたときのような」
そうつぶやきながら、スラリと霊力の刀を出す亀。
見ただけでその鋭利さがわかる刀を、ちいさな亀はちいさな手で器用に扱い、見事な型を披露した。
「この身体ではさすがに剣は無理か」
……『むこう』の師範級の剣の動きだったぞ!?
なんだこの亀! チートか!?
「寝るとこんなに違うものなんだな!」と無邪気に喜ぶ亀にドッと疲れた。
「……そりゃよかったな」
「うむ! 今後はしっかり寝るよう心がける!」
「はいはい」
とはいえ、この亀がしっかり寝られるかは竹さんにかかっているわけで。
その竹さんはようやくモゾモゾと動き出した。
そりゃな。あれだけ黒陽が暴れたらな。
「姫。目が覚めましたか?」
放っといてやれよ。二度寝させてやれよ。
そう思ったがテンション高い亀はテンション高く主を起こしにかかる。
まあな。朝飯に行かないといけないしな。
そう思って黒陽のやりたいようにさせていたら「んん」と竹さんが布団の中で伸びをしたのがわかった。
ゆっくりとその瞼が開く。
ああ。かわいい。愛おしい。
じっと見つめていたら、パッと目が合った。
俺に気付いた彼女。
その目が、しあわせそうに細められる。
キュウゥゥゥン!!
なにその笑顔!
『俺がいてうれしい』って書いてある!!
『俺がいてしあわせ』って書いてある!!
そんなに好きなの!? 俺のこと、そんなに好きなの!? うれしい!! いくらでも好きでいてくれ!!
「――おはようございます」
ぐっはあぁぁぁ! かわいいぃぃぃ!!
ほにゃ、って! 照れ笑い!? かわいすぎる! 愛おしすぎる!!
「――おはよう、ござい、ます」
うれしくて恥ずかしくてしあわせで胸がいっぱいで。
それでもどうにか声を出すと、彼女はまたしあわせそうに微笑んだ。
―――生きててよかった――!
しあわせすぎるんだが。あれ? 俺、死んだのか? 夢見てんのか? 妄想か?
ドキドキオタオタしていたら、彼女はまた瞼を閉じてしまった。
あ。また寝るつもりかな。どうしよう。飯食わせたいんだが。
「姫。そろそろ起きましょう」
この阿呆亀ぇぇぇ!
黒陽の声かけに彼女はパッと目を開いた。
そしてバッと半身を起こす。
パジャマ! 胸!! ぐはぁっ!
彼女もまたキョロキョロと辺りを見回す。なんだ?
そうして俺と目が合った彼女は、ガチンと固まった。
「……………トモ、さ、ん?」
「はい」
「……………ええと、いつから……………」
いつ? いつからだっけ?
パソコンの時計を確認すると二時間経っていた。
「二時間前からですね」
「な、なんで、そんな、だって、結界……」
「結界?」
「寝てるときは、自然に展開してるはず……」
そうなのか? 気付かなかった。
「俺『境界無効』の能力者なんで。気付かなかったです」
正直に答えたらぱかりと口を開けた彼女。
間抜けな顔もかわいいとか。
「体調はどうですか? よく寝られました?」
一応確認すると「は、はい」とあわてて答える彼女。
「――なんか、久しぶりによく寝た気がします……」
どこか信じられないように彼女がつぶやく。
「それならよかったです」
にっこり微笑んでハルの結界陣を解除する。
「時間停止の陣を展開してました。
これから朝食ですよ。
着替えて行きますか? そのまま行きますか?」
念の為にそう確認してみると「着替えて行きます」と彼女。
「じゃあ俺、外に出てますね」
言いながら何も考えることなく、彼女に手を伸ばし。
「リビングで待っときます」
そっとその頬をなでた。
「――にゃっ!?」
ビクン! 大きく跳ねる彼女に驚いた!
驚きのあまり俺もパッと離れ、そしてハッとした!
な、なにやらかしてんだ俺!
彼女の許可もなく触れるなんて!
あれか!? 晃の言ってたやつか!?
『半身』に『受け入れて』もらうと、やたら触れたくなるという、あれか!?
それとも昨夜あれだけベタベタくっついていたからか!? あれはしあわせだった。
――違う! 今はそれは置いとけ俺!
勝手に赤くなる顔を彼女に見られたくなくて、急いで背を向けた。
「――俺、リビングで待っときます! じゃあ、あとで!」
パソコンを持って逃げた。
扉を閉めるその隙間から、頬を手で押さえた彼女の真っ赤な顔が見えた。